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第三章
第二二〇話 多魅荒
しおりを挟む男は祠から突然現れた。
祠とは女神の試練が行われる場所であり、教会にとって最重要機密に該当する。
その存在を知るのは教皇、異端審問官、祠の守役、そして帝国情報部の構成員のみ。皇帝にもその存在は知らされていない。
試練や祠に関する情報を漏らしたり、触れたりした者は、誰でもあろうと容赦無く始末されるらしい。
元情報部の人間も、どれほど身を持ち崩そうと、これだけは絶対に口外することは無い。制裁がどうこうというより、試練それ自体が、思い出すのも恐ろしいものなのだそうだ。
「俺は? やめてよ……機密に触れちゃったじゃん」
「あなたはいいのよ。誰か来るなら私が始末するから」
「一応、おまえの上にも三人いるんだろ? あと教皇か?」
「猊下を除けば……今は二人。誰が来ても、やる事は一緒よ」
最近のフィーアはめちゃくちゃ調子が良いらしい。特に致した後は『蒼流炎』を連発しても魔力が減らない。
「だから、戦闘前にはよろしくね……あなた」
「……はい」
「アインスが本気で来るなら、しんどかったかもだけど……」
「異端審問官のトップの人か。我が無いんだっけ?」
「ただの馬鹿よ……。今になって思えばね……」
異端審問官の首席、五聖のアインス。
次期教皇として内定していた彼は、八ヶ月前から女神の試練に挑んだきり戻らない。
ビクトリア号に派遣された当初、フィーアは彼の生還を信じていたが、それから半年が経過した今となっては絶望視している。
それもこれも、件の男のせいらしい。
死なないというだけでも気味が悪いのだが、教会にとって不都合な事実は他にもあった。
男の魔力容量を聖都のヘクサ・オルターで鑑定したところ『099.99』を叩き出したのだ。
「このままだと、あの男が次の教皇になっちゃうわ」
「なんでよ?」
「そういう決まりなの」
女神教会にも古くからの因習というか、掟のようなものがあり、教皇を継ぐ者もそのルールに則って選出される。
次期教皇には当代で最も魔力容量の高い者が選ばれるのだ。
これまで、歴代の教皇は異端審問官から選任されていた。彼ら以上に魔力容量の大きな人間など居ないのだから当たり前だ。
ところが、その男が現れたせいで予定が狂った。
我が無いアインスは持ち前の責任感から自己犠牲に走り、達成不可能な魔力容量『100.00』を目指して試練に挑んで、帰らぬ人となった。
「アインスが帰って来れるように、皆で頑張ったわ」
「何を?」
「あの男の殺害よ」
あの手この手で殺そうとした。最後には『蒼流炎』で灰も残らないくらいに消滅させたが――、気付けばそこにいる。
「ヒュンとした! 何それ、怖っ!」
「猊下は言っていたわ。アレはこの世にあってはならないモノだって」
「でしょうね!」
「死体を見ている限り、死に続ける事が分かって、交代で死なせ続けたわ」
もはや怪談の類である。死体を死なせておく為の死体ワッチだ。嫌過ぎる。
しかし、どんなに頑張っても、人間は何かに注目し続けることなど出来ない。ちょっとした拍子に生き返る男に嫌気が差し、結局は総本山で最も堅固な牢に繋いでおくことしか出来なかった。
「そのアインスさんも気の毒になぁ。ルールの方を変えれば良かったのに」
「私たちもダミダ島民と同じだったのかも。あの時は私もそれが正しいと思ったし、それ以外の事は言えなかった……」
「嘘が吐けなかったんだ。おまえのせいじゃない」
ともあれ、そういう事情なら出来る限り協力したい。明らかにおかしい能力を持つ男が何者なのか。魔法で無いなら加護持ちである可能性が高いだろう。
今までに書庫で見つかった情報としては、歴代の島長、霧の巫女、それ以外の祀られた人々の系譜が直近の数百年分。
