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夫、成悟の愛しき憂い
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仕事モードの百華が放つエネルギーは、慣れない人間にとっては高圧的でもある。
朝礼で「佐藤百華です」と名乗るだけで、フロアの全員が釘付けだ。
ざわめきは朝礼終了後に起こる。
今後しばらくは話題の人、確定だ。
今朝の百華は緊張した面持ちで、いつもより早起きをして念入りに化粧をして髪をとかした。私の戦闘服だとパリッとしたパンツスーツに袖を通せば、素敵な奥さんからバリバリのキャリアウーマンに変身だ。
緊張から少しの不安を見せて「おかしくない?」とクルリと回った。
「今日も自慢の奥さんだよ」
俺の称賛にパァと効果音が聞こえそうな大輪の花を咲かせ……なかった。その代わりに「よっし」と拳を握り、家を出る前から仕事モードにスイッチを入れた。
「もーも」
「何ですか」
「まだ家なんだけど」
「そろそろ出ましょう」
持ち上げたバッグを降ろさせ、後ろから腰に腕を回した。ギュッと自分に引き寄せて、髪を掛けた耳に頬を寄せる。
「そんな気張らなくていいでしょ。どうしたの?」
「何事も初めが肝心! 成悟さんの迷惑にならないように頑張るからね」
やっぱり。
百華への憧れや妬みの矛先が俺に向かう可能性を考慮してのこと。他人に与える影響力をコントロールして、どこまでも注意深くなければならないと、自分自身を戒めている。
「迷惑にならないから、がんばるのは適当にして」
「お仕事はお仕事」
「百華の悪いクセ。そーゆー頑固は可愛くない」
「お仕事に可愛さは必要ない。成悟さん、会社で百って呼ばないでね」
「まさか結婚してるの隠すつもりか」
「違う。指輪もしてる。けど、」
「百は俺が旦那だって知られたら嫌なワケ?」
「違うってば! そうじゃなくて、成悟さんが揶揄われたり、何かあっても嫌なの!」
「なんもねーよ!」
「そんなの分かんないでしょ!」
……と、まぁ、軽く口論になってしまった。
心配してくれているのは分かる。なら、こっちだって心配だとどうして分からないんだ。
俺は「妻大好き」を憚っていない。周囲からも愛妻家のタイトルを貰っている。百華を一目見れば、俺の溺愛ぶりを納得するだけだ。
時間切れで、互いにムスッとしたまま家を出る事になってしまった。
最悪だ。
俺は未だに悶々としてるってのに、百華は朝礼で完璧な振る舞いだった。
挨拶の後も、姿勢を正して上司の後をついて行った。
「とんでもない美人を見た気がするんだけど、俺の見間違い?」
「いや。俺も何か凄いの見た、、、と思う」
まぁ、そうなるわな。テレビや雑誌で見るのとはまた違う、生身の九頭身が目の前で動いているのだから。
複雑な思いを抱えたままデスクに向かう。
百華は午前一杯チュートリアルだろう。午後も通常業務が始まるかどうかは怪しいところだ。声を掛ける機会があるならば昼休みだが、ランチに誘ったところで喧嘩の後を引いた夫婦の会話を人前で繰り広げられたものでもない。
失敗した。
「佐藤さん、書類チェックお願いします」
「はい。ありがとう」
苦虫を噛みしめ、苦渋を飲み干して、書類を受け取った。
俺の内心なんてそっちのけでルーティンは回っていく。
百華が入室すれば気配で察せれるので、気持ちを入れ替えて仕事に向かうことにした。
***
同僚と昼飯を食べる気にならず、独りで大手チェーンの立ち食い蕎麦屋へ来た。
毎度のことながら一番ボリュームがあり、腹持ちのするセットを頼む。
蕎麦とカツカレー。
食べ合わせには意義有りだったけど、実際に食べてみると蕎麦を汁物に食が進む。カロリーなんて気にしない。お腹が出てきても失うものは何もない。運動が必要ならばまた実家に寄ればいいし、夜を待てばいい。……今夜はちょっと叶いそうにないけど。
超美麗な愛妻の姿を脳裏から追い払うべく、ズズッと蕎麦を吸い上げる。スマホがブブッと連動して、慌ててポケットから取り出した。
