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左腕の傷は思いのほか長かった。龍がおれよりチビだからか、刃を下方にずるっと引かれてしまったっぽい。あのバカも緊張していたんだろう。そこそこの力が込められていたようで、擦り傷というには深さもある。
ということで、病院でがっつり縫い合わせてもらうことになってしまった。
「あのー。ぼく、剣道部なんっすけど……」
手当の仕上げにかかるお医者さんが、咎めるように睨みつけてきた。
「抜糸まではお休みしなきゃ」
「はあ、、、」
最悪だ。
先週末に試合を終えたところだからまだいいものの、夏には部活自体を引退する。残された時間を考えると、思う存分竹刀を握れるのは「今のうち」という思いを捨てきれない。
片腕でできる練習を考えているうちに、竹村先生はいろいろな手続きを進めてくれたようだ。
「学校に戻ったら着替えなきゃね。体操着でも練習着でもいいから」
無意識に「うん」と頷いたら軽く睨まれた。膠着状態は勘弁してほしいから、小声で「はい」と言い直す。
女の人って、たまに謎の圧をかけてくるのなんなん?
母さんもたまにやる。急に低い声で「彬」って投げかけてくるやつ。おれはなんとなく黙る。何を返したところで被せてくるに決まってるから。
その点、父さんはずるい。ふんって鼻で笑い飛ばすようにして終わらせる。おれもあれやりたい。
「着替えたら、荷物を持って職員室にいらっしゃいね」
「はい」
今度は間違えなかった。おれが「ふん」なんてやったら平手打ちを食らうのが現実で間違いない。
クラスメイトは誰も残っていなかった。がらんとした教室は、何事もなかったかのように元通りだ。
血の汚れなんて残っていないし、机や椅子も整っている。寂しげに残された俺の荷物だけが、なんだか場違いに見えるほどだ。
帰宅の帰り道を思うと、剣道着に着替える気にはなれない。
仕方なく、体操着に替えた。
血塗られたワイシャツは適当に丸めて鞄に突っ込んだ。
さて。行くか、職員室。
竹村先生が保険関係の書類がどーとか、親への連絡がどーとか言っていた。うちに連絡いらんってのが本音だけど、そーゆーわけにはいかないもんらしい。
いちおう「母さんは出張中だから明日にしてほしい」とだけ伝えた。今朝、出発も早かったけれど、帰りも最悪終電になるかもしれないと聞いているからだ。
それでも職員室に寄れと言うのだから、何かしらの指示があるのだろう。
「めんどくせぇ」
独り言が、空の教室に響いた。妙な静けさが気持ち悪くて、鞄をひっつかんで早足で職員室へ向かう。
「……ウソやろ」
足が止まる。
職員室の階に到着した瞬間、おれの目指す正にその職員室に、見慣れた長身の男が入るところを見てしまった。ほとんど背中で、相手が俺に気づくはずはない。
見間違いであれ。
……。
いや。
いやいやいや。
ありえんのだけど。
信じたくねえし、信じがたくもある、、、けど、うん、落ち着け、おれ。
「マジかー」
やっぱりこのまま帰ろうか。そんなことを考えて二の足を踏んでいるうちに、職員室からひょっこり顔を出した竹村先生に見咎められてしまった。
渋々、歩みを進める。いつもの半分の歩幅で。鞄を肩にかけ直してみたりもして。
