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東京編
幻視(上)
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山藤物流の真新しい総合ターミナルの開業が近い。
総合ターミナルに荷が集約されることにより、物流経路にも変更が出る。取引先への説明を主な任務として、橙子と矢田は出張続きだ。西日本担当として主要都市を回っている。
中でも九州および沖縄地方は、アジアを中心対象にした貿易会社が多い。各所へ直接入港する荷も多いが、ターミナル経由の航空便もある。説明会も繁盛した。
「那覇と福岡制覇~!」
陽気な矢田に釣られて橙子も笑みがこぼれた。西日本主要都市行脚も一通り終わりだ。互いを労いながら、説明会会場のカンファレンスセンターを出た。
福岡支社に寄って備品を返却すれば、夜の飛行機便で帰京するのみだ。
支社に到着してすぐ、矢田が東京本社に一報入れる。一日の業務報告を兼ねた進捗報告だ。
「川原~、細谷課長。代われってよ」
矢田が差し出す受話器を、橙子は疑問を持たず受け取った。
「古賀総合物産の商談に同行してやって欲しい。やり手営業マンに頭を抱えているそうだ。帰りは明日で構わない」
古賀といえば、福岡を本拠地とする一流商社だ。大きな取引が多く、要望も細かい。
商談の最中で本社判断を仰がなければならないことが多々あるという。「一旦持ち帰り」を繰り返すと、当然レスポンスの悪さが不利を招く。
「川原さんの判断に任せる。後々社内で調整できることはGOを出して構わない。要確認については、矢田を使ってその場で連絡対応してくれるかな」
上司からの指示に、橙子は「はぁ」と曖昧に了承した。細谷の説明では概要を掴んだに過ぎず、自分に求められる仕事が把握しきれていないからだ。
ともかく矢田に説明し、さっそく福岡営業部メイン担当者の石橋と打ち合わせをすることと相成った。
「ほんとのほんっとに助かります!」
床に頭を擦りつけんばかりに喜ぶ石橋に、事の重大さを知る。石橋には申し訳ないが、橙子と矢田は営業部の経験はない。「取りに行け」という本社の指示があるのだから、多少のやんちゃは許されるはずだ。気後れしても仕方ないと、心して資料に目を通す。
石橋がいうほどの大きな問題は見当たらない。
「安心してください。川原先生が大物とっつかまえてやりますよ」
「こら矢田っ。適当なこと言うな!」
本社のエースと名高い橙子と矢田の冗談に、石橋が緊張を解く。もれなく他の従業員からも失笑が漏れた。
***
応接室に通された橙子たちは、古賀総合物産の担当者を待つ。
「営業課長がやばいんすよ。かなりできる男で、その場の思い付きでぽんぽん質問するわ、付随業務の確認するわで。荷量も金額もいちいちでかいから即答できなくて」
石橋のただならぬ緊張感は経験上によるものだ。
「全部OKしちゃえって本社指示ですよ。後々社内でごたつけばいいだけみたいなんで」
淡々と話す橙子に、石橋が顔を引きつらせる。そんな簡単にと絶句する気持ちが矢田にはわかる。
川原大先生、本領発揮。
サポート役の矢田はわくわくが止まらない。気楽にいきましょうと石橋の肩を叩いたところで、ガチャリとドアが開かれた。
山藤の三人は反射的に立ち上がった。頭を下げると、正面に並んだ敵……ではなく、商談相手が手短に挨拶を始める。
「ぇっ。うそ。と、おるさん?」
橙子の唇がわなわなと震え、全細胞が機能を停止した。目の前に居るはずのない愛しい人が立っているのだ。
そんなはずはないと、静かに深呼吸を繰り返す。
徹に生き写しの男から目が離せずまじまじと見つめてしまう。凝視することで、本物より少し背が低く、右目の下に泣きぼくろがあることに気がついた。全体の雰囲気は酷似しているが別人だ。落ち着いてみれば、見慣れた険しい表情ではなく、どこか余裕のある顔つきをしている。
しかし橙子に向けられた目が徹のそれを思わせ、橙子を捉えて離さない。
「ぉぃ」