「チッ」
表示された名前に、期待は見事に、そして無残に破られた。
「んだよ」
『残念だったな、俺で』
独特な笑い方が少々耳障りである。張り合ってわざとズズッと音を立てて蕎麦をすする。中澤に気遣いは不要だ。
どうせ揶揄いの電話だ。
社内で俺を見つけられずにかけてきたのだろう。
『傾国の奥さん、重役のランチに連行されてったぞーい』
「どっから重役が出てくんだよ」
『そりゃお前、新入社員研修だからだろ』
うちの入社式は形式ばかりのさらりとしたものだが、代表各位の挨拶ぐらいはある。午後から即日研修が始まる流れだ。
引継ぎをすべき百華が新入社員と一緒の扱いというのはどうなんだ。
「じゅうぶん即戦力になるはずだけど」
この異例の扱いをどう受け取るべきか、きっと百華も微妙に感じているだろう。添乗員として必要な資格や、業界特有のシステムを扱う資格も保有している。何より実務経験の差はひよっこと比べられたものか。
『触りの部分だけでもまとめて終わらせようって魂胆よ』
会社理念やビジネスマナーなどの基本研修を一緒くたに済ませるのだと、もっともらしい理由を聞かされる。
それにしてもと、前置いた中澤のトーンが変わった。
『久しぶりに会ったけど、相変わらずパないね~』
「お前は興味ないだろ」
『いやぁ~。初めて見たから、お仕事モード。俺、ツンツン系大好きよ?』
「デレなんだよ、百華は」
確かに今朝はデレ要素を隠しきっていたけどな。わざわざ中澤に揶揄いネタをくれてやることはない。いつも通りの惚気を聞かせるに限る。
『社長に来賓もゴキゲンで出て行ったから、百華さん様サマ』
若者集団とおっさんに囲まれた百華なんて想像するだけでかわいそう。
中澤が総務部所属で、しかもひよっこ担当で良かった。不本意であるが、ここは監視役を頼むしかない。
「んな心配するなって。ひよっこの同期会ナシで帰らせてやっから」
からからと笑っているものの、総務部としても研修を問題なく終わらせたいに決まっている。中澤は担当者として注意を払うはずだ。
「中澤」
『ん?』
「頼むな」
『……あぁ。悪いな。ガキの中に突っ込んじまって』
中澤の懺悔の謝罪を受け取って、カレーライスを掻き込んだ。
朝礼で「佐藤百華です」と名乗るだけで、フロアの全員が釘付けだ。
ざわめきは朝礼終了後に起こる。
今後しばらくは話題の人、確定だ。
今朝の百華は緊張した面持ちで、いつもより早起きをして念入りに化粧をして髪をとかした。私の戦闘服だとパリッとしたパンツスーツに袖を通せば、素敵な奥さんからバリバリのキャリアウーマンに変身だ。
緊張から少しの不安を見せて「おかしくない?」とクルリと回った。
「今日も自慢の奥さんだよ」
俺の称賛にパァと効果音が聞こえそうな大輪の花を咲かせ……なかった。その代わりに「よっし」と拳を握り、家を出る前から仕事モードにスイッチを入れた。
「もーも」
「何ですか」
「まだ家なんだけど」
「そろそろ出ましょう」
持ち上げたバッグを降ろさせ、後ろから腰に腕を回した。ギュッと自分に引き寄せて、髪を掛けた耳に頬を寄せる。
「そんな気張らなくていいでしょ。どうしたの?」
「何事も初めが肝心! 成悟さんの迷惑にならないように頑張るからね」
やっぱり。
百華への憧れや妬みの矛先が俺に向かう可能性を考慮してのこと。他人に与える影響力をコントロールして、どこまでも注意深くなければならないと、自分自身を戒めている。
「迷惑にならないから、がんばるのは適当にして」
「お仕事はお仕事」
「百華の悪いクセ。そーゆー頑固は可愛くない」
「お仕事に可愛さは必要ない。成悟さん、会社で百って呼ばないでね」
「まさか結婚してるの隠すつもりか」
「違う。指輪もしてる。けど、」
「百は俺が旦那だって知られたら嫌なワケ?」
「違うってば! そうじゃなくて、成悟さんが揶揄われたり、何かあっても嫌なの!」
「なんもねーよ!」
「そんなの分かんないでしょ!」
……と、まぁ、軽く口論になってしまった。
心配してくれているのは分かる。なら、こっちだって心配だとどうして分からないんだ。
