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7…胸に刻む(最終章)
矢向青年の回顧
しおりを挟む新卒で入社して、配属先に挨拶したその日…俺は美紀さんに出逢った。
家電量販店の本社の総務なもんで現場には関係しないものの、一応は営業社員と一緒に研修をさせられた。
お辞儀の角度や社訓や会計機の基本操作もひと通り習い、そこそこ疲れての初めての出社日のこと。
「矢向くんね、私は教育係の元宮です。よろしく」
軽いショートカットに癖のない顔立ち、スラっと細い体にパンツスーツがよく似合っていた。
「お願いします」
「まぁ、私に限らず分からないことは係の皆に聞いて覚えてね。とりあえず今日のお昼は社食の使い方を教えちゃう。奢るから好きなもの食べてね」
「…ども」
俺は人からは無気力とか省エネとか称されることが多い。
やる気が無い訳でもなく、単に溌剌とした覇気を発してないだけなのだが。
熱血系の人には嫌われる傾向があるし、接客には向いてない。
でも当たり前にやることはやるので、事務系の仕事は出来ると思った。
幸いにも総務のメンバーは穏やかで優しくて、言葉数の少ない俺のことをすんなり受け入れてくれた。
俺の愛想足らずが原因で他の部署と不穏な空気になった時も、「必要なことを簡潔にお知らせする子なんです。悪い子じゃありませんから」と庇ってくれた。
「作業を頼もうと思ったらもう横に立ってるんだよね、デキる子だよね、矢向くんは」
美紀さんはそう言って、新人歓迎会で俺を褒めてくれた。
話してみると歳はふたつ上、手の届く範囲に居る女性の中では最も「良いな」と思える人だった。
でも仕事での関係だし、そういう目的で仲良くなった訳じゃないし。
なんとなく彼氏がいることは会話の端々から感じ取れたし。
「(恋人がいる人を好きになっても、不毛なだけなんだよな)」
美紀さんを意識してしばらくは、そう自分に言い聞かせていた。
仕事に慣れて数年が経っても、美紀さんとは仕事上の関わりしかなかった。
それが当たり前、そのうちに彼女も結婚して苗字が変わるんだろうと思っていた。
しかしある日。
「ねぇ、矢向くんって美紀ちゃんのこと好きでしょ」
美紀さんと一番の仲良しの莉子さんが、そう問い掛けて来た。
時は昼休憩、呑み会を夜に控えた日のことだった。
「…それ未満の感情っすよ。元宮さん、彼氏いるって聞きましたし」
どうして気付いたかなんて尋ねるのも無駄かと思い、俺は自分の気持ちを否定しないことに拘った。
「いつの情報よ。数ヶ月前に別れてるって」
「…それ、もっと早く教えて下さいよ」
「美紀ちゃんは、別れてすぐに次の男に行けないタイプだし…今くらいがちょうど良いかなって…矢向くん、美紀ちゃんのこと見つめてることが多いからそうかなって思ってたの。誤魔化さないんだね」
「事実っすから」
そういう訳で、俺はその夜の呑み会で美紀さんの隣に座ることができ…不本意ではあるが胸の話題から距離を縮めたのである。
莉子さんには、翌出社日にしっかり報告をした。
「……んな感じで。交際は申し込みました」
「手は出さなかったの?」
「寝顔見ました。あと服の上から胸を触りました」
「あら、大胆♡」
「怒らないんすか?」
「そりゃ、良い大人なんだし…でも、よく我慢したね、偉い」
まったく、偉いと思う。
魅力的な女性と同じ部屋で寝て、襲わなかったんだから。
「辛かったっすけど…でもそういうのじゃ…ないんすよね。元宮さんの良いとこって」
「…美紀ちゃんがよく言う、胸の大きさは問題じゃないのね?」
「全然。何とも思わないすね…卑屈なとこは、直して欲しいですけど」
「それは同感……頑張ってね」
結果的にはその後すぐに俺は猛プッシュし、無事彼氏になることが出来た。
お互いをもっと知って、体の関係も持って。
そして結婚…同棲していたから暮らしは変わらなかったが、美紀さんの夫という称号を得られたことは嬉しかった。
寝て、起きて、食事して、出勤して。
待ち合わせて同じ電車に乗って、また食卓を囲んで。
憎まれ口を叩いて、汗をかいて、寄り添って眠る。
これ以上ない幸せだ。
「朋也くん、暑いよ」
「汗かいたんで、気化熱で涼しいっすよ」
「私が暑いんだよ」
何がそんなに惹かれるんだろう。
恋愛に本腰を入れようとか意識していた訳でもないのに、自然と彼女ばかり気にかけていた。
俺の精神が恋愛に適応できる体制にやっとなっていたのかな、タイミングが良かったのか。
「頼まれたって、離れないっすよ」
脚でゲシゲシ蹴られても、肘でグイグイ押されても、俺は彼女を離さない。
「変わり者だなぁ」
ため息で揺れる肩も、息を吸い込んで膨らむ胸も、全部俺のものだ。
「変わり者で良いっすよ…そんなジブンを好きな美紀さんだって、変わり者ですから」
「まぁね」
無理に振り返って目尻を下げる、美紀さんが可愛い。
すんすんと首の匂いを嗅いでは怒られて、睦じい俺たちは共に目を閉じるのだった。
おわり
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