矢田が小声で橙子を小突いた。我に返った橙子は集中しろと自分を戒め、名刺交換をした。
営業部課長 久我島誠
名刺に記載された名前が再度橙子を驚愕させる。同時に確信を得る。徹と同じ血筋の人物ではあるが、徹ではないのだ。徹がしなやかな力強さを湛える虎なら、誠は洗練された猛禽類のような印象だ。
それにしても、と橙子は一息ついた。やり手の営業マンと噂の人物が似非徹だなんて。
商談が始まると、橙子の過度な緊張状態は緩和された。誠の声が、見た目以上に徹のそれとそっくりなのだ。どうしても徹と重なり、まるで徹と会話している錯覚に陥り……かえって橙子を落ち着かせた。
主なやり取りは石橋に任せ、山藤内部の調整が必要と思しき点は橙子が言及する。保険や保証については矢田に任せれば詳しい説明が適う。
誠の情報処理能力は圧巻だ。面白いほど話し合いを前に進めていく。前評判通り、いや、それ以上だ。誠の疑問、難問は多岐に渡る。一見、無関係なような話でも新規商談に絡ませてくる。軌道修正も完璧で、商談は既存取引の問題改善にまで及ぶ。
橙子が本社の類似案件をモデルケースとして具体案を提示する。部署間の取次もさることながら、専門性のある書類仕事も把握している橙子は、誠の要望に対して明瞭な受け答えができる。無理難題は断固拒絶し、代替え案を申し出る。資料が出せる内容については矢田に振れば、大至急取り寄せ端末で可視化された。
気付けば、橙子と誠の独壇場となっていた。
石橋の心中は複雑だった。
何度も足を運んで話し合ってきた内容がものの数分で片が付き、次の話題へと移行する。呆気に取られる。それに、持たされた手札も、権限の範囲も、橙子とは雲泥の差がある。誠と同じ速さで状況を把握する橙子に羨望し、躊躇いなく判断を下す橙子に嫉妬が織り交ざる。
「最終見積もりは来週中にお願いできるかな」
「畏まりました。数字の微調整をしまして、、、そうですね、週明けにはお手元に届くようご用意いたします」
「ありがとう。よろしくお願いします」
誠が最後に優しい目で橙子を見た。徹の声で聞かされる「ありがとう」に橙子の胸が音を立てた。
「こちらこそ──」
締めの決まり文句はちゃんと言えたか覚えがないほど、もはや橙子の心には徹しか居なかった。
総合ターミナルに荷が集約されることにより、物流経路にも変更が出る。取引先への説明を主な任務として、橙子と矢田は出張続きだ。西日本担当として主要都市を回っている。
中でも九州および沖縄地方は、アジアを中心対象にした貿易会社が多い。各所へ直接入港する荷も多いが、ターミナル経由の航空便もある。説明会も繁盛した。
「那覇と福岡制覇~!」
陽気な矢田に釣られて橙子も笑みがこぼれた。西日本主要都市行脚も一通り終わりだ。互いを労いながら、説明会会場のカンファレンスセンターを出た。
福岡支社に寄って備品を返却すれば、夜の飛行機便で帰京するのみだ。
支社に到着してすぐ、矢田が東京本社に一報入れる。一日の業務報告を兼ねた進捗報告だ。
「川原~、細谷課長。代われってよ」
矢田が差し出す受話器を、橙子は疑問を持たず受け取った。
「古賀総合物産の商談に同行してやって欲しい。やり手営業マンに頭を抱えているそうだ。帰りは明日で構わない」
古賀といえば、福岡を本拠地とする一流商社だ。大きな取引が多く、要望も細かい。
商談の最中で本社判断を仰がなければならないことが多々あるという。「一旦持ち帰り」を繰り返すと、当然レスポンスの悪さが不利を招く。
「川原さんの判断に任せる。後々社内で調整できることはGOを出して構わない。要確認については、矢田を使ってその場で連絡対応してくれるかな」
上司からの指示に、橙子は「はぁ」と曖昧に了承した。細谷の説明では概要を掴んだに過ぎず、自分に求められる仕事が把握しきれていないからだ。
ともかく矢田に説明し、さっそく福岡営業部メイン担当者の石橋と打ち合わせをすることと相成った。
「ほんとのほんっとに助かります!」
床に頭を擦りつけんばかりに喜ぶ石橋に、事の重大さを知る。石橋には申し訳ないが、橙子と矢田は営業部の経験はない。「取りに行け」という本社の指示があるのだから、多少のやんちゃは許されるはずだ。気後れしても仕方ないと、心して資料に目を通す。
