愛は優しく、果てしなく

端本 やこ

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夫、成悟の愛しき憂い

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 金曜の出勤時、百華の荷物が増えたとあってフロアがざわめいた。

 百華は 近郊で農業を営む祖父母を訪ねる予定だ。仕事終わりに奏汰君が車で迎えに来る手筈になっている。会社が通り道に位置しているので効率的だという判断だ。
 百華は過去に祖父母と暮らしていた時期もある。両親が仕事の都合で家を空けることが多いのと、百華が身の安全を確保しなければいけない事態に陥ったときの避難所にもなっていたらしい。
 百華はお祖父じいさん似。お祖父さんが若い頃は相当モテた逸話は事欠かない。現役で野菜作りをしているからか、若く見える。シャキッとしていてスタイルも良い。

 ちなみに俺も今夜は実家に帰るんだけどね。大会の審判要員は会場準備を手伝わなければならず、朝が早いからだ。俺の場合は、実家に着替えが揃っている。手ぶらだから誰の気に咎められることはない。

「金曜だもんな」
「そりゃ男のひとりやふたりいるか」

 いてたまるかと内心で毒づく。
 しかし、数々の男性社員ががっかり諦めモードに陥ったのは良い傾向だ。芽生えた下心が勝手に朽ちていくのだから、下手に口を挟むこともない。
 それにしても、女性陣の目のつけ所はさすがだ。

「本命もいるに決まってるでしょ!」

 百華の左手薬指を指摘し、勝ち誇ったように息巻いている。

「百華さんレベルなら当たり前だし、むしろそれでもよくね?」
「は?」

 平井の発言に黙ったままではいられなかった。

「いくら愛妻家の佐藤さんでも、男ならわかりますよね」
「何を?」
「遊びでいいからデートして欲しいし、あわよくば一戦! みたいな」

 とんだクソ野郎だ。
 遊びでデートするような女じゃねぇんだよ、俺の百華は。

「平井いい加減にしとけ。失礼だ」
「それぐらい美人って話じゃないっすか。願望持たない方が失礼ってもんでしょ」

 冗談めかしているが、目が笑ってないんだよテメエは。
 同意を示す他の男たち(一部女性も交ざっているが)とは違う。
 願望と本気の狭間で一歩を踏み出す機会を狙っている。
 算段をつけられる程度の経験値があるらしく、自信に直結しているのがウザい。
 学生なら花形サッカー部のキラキラ主将ってところか。実際、取引先の女の子と合コンを取り付けてくる才は若手の間で重宝されているみたいだし。いずれにせよ、俺が育った男臭い武道派とは相容れないタイプだ。

「ワンチャンすらねぇわ」

 俺が斬り捨てても、失笑を漏らすのは朽ちた芽だけ。平井はいたって平然としている。鋼メンタルか。

「佐藤さん、つまんないって。シラケるじゃん。なに目線っすか?」

 鼻で笑うような態度がどうもイケ好かない。
 お前に小馬鹿にされるいわれはないし、大前提で配偶者目線だっつーの。

「みんな大好き百華さんは俺の奥さん。いい加減、指輪で分かるでしょ。同じ佐藤だし」

 ここらが頃合い。
 胸を張って俺が配偶者だと主張する。
 そう、配偶者。
 恋人から婚約者、そして配偶者へと進化した俺たちのステータスは、書類上の話だけにあらずだ。山あり谷ありを経験した上で互いに同意をして、周囲の祝福を受けて辿り着いた。
 遊びだとかワンチャンだとか、安い感情で邪魔をされて黙っていられるわけがない。
 第一、左薬指の指輪を指摘しておきながら、百華が既婚者だという結論が導き出されないのか不思議だ。

「平井君、こういうとこだって! 見習いなさいな」
「超愛妻家よ? つまらない男なわけない」
「そそ。チャラいだけの独身男の方がよっぽどつまんないわー」

 え? あ、ちょっと!
 女性陣の援護射撃は有難いものの、俺の真意と事実が伝わっていないことが分かる。

「ちゃんと百華さんを立ててのコレ! 簡単に真似できたもんじゃないっしょ」
「見習え」
「うっわー。百華さんレベルに言われるなら納得だけど」
「そこ、なんか言った?」
「何でもありませんであります」

 睨まれた同僚が俺の陰に隠れておどけた。
 周囲の笑いで雰囲気が和やかになってしまった。それ自体は悪くないけど、でも。
 冗談なんてひとつまみも含んでないんすけど!?
 どうゆうこった。
 落ちが付いたところでお開きとでも言わんばかりに、散り散りに自席に戻っていく。俺は馬鹿みたいにぽかんとしてしまった。
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