苛立ったのか、竹村先生が職員室から出てきた。すたすたとおれの前までやってきたと思ったら、鞄を預かられてしまった。
「ちょっとマズイ状況なの」
「はあ。ん?」
「宇垣くんと椎名さんの保護者がいらっしゃってて、校長先生たちも含めて話し合いしてるのだけど」
そこまで聞かされたそばから、なにやら重めの衝撃音と男性の凄む声が響いた。
竹村先生が反射的に首をすぼめる。
「龍のやつ、まだ暴れてんすか?」
「えっと、それが宇垣くんのお父様がね……でも安心して。警察も来てるから。久我島くんはひとまず保健室にいらっしゃい」
あー、ね。
なるほど。
それであの人か。
「いいっすよ、いっしょくたで。話だけ終わらせて、早く帰れるほうがありがたいし」
「それが……久我島くんのお父様、今しがた到着されたところで、ご説明はこれからなの」
知ってまーす。
だったらなおさら、さっさと終わらせねえと父さんが困る。たぶんね。
「おれも父さんと一緒のほうが」
つーか、父さんのことだから適当に終わらせるんじゃねえかな。
竹村先生は少しの間迷って、おれを置き去りにして指示を仰ぎに戻った。
ぼーっと待つしかないおれに、興奮した宇垣父の暴言が嫌でも耳に届く。とっ散らかった発言は、無意味な煽りばかりだ。こうして廊下で聞いているぶんには、笑いしかでてこない。
でも、りぃこは中にいるんだよな。だとしたら、めちゃくちゃ可哀想。
莉子の両親を思い出してみる。真面目そうなおじさんと、おっとりめのおばさんだ。
荒事に無縁だろう椎名一家に内心で手を合わせる。
「久我島くん」
竹村先生がおいでとジェスチャーで呼ぶ。
「お父様が同席させていいって仰るのだけど……」
すまなそうにする竹村先生が不憫だ。先生はおれのことを守ろうとしてくれているんだと思う。けど、おれは父さんがいりゃあなんとでもなると思っている。父さんは効率化だっけ? 合理的っていうんだっけ? とにかく、書類関係その他を手っ取り早くまとめようとしているに違いない。
おれは無言で頷いてから、
「ぼくの証言もいるってとこでしょ?」
と、職員室の中をのぞき見するみたいにして伺った。
莉子がおばさんに肩を抱かれているのが見える。そりゃ、やっぱ泣くわな。かーわいそ。
「久我島くん、本当に大丈夫?」
「うす」
大丈夫もなにも。センセ、さっきおれの鞄持ってったじゃん。電車の定期を人質にされたんだから、帰るに帰られんっつーの。
「失礼しまーす」
竹村先生の後に続いて爆心地へ赴いた。
ということで、病院でがっつり縫い合わせてもらうことになってしまった。
「あのー。ぼく、剣道部なんっすけど……」
手当の仕上げにかかるお医者さんが、咎めるように睨みつけてきた。
「抜糸まではお休みしなきゃ」
「はあ、、、」
最悪だ。
先週末に試合を終えたところだからまだいいものの、夏には部活自体を引退する。残された時間を考えると、思う存分竹刀を握れるのは「今のうち」という思いを捨てきれない。
片腕でできる練習を考えているうちに、竹村先生はいろいろな手続きを進めてくれたようだ。
「学校に戻ったら着替えなきゃね。体操着でも練習着でもいいから」
無意識に「うん」と頷いたら軽く睨まれた。膠着状態は勘弁してほしいから、小声で「はい」と言い直す。
女の人って、たまに謎の圧をかけてくるのなんなん?
