魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵

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飛空の章

第十三話 初陣

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夕陽が長良川の水面を紅く染める頃、織田秀信は岐阜城の天守から一瞥を投げかけていた。

「兄上、どうしても、私を連れて行ってはくださらぬのですか」
「お前にはまだ早い。まだ馬も満足に乗れていないだろう」
「それは兄上だって同じです」
「うるさい」

一蹴り入れるも、秀則は上手く避け、足が空振った。

「私は不安なのです。秀勝様があのような事になった地に……」
「お前を残すのは、その為でもあるんだよ。俺が死んだら次はお前が織田の当主だ」
「そのような……」

「秀則殿、そう心配なされるな。城はこの木造長政こづくりながまさめが、殿は百々綱家どどつないえが支えます故」

不意に背後から大きな声が聞こえたかと思えば、綱家が連れてきた一人である長政が階段を上ってきたところだった。

筋骨隆々としたまさしく武士たる姿だが、その実は綱家と同じく筆頭家老として秀吉に選ばれた男だ。
歳の頃はもうすぐ三十半ばで、古くから織田家に仕えていた家柄だという。
信雄叔父に若い頃より仕え始め、所領没収の憂き目にも遭っていた。しかし、秀吉によって召し出され、今回綱家と同じく俺に仕えるようにと、命が下ったらしい。

織田への忠義心を買われており、俺に仕える事も一切の迷いが無かったと他の者から聞いていた。その意味では綱家より信頼が置けるかもしれない。

「殿のお留守、この長政が城代としてお守り申す!」
「ああ、弟共々、頼む」
「お任せを!」

どん、と厚い胸板を叩く長政に、隣の秀則は半笑いを浮かべている。
やや暑苦しい男かもしれないが、それ故に表裏が無さそうだ。留守居として任せるのに問題ないだろうと思えた。

「美濃衆を引き連れて戻ってくる。なに、いきなり最前線で戦う事もないだろうさ」
「無事のお帰りを、お待ちしております」

秀則が神妙な面持ちで告げるのを聞き、再び夕陽へと目を向ける。
この大地の先、海を渡った地へ。誰にも言えぬ不安を抱きながら、暗闇が落ちてくるのをただ見つめていた。





肥前・名護屋城は、軍馬のいななきと兵の声で溢れていた。

日本中から諸大名の軍勢が集まり、城下には仮の宿が幾重にも連なっている。焼けつくような潮風と、人の熱気が交錯する異様な地。その中央に、天を睨むように築かれた石垣の城——名護屋城が聳えていた。

「これが……」

秀信は馬上で息を呑んだ。尾張の平野とはまるで異なる。すべてが動いていた。天下を一つにすべく、大陸を睨んだ豊臣の影が、この地に根を張っていた。

「殿、森中納言様が陣にてお待ちとのことです」

百々綱家の声に頷き、秀信は進んだ。

幕営の中、黒と金で飾られた森家の陣幕がひときわ目を引いた。その中で、兵どもに指示を出していた一人の男が振り向く。

「……よう、三法師。お前がこちらに来るとはな」
「忠政、殿……!」

秀信が駆け寄るより早く、森忠政は笑みを浮かべた。

「お久しゅうございます」
「まったく、見ない内にでかくなりやがって。聞いたぞ、秀信。それがお前の名だとな」
「はい……」
「太閤殿下も厭な名付けをするものよ。それにしてもなんだその口ぶりは。昔みたいに話せよ」
にやりと笑みを浮かべる忠政に、思わず吹き出してしまう。

「はは、本当に忠政は変わらないな」
「おう、俺は俺だ。そうだろ? 三法師」
「……うん」

束の間、あの頃感じた風が吹き抜けたようで、それが心地よかった。

「だがまあ、周りの眼がある時はさすがに秀信と呼ばせてもらうよ。お前を貶めたくはないしな。美濃十三万石を引き継いだらしいじゃないか」
「秀勝様の遺領をそのまま引き継いだに過ぎないよ。俺の力じゃない」
「馬鹿を言うな、俺よりも多い石高のくせに」

そう言って肩を小突かれ、苦笑いをする。

「明日には朝鮮だな」
「そう聞いている。美濃衆は九番隊だから最後尾に居ると聞いたけど?」
「おう。九番隊の総大将だった秀勝殿が倒れてしまったからな……今は石田殿や大谷殿奉行衆が臨時で指揮している」
「俺も、そこに加わる形になるのかな」

石田三成殿の名は、聚楽第に居た頃もよく聞いていた。
なんでも秀吉の小姓として付き従っており、絶対の忠誠を誓っていると。
武将として輝かしい戦歴を持っているのもそうだが、何よりも政務や奉行としての仕事ぶりがひと際目立っており、若くして秀吉の側近とも言える大名となっていた。

大谷吉継殿も、秀吉の名が出始めた頃から馬廻りとして付き従っており、数々の武功から取り立てられ、石田殿が堺奉行をしていた際に実務でも大きな成果を上げていたという。どこかの城持ちの大名であったと記憶している。


「初陣がこれとは、お前もなかなかの運の持ち主だな」
「幸か不幸か分からない言い方だな」
「はっ、それを決めるのは、お前次第だ。……つまらん死に方をするなよ」
「ああ」

忠政は、この名護屋城にて補給部隊を担当していると聞いた。なので渡航はしない。
当人がどう思っているかは分からないが、何か思うところがあるような口ぶりだ。

「どうだ、酒でも飲むか?」
「いや、やめておく。船に乗るのに先に酔いたくない」
「つまらんなあ。俺はお前と酒を酌み交わせる日を楽しみにしているというのに」
「じゃあ、まだとっておいてくれ。必ず戻る。その時は岐阜城に来てくれよ、忠政」
「そうだな、必ずだ。生きて帰る、それが男の務めだ」


急造の城である名護屋城は、目的が進撃用の補給拠点という明確なもので、造りは簡素で粗い。
与えられた一室も最低限で、寝られれば構わない、といった風体だった。

窓から香る潮風に、今、自分が場違いな場所に居るのではないかと不安を覚える。

『三法師。そう呼ばれて嬉しかったか?』
「まあ、な」

現れた亡霊に目をくれる事もなく、答える。
近頃は頻繁ではないものの、気づけば居る。そんな感じだった。

『まだまだわっぱのままよな。お前は』
「そうありたいんだ。俺には、重過ぎる」
『くだらぬ泣き言を』

夜、名護屋の空に月が昇る。
亡霊の愚痴を聞き流しながら、波の音に身を委ね眠りに就いた。
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