俺は「妻大好き」を憚っていない。周囲からも愛妻家のタイトルを貰っている。百華を一目見れば、俺の溺愛ぶりを納得するだけだ。
時間切れで、互いにムスッとしたまま家を出る事になってしまった。
最悪だ。
俺は未だに悶々としてるってのに、百華は朝礼で完璧な振る舞いだった。
挨拶の後も、姿勢を正して上司の後をついて行った。
「とんでもない美人を見た気がするんだけど、俺の見間違い?」
「いや。俺も何か凄いの見た、、、と思う」
まぁ、そうなるわな。テレビや雑誌で見るのとはまた違う、生身の九頭身が目の前で動いているのだから。
複雑な思いを抱えたままデスクに向かう。
百華は午前一杯チュートリアルだろう。午後も通常業務が始まるかどうかは怪しいところだ。声を掛ける機会があるならば昼休みだが、ランチに誘ったところで喧嘩の後を引いた夫婦の会話を人前で繰り広げられたものでもない。
失敗した。
「佐藤さん、書類チェックお願いします」
「はい。ありがとう」
苦虫を噛みしめ、苦渋を飲み干して、書類を受け取った。
俺の内心なんてそっちのけでルーティンは回っていく。
百華が入室すれば気配で察せれるので、気持ちを入れ替えて仕事に向かうことにした。
***
同僚と昼飯を食べる気にならず、独りで大手チェーンの立ち食い蕎麦屋へ来た。
毎度のことながら一番ボリュームがあり、腹持ちのするセットを頼む。
蕎麦とカツカレー。
食べ合わせには意義有りだったけど、実際に食べてみると蕎麦を汁物に食が進む。カロリーなんて気にしない。お腹が出てきても失うものは何もない。運動が必要ならばまた実家に寄ればいいし、夜を待てばいい。……今夜はちょっと叶いそうにないけど。
超美麗な愛妻の姿を脳裏から追い払うべく、ズズッと蕎麦を吸い上げる。スマホがブブッと連動して、慌ててポケットから取り出した。
「チッ」
表示された名前に、期待は見事に、そして無残に破られた。
「んだよ」
『残念だったな、俺で』
独特な笑い方が少々耳障りである。張り合ってわざとズズッと音を立てて蕎麦をすする。中澤に気遣いは不要だ。
どうせ揶揄いの電話だ。
社内で俺を見つけられずにかけてきたのだろう。
『傾国の奥さん、重役のランチに連行されてったぞーい』
「どっから重役が出てくんだよ」
『そりゃお前、新入社員研修だからだろ』
うちの入社式は形式ばかりのさらりとしたものだが、代表各位の挨拶ぐらいはある。午後から即日研修が始まる流れだ。
引継ぎをすべき百華が新入社員と一緒の扱いというのはどうなんだ。
「じゅうぶん即戦力になるはずだけど」
この異例の扱いをどう受け取るべきか、きっと百華も微妙に感じているだろう。添乗員として必要な資格や、業界特有のシステムを扱う資格も保有している。何より実務経験の差はひよっこと比べられたものか。
『触りの部分だけでもまとめて終わらせようって魂胆よ』
会社理念やビジネスマナーなどの基本研修を一緒くたに済ませるのだと、もっともらしい理由を聞かされる。
それにしてもと、前置いた中澤のトーンが変わった。
『久しぶりに会ったけど、相変わらずパないね~』
「お前は興味ないだろ」
『いやぁ~。初めて見たから、お仕事モード。俺、ツンツン系大好きよ?』
「デレなんだよ、百華は」
確かに今朝はデレ要素を隠しきっていたけどな。わざわざ中澤に揶揄いネタをくれてやることはない。いつも通りの惚気を聞かせるに限る。
『社長に来賓もゴキゲンで出て行ったから、百華さん様サマ』
若者集団とおっさんに囲まれた百華なんて想像するだけでかわいそう。
中澤が総務部所属で、しかもひよっこ担当で良かった。不本意であるが、ここは監視役を頼むしかない。
「んな心配するなって。ひよっこの同期会ナシで帰らせてやっから」
からからと笑っているものの、総務部としても研修を問題なく終わらせたいに決まっている。中澤は担当者として注意を払うはずだ。
「中澤」
『ん?』
「頼むな」
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