世にも甘い自白調書

端本 やこ

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東京編

幻視(中)

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 徹が最後に帰省したのは、確か刑事部に配属になる直前だった。いや、妹の結婚式だったか。いずれしても、長い間実家には電話の一本していない。多少の罪悪感はあるが、便りがないのは元気の証で連絡してこないのは向こうも同じだった。
 しかし、今、スマホを手にした徹は、実兄からの着信に胸をざわつかされている。
 嫌な予感を胸に、休憩スペースへ移動した。

「どうした?」
「よぉ。久しぶりだな」

 機械越しの声に緊迫した雰囲気はなく、むしろのんびりした口調に安堵する。

「さっきな、商談相手にすげぇイイ女が来てさぁ」

 何年かぶりの電話までして話すべきことだとは到底思えない。

「勤務中だ。切るぞ」

 ガチャ切りしなかっただけ、徹の思いやりだ。

「まあちょっと聞けって」

 徹の返事を待たず、誠の演説が始まった。
 曰く、イイ女とやらは東京から出張できた営業だったらしい。といっても営業部所属ではなく、誠も初めて会ったとのこと。東京本社勤務の女性はスピード感を持って仕事をこなすキレ者だった。すらりとした美人で、人受けのよいムードで場を和ませる。ぜひ部下に欲しい人材だと大絶賛だ。

「ありゃ相当だな」
「相当なんだって言うんだ」

 見た目は似ていると言われる兄だが、性格は違う。兄は学生時代から頭の回転が早く口も滑らかだった。マメで社交的な性格から異性にもてていた。本人もその性質を存分に活用して遊んでいただけに、女を見る目は確かだ。

「相当できる女だってこと。結構なキャリアだろうけど若く見えた。んでもって、見栄も気どりもないときた。そのくせ色気醸して、仕事から離れりゃ隙もありそうな雰囲気あったんだよなぁ」

 何の時間なんだこれは。
 話しの真意が見えず、徹は俄かに苛立ちを覚える。
 兄が離婚して随分経つ。離婚の原因が仕事か浮気かは聞いていない。海外赴任から戻った矢先だったことから想像するに、元嫁は海外生活に疲れ果てた可能性もある。子どもはいないので、離婚で揉めることはなかったようだ。別れて、マンションを譲渡して実家に戻ったと、事後報告を受けた。

「いい歳してまだ遊んでんのか。次の女に手ぇ出すって報告なら無用だ」
「うるせぇ。まだギリ四十しじゅう前だぞ。それに、俺が手を出していいんか?」

 確かに、まだまだ現役でいい年齢ではある。再婚も見込めるに違いない。久々に本気になる女と出会って、離婚歴が障害になるとしたら先のことだろう。
 とはいえ、徹には兄の恋愛事情など知ったことではない。

「好きにしろ」
「へぇ~。好きにしていんだ」

 半笑いされるが、未だ要領が掴めず面倒なことこの上ない。徹にくだらない話に付き合っている暇はないのだ。早く終わらせるに限る。

「切るぞ」
「俺の顔見て、徹さんって呟いたのだけどな」
「は?」
「すげぇ驚いた顔しちゃってさ。ガン見されて兄ちゃん照れちゃった。にしてもあの顔、すげー可愛かったな」

 半笑いを引っ込めて、本格的に笑い始めた。続いて「名刺交換したら落ち着いちゃったから微妙だと思ってよ」と探りを入れられる。隠さないということは、確信しているはずだ。

「止めろ」
「何を?」

 分かっていながら意地悪くはぐらかされる。こういうところは昔から変わらない。子どもの頃は散々弄ばれた。
 徹は渋々「手を出すな」と吐き捨てた。

「何で?」
「俺のだ」
「馬鹿言え。あんな稀に見る上玉がお前のなわけあるか。日照り続きの仕事人間に女なんていないだろ」
「どう思っていようが関係ない。あいつらにだけは絶対言うな」
「親も妹も揃って心配してんだぞ。本当なら安心させてやれよ」
「自分を棚に上げるな。とにかく、あいつらにも橙子にも余計なことは言うな」

 徹が「橙子」という名を出して誠は息を飲んだ。橙子から受け取った名刺を弄ぶ手を止め、改めて印字された名前を確認する。

「俺がどこの誰のこと言ってるかわかるんだな?」
「商談相手が山藤物流ならな」

 不機嫌極まる弟が不愛想に答えた。正直、返す言葉がない。
 おおかた仕事で助けた程度の絡みがあるだけだと踏んでいた。電話をかけたのは、久々に徹という単語を耳にした気まぐれからだ。揶揄いがてら安否確認ができればと軽い気持ちだったのに、とんだ重大家族ニュースを手に入れた。

「お食事にお誘いし~ちゃおっと」
「駄目だ。あいつにかまうな」

 勘弁してくれと嘆く徹からある種の悲壮感が漂いはじめ、幼少期を思わせた。正義感が強く真っ直ぐな弟は絶好の玩具だった。早くに家を出てしまい、それから忙しさで何年も顔を合わせていない。それどころかこうして声を聞くのも久しぶりだ。まだ遊びの対象でいてくれるのかと嬉しさが込み上げる。
 あああムズムズする! 
 どうしたって家族に黙っていられそうにない。言動に出さないだけで、家族も自分と同じように気に掛けているはずだ。特に、徹に遠慮も自制もない性悪な妹には恰好のネタだ。

「兄ちゃんとして挨拶しておかにゃならんだろ」

 思春期の徹に彼女がいたことは知っている。記憶では長続きした子はいなかったはずだ。淡泊なのか別れた直後でも落ち込んだ様子は見せなかった。就職後は仕事の特殊性や過酷さからか、女の気配がきれいさっぱりなくなった。性欲処理ぐらいはしているだろうが、自分の生活やまして将来に他人を織り交ぜる気はないのがひしひしと感じられた。親も、孫の顔は諦めている。
 その徹がはっきりと自分のものだと宣言した。
 奇跡だ。

「仕事中に悪かったな」
「あ、おい!」

 焦る徹は無視して、ごきげんな誠は「またな」と一方的に電話を切った。
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