今宵も、麗しのボスとパーティーを。

茜琉ぴーたん

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3月

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「ありがとう、松井くんは話し相手になってくれるから助かっちゃう…愚痴すら…なかなか言う相手がいないから」
「聞くだけなら。正直その…人生経験が貧弱なのでアドバイスはできませんが」
「あら珍しい、自分を卑下するなんて…大丈夫?」
「フロア長に勝てる経験はしてきてないですよ」
「確かにねー、ふふ♡」
奈々は長いまつ毛を伏せてビールを呑み干し、赤ワインの瓶に手を掛けた。
「…産後のバタバタしてる時に…まァ産む前かららしいけど…浮気されてさ、子供連れてすぐ実家に帰って…相手からも慰謝料貰って離婚、ほんっと………殺してやろうかと思ったわ、あいつら。今はもうどうでもいいけどー…娘は可愛いし、仕事は楽しいし……あ、ありがとう」
「いえ」
なかなか抜けないワインオープナーを打ち直し、松井はコルクを抜いて新しいグラスにワインを注いでやる。
「……生き急ぎすぎた感は否めないわ…後悔はしてないけど……普通に働いてたら…私、今頃どんな人生だったんだろうって……たまに考えちゃう…ふふ…美味しい…」
「それ呑み終わったら一旦酒は休みましょう、ご飯食べましょうね」
 食卓に並んだ家庭料理の数々、実家の母を思い出すような優しい味は酒よりも米が恋しくなった。


 ある程度落ち着いて、残りの食料とグラスを持って二人はリビングの方へ移り、ソファーにひとり分の間隔を開けて並んで腰掛けた。
 正面のテレビにはバラエティ番組が流れ、特にリアクションするでもなく画面を見つめたまま会話を再開する。
「センチメンタルになっちゃったんですね、まだこれからじゃないですか…恋愛もできますよ、」
「私はいいのよ、松井くんはどうなの?新しい出会いとかないの?」
「ない、ですね…」
こっちに回ってきたか…ヘビーな経験談の後に薄っぺらい恋愛感の話などできるわけがない。
 そもそも松井はそれらしい恋愛をしてきていないのだ。
「出世欲も無いし…老後とか考えないの?」
「んー…生涯販売員で…何も遺さず死んで行きますよ」
「ええ……向上心とかないの?」
決して無気力なのではない、松井はできもしない希望野望を語って達成できないことを恐れている。
「ありますよ、貯金はしたい…痩せたい…売り上げ1位をキープしたい…うん…でも僕…媚びへつらうとかできないから、上にゴマすったりできないんですよ」
「私だってしてないわよ…」
「1回昇進話を蹴ったら、僕の代わりにゴマすり上手な奴がコーナー長に就任しました。上司はソイツばっかり可愛がるし指名客は盗られるし…でも実力不足だったのか期待に応えられず系列店に飛ばされましたよ。使い捨てされるなんて御免です」
酔いに任せて松井は昔の話をゆっくりと聴かせた。
「今から…『教えてください!』って姿勢で物事を吸収していく気力が無いんですよ…プライドが高いんです…恋愛だってそうですよ、『さしすせそ』が言えないんだから…もっと…若いうちに…当たって砕けたりしとけばよかった…」
「え、もしかしてチェリーなの?」
返事を聞く前から、確信している奈々は目をまん丸にして驚く。
「……そうですよ、ええ…」
「へぇ…意外…でもないか、失敗したくないんだもんね、機会を逃しちゃったまま年取っちゃったのね」
「そう…です…よ…」
こういう反応を取られるからどんどん機会を逃していくのだ、年齢を重ねる毎に言い出しにくくなっている。
「んー……風俗とかは?」
「恥ずかしいから無理です」
「それを乗り越えるんじゃない…一時の恥を躊躇ためらってどうすんのよ」
「笑われたくないんです」
 哀れに思われたくない、施されるような性行為ならむしろしたくない。守ってきた童貞と共に朽ちる所存…は言い過ぎだが、今さらヘラヘラと女性を買う自分の姿を想像するだけでも羞恥で耐えられないのだ。
「笑わないわよ、お客さんなんだから…」
「いっそ、機械とかロボットが相手ならすぐできるのに…」
「松井くん、それはエッチじゃなくてオナニーよ」
 確かに夢の機械かもね、奈々は疲れた大人の妄想にツッコミを入れつつどんなものか想像まではしてあげる。人型か、アームの先がオナホールになった無機質な金属の塊か…いずれにしてもそれで童貞を卒業したことになるのかは甚だ疑問である。
「はぁ………もっと若い時に酔った勢いとかで…どうにか…なったり…すれば良かった…」
「互いに同意じゃなきゃダメよ…よしよし、話だけならいくらでも聞いてあげるからね、」
「フロア長…優しい……ふー…」
松井はいよいよ酔いが回ってコテンと横に…ソファーの背もたれを伝って奈々の肩へ頭をつけた。
「わ、大丈夫…?おーい…あ、寝てる…?」
 ぐらぐらと不安定で心許ないので、奈々は体をずらして松井の頭を腿へ下ろしてやり、分厚い膝枕を提供してやる。
「贅沢ねー…童貞なのに…ふふっ」
「言わないで…下さいよ…」
「あ、まだ起きてた?ふふっ………ねェ、他の人を誘わなかったのね、なんで?」
それはちょっとした悪戯心、奈々は松井の気持ちを試した。
「……フロア長と…ふたり…が…楽しそう…だったから…」
「そう…楽しかった?」
「はい…とっても……ん…」
酔った上に寝言ならばきっと本心だろう、奈々は恩人へキチンとお礼ができたことに安堵する。
 目が覚めたら彼はどう取り繕うだろうか、酔って上司の膝枕で寝たことをどう正当化するだろうか。もし松井が照れながらも素直に喜んでくれれば少しは進歩が見られるのだが…奈々はテレビを眺めてそんなことを考えた。

