余命三ヶ月の令嬢と男娼と、悪魔

有沢真尋

文字の大きさ
10 / 14
【本編】

流れ星の如く

しおりを挟む
 破砕音が鳴り響いた瞬間、アレンはクララの上に身を乗り出してかばっていた。
 窓から距離はあったが、破片のひとつでもクララには致命傷になりかねない。守るのは、アレンにとってこの上なく自然な流れだった。
 場が静まると、すぐに体を起こして窓へと目を向ける。

 パキッ、と割れたガラスが踏みしめられる音。

「ちょっと目測誤った……。ここまで派手に割るつもりはなかったんだよ。衛兵とかいるの? 誰かは来ちゃうよね」

 軽~い調子で悪びれなく言っているのは、紫紺のローブを身にまとった長身の人影。目を引くのは、肩から背に流れる毛量多めの銀髪。顎の細い端正な顔に、黒縁眼鏡。
 ん……? とクララが訝《いぶか》しげな声を上げた時にはすでに、アレンはその前に立って視界を塞いでいた。

(エリック兄様……!)

 五人兄弟の二番目で、レスターの双子の弟。四角四面の執事スタイルのレスターとは装いがだいぶ違う上に、眼鏡や表情で印象もかなり変わっているが、見る人が見ればその顔の相似はすぐに気づくレベル。クララにしっかり視認される前に、とにかくこの兄を隠して何かしらごまかさねば、とアレンは数歩前に進み出る。

「どんな登場をなさっているんですか」
「流れ星。お願い事してもいいよ」
「そういった茶目っ気あふれる回答は求めてません。何か用事があってのお越しですよね? ガラスを割って。派手に」

 ああ~、とエリックはそこで間の抜けた声を上げた。眼鏡の奥の瞳を光らせ、アレンに笑いかけてくる。

「殺虫剤が混入していた」

 前置き無く話すのは、レスターもエリックも似た者同士。
 鑑定をお願いした香水の件、とアレンはその心を読み解く。

「それは人間が使用した場合も、何かしら影響があるのでは?」
「そうそう。生き物にはあまりよろしくない成分が検出された。使ったら人間でも具合悪くなる。毒だからね。弱った人間ならなおさらだろうな」

 答えを聞くなり、アレンは身を翻す。ぬいぐるみの集められたソファ横に、所在なさげに置いてあった布袋を取り上げ、エリックの元へと歩み寄って突き出した。

「こちらも鑑定お願いします! 持ち帰ってくれても構わないので」

 エリックは「んん~?」と首を傾げながら、袋に手を突っ込む。化粧水の瓶を取り出すと、蓋を開けてひっくり返した。己の口へ向けて。

「飲!!??」

 焦ったアレンをさておき「まっず……」と顔を歪めて舌を出し、片手で喉をさすりながら言う。

「こっちは、花の根の毒だ。口にすると痺れや頭痛を引き起こし、体力的に負けてしまえば命を落としかねない。この瓶、僕でも名前の聞いたことがあるブランドのロゴが入っているけど、偽物じゃない? こんなの肌にのせるだけでも危ないよ。あ~、喉がイガイガする」
「飲むからですよ……。お茶でも……、いや、先にうがいをして少しでも洗い流した方が」
「僕は大丈夫。あとでトイレの住人になるかもしれないけど、そんなのよくあることだから。人体実験は自分でするしかないからね~、毒慣れしちゃった」
「相変わらず一切合財間違えたことばかり言っているけど、他人に害を与えていないという点では偉大だと思います」

 都合よく「偉大」だけを聞きつけたらしく、エリックは妙に得意げに「そうだろ~?」と言ってきた。アレンは敢えて訂正せず、布袋の中を覗き込む。

「化粧品関係は全滅として……。アクセや櫛も何かあるのかな。ここ数日お嬢様の体調が好転しているのは、これを使わなくなったからって理由もある……?」

 思案している間に、エリックがアレンの横をすうっと通り過ぎた。

「どーもこんにちはー。窓壊してごめんね」

(しまった……! 顔でバレる……!)

