泥より這い出た蓮は翠に揺蕩う

8・過去、嘘、本当

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「はい、まず…ひぃ様は、元々はその…夜のお仕事をされていて、財を成したんだそうです」
「キャバのナンバーワンとか？」
「ええと、もっと…」
「ソープとかかな？…はぁ…天職だったのか」
「そうかもしれません…そして…それを投資やら何やらで増やして、マンション経営ですとか何かのプロデュースですとか…あと、その…風俗店を数店舗」
「ほー……んで早めにリタイアして大家生活だっけか」
「はい、在宅でトレードなどしつつ…私が家族で住んでいたマンションもひぃ様のもので…その、あっち側にありました」
「あぁ」
　片側２車線の大通りを越えればそこはいわゆる『ピンク街』…キャバレーやガールズバー、ソープにマッサージ店など、ただの呑み屋よりもっと色香の漂う大人の遊び場だ。
　町の区画ひとつにモロにそんな店がひしめき合っていて、交差点を挟んで聳そびえる警察署からは監視の目が常に光っている。
「あの…私の母だった人も…夜職をしてまして、ひぃ様が後に経営する店で働いていたそうなんです。そのよしみで安く住まわせてもらっていたそうなんです」
　元々の住人を除けばそこに居るのは用心棒のヤクザと夜職の嬢ばかり、彼女はそこで生まれたらしい。
「なるほど…で、借金で逃げて…ひぃ様が助けてくれた、んだっけ？」
「そうです。オートロックで管理人室から玄関が見えるものですから気にされていて…私も直接声を掛けられたり…少々恐い思いもしました。それをひぃ様が『子供には止めなさい』と止めて下さって…そうすると借金取りとも知り合いだったそうで、母との仲を取り持つと言えば聞こえが良いんですが…要はお金を出して双方を治めたんですね」
「その代わり水蓮すいれんは親元を離れて…ひぃ様の所か。危険は感じなかった？」
「そういうことを考えられる年齢ではなかったので……まぁその、前も言いましたが父と母はろくでもない人間でしたので…居なくなって霧が晴れたような、視界が明るくなったような気持ちがしたのは憶えてます」
　よもや虐待でもされていたのでは、悲しい記憶ばかり掘り起こしても可哀想で頭をぽんぽんと叩けば彼女は微笑み目を閉じる。
「良かったな…」
　親戚でもない子供を引き取るには障壁もあっただろうか。しかし聖ひじり氏は『さくら』に自らの姓と新たな名を与えて全く人生をリセットさせた。
　それは金持ちの道楽なのか慈善活動なのか、はたまた水蓮自体を狙っていたのか。
　俺は話の腰は折らずに頷うなずきつつ進行を助ける。
「それが小学生か…同居は特に問題無く？」
「はい…当たり前に食事をさせてもらって毎日お風呂に入らせてもらって…可愛い名前も頂いて…私より先に引き取られた同じ境遇の女の子が３人ほどおりまして、皆さんとの共同生活でした」
「あ、だからこんなに広いのか」
「そうですね、皆がひとり部屋を頂いておりました。…編入したのが私立の女子校だったのですが、そこの中等部に上がり……年頃になってくると周りや自分の置かれている状況が見えてきて、思春期ですとか反抗期ですとか色んなものが混じって…ひぃ様との接し方が分からなくなってしまったんです。つっけんどんな言い方をしてしまったり会話が照れ臭かったり…お分かりになりますか？」
「分からんでもない…親と会話すること自体が煩わずらわしい時代がある」
「そう…情緒不安定な時期が続いて……気を引こうとわざと悪態をついたり、自暴自棄をアピールしたり……ひぃ様は私を叱ったりしませんでしたから、心配してくれるか試して…でもある日諦められて捨てられるんじゃないかと怖くて…どこにも属さない自分が不安で、けれど他に行くあても無いしひぃ様にご恩はあるし…」
