愛は優しく、果てしなく

端本 やこ

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夫、成悟の愛しき憂い

2-1

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 百華が送別会で不在の夜、俺も外へ出た。といっても華やかさからはほど遠く、久しぶりに同期の中澤とサシ飲みだ。

「嫁さん出向してくるんだってな。どーすんの?」

 中澤は総務部所属だ。人事の情報は一早く掴んでいる。
 たまには付き合えと雑な誘いではあったが、中澤なりに心配してのことに違いない。

「どーもこーもあるかよ」

 仏頂面になっている自覚がある。中澤はそんな俺の内心を察してか、からからと嘲笑う。どことなく晴れやかさすら感じさせる笑いかたは特徴的だ。

「百華さんなんか言ってた?」
「業務課なんだってな」
「それだけ?」
「あぁ」

 勿体ぶられた話の着地点が俺にとって都合のいいものだとは思えない。
 何か知っているのかと、単刀直入に切り込んだ。

「出る杭は打たれたってことみたいよ?」

 見た目はさることながら、ツアープランナーとして活躍している百華を妬む輩がいても不思議ではない。しかし、たかが同僚の気持ち一つで人事が左右されるとは考えにくい。

「初めこそやっかみはあれ、今は上手くやれてるはずだけど」

 百華の成績は見た目で叩き出されたものではない。
 交渉に有利に働くことはあるだろうが、第一に誰よりも勉強して努力も積み重ねている。仕事へ打ち込む姿勢が周囲にも認められて、害を成す人間は今の環境にいないはずだ。
 百華が仕事を楽しんでいるのは、惜しみない労力が結果に繋がり、やりがいを見出しているからでもある。

「表向きには、な。百華さんの企画が通れば、落ちる企画もあるんだろ」

 競合として打ち出される企画は在って無いようなもので、ある意味ワンマン操業になりつつあるのを懸念されているとのことらしい。
 だとしても、

「それ、百華のせいじゃない」

 と断言できる。
 百華というネームブランドが先立ったとて、頼りきるほうが悪いのだ。
 
「だわな。むしろ百華さんがストレスに感じても不思議じゃない」

 からからと笑って済ませるのは、俺が百華のストレスを嗅ぎ取っていないと確認済みであるからだ。
 百華も隠し事はしない(はずである)し、そもそも嫁ヲタクを自称する俺が彼女の疲れに気づかないはずがない。というワケで、百華は変わらず仕事を楽しんでいるという結論が導き出される。

「とにかく会社は今の状況を危惧していると」
「それがどう出向に繋がる?」

 その他大勢の士気向上に、一大戦力を手放すもんか? なかなかの賭けだと言っていい。
 黒字経営が叶ったところであるからなおさらだ。

「いやそれがさぁ」
「もったいつけんな」
「ヘッドハンティングを恐れてのことらしい。他に取られるぐらいならグループ内で回せ、的な」
「リクルートされたなんて聞いたことない」
「百華さんならにっこり受け流してんじゃねーの?」

 あー、、、。
 うん。
 あり得る。
 百華は好意も悪意も人並み以上に受けてきた。過去の経験から他人を信用するまでに時間がかかる。直感を信じないというか、良い話であればあるほど警戒する。
 そうあって欲しいから、俺もあえて指摘はしない。が、良い縁をもぶった斬っている可能性はそこはかとない。

「だったら給料上げるとか、ほかにやりようってもんが」
「それも限界なんだろ」

 まぁ確かに。
 月給の大幅アップはないが、ボーナスは俺より多い。
 成績トップの出来高によるものだとして、特に不思議に思ったこともなかった。
 百華も「今季もお疲れ様の温泉行こうね」と毎度楽しみにしている。旅行会社勤務の利を存分に発揮して、ハイクラスの宿で贅沢をするのが俺たち夫婦の楽しみでもある。

「転籍じゃないなら、給料の出処は今まで通りだろ?」
「だから業務なんだって。下手に企画か営業でもやらせて業績伸ばさないように」

 今回の人事異動に裏があると踏んではいたが、予想以上にお粗末なものだった。

「一安心って顔してるな」
「どっかのボンボンに見初められでもしたと思ってた」
「それはこれからだろ。うち、コネ入社の宝庫やぞ」
「笑えねー」

 鑑賞対象として憧れるならギリ許せるが、そうでない輩は質が悪い。既婚者であっても諦めが悪いだけでなく、下手をすれば貶められる危険を孕む。

「要注意人物教えといてやるよ」
「それ、百華の迎えまでに終わる?」

 飲み会に迎えに行くのかと驚いているが、驚かれたことに驚く。
 ほろ酔いの百華など、チェーンソーを振りかぶったジェイソンみたいなものだ。どちらが危険かわかったもんじゃない。

「いくらなんでもキモイぞ、佐藤」
「精神衛生上不可欠なもんで」
「そんなんで互いに疲れんか? タクシー使えばすむ話だろ」
「電車の方が安全なんだと」
「何それ!?」

 百華は過去にタクシーで連れ回されたことがある。プロ意識の低いドライバーに当たって運が悪かっただけだが、百華が怖い思いをしたことには変わりない。
 公共交通機関を好むのは痴漢に遭う方がマシだから。そう聞いた時には、さすがの俺も度肝を抜かれた。

「運転手解雇されりゃ、私が他人の人生を狂わせたって落ち込む」
「うわ~。嫁さんが飲み会嫌いなのってそのせい?」
「酒は弱いから気乗りしないみたいだけど、今日は送別会の主役だからな」

 中澤は、百華が容姿に恵まれ過ぎて不自由を強いられていると理解する数少ない人間の一人だ。「俺には絶対無理だ。いくら美人でも付き合えねぇ」と憚らず言いのける男だからこそ信頼を置いている。

「佐藤夫妻が相思相愛なのは知ってるけどさ。流石に面倒になったりしないわけ?」
「ない」
「すげぇわ。マジで」
「あの見た目だけど、中身は違うって散々言ってるだろ」

 むしろ中身は地味なぐらいだ。
 努力家で我慢強くて、気配りができる。真面目な人柄に惚れ込んだのは俺だ。それこそ百華が熊さんになったとて愛し続ける。

「嫁さんは鬱陶しくないのかね、この旦那」
「俺より愛してくれてっから」
「テメェ殴らせろ。男から惚気聞かされるほどムカつくこともない」

 惚気たのではなく事実なんだけど、という惚気は言わずに置く。

「まぁた振られたんか?」
「ちげぇわ」

 振られたわけではないと豪語するが、結論は彼女と別れたという話だ。中澤にはめずらしく1年は続いていたはずだ。落ち着く可能性も高いと思っていたので軽い衝撃がある。
 俺たちの世代に草食なる者は少ない。肉食と言わずとも、健康男子ならば誰しも狩人だという気概を持つ最後の世代だ。中澤も多分に漏れず、過去には百華に飲み会をセッティングさせるという偉業まで達成した男だ。

「理由は?」
「お家デートばっかはご不満なんだとさ」
「おまえが手ぇ抜いたんじゃねぇか」

 そうだけどぉと口を尖らせても気持ち悪いだけだ。

「つーことで、百華さんにまたバスガイドさん紹介してって言っといて」

 先に百華に関する情報を聞かせたのはギブアンドテイクに持ち込みたいがためだったのか。

「テメェ俺にも殴らせろ」
「空手家の一発なんて死ぬるわ」

 からからと響く笑い声に失恋の憂いは全く存在していなかった。
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