「三年過ぎました、いまそこで見ていますか?」他、短編集

有沢真尋

文字の大きさ
5 / 5
「手に負えない男」

手に負えない男

しおりを挟む
「新聞は必ず二紙以上とること。同じ事件でも、記者の書き方やその新聞社の方針によって、記事から受ける印象が全然違うことがある。一紙しか読んでいないと、いつしかそこに書かれていることを疑いようのない事実として受け取るようになり、記者の解釈が混ざっていることに気付かなくなる。こういった思考の偏りを避けるために、二紙以上読み比べるのは大切なんだ」

 サイフォンで淹れたコーヒーを飲みながら、父は朝食の席でそう言っていた。
 実際、私の家は特に裕福ではなかったはずなのに、新聞は朝刊も夕刊も二紙とっていた。
 さらには、新しいものとハイカラなものが好きな父は、テレビが発売されればどこの家よりも早く買い求め、近所の人を呼び集めては鷹揚に「見ていいよ」と見せびらかしていた。
 実験器具のようなサイフォンも好んでいて、朝食は必ずコーヒーとクロワッサン。

 大正生まれの日本人男性としては長身であっただろう、すらりとした百八十センチ。いつも仕立ての良いコートと帽子を身に着けていて、どこにいても人目をひいた。
 降るようにあった縁談の中から、「顔の良さ」だけで選んでしまった、と母が言うだけはある見目の良い美男子。

 いつも目を輝かせてそのとき興味のあるものについて滔々と語り、昼間から全集で揃えた文学作品を読み耽っていて、たまに油絵を描く。
 アトリエと呼ばれる一室が家の中にあって、そーっとのぞくと、緑色に塗られた窓枠から、夜明けのようなうすぼんやりとした青い光が差し込んでいたのを覚えている。
 その光の中に、イーゼルに向かった父の後ろ姿。少し伸び始めた黒髪をそのままに、たばこの煙をくゆらせていた。サスペンダーが交差した背中は身長に見合った広さ。
 たばこの火が板張りの床に落ちても足で踏みつけて消すためなのか、父はその部屋では靴を履いていた。

 自由気ままに生きていて、父というより兄弟の一人のようにそこにいた。
 ちなみに職業はひも。

 もっと言いようがあるかもしれないし、そもそもそれは職業として適切ではない表現かもしれないが、とにかく父は仕事をしていなかった。
 娘たちと、道楽に生きる父を支えるために、母は寝る間も惜しんで働いていた。
 そのせいで、私には母との思い出はほぼない。
 代わりに、いつも娘たちをかわるがわる膝にのせ、何かを楽しそうに話していたとびっきりのイケメンの記憶はある。

 ここまでだとそこまで悪くない話かもしれないが、父の特技は「連帯保証人」だった。
 母が働けど働けど、暮らし向きが上向かなかった理由である。

 結果的に、あれほど始末に負えないひとはいない、というのが私をはじめ姉妹たちの記憶に強く強く刻まれた。
 四人姉妹だった私と姉や妹は全員、公務員などの固い職業の相手と結婚。
 並びに、顔の良い男は決して信用しないという業を背負って生きていくことになった。

 姉妹が揃うと、あれは本当にタチの悪い男だった、という笑えない笑い話になり、話している間に全員が頭痛を覚えて頭を抱えてしまう有様だった。

 母も亡くなるまでずっと「顔の良い男には気を付けなさい。仕事をきちんとする相手と結婚しなさい。あのひとが死んだあと、あのひとが連帯保証人として押し続けたハンコを見つけたんだけど、刻印の部分がすり減っているのを見てぞっとしたものよ。友達にいい顔したいだけの男なんかもってのほか」と娘たちに言い続けていた。


 それでいて、「夫婦とはよくわからない」と思うのは、おそらく母は父を恨んでいたはずなのに、父の命日に逝ったことだ。

「ああそう、そういえばあのひとの命日が近いわね。あのひとのことでこれ以上子どもたちに迷惑をかけるわけにいかないから、その日だと良さそうね。法事をまとめてできるから少し楽ができるわよ」

 数日前に病床でそんなことを言っていて、「何言ってるの」とたしなめた記憶がある。
 それなのに、本当にその通りに逝ってしまった。

 もしかしたら、娘たちの人生に多大な影響を与えた「顔が良くて手に負えない男」が迎えにきて、連れていったのかもしれない。
 父のような男が夫というのは想像するに恐ろしく「絶対無理」なのだけど、なんだかんだ言いながら、死ぬ時まで添い遂げた母は、自分の人生をそんなに後悔していないのではないだろうか、とときどき思うことがある。




しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

小宮めだか
2025.07.06 小宮めだか
ネタバレ含む
2025.07.06 有沢真尋

小宮めだかさま

感想ありがとうございます!

こちらは当初1話めだけで出していたんですが、やはり文字数が少なすぎるかと、過去に書いた現代ものの短編を持ってきてみました。なので作品同士の関連性はやや薄いです……(2話めは私の祖母のイメージ、3話めは祖父のイメージなのでここはあわせて祖父母のエピソードですが、事実寄りではなくフィクションとして書いています)

ほっこり・じんわり大賞期間が続く中で、もしかしたらまた何か追加するかもしれません。
このたびは読んでいただきまして、どうもありがとうございました!

解除

あなたにおすすめの小説

夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。

古森真朝
ファンタジー
 「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。  俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」  新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは―― ※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。