「うん」
「…『家族』に…なりたかったんです、それが叶わないなら『従者』でも…ここに居ることに意味を与えて欲しかったんです…なので、ひぃ様に何かさせて欲しい、家族の証あかしが欲しいとお願いしました」
「…ふむ」
　もしかしていよいよピアスが出てくるのか、俺の体がにわかに強張こわばった。
　少女の乳首ならばそれなりに小さく穴を開けるのも一苦労だったことだろう、証を彼女から欲したとはいえそれがピアスならその時は泣き叫んだに違いない。
「持て余していた私がしおらしく頭を下げるものですから本気になって下さって…まず、それまで当番制だった家事の大半を私が担になうように変えて下さいました」
「…役割を…貰ったのか」
「はい…その頃にはお姉さんたちは独り立ちしてひぃ様と私の２人暮らしになっていました。早起きして２人分のお弁当と朝ごはんを作って、洗濯をして干してから通学して…買い物をして帰り洗濯物を片付けて夕飯の支度をして、ひぃ様のために動くようになって…雑談が増えて、ひぃ様も私に対して感情を出して下さるようになりました。私は結局…ひぃ様を独り占めしたかったんでしょうかね、母代わりですから…」
　なんと微笑ましい『家族』の創生物語だろう。養母と養女は心を通わせて本当のそれになろうとしている。
　それを邪魔するのは野暮だと思うのだが良き所から奈落へ落とされるとショックも大きいのだ、
「ほう………ちなみに…ピアスも証か？いつ開けさせられた？」
と俺は先手を打ち心の準備をした。
　彼女は以前「16になるまで風呂以外で裸を見せていない」と言っていたはず、ならばぼちぼちニップルピアスへの何らかのきっかけが現れるはずか。
　婚姻年齢まで待って牙を剥いたと予想していたがひぃ様が女性ならそれは無い。そして不自由無い暮らしをさせていたのだから虐待の線も無い。いや他の男に出荷するために育てた線もあるか？先住の少女たちが出払った後ならやりようはあっただろう。
　下衆な推理を悶々もんもんとしていると彼女はキョトンとして眉を上げる。
「…拓朗たくろうさま、そこをずっと勘違いしてらっしゃいますわ」
「なに」
　天井と俺の顔を交互に眺めていた彼女は体をこちらへ起こし、
「開けさせられたのではありません、それも私が頼んで開けて頂いたんです」
と目を細めた。
「なに」
　いたいけな少女が手練れ嬢によって開発されたのではないのか、俺の中の彼女とひぃ様の関係の根本がまたぐらりと崩れて行く。
「追々話しますわね、勉強も無難にやりつつ附属の高等部に上がり…平和に過ごしておりましたが…高校１年生の夏、どこから聞き付けたのか母が…帰り道に突然現れたんです。お金を無心されまして…断ると『育てた恩を返せ』、『不良娘』ですとか散々詰なじられました」
「うん」
「聞き流していたんですが、あの人は言うに事欠いてひぃ様のことを悪く言い始めたんです。借金を返してくれた恩人に対して…あまりの酷さに言い返しましたらあの人は…『聖はお前を将来店で働かせるために買い取ったんだ、大切にされているのも今のうちだけだ』と…」
「なに…？」
　ほら不穏な空気になってきた、経営する風俗店に逃げられない状態の水蓮を放り込み搾取するんだ。仲良しファミリーヒストリーにどす黒い闇が迫る。
　それで処女をあげて開発されたんだろう、当初の予想通りの展開だ。
「なんとなく…合点がいったような気がいたしました。ただの知り合いの尻拭いで子供を預かり育てるなんて…金銭的に余裕があるとしても、わざわざそんなことをするだろうかと………拓朗さま、うちの親はね、幼い私をいかがわしい用途の芸能事務所へ売り渡そうとしてたんです。運営は言わずもがな裏の組織ですわ、児童ポルノもなんでもありだそうで…後から聞いて吐き気がしました」
「…もういい、水蓮」