今宵も、麗しのボスとパーティーを。

茜琉ぴーたん

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3月

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 翌日、終業後。
 松井は定時で帰宅して、昨夜から下準備しておいたラザニアを冷蔵庫から出して仕上げ調理にかかる。
 奈々が準備する料理と被らなければよいが…普段はもてなす一方なのでこんな事を思慮するのも初めてである。
 オーブンにセットしてから寝室へ着替えに入った。

 出かける機会がなければ新しい洋服に袖を通すこともなかなか無い。奈々が「似合う」と言ってくれたブランドの新作ニットを開封して、肌着の上に着てみる。
「イメージ通り」
 これが自分に似合っているかは分からないし、そもそも奈々の話術にハマっただけで本当は不相応なのかもしれない。しかして自分の年代とキャラクターに合うブランドラインを見つけたのは収穫で、元々プレゼントしてくれた同僚にも感謝しているくらいだった。
「あと…生モノ…」
 クラッカーにのせたりパンに塗ったりするディップソース、今夜はサーモンとアボカドとクリームチーズ、王道のラインナップを揃えている。
 テレビをつけて録画していたバラエティ番組を流し、帰ったらすぐに寝られるようにシンクも綺麗に片付けた。

 しばらくすると表の駐車場にディーゼルエンジン独特の音がして、ちょうど正面辺りで停車する。
 松井はドアスコープを覗いて奈々を確認、彼女は買い物袋を肩から下げて玄関を開けようとしているので、慌てて解錠して声を掛けた。
「お、お疲れ様です、手伝いますよ。また落ちちゃう…」
「お疲れ様ー、やァね、落ちないわよ…分かんないけど!」
「準備できたらまた声かけてください、ご飯持って行きますから」
 ラザニアはもうすぐ焼き上がる頃、換気扇から外へ香ばしいミートソースの香りが広がっている。
「もういいわよ?カギ開けておくから、上がってきて」
「あ、分かりました…」
 着替えたりするだろう、片付けたりするだろう?それほどに自分は男扱いされていないのか、それとも信用されているのか。松井はどうにも複雑な気持ちで荷物をまとめ始めた。
 ソース用の冷蔵ものを保冷バッグへ、アラームの鳴ったオーブンから取り出したラザニアは蓋をしてバスタオルを風呂敷のようにして包む。

 奈々が帰宅してから10分は経った、もう良かろうと松井は部屋を施錠して彼女の部屋の玄関を入った。
 内階段を上がった所で扉を数回ノックし、
「お邪魔しますねー」
と家主不在のリビングを中へ進む。
 とりあえず食材を食卓へ置き、部屋に戻った奈々が驚いてはいけないと松井は階段の所まで下がって待機した。
 自分に気付かず薄着で出てきたらどうしよう、下まで降りてチャイムを鳴らすか…松井が玄関へ降りようと階段へ振り返った時、
「あー、いらっしゃい!上がって、」
と部屋着に着替えた奈々が寝室から出てきて迎える。
「お、お邪魔してました」
「いいわよ、座って…わ、なに?あったかい…グラタン?」
「ラザニアです…あとソース…包丁、お借りしても?」
「どーぞ、これね」
 ゆったりとしたニットにジーンズ姿の奈々は松井をキッチンへ案内し、手首にはめていたヘアゴムでロングヘアーをまとめてお団子にした。
「…ありがとうございます」
「おいしそー…何につけるの?」
「一応、クラッカーとフランスパンを半分持ってきました」
「すごーい…さすが♡」
もはや狙いではなく口癖なのだろう、奈々は易々と「さしすせそ」を繰り出して松井を気持ち良くさせてくれる。
「お酒の種類を聞いてなかったんで…なんとなく万能そうなものを」
「あー、ビールから発泡酒から…ワインも焼酎もあるわよ、食前酒はどうする?」
「定番だと果実酒ですか?」
「はいはい…待ってね」
 奈々は冷蔵庫から呑みかけの柑橘酒の封を開け小さなショットグラスに注ぎ、サイダーを上から足して見た目に美しいカクテルを作った。
「はい、カンパイ♡」
「乾杯、………美味しい」
「ね、美味しい♡仕事終わりのお酒は最高ね、よし!私も準備しちゃお」
松井が包丁を使っている横に奈々は立ち、フライパンで調理を始める。
「………」
7センチ高い彼女が隣に立てば松井はなんとも居た堪れない気持ちになり、早めに終わらせようとせかせか手を動かした。
「なんか…男の人と台所に立つのって初めてよ、私」
「へ……あ、そうですか…」
僕もです、ナチュラルマウント体質の松井だが今回はそれが言えない。
 女性と調理する経験が無いことをバラしたくない、けれど嘘をつき自身を棚に上げて奈々を腐すことも出来なかった。
「一緒に料理…こういう趣味が合うと楽しいわよね……あ、松井くんは提供する方が好きなんだっけ?」
「いえ、あの……一緒に作業…できたら楽しいですよね」
「ね♡」
他意はないのだろうがにっこり目尻を下げる奈々は美しく、松井も営業スマイルが抜けて自然に歯を見せて笑った。
「松井くん…普通に笑うと可愛いのね、会社での笑顔と違うわ、そっちの方がいいじゃない」
「違います?分かんないな…あんまり歯は見せないようにしてるんですけど…改良しようかな」
「お酒の力かしら?手元が狂う前に済ませちゃいましょう」
 酒の力は奈々にだって現れていて、まとめ髪の下のうなじはぽっと赤くなって首筋までほんのりピンクに染まっている。「フロア長も可愛いです」、それも言えれば松井はひとつ上の男になれるというのに、彼はゴクンと飲み込んで包丁を置いた。


「よーし、食べましょう、いただきまーす♡じゃなかった、松井くんありがとうー!」
「完治おめでとうございます、いただきます…、美味しい」
奈々手製の肉巻きおむすびをひと口、その素朴で力強い風味に松井は舌鼓を打つ。
「お口に合ってよかった、タレも手製よ。漬け込んでたの…翌日が休みじゃないとニンニク食べられないじゃない?ここぞの料理よ」
「はー、ニンニクは正義ですね」
「ラザニアも美味しい♡幸せー…お酒も美味しい。美味しいだらけ、幸せ♡」
料理に合わせたのは地元のクラフトビール、奈々は少量ずつ数種類を嗜むのが好きらしい。
「なんだか…ご機嫌ですね。いい事ありました?」
「うん?そりゃあ足も治ったし?売り上げもよかったし?…んー………娘がね、卒業式の件……その…元旦那の奥さんは関係ないからって出席を断ったらしいのよ。そもそも保護者の参列は2名までらしいんだけどね」
「あ、そうですか……はぁ…」
はしゃぐわけでもなく淡々と話す奈々の様子にテンションを合わせ、松井も少々神妙に頷いた。
「私、元旦那の悪口なんて娘に漏らしたことないのよ、腐っても父親だしね。でも………私の親から聞いちゃったみたい、その奥さんが原因で私たちが離婚した事とか。そっちに子供ができなかったから自分に擦り寄って来てるんだ、みたいなこと…思ってるのかもしれないわね…まだ子供なのにね、だから、卒業式は私と母で行ってくるわ」
「そうですか……いや…なんて言っていいか……」
「祝って、卒業祝いよ」
「ん、おめでとうございます」
松井は静かにビアグラスを傾けて赤い顔の上司の前に掲げる。
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