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黒乃

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第三話

第五十六節 私の最良の日々は過ぎ去った

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 士官学校での修行の日々が続いていた、ある日の夜。
 ここ数日よく眠れていなかったヤクはその日、夢を見た。真っ暗な闇が広がる空間の中、遠く向こうに泉があるだけの場所にいた。そこは淡く光り輝いていて、まるで自分を読んでいるかのよう。見覚えのない場所なのに、どこか懐かしさを思わせる。あの場所なら安心できるかもしれない、とヤクは泉に近付いた。

 その泉には、先客がいた。その人物は泉の中心で祈りを捧げている女性だった。彼女はヤクが近付くと古りと睫毛を震わせ、ゆっくりと目を開く。やがてその視界にヤクを捉えたのか、ふわりと笑った。

「はじめまして、ですね。私の姿は見えていますか?」

 明らかに自分に向けられている言葉に、ヤクは頷くことで反応した。
 見たことのない女性だ。流水のような淡い水色の髪はどこまでも透き通っていて、身を纏うドレスで気高さを表している。その瞳は慈愛に満ち溢れていて、雪の妖精と言われても不思議ではない雰囲気だった。

「私の名前は、ウルズ。この惑星カウニスを守り、行く末を見守る運命の女神の一人です」

 聞いたことがある。この惑星を包み込むように聳え立っている世界樹ユグドラシルを通じて、世界の在り方を裁定する運命の女神が存在する、と。その女神は三人の姉妹であり、それぞれがウルズ、ヴェルザンディ、スクルドと呼ばれている。
 その女神の一人が、目の前の女性だとでも言うのだろうか。

「驚かれるのも、信じられないのも無理はありません。ですが、貴方の目の前にいる私は正真正銘の、運命の女神です」
「……その証拠は、あるのか?」
「証拠は、この場所です。貴方が今いるここは、ここより遠い北の地ニーブルヘイルに存在するフヴェルゲルミルの泉の、潜在意識の中。聞いたことはありませんか?運命の女神はそれぞれ、世界樹が根を下ろした三つの泉を管理していると」

 ウルズと名乗った女性の言葉は確かに、聞いたことが──と言うより、習ったことがあった。世界樹は九つの根を世界の各地に下ろしている。その中でも三つの根は特別な力を持ち、それが泉という形になって存在しているのだと。そしてその泉にはそれぞれ運命の女神が存在し、そこを管理しながら世界のバランスを司っている。
 彼女の言葉は正しいが──。

「そんな途方もない話を信じろ、と?」
「私はずっとここから貴方に呼び掛けていました。そして、貴方は無意識下であってもその呼びかけに応えてくれました。その時に縁が結ばれ、こうして夢を通じて貴方と直接話をすることが出来るようになったのです」
「そんな馬鹿みたいな話が……。それにどうして私なんだ?」
「それは、世界樹が貴方を選んだからです」
「世界樹が、私を……?」

 ヤクの疑問に、ウルズは頷き肯定する。彼女は一度視線を下に落としてから、語るように言葉を紡ぐ。

 世界樹は世界が危機に陥り破滅に向かう未来を阻止するべく、世界が危機に瀕する前に三人の人間を選ぶのだという。選ばれた三人の人間にはそれぞれ、運命の女神の加護が与えられる。彼女たちの力の一部を受け継ぎ、圧倒的な力を手にすることが出来るのだと。
 しかしそれと引き換えに、選ばれた人間は使命を負わなければならない。世界の行く末を女神たちから予言として賜り、世界に知らせることで導いていく存在にならなければならないのだと、ウルズは告げる。

 そこまで聞いて、そのような存在を世間では何と呼ばれているか、ヤクの中である心当たりが浮かんだ。半信半疑で、彼は問いただしてみる。

「もしかして……女神の巫女ヴォルヴァのことか……?」
「はい。貴方は、私の力を受け継ぐ女神の巫女ヴォルヴァなのです」

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃、とはよく言ったものだ。ヤクはウルズの言葉に信じられない、と反論したかった。

「そんな、どうして……」

 ようやく絞り出せた言葉に、ウルズはただ目を伏せる。
 女神の巫女ヴォルヴァがどういったものなのか、知識として知ってはいた。世界の命運を握るとも言われている存在であり、レイの可能性の一つの存在。まさか自分もそうだとは思っていなかった。いや、今もまだ信じ切れてはいない。
 そもそも何故己なのだろうか。その理由を知りたい。

「どうして、私なんだ」
「それは、世界樹が貴方を選んだからです」
「そういうことを聞いているんじゃない!神の都合だか世界樹の都合だかは知らないが、そんな理不尽な目に遭うのはどうしてなんだ!突然女神の巫女ヴォルヴァだとか女神の力を受け継いでいるだとか言われても、そんなこと頼んでない!」