 目を見開いて成り行きを見守っていたらしいクララは、まじまじとエリックを見上げて言った。

「レスター……?」
「そんなわけ。そんなわけないですよお嬢さん。あの執事とは似ても似つかない、どう見ても別人じゃないですか。このひとは僕が懇意にしている錬金術師です。お願い事をしていたんですが、結果が出たから飛んできてしまったみたいで」

 普段のエリックは「優秀な」錬金術師として王宮勤務をしているが、以前仕事風景について質問したところ「用もないのにいつも兵士が周りをウロウロしている」と言っていた。明らかに監視をつけられている。出てくるときはその間隙をついて抜け出してくるらしく、だいたいまともな登場をしない。
 余計なことは言わないでくれ、というアレンの渾身の願いも虚しく、エリックはクララに対して極めて愛想よく言った。

「燕になって飛んできたんだけど、勢い余って窓に突っ込んじゃってさ。人間に戻ったけど実はあちこち怪我してんの。見る? ウケるよ」
「ウケない。三十男のすね毛なんかお嬢さんに見せないでください」
「すね以外なら良いのか」
「黙って」

(だめだ、エリック兄様のペースに引きずられた。レスター兄様とはまた違う方向性で、「家督継ぎそうにない兄様」筆頭。むしろ継がせない方が平和で満場一致、家族の総意)

 頭痛を覚えかけたが、そんな場合ではない。
 いまは「王宮勤務の錬金術師が有毒成分を確認した」化粧品の出どころや送られた意図を探る方がはるかに重要だ。
 アレンは大きく息を吸い込み、クララの視界を遮る位置に歩きながらエリックと向き合う。

「助かりました。ありがとうございます。あと、魔術か錬金術で壊れた窓を直せたら完璧ですね。できますか? やってください」
「人使い荒いけど、良いよ。普段王様とかお姫様とか俺使い荒い上司には慣れているし。かわいい弟の頼みなら、それこそ喜んで」

 途中からアレンは「わー! わー!」と騒いでそのセリフがクララに聞かれるのを阻止しようと試みていた。
 せっかくの、兄による甘やかしを弟自らによって遮られたエリックだが、特に気にした様子もなく窓へと引き返して行く。
 その後姿を見て、アレンは息を吐き出した。いつの間にか額に汗までかいていた。無駄な体力を消耗しまくった。兄め、と思っていたところで、クララから遠慮がちに「アレン、あのー……」と声をかけられる。一気に、肝が冷えた。

「お嬢さん、割れた窓から冷たい風が。暖炉のそばまで移動しましょう」

 すべてをごまかし尽くす強い意志を持って、アレンはクララに微笑みかける。立って歩けないのはすでに確認済みなので、抱き上げようとそばにしゃがみこみ、片膝をつく。
 顔をあげると、クララは翠眼を楽しげに煌めかせて、アレンを見つめていた。

「どうしました?」
「楽しいなって。また少し寿命が伸びた気がするの」
「あのひとと僕の会話が悪魔への供物になったのなら、幸いです」

 言いながら、アレンは手を差し伸べる。クララがその手に手をのせたとき、ガチャ、という乾いた音がした。
 ドアへとアレンが目を向けると、レスターがメアリーを伴って姿を見せていた。窓際でグシャグシャとガラスを踏み歩いているエリックをちらっと見てからアレンへと目を向けてくる。
 表情を特に変えることなく、厳粛な声で尋ねてきた。

「調査結果が出たみたいだな」





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~

降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。

混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない

三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

触れると魔力が暴走する王太子殿下が、なぜか私だけは大丈夫みたいです

ちよこ
恋愛
異性に触れれば、相手の魔力が暴走する。 そんな宿命を背負った王太子シルヴェスターと、 ただひとり、触れても何も起きない天然令嬢リュシア。 誰にも触れられなかった王子の手が、 初めて触れたやさしさに出会ったとき、 ふたりの物語が始まる。 これは、孤独な王子と、おっとり令嬢の、 触れることから始まる恋と癒やしの物語

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

処理中です...