村ごとに纏められた出生・死亡記録、個々人の『チカラ』、失伝した古の『チカラ』など、『チカラ』の詳細を含めた島民の戸籍情報。
島酒や味噌、醤油など加工食品の製法、煎じ薬の処方、山菜の群生地、遠浅の釣り場など、島で生活する上で必要な情報。
「どれもあの男に関係無さそうね」
「そうだなぁ……よく纏まってるけど」
「あなた? そっちにある箱は?」
「ん? あー、先祖伝来の古文書だってさ。古過ぎて、触ったら崩れそうなんだ」
フキ曰く、千年前の裁きを逃れて遺された数少ない木簡で、大変貴重な品らしい。
記された文字はフキにも読めず、定期的に虫除けと防カビ、脱湿の『チカラ』を施すだけの島の宝だ。
「強化すればいいじゃない」
「おおっ! そうか!」
帝国の古文研や探索者がよく使う手法らしい。劣化が激しい遺物に触れて調査する際、予め強化魔法を施して破損を防ぐ。
「ナツ~ぅ!」
書庫からナツを呼び付けると、すぐに「はい! ただいまぁ!」と明るい返事が聞こえた。
「――ホヅミさん」
数分後、建て付けが悪いはずの引き戸を音も無くスッと上品に引いて、ナチュラルメイクのナツが来た。高級旅館の仲居さんのように膝をついている。
「急に呼んで悪いな。ちょっと手伝ってくれ」
「はい。私に出来ることなら、なんでもおっしゃってください」
「なんでチェスカもいるの? 呼んで無いわ」
「フィーアさんとしけ込んだ場所にナツ姉さんが呼ばれたんですよ! ドキワクしか無いじゃないですか! ナツ姉さんだって、一瞬でメイク直して下着変えてヤル気満々だし、私も混ざりたい!」
「ちょっとチェスカ。そういうこと言うと「ナツ! ナツ、何処だぁ!?」……ほら来た」
ドスドス重い足音を響かせてミーレスの気配が近づいてくる。もう覇気が漏れているようだ。最近は効き目が無くなっているからか、穂積に対して遠慮が無い。
気絶はしなくても極度に暑苦しいのでやめて欲しいのだが、彼はそのたびにナツの機嫌が悪くなることに気付かないらしい。
「ホヅミ、テメェ! ナツを密室に呼び付けて何をするつもりだぁ!?」
「お義兄さん。大丈夫ですから落ち着いて」
「そんなの、ナニに決まってるじゃないですか」
「チェスカ?」(要らん事を)
「こんな場所で片手間にだとぉう!?」
「童貞も大概にしてください」
「ああっ!?」
「チェスカぁ?」(あ。童貞なんだ)
男の経験値とは不思議なもので、ちゃんと出来れば人間的に一回り大きくなり、失敗すれば二回り小さくなる。だが、いずれにしても、未経験よりはちょっと大きくなる。
「このゲス野郎ぅ!」
童貞の覇気をいくら浴びても痛くも痒くも無い、はずは無いのだが、生暖かく受け入れ体制を整えることが出来た。
「何故、効かねぇ!?」
「マジック・キャンセラーですよ。そうに違いない」
「童貞にこの人をどうこうできないわ。控えなさい」
「この吸血女がぁ!」
「また輸血パックがお望み?」
暑苦しいミーレスに向けられるナツの視線は、呆れを含んだ冷たいものなっていた。
「ほんに七夕ざんす……」
「ナツ姉さん。頑張って!」
**********
なんとかミーレスを落ち着かせてナツを呼び出した事情を説明し、木簡の強化を頼んだ。
ガッカリしたようなナツにチェスカから憐れみの視線が向けられる。
「ところでムヅキは?」
「ブリエ爺様と将棋で遊んであげてます」
「マレも一緒よ。ガキ同士、気が合うみたい」
「ムヅキも妹分ができて嬉しいみたいです」
ビクトリア号の玩具は島の子供たちから大人気だった。男の子は駒に夢中。女の子は人形を取り合っている。
義手製作から学んだクリスは可動式の義手・義足の開発を始めたらしい。
『ホヅミさまに筋電義手を……!』
義手の内側に小型の回転魔堰と歯車やワイヤーを組み込み、『思兼』との同期が取れるように試行錯誤の最中だとか。
前々から構想は有ったらしく、手指や関節の精密製作の練習として人形を造っていた。