石橋がいうほどの大きな問題は見当たらない。
「安心してください。川原先生が大物とっつかまえてやりますよ」
「こら矢田っ。適当なこと言うな!」
本社のエースと名高い橙子と矢田の冗談に、石橋が緊張を解く。もれなく他の従業員からも失笑が漏れた。
***
応接室に通された橙子たちは、古賀総合物産の担当者を待つ。
「営業課長がやばいんすよ。かなりできる男で、その場の思い付きでぽんぽん質問するわ、付随業務の確認するわで。荷量も金額もいちいちでかいから即答できなくて」
石橋のただならぬ緊張感は経験上によるものだ。
「全部OKしちゃえって本社指示ですよ。後々社内でごたつけばいいだけみたいなんで」
淡々と話す橙子に、石橋が顔を引きつらせる。そんな簡単にと絶句する気持ちが矢田にはわかる。
川原大先生、本領発揮。
サポート役の矢田はわくわくが止まらない。気楽にいきましょうと石橋の肩を叩いたところで、ガチャリとドアが開かれた。
山藤の三人は反射的に立ち上がった。頭を下げると、正面に並んだ敵……ではなく、商談相手が手短に挨拶を始める。
「ぇっ。うそ。と、おるさん?」
橙子の唇がわなわなと震え、全細胞が機能を停止した。目の前に居るはずのない愛しい人が立っているのだ。
そんなはずはないと、静かに深呼吸を繰り返す。
徹に生き写しの男から目が離せずまじまじと見つめてしまう。凝視することで、本物より少し背が低く、右目の下に泣きぼくろがあることに気がついた。全体の雰囲気は酷似しているが別人だ。落ち着いてみれば、見慣れた険しい表情ではなく、どこか余裕のある顔つきをしている。
しかし橙子に向けられた目が徹のそれを思わせ、橙子を捉えて離さない。
「ぉぃ」
矢田が小声で橙子を小突いた。我に返った橙子は集中しろと自分を戒め、名刺交換をした。
営業部課長 久我島誠
名刺に記載された名前が再度橙子を驚愕させる。同時に確信を得る。徹と同じ血筋の人物ではあるが、徹ではないのだ。徹がしなやかな力強さを湛える虎なら、誠は洗練された猛禽類のような印象だ。
それにしても、と橙子は一息ついた。やり手の営業マンと噂の人物が似非徹だなんて。
商談が始まると、橙子の過度な緊張状態は緩和された。誠の声が、見た目以上に徹のそれとそっくりなのだ。どうしても徹と重なり、まるで徹と会話している錯覚に陥り……かえって橙子を落ち着かせた。
主なやり取りは石橋に任せ、山藤内部の調整が必要と思しき点は橙子が言及する。保険や保証については矢田に任せれば詳しい説明が適う。
誠の情報処理能力は圧巻だ。面白いほど話し合いを前に進めていく。前評判通り、いや、それ以上だ。誠の疑問、難問は多岐に渡る。一見、無関係なような話でも新規商談に絡ませてくる。軌道修正も完璧で、商談は既存取引の問題改善にまで及ぶ。
橙子が本社の類似案件をモデルケースとして具体案を提示する。部署間の取次もさることながら、専門性のある書類仕事も把握している橙子は、誠の要望に対して明瞭な受け答えができる。無理難題は断固拒絶し、代替え案を申し出る。資料が出せる内容については矢田に振れば、大至急取り寄せ端末で可視化された。
気付けば、橙子と誠の独壇場となっていた。
石橋の心中は複雑だった。
何度も足を運んで話し合ってきた内容がものの数分で片が付き、次の話題へと移行する。呆気に取られる。それに、持たされた手札も、権限の範囲も、橙子とは雲泥の差がある。誠と同じ速さで状況を把握する橙子に羨望し、躊躇いなく判断を下す橙子に嫉妬が織り交ざる。
「最終見積もりは来週中にお願いできるかな」
「畏まりました。数字の微調整をしまして、、、そうですね、週明けにはお手元に届くようご用意いたします」
「ありがとう。よろしくお願いします」
誠が最後に優しい目で橙子を見た。徹の声で聞かされる「ありがとう」に橙子の胸が音を立てた。
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