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13話 さようなら

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 心の温度は、どれだけ下がるのだろうか。
 本当、笑える。

「たかがキス……。フフフっ……。エヴァンス公子様。私が他の殿方とキスをしても貴方は許してくれるのね?舌を絡ませ、お互いの吐息を飲みほすくらい、激しく、淫らに、貴方の目の前で、その殿方に心を預けても、たかがキスと笑ってくれるのね」

 きっと……自分は醜い顔をしているだろう。
 相手を傷つけたいと願う、醜悪な顔だ。

「いや……それは……」

 彼は言葉を濁した。
 そうよね。答えられないわよね。

「たかがキス……でしょ?」
 逃がしてなんかやらない。
 私達の関係の終止符を、彼の手で打たせてやる。
 私を愛していると歌いながら、醜い男の性に自分が逆らえなかった。卑怯で卑劣、矮小なこの男の本性を突きつける事で、その高いプライドをズタズタに引き裂いてやりたい。

 愛情の反対は無関心と言うが、私の中には彼への憎悪が渦巻いていた。
 彼を最低と詰りながら、その彼を引きずり込もうとする私も同じく最低なんだろう。
 この感情に身を委ねるのは、これが最後にしたい。これで最後にするから、私を解放して。

「……すまない。それは出来ない。そんな場面を見たら、俺は……」
「自分は良いのに、ずいぶん勝手ね」
「だから謝ってるだろ!」

 追い詰められて、彼は言葉が荒くなった。
 怒っているのだ。

「それで?」
「?」
「謝って終わりですか?」
「……償うよ。君の言うことは何でも聞く。だから許してくれ……」
「では、婚約解消してください」
「!!そっ、それ以外でだ」

 まるで子供ね……。

「私は、貴方と結婚する未来を捨てたいんです。それが私の願いです」
「償うといっているじゃないか!」
「ですから、私がいない未来で償って下さい。私はイエルゴート王国に行きますので、二度と顔を見せないで。それが貴方の償いです」

「エスメローラ!」
 彼が怒鳴った。
 自分の立場が悪くなると怒鳴るなんて、下品な男。怒鳴れば私が言うことを聞くと思っているの?

「……俺に歯向かうな。お前は俺の言うことを素直に聞いていれば良いんだ。婚約破棄?傷物令嬢になれば、肩身の狭い思いをするぞ。領地に引っ込んだとしても、必ず後悔する。いや、後悔させてやる。俺と別れればエスメローラ・マルマーダは死ぬんだ。貴族令嬢として死んでしまう。そうはなりたくないだろ!」

 彼は……私に何を求めているのだろう。
 素直で従順な、彼の愛さえあれば生きていける、頭が花畑の女性を求めているのなら、私にこだわる必要はない。
 そうでしょ?

「貴族令嬢として死ぬから、可哀想な私を引き取ってやる。その代わり、頭を空にして、ただ貴方に従う人形であれと、そう言いたいのですか?」

「歪曲した解釈をするな。お前は俺の言葉をそのまま受け取っていれば良いんだ」

「従順な女性をお求めなら、私を捨てて、他を当たって下さい。貴方なら、すぐにでも希望のご令嬢が現れますわ」

 もう、話すことはない。
 けじめをつけたいと思っていたが、結局時間の無駄だった。思い残すことはない。

「ブラント」
 テラスに男性が現れた。
 ヘンリー王太子殿下だった。
 
「あっ、すまない。取り込み中だったか」
「いえ、いかがなさいましたか」
「デリカ嬢がお前がいないと嫌だと、全く話さないんだ。悪いが来れるか」
「もちろんです。エスメローラ、また今度話そう」
「すまないな、マルマーダ嬢」
「いえ、御気遣いなく。さようなら、エヴァンス公子様」
 ヘンリー王太子殿下は、少し不思議そうな顔をしたが、ブラントを連れて会場に戻って行った。
 ブラントの顔に安堵した表情が見受けられた。きっと、このまま話していても私を説得するだけの材料が思い付かなかったから、問題を先伸ばしに出来たと思ったように見えた。

 今、この時が、最後と知らずに……。


 ×××


 私は今、イエルゴート王国行きの船に乗っている。昨晩のパーティーが終わり、私はマチルダと共に馬車に乗り、そのまま港に向かった。
 船は早朝に出発なので、港の簡易宿で身なりを整え、軽く仮眠し、マチルダ達と船に乗り込んだのだ。

「エスメローラ」
 サラ様だ。
 私は甲板に出て風にあたっていた。

「寒くないか?あと、船酔いはしてないか?」
 サラ様はブランケットを私に羽織らせた。
 寒いとは感じていなかったが、ブランケットを羽織ると心地よい暖かさがあった。
 
「はい、大丈夫です。お義姉様」
 私はサラ様、いえ、サラお義姉様に微笑みかけた。

 エスメローラ・マルマーダ伯爵令嬢であった私は、オルトハット王国の貴族籍を抜けて、新たにイエルゴート王国の貴族、アルデバイン公爵家の養女となった。
 卒業パーティーの直前に、マチルダがオルトハット王国の国王陛下に直々に交渉し、その場で承諾させたと聞いた。
 また、卒業パーティーを楽しみたいから、公にするのは翌日にするよう話をつけたらしい。

 何を交渉材料にしたのかは知らないが、ヘンリー王太子殿下と側妃様の件に纏わることのようだ。
『ヘンリーが悔しがる顔が目に浮かぶわ!』
 悪役の笑顔だったな……。
 
 マルマーダ伯爵家からぬければ、表だってお母様とお父様を両親と呼ぶことは出来なくなるし、可愛い弟・ダッセルにも姉弟として接することは出来なくなる。
 そして、ブラントとの婚約は相手が存在しない扱いになるので、自動的に白紙になる。

 出国禁止令が出されていたが、私はマルマーダ伯爵令嬢ではなく、イエルゴート王国のアルデバイン公爵令嬢となったので、咎められることはなく出国出来た。
 余談だが、他国の貴族であってもオルトハット王国で何か犯罪を犯した場合は、出国禁止令に抵触する。私は犯罪を犯したわけではないので、問題ないのだ。
 
 平凡な伯爵令嬢が、家族を、国を、捨てるなんて誰も考えなかっただろう。
 そう、誰も……。
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