聖獣さまの番認定が重い。~不遇の令嬢と最強の魔法使い、だいたいもふもふ~

有沢真尋

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【第四章】

駄猫じゃない、聖獣だ

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「んんんんんにゃああああああぁぁぁ!!」“はなせーーーーーーーー!!”

 叫ぶ猫。しかし「聖女」リーズロッテから引き離されたせいで、魔力は急速に落ち込んでいる。
 いくら叫んでも言葉を話すことはできず、口から出るのはみゃうみゃうという鳴き声だけ。たやすく人間の男に捕まり、運ばれていた。

「んみゃ!」“この野郎!”

 がぶ、と腕に噛みつこうとして、逡巡する。見た目は猫だが、中身はれっきとした魔導士なのだ。攻撃方法まで猫化するのは最終手段すぎるだろう、という彼なりのこだわりが邪魔をする。
 結果的に、大きいだけの猫となったジェラさんは、相手のいいようにされてしまっていたのだった。

「ジェラさんっ!」

 人混みの向こうから、リーズロッテの声が聞こえる。

「にゃ!!にゃああ!!」“リズ、俺ここ!!”

 危ない目に遭わせたくない思いがありつつ、一方でリーズロッテさえいれば自分は誰にも負けないのだという思いから、ジェラさんもまた叫び声で答える。

「にゃああああああ!!」

 * * *

「駄猫、うるさいな」

 リーズロッテの横を走りながら、ジャスティーンが渋い声で言い捨てた。
 最初は無闇に追いかけても、ひとにぶつかったり足を踏んだりする心配があって走りにくかったが、猫さらいの男が人通りの少ない方へ行くので、追走に集中できるようになる。
 騒ぎを避ける目的、さらには仲間と合流を企んでいるのは間違いなく、警戒するに越したことはない。だが、ここで引き下がると、物騒な呼び名をいくつも持つ魔導士が魔法を崇める秘密結社の手に落ちてしまう。それはさすがに、阻止しなければならないのだ。

「リズは戻ってって言いたいけど、ここではぐれる方が危ないな」

 一応、ジャスティーンが声をかけるものの、必死に走るリーズロッテは猫を抱えた男の背中だけを見ている。
 その腕の中から、にゃあにゃあと賑やかな鳴き声が響いていた。

「わたくしに、魔法が、使えれば……!」

 リーズロッテが、荒い息をつく間に悔しそうに呟いた。

「使えても、使うべきじゃない。ますますリズが狙われることになる。ジェラさんに、秘密結社の目を引きつけておいてもらう方がいいよ。ジェラさんの貞操が、魔導士の血が欲しい女性に奪われるくらいのことはあるかもしれないけど」
「えっ!?」

 起こり得る可能性のひとつとして、ジェラさんが捕まったときにどんな目に遭うのか。ジャスティーンは深い表現を避けて言ったつもりであるが、リーズロッテの動揺は目覚ましいものがあった。
 前を見るのをやめて、ジャスティーンへと顔を向けてくる。走り続けたまま。

「それって」
「リズ、危ない」
 
 街路樹にぶつかりそうなリーズロッテに、ジャスティーンが手を伸ばす。腰を抱き寄せ、激突を避けるために勢いを殺しながら足を止めた。
 ハッと顔を上げたリーズロッテは、鼻先まで木の幹が迫っていたことに驚いて目を見開く。「ありがとうございます」と言いながら、ジャスティーンの腕に手を置いてするりと抜け出し、もう一度走り出そうとした。足が震えていて、何歩も進めなかった。

「こんなときに、わたくし、全然役に立たない……」

 そのまま地面に崩れ落ちそうになったので、ジャスティーンが再び横に立って手を差し伸べる。リーズロッテは、その手にすがってなんとか体を支えながら、大きく息を吐きだした。
 猫を抱えた男の後ろ姿は、もう見えない。建物と建物の間の、細い道に入り込んでしまったらしい。
 まだ肩で息を整えているリーズロッテを見下ろしつつ、ジャスティーンは「大丈夫だから」と言った。

「最悪なのは、リズがあいつらの手に落ちること。あいつらの目的は魔導士の血統だからね、絶対にリズに自分たちの子どもを産ませようとひどいことをする。ジェラさんも、まあ……そういう目に遭う恐れはあるんだけど、体の仕組みが女性ではなく男性なら、妊娠させられても何ヶ月も相手の子をお腹の中で育てるような目には遭わないというか」

 ジャスティーンは、直接的な表現を避けつつ、リーズロッテに迫る危険を伝えようとする。しかし、リーズロッテは青ざめた顔でジャスティーンを見上げ、辛そうに眉をひそめながら訴えかけてきた。