 八つ当たりするかのようにヤクはウルズに向かって吠える。
 どうして、なんでと繰り返される言葉の羅列。胸に巣くう激情を吐き出すかのように、ヤクは言葉を続けた。

「どうしていつも神の都合ばかりで人間が振り回されなければいけないんだ!?私だけじゃなくて、まだ何の力も知らないレイまで巻き込んで!罰だとでもいうのか?私があの時……三年前、ブルメンガルテンで仲間を見殺しにして、自分だけ生き残ったことへの!!」

 理不尽を受け入れることなんてできない、と吐き捨ててから肩で息をする。話している間、過去に自分に手を差し伸べてくれた施設の子供たちやレイの笑顔が、脳内によぎった。
 悔しい。いつも自分たちの前には理不尽が立ちはだかって、何もかもを奪っていく。ただ静かに生きていたいという、自分の些細な願望までも。
 ヤクの言葉を静かに聞いていたウルズだったが、やがて口を開く。

「……いいえ、罰なんかではありません」
「っ、じゃあどうして!?」

 ヤクの言葉に、ややあってからウルズは答えを紡ぐ。

「それが、貴方の運命だから。運命からは、逃れられないのです」

 その答えは、ヤクに残酷なまでの絶望を与えた。
 運命という言葉は、もっともな理由らしくもっとも理不尽極まりない答えだ。何もかも神に勝手に決められて、それを受け入れろと目の前の彼女は言ったのか。
 目の前の景色が酷く歪んでいく。ぎり、と嚙みしめた奥歯は砕けそうだ。

「……認めない……」
「え……?」
「……今まで受けてきた数々の痛みも、苦しみも嘆きも怒りも、全部決められていたことだったなんて。残酷な人生を歩ませられたことを、運命だから仕方ないと諦めろと……?」

 零れ落ちるヤクの言葉に、それは違うとウルズは首を振る。

「そうではないのです。貴方は──」

 何か言っているようだが、聞きたくない。聞く耳を持つつもりはない。

 煩い五月蠅い五月蝿いうるさいウルサイ。

 この傲慢な女神に、何がわかる。何が自分のすべてを知っているだ。惑わされたりしない。耳を傾けなんかしない。頼ったりなどしない。

「黙れ!!もう二度と、私に干渉してくるなぁッ!!」

 夢の中でマナを練る、というのも不思議な話ではあるが。ヤクは怒りに染まった感情をマナに変換し、そのままウルズに向かって放つ。相手が女神だろうが、そんなことは今のヤクに関係なかった。ありったけのマナを放出したあと、踵を返してその場から駆けて、立ち去る。
 ここにいたくない。どこか知らない、あの女神に見つからない場所ならどこでもいいと願いながら走り続けた。

 目を閉じてしばらく走っていたヤクだったが、十分に離れただろうと考え足を止めてから目を開く。周囲の景色は灰色一色。色彩なんて一つもない空間にいた。そこも夢の中なのだろうが、今はそれを考えられるだけの頭はない。

 ウルズから聞かされた話が、頭にこびりついていしまっている。彼女の、運命なのだという言葉が重くのしかかる。

「どうしてっ……」

 力なくその場に膝をつく。足元には枯れているバラがあり、茨の棘がチクチクと刺さる。灰色の棘が突き刺さった部分から、赤い血が流れていく。
 痛い──体ではなく、心が。今までの苦痛は何もかも、最初から仕組まれていたことだったのか。努力していれば、いつか報われる日が来ると信じていた。どんなに苦しいと涙しても、どんなに辱められて喘ごうとも、いつかは救われるのだと。

 しかし、そうではないのだと。真正面から否定されて、理不尽だとしてもそれは決まっていたことなのだから受け入れろと。だったら今までのなにもかもが、女神の手の平の上だったということなのか。こんなに苦しい痛みも、すべて。

「なんで……。全部、決まってたのか?運命だから、諦めろって……そんなの……!」

 遣る瀬無い思いが涙になって、双眸からぼろぼろと零れていく。
 今感じているこの苦しいという思いも、仕組まれているものなのだろうか。自分の意思で生きていると思っていても、それは本当に己の意思なのかすら分からなくなってしまう。もしかしたら、自分なんて何一つないのかもしれない。
 そう思うと、自分がとても惨めに思えてくる。こんなの、ただの操り人形じゃないか。世界という箱庭の中で、運命の女神に操られるだけの駒。

 そんなこと、認められるはずがない。

「助けて……誰か……誰でも、いいから……たすけて……」

 引き裂かれそうになる心を必死に抑え込みながら、ヤクは一人涙した。
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