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2月
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しおりを挟む2月も中旬のこと。
「嘘やん…止まってもうた…」
カチカチと何度押しても反応しない電源ボタン、就寝前の千早は洗濯機の前で途方に暮れた。
しかし彼とて家電配送員の端くれ、電源が入らない場合の応急処置くらいは知っている…千早は細い腕を本体の奥の壁へと伸ばす。
「くそっ…、あ、届いた…」
電源コードを抜いて10分程度放置、電化製品はそれで復活する場合が大いにあるのだ。最悪ワンチャンでもいい、今日着た作業着を明日の朝洗い上がるように予約が出来れば…千早はスマートフォンの価格比較サイトで洗濯機の相場を確認した。
家電の寿命は大体7年、千早の洗濯機は10年近く使っているので壊れたとしても不思議はない。むしろ大往生だと讃えてやるべき頑張りを見せたと言えるだろう。
「んー、デカいの買うか…でもな…」
価格も気になるところだがもうひとつ、もし近い未来に彼女との同棲が待っているとしたら。安価な物で済ませるか、複数人分をしっかり洗える多機能タイプにするか。
取らぬ狸の皮算用、千早はまさに不確定な未来を想定して口元を綻ばせた。
そして10分が経過、再びプラグを挿して電源ボタンを押すも洗濯機は反応を返さない。
「死んだ………はぁ」
知佳は明日は仕事だから頼れない、千早は浴槽に湯を張って作業着を沈め、洗剤をぶち込んでしばらく踏んでから床に着いた。
・
翌朝。
案外綺麗になるものだ…千早は汚れが浮いた水から作業着を引き揚げ、水を入れ替えて更に踏んだ。
今日は洗濯機を買いに出なければならない、ムラタで選ぶなら美月に頼んで決めてもらおうとスマートフォンで彼女にメッセージを送る。
『洗濯機が壊れたから買いに行くけど、ええのあったら決めてほしい。安いやつで』
メッセージはすぐに既読になって、
『売り上げはありがたいけど、せっかくだから新店行ってきたら?そんなに遠くないでしょ。制服のチカちゃん見れるチャンスよ♡』
と返ってきた。
「は?新店って隣の…は?」
確かに本店から市を跨いで北東に30分ほど走った所に新しい店舗が出来たらしい。配送エリアが広がったので千早も話には聞いている。しかしそれと知佳の、しかも制服姿と何の関係があるのか。
千早は仕事中に悪いとは思いながらも美月へ電話をかけた。
「もしもし姉さん、どういう事やの、チカちゃんがそっちにおんの?」
『聞いてないの?オープンセールの応援で、レジスタッフとして3日間派遣されるのよ。うちからはチカちゃんと松井さん、今は北店の嘉島副店長も』
「ちょい、いま松井って言うた?アイツも行ってんの?」
何度聞いても嫌な名前、常に知佳に纏わり付く邪魔な男。
『松井さんはオールラウンダーだからね、こういう時に重宝されるのよ。交通費の兼ね合いで、乗り合わせて行ってると思うわー……ふふっ、場所は調べれば出てくるわよ、じゃあね、接客つくからまたね、頑張って♡』
燃料を投下するだけして火まで付けて、美月から通話は切られてしまった。
「何でこういう重要なことを言わへんかな、チカちゃんは…」
せっかくのバレンタインデー、初チョコレートを期待していたのに仕事終わりのデートを却下されたのはその応援が関係しているらしい。
千早は作業着を絞ってベランダに干し、一番体に馴染んだライダースジャケットを羽織ってバイクの鍵を握る。
ここから新店までは山越えで15分ほど、逸る気持ちを抑えつつ防寒をして家を出るのだった。
・
「チカ、こちら保証付けて差し上げて。会計は現金、カード新規ね」
「はい、畏まりました」
知佳は松井から商品を預かりポイントカードを新しく発行、ムラタ独自の商品保証を同時に計上し現金にて決済を行う。
商品管理でレジは常に触るものの客の会計を行うのは実に2年ぶり…知佳はひと月分の対人スキルをこの3日間に全振りするつもりで愛想をひり出した。
「ありがとうございましたー、お次にお待ちの方どうぞー、」
新店のオープンセールはいつでもどこの地域でもそれなりの盛況ぶりで、特価品の買い占めを狙って怪しげな業者が出張ってくるほどにはよく広告がされているらしかった。
このせかせかした感じが嫌だ、待たされた客の不満をぶつけられるのも嫌だ。貼り付けた笑顔の下で知佳の本心が悲鳴を上げる。
「宗近さん…は本店か、レジはガンガン行ける感じ?」
客足が少し途切れたら、カウンター内を見回る本社人事部エリアマネージャーの嬉野が期待を込めてそう尋ねた。
「いや、あの…私、商管室勤務でして…レジ部門にいた事もありますけど、正直専門外です…」
「は?商管なのにレジ応援で来ちゃったの?」
「人選した方に言って下さいよぅ…」
不安そうに眉を下げた知佳の表情で色々と察したのだろう、
「あ、そう、……あ!じゃあ午後からはここの商管に入ってもらえる?顧客登録が溜まってきてるんだわ」
と嬉野は双方に利のある打開案を思い付き提案する。
「よ、喜んで…」
渡りに船とはこの事、知佳は何とか昼までは持ち堪えるモチベーションを得て、対人スキルを今日で使い切る気持ちで張り切った。
・
一方、店の駐車場に到着した千早は駐輪場にバイクを停めて、真新しい店舗の外観と商品搬入口の確認をしていた。
たまにだが、配送センターを使わず店から直に商品を運び出して配送することがあるため、実地調査的な事を一応しておいたのだ。
「小さい店やな…」
この新店は規模でいうと本店の4分の1ほど、それ故に売れ筋をギュッと固めたメジャーなラインナップしか展示されていない。
気に入った物が無ければ本店に行けばいいか、そんな気持ちで店へ足を踏み入れると、途端に入ってすぐのレジに立つ知佳の笑顔に頭の中を空にされてしまった。
「あ、チカちゃん…」
商品管理室に居る時よりしっかりと化粧をして、客の顔を見て笑顔を作って。年配の客に何か言われたのか、はにかめば可愛い八重歯がちらりと覗く。
「うわ、ずっこいわ…」
襟に付けたイヤホンマイクの集音器へ声を入れる仕草、尋ねる時の少しオーバーすぎる眉間の上げ方、千早の知らない「電器屋のお姉さん」な知佳がそこに居る。
何か買って是非会計してもらいたい、千早は手近な棚から単3電池を1パック掴んでレジへ並び、知佳の台へ案内されるよう柄にもなく神に祈った。
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