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13…こぼさず食べて
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しおりを挟む「…来ちゃいました…あの、ムラタでは対抗できないと分かっててあの価格で見積もったんですか?」
「まぁ、ね」
「ムラタで売れないと分かってて私や上司を無駄に徒労させて…冷やかしですよね、ちょっと神経疑います」
「違うよ、お得意さまには『どちらで買っても良い』って伝えてあったの。もしムラタで成約したら美羽ちゃんの利になるだろ?何にしても会話のタネというか…お得意さまもね、『向こうに俺のお嫁さんがいます』って言ったら嬉々として見に行ったんだよ」
「……まだ結婚してないし」
口を尖らせれば彼の眉間がぴくんと疼く。
雅樹さんは私の口が好きだから分かりやすくアクションを取れば彼は生理的に反応してしまうのだ。
キスしたいでしょう、触れたいでしょう。
報復にしてはショボいけど彼から謝罪の辞ひとつでも引き出さねば気が治まらない。
ここは彼のホームだけど結婚話に関しては対等に行うべき、まずは鼻を折って同じ所まで降りて来て頂く。
私の不機嫌そうな表情が和らがないとあって彼はいよいよ気まずそうに目線を泳がせて、
「…焦り過ぎた、ごめん。ダメだな、もっとどっしり構えて美羽ちゃんを迎えに行きたかったんだけど…引っ越しの件は忘れて。俺、カッとなってすごい自分本位で美羽ちゃんに転勤させようとか考えてて…冷静になってとんでもないこと言ったと思って…ごめん。悪かった」
としょんぼりその場に座り込んだ。
「あの見積書ではケンカになりますよ」
「違う、会って話す口実が欲しかったの、……激しい言い合いでも、罵倒でも甘んじて受けて…本音で話し合いたかった」
「なら最初からそう言えば良いじゃないですか」
「譲歩したくなかったの!こっちが提案したり縋るのは違うと思って…変なプライドが…邪魔してたんだ、プライベートのことなのに」
「偉くなっちゃったもんですねぇ」
「ごめんて…」
もうこれ以上虐めるのは可哀想か。
固めた頭をそっと撫でれば彼は安心したように今日イチの長く深いため息を吐く。
そして館内放送が途切れたことで私はここの閉店を知り、部外者の自分がいつまでもここに居てはまずいと少々焦る。
「雅樹さん、とりあえず外まで誘導してくれませんか?不審者になっちゃう」
「あ…そうね…俺も退勤押さなきゃ」
そそくさと階段で下へ下へ、店舗入り口は閉まっているかもということで裏の従業員用出入口から外へと脱出した。
ちなみにだが、先ほどの倉庫のスペースは担当スタッフのちょっとした休憩場らしい。
さて幸い誰とも会わずに駐車場へ出られた。
雅樹さんは
「美羽ちゃん、車で待ってて。片付けて来るから…そう時間は掛からないと思う」
と私に車のキーを渡して店内へと戻って行く。
もう1階のパン屋も閉まっていて暇を潰せない、言われた通りに雅樹さんの車を探して乗り込み彼を待った。
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