「それはつまり、ジェラさんが他の女の人と寝るということですよね?」
「ああうん、うん、そうだね。そうそう。具体的にはそうなるかな」

 あれ? リズ結構わかってる? とうかがうように、ジャスティーンは注意深くリーズロッテの様子を観察しながら答える。
 途端、唇を震わせたリーズロッテは、悲しげにかぶりを振った。

「ジェラさんは、わたくし以外の方と寝てはいけません。そんなことをしたら、わたくしは二度とジェラさんをベッドに入れません」

「……あんの駄猫……。猫だと思っていい気になりやがって。ベッドの中まで入り込んでいるのか。猫なんだよね? 人間の男の姿じゃない時の話だよね?」

「そうですが?」

 何度も答えているはずですよ、とばかりにリーズロッテは澄んだ目で答える。「聞いた俺が悪かった」と言いながら、ジャスティーンは目を逸らした。

「ひとまず、見失ったものは仕方ない。いずれにせよ『猫』の姿でいる間は、向こうもおいそれとジェラさんには手出しできないはずだ。傷つけられることはあっても、命や貞操を奪われる心配もない。一度、アーノルドたちと合流しよう。組織の狙いは王子ではなく、魔法使い。リズの身に危険が及ぶ心配がある以上、俺たちはリズの護衛最優先で」

 戻ろうとジャスティーンが言い出したのに対して、リーズロッテは「嫌です」と口答えした。自分でもわがままだとわかっているようで、勢いが弱い。
 ジャスティーンが、穏やかな声で言い聞かせる。

「あいつを見捨てるわけじゃない。態勢を立て直して、奪還する。だいたい、駄猫も駄猫だ。最強の魔導士ならもう少し根性を見せろ。あっさりさらわれている場合か」

 ジャスティーンは、遠くを見るような目をした。
 そのとき、建物の間の道から「にゃうにゃう!」という鳴き声とともに走り出してくる猫の姿が見えた。
 
「ジェラさん!」
「にゃああああ!!」“リズーーーー!!”
 
 相手の手に噛みつくなどして、うまく逃げ出してきたのだろう。
 ふらふらになっていたのを忘れたように、リーズロッテが駆け出す。
 まさに、感動の再会とばかりに走ってきた猫がジャンプし、リーズロッテの胸元に飛び込もうとした。
 リーズロッテが、受け止めるように両腕を開く。

 その体が、横殴りの突風によって、弾き飛ばされた。
 すぐそばの木に容赦なく打ち付けられて、体が鈍い音を立てる。

「にゃああ!!」
「リズ!!」

 猫とジャスティーンが、同時にその場へと駆け込んだ。
 リーズロッテは、意識を失っているらしく、前のめりに倒れてくる。走り込んだ猫が、下敷きとなってその体を受け止めた。

「にゃあ! にゃあ!!」
「おい、駄猫どけ。お前じゃ無理だ」

 支えることはできないだろうと、ジャスティーンがリーズロッテに手を差し伸べる。
 そのタイミングで、人間の姿を取り戻したジェラさんが、リーズロッテを腕に抱きかかえて立ち上がった。
 ゆら、と青黒い煙のようなものが、その体が噴き出す。
 目は、通りに面した建物に寄り掛かるようにして立っている、ひとりの男へと向けられていた。

「いまの、ただの風じゃない。魔法だったな。お前だろ」

 ジェラさんの姿勢の先で、その人物は組んでいた腕をとき、ゆっくりと姿勢を正した。

「世界最強の魔法使いがいると聞いて、来てみました。ただの鳴き声のうるさい猫だと思っていたんですが、あなたがそうでしたか」

 コツコツと石畳に足音を響かせて近づいてくるのは、温厚そうな顔に眼鏡をかけた若い男であった。スーツ姿で、身なりは良い。物腰柔らかな印象を受けるのは、猫なで声や話し方のせいだろう。
 ジェラさんは、ぐったりとしたリーズロッテを抱きしめたまま、相手を睨みつける。

「なんで俺じゃなく、お姫様を狙ったんだ。魔法の扱いドヘタか? 俺を狙うつもりが、外したのか?」

 挑発的な物言いに対し、表情を視認できる距離まで近づいてきた相手は、愛想よく笑った。

「いいえ。その方を撃つつもりで撃ちました。こう見えて僕、猫好きなんですよ。なので猫を倒すのは忍びないなぁと思いまして」

 悪びれのない態度。ジェラさんから、さらに不穏な気配が吹き上がる。
 二人のやり取りをみていたジャスティーンが「駄猫、リズをこちらへ」と囁きかけた。このまま、ジェラさんが暴れるのを見越しての提案であったが、ジェラさんは「渡すかよ」とはねのける。

「俺は駄猫じゃねえ、聖獣だ。いや、魔法使いのジェラさんだよ。こりもせずに俺の後輩面したクッソ弱い魔法使いが挨拶にきたみたいだから、指導するところだ」

 その声は、まぎれもなく怒りに満ちていた。
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