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第九話 ソフィーと過ごす夜 前編

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「おい、起きてソフィーさん」
「う、うう……」

 轟々と流れる激流の傍ら、巨大な岩が山積する河原にて、仰向けになっているソフィーに呼びかけながら頬を叩いていると、呻き声を上げて意識がある事が確認できる。

「か、母ちゃん……?」
「悪いが男だし他人だよ。キツいだろうけどあそこまで歩ける?」
「うにゃ……むん」
 まだ意識が朦朧としているのか言葉がハッキリしないが、岩肌が抉れて小さな洞穴になっている場所を指差すと頷いた。
 さすがにソフィーを担いで歩く気力も体力も残っていなかったので、意識が覚醒してくれて良かった。それにしても寒い。泳いでいる時は全身が熱かったが、止まると一気に冷える。

 よろよろと立ち上がり、ずぶ濡れになり重くなったザックを引き摺りながら移動する。川の側から離れたかったし、あちらまで行けば小さな木がいくつかある。
 早く休める環境を確保しないと。

 ひーひー言いながら何とか辿り着き、荷物を下ろす。ソフィーはそのままへたりこんでしまった。俺も同じようにしたい所だが、もうひと頑張りする必要がある。
 まずはずぶ濡れになった鎧や衣服を脱いでいく。

「な、なんで脱いどる……ですか!?」
 ようやく頭がハッキリしたのか、俺の行動を見て驚きつつ言葉を直している。
「今の気温で濡れたままじゃ凍え死ぬからだよ。俺らの世界で言う低体温症ってやつでな、何かそんな話だったの覚えてる。……お、良かった肌着は無事だったか。やっぱ革に油塗っといて正解だった」
 全裸になってザックをごそごそと漁り、目当ての物を取り出す。くるまれた一枚革を開くと、麻のような生地の肌着が出てくる。ひとまず乾いた衣服があるだけでも上等だ。

「これから火を熾す準備するから、ソフィーさんも服脱いで。長い枝取って来るから干して乾かそう。替えの服はあるか?」
「み、見てみ……ますけど、どうだろ。私は別にこのままでも……ふあ、へっくちょん!」
「枝拾いしてるから着替えた方がいい。本当に死ぬぞ」
「うう……」
 まだ躊躇している様子なので、離れれば着替えるかと思い手斧とナイフを手に洞穴を出る。一番高価な斧は崖上の戦闘で失ったが、投擲用の安い斧はあと二本残っていた。

 川からほど近く、季節的に湿気もあるので生木にはしっとりとした水分が含まれている。叩き折って集めながら、火熾しに少し苦労しそうだなと溜め息を吐く。
 太陽が落ちて気温も下がってきていた。今の薄着では少々しんどい。早く暖まりたいものだ。

 両手いっぱいに大小様々な枝木を集めて洞穴に戻る。そこには鎧だけ外してガタガタと震えるソフィーの姿があった。
「着替え全滅だったか?」
「は……はい……」
「さっさと脱いだ方がいいって……なんか俺、変態親父みたいだな」
 ソフィーは俺の軽口には答えず肩を抱いて震えている。脱ぐのに抵抗があるのか。とりあえず熱源の確保が先だ。

 同じように一枚革に巻いてある包みを取り出して開くと、中心には黒に近い色の石と、解した細い繊維の塊が出てきた。
 火熾し下手を何度もいじられていたので、自分でやる時は困らないようにと道具をいつも持っていた。
 アレクもライアンも、特にファルコの奴が異様に上手くて、未だにあいつらのようにそこらにある物で火を点ける事ができなかった。

 ナイフの背で石を擦ると火花が飛び、それを繊維に落とす。すると細い煙が上がり、両手で包みながら息を吹きかけると、一気に燃え上がった。
「さすがにずっと持ってると熱いな。アチチチ」
 細めの枝で組んだ木の台の下に入れ込み、息を吹きかけていく。最初は白い煙がもくもくと上がるだけで中々着火しなかったが、根気よく続けてようやく燃え広がった。一度点いてしまえばこっちのもので、太い薪を囲むように配置する。湿った薪を乾かすためだ。

 ソフィーがよろよろと近づき手を翳す。だが震えは止まらない。

 長めの枝を持ってきて二本を打ち込み、その間に最も長い枝を渡す。もう一組ソフィーの側にも作ってやり、作業を終えると今着ている肌着の上を脱ぐ。

「そのままじゃ本当に体温奪われて死ぬから。脱いでこれ着て」
「で、でも……」
「向こう向いてるし、干した服を仕切りにするから。頼む」
 暫し無言の間があり、カチカチと歯を鳴らし荒いソフィーの息遣いだけが聞こえる。だがようやく観念したか、俺の差し出した肌着を受け取った。
濡れた鎧や服を枝にかけて干していく。

 焚火に背を向け自分のザックを漁る。何か食べ物があったか探すためだ。だが、朝の記憶を辿る限り携帯食は入れていなかったと思う。
 自分の気の利かなさに落胆していると、衣擦れの音が聞こえてきた。

