世にも甘い自白調書

端本 やこ

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東京編

勧誘(上)

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 橙子を誘って、小高こだかはとあるバーに入る。駅近ではあるが、会社から離れている場所だ。
 小高は緊張していた。どうも橙子と言う後輩が読み切れない・・・・・・からだ。
 小高に肩を並べる後輩は、細やかな気配りができる女性らしさがあり、判断力も高い。ついでに決断力まで兼ね備えている。社内で先鋭部隊と比喩される特別チーム内でも、彼女の能力は群を抜いている。
 そんな橙子は訝しむでも警戒するでもなくついてきた。
 出来る女が見せる隙なのか、ただの天然……性格的なものなのか、はかりかねるのだ。

「川原さ、何で黙ってついてきてんの?」
「はぁ? 小高さんが誘ってくれたんじゃん」
「いや、まぁ。それはそうだけど」

 小高にとって、これほどやりにくい相手もいない。橙子が小高が携わる「何を」「どこまで」知っているのか、はたまた何も知らないのか、全く読めない。

「彼氏はいいんか?」
「口説くつもりなんてないクセによく言う」
「そのつもりがなくてバーなんて連れてくるかよ」
「ああ、口説き違いってやつか」

 橙子の回答を聞いて、小高の緊張感がいくらか消えた。わかってついて来たクチ・・だったらしい。だったら話は早い。小高が先にカクテルを注文すると、橙子はメニューを見聞きすることなく「セックス・オン・ザ・ビーチを」と続いた。

「それを堂々と頼む女、初めて見たわ」
「飲みやすくて女子向きでしょ。小高さんこそ、ロングアイランド・アイスティーだなんて。酔っぱらったら置いてきますからね」
「ここ、食事も出来るから心配無用ですー。で、なに食う?」

 アルコールは空きっ腹に入れなければいい。小高は食事メニューを机に滑らすようにして提示した。橙子は迷わず、燻製盛合せとマルゲリータピザを指差す。仕事でなくとも即決だ。ぐずぐず迷われるよりラクでいい。

「昇進おめでとさん」

 乾杯を強要すると、橙子は露骨に嫌な顔でグラスを合わせた。
 榊原絡みの一件で課長職に昇級した経緯は素直に喜べないのだろう。事実、橙子が今回の出世を望んでいたとは思えないし、会社に抱き込みの意図があるのは傍目に明らかだった。

「課長って大変なの?」
「知っててそういうこと言うもんねー」
「おまえの境遇はずっと気の毒ではあったけど、極めつけって感じするわ」
「それで誘ってくれたんでしょ。あ、それとも今からか」
「……誰にどこまで聞いた?」
「淳二にだいたいのことは。でも、いくら唐変木の私でもさすがに気付きますよ」

 淳二が去った今、小高が他者の回し者であると知っている人間は山藤にはいないはずだ。どこかでヘマをしたかと気が気でない。小高がひやりとしたのに気付いたのか、橙子は穏やかな笑みを見せる。

「角席の超男前」

 ああ。
 小高も橙子に合わせるように苦笑いを作り出したが、心中では彼女の洞察力に舌を巻いた。
 照明が暗い一番奥の席に、小高の「もうひとりの雇い主」である蜂須賀財閥の顧問代理が佇んでいる。こちらの会話が聞こえているだろう藤井信孝ふじいのぶたかは何食わぬ顔でグラスを煽る。
 あっちもこっちも食わせ者だ。

「初めまして。で、いいのかな」

 藤井が動いた。ごく自然に小高の隣に席を移る。

「初めまして。山藤物流の川原です」

 橙子はくすくす笑いを忍ばせて応答した。自分を挟んでなされる会話に、小高は居心地悪さを感じて乱暴にカクテルを吸い上げる。

「藤井さん、川原と接触してたんっすか」
「間接的にね。覚えて貰えていたとは光栄です」
「稀に見る素敵な男性を簡単に忘れはしませんよ。その節はお世話になりました」
「川原、それどういうこと?」

 藤井曰く、WF商事の入札会議に同席しただけとのことだが、だとしたら橙子が、山藤が、世話になったことにはならない。小高に知らされていない動きがあったと示唆しており、派閥スパイとしても産業スパイとしても、己の下っ端具合が苦々しい。

「淳二を山藤から救うきっかけになりましたから」

 結果論かもですけどねと、橙子がさらりと言ってのけた。小高は目を張って橙子を見つめてしまう。

「山藤さんがヘッドハンティングを後押ししてきて不思議に思っていたんだ。川原さんの働きでしたか」
「仕事じゃなくて、ただの望みでした」

 橙子が少し遠い目をした気がした。小高は淳二からふたりの関係を聞いていた。本来ならば今頃幸せになっていたふたりだ。橙子が馳せる思いは簡単に想像できるものではないだろう。

「岡崎さんならお元気ですよ。山藤さん時代と変わらぬ評価の報告を受けています。じゅうぶんに能力を発揮していらっしゃいます」

 藤井の言葉に、橙子はグラスを回して「そうですか」と喜色がかったトーンを発し、ゆっくり口を付けた。会社では見せない落ち着いた仕草だった。
 小高は右隣の蠱惑的な大人な女性にトクンと胸が高鳴った。サシ飲みで口説いてから連れてくるべきだったのかもしれない。

「川原さん。うちに来ませんか」
「ふふっ。ストレートですね」
「性分です」
「わかりやすいのは有難いです。私ってかなりの天然らしいので。あ、もちろんそんなつもりないんですけどね」

 橙子がチラリと小高に視線を送ってきたが、小高は唇を引き結んで手元のグラスを見つめるしかない。
 で? と、色男が目で橙子に問いた。
 藤井の視線に絡めとられた女は100%落ちる。これで決まりだなと思う反面、小高はどこかで橙子に期待してしまう。色男の誘いに反発して欲しさは、同僚として、山藤の先輩として、はたまたただの男としての願いだった。
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