したがって、人形はどれも等身大。スズが抱える人形は本人より大きく異様にリアルだった。
(クリスは俺の手を離れたな……)
もう教えることなど何も無い。例え魔法が消えたとしても、『レギオン』さえ何とかすれば、きっとやっていける。
その為に、イソラには大仕事を頼んであるのだ。
ゼクシィは魔力容量『0』でもスノー神の精力で魔法が使えるとか言っていたが、そんなはずが無いだろう。古今東西、存在しない偽神なのだから。
では何故、魔法が使えるのか。理由は分からないが、ダミダ島民が魔力も無しに『チカラ』を行使している事に何かヒントがありそうだ。
加護持ちの形質が遺伝している可能性もあるが、島民にも聖痕があることが引っ掛かっていた。
「ホヅミさん。強化出来ました。触って大丈夫です」
「うん。ありがとう」
一番大きな木簡から床に広げてみた。
ところどころ掠れて読めなくなっていたが、それは思いも寄らないものだった。
「これは……航海日誌だ」
「航海日誌だと? 釣り舟しかない島にか?」
「ええ、そうです。タイトルの船名は……第二七次船団……三八番船……はい?」
航海日誌の始まりは碧歴7907年となっている。
今年は碧歴11793年なので、今から3886年前の日誌だ。歴史学者あるいは文化人類学者になった気分である。
「えーと、碧歴7907年――、多魅荒大陸を脱す」
「タミアラ大陸って何処です?」
「…………現在のムーア大陸だろう。おそらくな」
航海の終わりを探して流し読む。日誌には間隔が空く時期がポツポツ見られた。そして末尾には――、
「碧暦……7965年、安息の地に達す。我らを受け入れてくれた島の民に感謝を込めて」
「……五十年以上に及ぶ長期航海だと?」
「しかも、二七次船団の、三八番船ですよ。少なくとも千隻を超える船が大陸から出帆し、世代を跨いで航海を続けたことになります」
「……あり得ん。現代では不可能なことだ。それに堪える船が千隻以上とは……」
ミーレスが絶句しているが、それは穂積も同様だった。地球の最新技術を持ってしても、それほどの長期間に渡って、修繕も無しに堪航性を維持できる船などあり得ない。
「航海中に大掛かりな船体補修が出来ないと無理だ。多種多様な強い『チカラ』を持つ加護持ちが乗り込んでいた? いや、繰り返される船団の規模を考えると……これは、大陸からの大規模な移民事業……移民船の記録か」
「何故、ムーア大陸だと? そりゃトティアスには他に大陸は無いが、聞いたこともないぞ?」
「帝国の記録に残るようなら、滅ぼされていたということです。彼らは大陸と共に召喚に巻き込まれた、異世界人の末裔ですから」
一万年に渡り覇権を握り続ける神聖ムーア帝国も、大災厄で大陸が出現した瞬間からそこにあったわけではない。
ムーア大陸の本来の名称は多見荒大陸。
他に主だった陸地が無い以上、大陸に元から居た原住民との間で争いが起きないはずがない。
「人間だけはトティアスの民が勝ったということね。敗残の民が土地を追われるのは良くあることだわ」
「おまえも言ってたよな? 樹海にあった消えない霧の伝説」
「霧の聖域ね。霧が消えた時期も合ってるし、間違いないでしょう」
三八番船の航海日誌を細かく読んでみると、彼らはとんでもない挑戦をしていた。船団のほとんどの船が、出帆から十日以内に沈んでいたのだ。
「なんてことだ……。彼らは大陸西岸から出帆して、そのまま西を目指した」
「大陸海溝じゃねぇか……。全員覚悟の上か……」
大陸西に広く分布する海溝は大型海獣の巣窟だ。その海域に侵入するなど、自殺行為に他ならない。
第四艦隊の全艦艇を投入しても全滅は免れないとミーレスは唸る。
「船団の隻数が多いのは、囮も相当数含んでいるな。民間人の盾になって大型を引き付ける役回りが絶対に必要だ」