母さんもたまにやる。急に低い声で「彬」って投げかけてくるやつ。おれはなんとなく黙る。何を返したところで被せてくるに決まってるから。
その点、父さんはずるい。ふんって鼻で笑い飛ばすようにして終わらせる。おれもあれやりたい。
「着替えたら、荷物を持って職員室にいらっしゃいね」
「はい」
今度は間違えなかった。おれが「ふん」なんてやったら平手打ちを食らうのが現実で間違いない。
クラスメイトは誰も残っていなかった。がらんとした教室は、何事もなかったかのように元通りだ。
血の汚れなんて残っていないし、机や椅子も整っている。寂しげに残された俺の荷物だけが、なんだか場違いに見えるほどだ。
帰宅の帰り道を思うと、剣道着に着替える気にはなれない。
仕方なく、体操着に替えた。
血塗られたワイシャツは適当に丸めて鞄に突っ込んだ。
さて。行くか、職員室。
竹村先生が保険関係の書類がどーとか、親への連絡がどーとか言っていた。うちに連絡いらんってのが本音だけど、そーゆーわけにはいかないもんらしい。
いちおう「母さんは出張中だから明日にしてほしい」とだけ伝えた。今朝、出発も早かったけれど、帰りも最悪終電になるかもしれないと聞いているからだ。
それでも職員室に寄れと言うのだから、何かしらの指示があるのだろう。
「めんどくせぇ」
独り言が、空の教室に響いた。妙な静けさが気持ち悪くて、鞄をひっつかんで早足で職員室へ向かう。
「……ウソやろ」
足が止まる。
職員室の階に到着した瞬間、おれの目指す正にその職員室に、見慣れた長身の男が入るところを見てしまった。ほとんど背中で、相手が俺に気づくはずはない。
見間違いであれ。
……。
いや。
いやいやいや。
ありえんのだけど。
信じたくねえし、信じがたくもある、、、けど、うん、落ち着け、おれ。
「マジかー」
やっぱりこのまま帰ろうか。そんなことを考えて二の足を踏んでいるうちに、職員室からひょっこり顔を出した竹村先生に見咎められてしまった。
渋々、歩みを進める。いつもの半分の歩幅で。鞄を肩にかけ直してみたりもして。
苛立ったのか、竹村先生が職員室から出てきた。すたすたとおれの前までやってきたと思ったら、鞄を預かられてしまった。
「ちょっとマズイ状況なの」
「はあ。ん?」
「宇垣くんと椎名さんの保護者がいらっしゃってて、校長先生たちも含めて話し合いしてるのだけど」
そこまで聞かされたそばから、なにやら重めの衝撃音と男性の凄む声が響いた。
竹村先生が反射的に首をすぼめる。
「龍のやつ、まだ暴れてんすか?」
「えっと、それが宇垣くんのお父様がね……でも安心して。警察も来てるから。久我島くんはひとまず保健室にいらっしゃい」
あー、ね。
なるほど。
それであの人か。
「いいっすよ、いっしょくたで。話だけ終わらせて、早く帰れるほうがありがたいし」
「それが……久我島くんのお父様、今しがた到着されたところで、ご説明はこれからなの」
知ってまーす。
だったらなおさら、さっさと終わらせねえと父さんが困る。たぶんね。
「おれも父さんと一緒のほうが」
つーか、父さんのことだから適当に終わらせるんじゃねえかな。
竹村先生は少しの間迷って、おれを置き去りにして指示を仰ぎに戻った。
ぼーっと待つしかないおれに、興奮した宇垣父の暴言が嫌でも耳に届く。とっ散らかった発言は、無意味な煽りばかりだ。こうして廊下で聞いているぶんには、笑いしかでてこない。
でも、りぃこは中にいるんだよな。だとしたら、めちゃくちゃ可哀想。
莉子の両親を思い出してみる。真面目そうなおじさんと、おっとりめのおばさんだ。
荒事に無縁だろう椎名一家に内心で手を合わせる。
「久我島くん」
竹村先生がおいでとジェスチャーで呼ぶ。
「お父様が同席させていいって仰るのだけど……」
すまなそうにする竹村先生が不憫だ。先生はおれのことを守ろうとしてくれているんだと思う。けど、おれは父さんがいりゃあなんとでもなると思っている。父さんは効率化だっけ? 合理的っていうんだっけ? とにかく、書類関係その他を手っ取り早くまとめようとしているに違いない。
おれは無言で頷いてから、
「ぼくの証言もいるってとこでしょ?」
と、職員室の中をのぞき見するみたいにして伺った。
莉子がおばさんに肩を抱かれているのが見える。そりゃ、やっぱ泣くわな。かーわいそ。
「久我島くん、本当に大丈夫?」
「うす」
大丈夫もなにも。センセ、さっきおれの鞄持ってったじゃん。電車の定期を人質にされたんだから、帰るに帰られんっつーの。
「失礼しまーす」
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