 別に今までもデイジーやフィオーラのを見た事あるし。遠征旅で大雨に降られた時と同じシチュエーションだ。気にする程の事じゃないだろ。相手はソフィーなんだし。
 だが、妙に音が大きく感じられて集中してしまう。
 何でだ。てか落ち着け俺。ソフィーとは付き合いは浅いし、そもそも仲間というより新人と教導の関係だ。つまりただの同業者、仲間ですらない。

 不意に水滴が大量に落ちる音が聞こえる。服か髪を絞ったのだろうか。そしてまた衣擦れの音。地面に重量のある物が落ちる音がする。

 待て待て俺、手が止まってる。耳を立てるなキモいだろ。
 ザック漁りを再開するも、別に目当ての物など無い。無意味に掻き回しているだけだ。

 また髪を絞っているのか水が落ちる音が続き、動き回っているような音が聞こえる。
「ん、小さい……」
 そんな声が聞こえてくる。え、小さいって何がだよ。

 とりあえず他にやる事が無いので、斧を取り出して水を掃う。一晩あれば錆びてしまうので水分は大敵だ。

「あの、ありがとうございました。ちょっと小さいし下無いの恥ずかしいですけど」
「おう……俺の服そんなキツい?」
「はい、胸が……」
 ああ、そういう事。でも男の俺の方が体格はいいはずだし、そんなにキツい事あるだろうか。

「今の方が暖かいだろ」
「はい。やっと焚火が暖かく感じます……イクヤ様もこちらに来られては?」
 仕切りもあるし、そう言うのなら大丈夫なのだろう。さすがに俺も寒くなってきたので火に近づきたいのが本音だった。
 俯きながら移動して火の元に。あったけえ。
 手を翳しながら溜息を吐くと、火の向こうに互いの濡れた服で隔たれ、その先に肌色が見えて思わずドキリとする。

 ……確かに、なんかパツパツだな。ソフィーって背が高いから圧倒される感じがあるけど、結構肩幅もあるし胸も大きいのか?
 普段は顔と首以外全く露出の無い革鎧の姿だったから気にしなかったけど。
 なんか、肉感があるというか……太もものむちむちしてる感じとか……

 と、そこまで思った所で慌てて目を逸らす。下の肌着はさすがに貸せなかったので、ソフィーは履いてない。干してある洗濯物の中に数枚肌着らしい物があるし、早めに乾かして着るつもりなのだろう。

「……探したけど飯持ってきてなかった。街に戻るまで我慢かな」
「あ、これ干し肉ですけど焼けば食べれると思います」
 ソフィーが放り投げてきて受け取ると、手の平にあったのは湿った黒い干し肉だった。

「ありがと……いや、『おおきに』か?」
「んな!?」
 貰った干し肉を炙りつつ茶化すと、ソフィーが軽く立ち上がってこちらを睨む。
「別に馬鹿にするつもりは無いよ。ただ、この世界でも関西弁とかあるんだなって」
「カンサイベン……? それはよく分からん……ですけど、頑張って訛り直したのに……」
 座り込み声に覇気を失うソフィー。
「いや、俺好きだけどね方言とか訛りとか」
 ずっと標準語圏で過ごしてきたからか、方言を話す人に憧れがあった。特に京都弁が好みだったり。

「うち、この王国の生まれやなくて、もっと南の陸続きの島生まれ……なんです。こっちにはほとんど売られた形で来たんです」
「売られた……」
「あ、別に奴隷とか娼婦とかやないですよ! 子だくさんの家やったんでその口減らしというか……まあ、メイドとか小間使いみたいな労働力として、です」
 方言と敬語が入り混じっている。誤魔化しながらも、本来の自分の話をしてくれているのだろうか。

「今まで仕えさせてもらったご主人様達は皆いい人達だったので、多分、他の同業の人と比べたら幸せな方やったと思います。でも、うち……私ドジで仕事できなくて……」
 子供を売る、口減らし、という現代日本ではまず聞かないワードに驚いたが、奴隷と言う身分が存在している世界だ。「よくある」事なのかもしれない。
「気になってたんだけど、ソフィーさんは何で冒険者稼業を? 多分だけどニアの家のメイドだったんだろ?」
「あ、はい……これ言っていいんかなあ。あんまりご主人様の事情言うの良くないかなあ……」
「個人的な話だけでいいよ。ニアの話はニアから聞けばいいし」
 そう言うと悩んでいるのかしばらく唸っていたが、顔を上げる。

「せや……っと、それでしたら……」
「別に直してない言葉でいいから。聞き取りにくいし。あと『イクヤ様』もやめて欲しい。俺主人じゃないし年下だし」
「はあ……ならうちも『ソフィーさん』はやめてくれはります? なんだかニア様やエミリーと話してるのと、うちに対してじゃ距離作られてる気がして……」
 俺は俺で、ソフィーはソフィーで気にしていたという事か。

「分かった。お互い砕けて話そう。夜は長いから」
「そ、それってどういう……!?」
「こんなトコで寝れないだろ。未開拓エリアだぞ。交代で見張るのもいいけど、一晩ぐらいだったら寝ない方がいい」
「ああ……そういう……」
 それ以外の理由なんて無いだろ。まあ今まで日帰りのクエストしか経験してないから仕方ないかもしれないが。
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