「なるほど……正しく決死隊ですね。この船は……どうやら護られる側だったようです」
三八番船は舵を破損し船団からはぐれて南へ針路が逸れた。奇跡的に海溝から脱するも、南方海流に捕まって流され、修理が完了した時には船団の他船に繋がらなくなっていたと記されてある。
「おそらく、島長殿の『チカラ』と同種のものだろう。通信魔堰を使わずに、遠距離通信も可能ということか」
「推進力は両舷十六対の櫂。ガレー船に近いのか……人力ですね」
「それじゃあ、あの海流は抜け出せねぇな」
ミーレスの言う通り、三八番船は複雑に入り乱れる海流に翻弄され、長い期間に渡って海上を彷徨うことになったのだが、数年後、まったく新たな推進力を得て新天地の捜索を再開した。
「成人した漁師の息子が魚群を操る『チカラ』に長けていたようです」
「……魚に船を曳かせたってか? マジか?」
「回遊魚の群れを操って曳航させ、疲れたところで食料に……と繰り返して」
「……まぁ、大型海獣よりはマシだな。テメェよりはな」
「俺はアズラやホヅェールに船曳かせたりしませんよ」
十年後、ようやく一つの島を発見して上陸した。文面に歓喜が表れている。無人島だったようだ。
ここから日誌の記載が疎らになった。
「ダミダ島じゃありませんね。この島で十数年を過ごしたようですが……これは……」
「あなた。もしかして、女神の裁き?」
「いや、到着してすぐ霧の聖域を張っている。この頃は生贄無しに霧を出せたみたいだな。それよりも別の懸案……これが移民の理由か?」
「移民の理由?」
船上で、無人島で、三八番船のメンバーには何人もの子供が産まれていた。そして、そのほとんどが病弱だったり、奇形だったりと、何らかの障害を抱えて生まれ、幼い内に病死していたのだ。
「それって……近親交配による遺伝子異常ってやつですか?」
「普通の戦争じゃなかったのかもな。種の根絶を目指した異常なもので、降伏も和睦も許されないとなれば……」
「数を減らされて、少数で隠れ潜んで数千年……。血が濃くなっても不思議じゃないですね」
皇帝か、暴走女神か、或いはその両方か。恐ろしい思想だが、大陸の元の名称を考えれば、その必要性も見えてくる。
「女神の名前はアマラス・安海・タミアラ・ラクナウ。タミアラは女神の旧姓だ」
そして、ムーア大陸は本来、多魅荒大陸という名前だった。大陸名がそのまま氏になる文化だったのかも知れない。
「自分の故郷を召喚したんだな」
「女神も異世界人ってことね」
「加護持ちも、俺もな。全員同じ世界の出身者で、転移した時期が違うだけだ」
「……魔法は女神の奇跡。なら『チカラ』は加護持ちの奇跡ってこと? だから聖痕はあっても魔法適性は関係ない?」
「どちらも根っこは同じモノだ。それが何かは不明だけど」
トティアスに紛れ込んだ異世界人には、そういう力が生じるということだろう。
そして、古代に栄えた魔法文明の民にとって、魔法以外の奇跡の存在は都合が悪かった。
「滅ぼそうとするのは当然だな。多魅荒大陸の原住民は全員が女神並みの変な力を出すんだから」
「……テメェもだろ。変な気配と、変な領域」
衝撃の事実が発覚した。女神 ≒ 穂積かも知れない。
「ホヅミさま! 根絶されちゃいますよ!」
「あなた。今のうちに血を薄めて起きましょう。私は頑張って男の子を産むわ」
「……それで何させる気?」
「あちこちで種を蒔かせるのよ。見聞を広めさせるついでに」
「傍迷惑、極まりない。やめなさい」
「ホヅミさま! じゃあ、とりあえず私に蒔いてください! 私がいっぱい産めば済む事です!」
「この人はEDよ!」
ドヤ顔で人の事をEDだと叫ぶフィーア。
本人は秀逸な嘘を吐いているつもりなのだろうが、その晴々とした顔にチェスカは疑惑の眼差しを向けていた。
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