 松井はできる男だ。今は平社員だが勤続年数と実績からいうとやはり役職付きになっていても不思議ない力を持っている。物腰も柔らかいし商品知識もあるし、同僚や後輩に対しての少々のマウンティング行為を除けば、上司にも可愛がられる優秀な社員であろう。
 では異性として見た時にどうか、だが、見た目と行動は往々にして男性的なのだが、奈々はどうにもこの松井青年にセクシャルな…性的な部分を見出せないのである。引越しでクローゼットの扉を持ち上げて直してくれたり、さっと車を出して送迎してくれたり、頼りになるのは間違いなく何より実感もしているのだが、どうも「男」を感じられない。
「(不潔でもないし…不細工でもない、なんか…ノンセクシャル?中性的…でもないんだけど…おちんちん付いてないみたいな…子供っぽい…?)」
顔立ちだって男らしいのに何故だろう、まさか本当に中性なわけではあるまい。
「(いいお友達、で終わっちゃうのかな。もったいないねー…松井くん…!)」
 もしこれが寝たフリで、油断したところを襲って来でもしたら拍手もの…そんな妄想ができるくらいには奈々は落ち着いていたし松井を舐めていた。並んで料理をして、気取った会話をして…もっと素の顔を見てみたいとも思った、下世話な話で盛り上がってもいいと思えた。彼は自分をどう思っただろうか。
「ん…ん…」
「ぁ♡」
 むにゃ、と松井が顔をぐりぐりと枕へ擦り付ける、寝る時の癖なのだろうか彼は腿と座面の隙間に手を差し込んでさわさわと動かした。
 同世代の男性である松井はここでやっと奈々へ「性」を感じてもらえたのだが肝心の本人は夢の中である。
 奈々は様子を伺うもやはり本当に眠っているようで、彼の肩に手を置いたままドキドキと目を閉じる。
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