世にも甘い自白調書

端本 やこ

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東京編

橙子の休日(上)

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 橙子にとって土曜の休日はひさしぶりだ。
 働くこと自体は好きだ。その副作用か、休日を「休み」として過ごすという、当たり前のことを忘れていた。モチベーションを持続するため、プライベートを充実させるのもひとつである。
 手始めに美容院へ来た。
 暑い季節、ばっさり切るのもありだ。プロに相談すればいいと軽い気持ちで訪れた。

「……で、大き目カールでエアリー感出してセクシー路線みたいな? 前髪はかきあげて大人っぽっく、あえて分け目はなしにしましたぁ」

 美容師の意味がわかるようでよくわからない説明には、乾いた笑みで頷いた。
 同僚の紹介で初めて訪れた店だ。事前情報から技術を信頼して曖昧な注文をした。言語化に問題があるのはお互い様のようだった。
 説明はともかく、仕上がりは上々だ。入店時のもっさり感は消滅して、三歳は若返って見える……と思う。
 髪型が変わると気分も一変する。橙子は久々に浮足立って店を後にした。

 夕方には徹が新調したスーツの受取りという重大ミッションがある。指定時刻まで、大型商業施設で時間を潰すことにした。
 仕事のストレスを解消するにはショッピングが手っ取り早い。
 張り切って徹の私服を買い漁る。
 先だってスーツの注文に同行したのは正解だった。服に靴のサイズも確認できた。
 徹は元々シンプルなスタイルを好むようなので、きれいめな定番で見繕う。
 自分の買い物よりやる気がでる。とにかく楽しくてたまらない。

 紳士用のベルトを選び、同じ陳列台に並べられたアクセサリーに目が留まった。橙子の目を引いたのは革製のブレスレットだった。
 徹がアクセサリーの類を所有するはずがない。かろうじて腕時計はする。あくまで実用品としてだ。
 徹の少し筋張った腕を思い出す。その手首にブレスレットを巻き付けてみる。男性的な力強さを強調して、、、徹が鬱陶しがるところまで安易に想像できた。
──似合ってた。俺が買いたかったのだから文句いうな。
 徹が橙子の靴を買った時の言い分だった。
 私が買いたいんだからいいよね、と橙子は頬の内側を噛んで、ベルトと同系色のブレスレットを手に取った。
 
 帰ってくるかなぁ。

 徹への買い物をするということは、これずなわち徹のことを考え続けるということだ。本人に会いたい気持ちが募る。
 
〈今晩、お邪魔します〉

 もはやテンプレートと化した一文を送信した。

***

 玄関ドアに鍵が差し込まれる音に反応して、橙子は出迎えに動き出す。
 今日一日、待ちに待った瞬間だ。

「おかえりなさい!」

 嬉しさで勢い余って飛びついた。タックルを受けた徹は半歩後ずさって堪えた。溜息混じりでも抱き留めてくれるのは橙子が予想した通りの反応だった。

「何か、匂う」

 徹が「ただいま」をすっ飛ばすこともわかっていた。眉間に皺を寄せているのは不審がっているのではなく標準設定である。
 通常運転な徹の発言を無視した橙子は、顎に人差し指を当てて、

「ご飯? お風呂? それともあたし?」

 と、思いっきりみせた。

「……」

 徹の無言がうるさい。彼の白い目すら想定の範囲内である。

「ぷはっ。その反応、最高! あーおかしっ。一回やってみたかったんだよね~」

 橙子は冷たく目を細めた徹の前でひとしきり笑った。つい数十秒前に突きつけた選択肢はなかったことにして「先にお風呂どうぞ~」と踵を返す。

「おまっ……どんだけ買い込んできたんだ?」

 小ざっぱりして戻った徹が、乱雑に置かれた大量のショッピングバッグに気がついた。橙子のストレスと引き換えにした戦利品だ。

「車だから余裕」
「まぁたカーシェアか。置いてあるときなら勝手に使って構わんぞ」

 徹が顎で指すのはバルコニー前に駐車された自家用車だ。場合によっては車出勤することもある。現場の状況で同僚に託すので、保険の限定解除はしてあるらしい。橙子とて、運送会社に勤務している以上、運転免許は重要な資格であり、また運転技術を見込まれての申し出であった。

「それなら早速、お借りしよっかな。明日、棚を運ぼうと思ってたの」
「棚?」
「そう。キッチンに置いていい?」

 この辺に、と橙子が大きく両手で四角を描いてみせる。

「買ったんか」

 珍しく徹が驚いた。

「違うよ。寮から持ってきた」

 床に並べてあるのは炊飯器と電子レンジだ。転勤直後に買った、単身者向けの新生活セットの”間に合わせ”だ。とりあえずのつもりだったが、台所用品と家具家電が必要最低限揃っていて寮生活にはじゅうぶんだった。

「これ用の棚があるの」
「ひとりで運べるのか?」
「小さいし簡易型だから平気」

 徹の同意が得られたらそれでよし。橙子にとっては家具家電より、今日買った私服とスーツの試着会の方が重要だ。
 膝をついて紙袋に手をかける橙子を徹が引き留めた。

「腹減った」
「あ! だよね。ちゃっちゃと済ませちゃいましょ」

 帰宅した徹を風呂へ押しやったのは食事の準備を進めるためだったと思い出す。
 今夜のメニューは生姜焼き定食にした。寮から調理器具を持ち出したとはいえ、食材、調味料や食器にも限りがあり、手の込んだ料理は避けた結果だった。

「食わないのか」

 茶碗片手に立ち上がりかけた徹が訝し気に見下ろした。橙子は箸を片手に勢いよく食べる徹をずっと見つめ続けていた。というのも、掻きこむように食べる徹から目が離せなかったからだ。

「お代わり?」
「ああ」

 徹から茶碗を受け取って、橙子は炊飯器の前に膝をついた。それほど大食漢ではないはずの徹の勢いが気になって、ちらりと視線をリビングに戻すと、橙子の皿から生姜焼きを盗み食べるところだった。

「あ! それ私のっ」
「食うのかよ」
「お肉もおかわりあるよ?」
「早く言えよ」

 ご飯を盛った茶碗と空のお皿を交換した。余れば、保存するか、寮に持ち帰ってお弁当にしてもいいと、多めに作って正解だった。
 読みが外れたとて、きれいに食べてもらえるのは気持ちがいい。

「ごちそうさん」
「ごちそうさまでした」

 お代わりをした徹とほぼ同じタイミングで食べ終わった。手を合わせた橙子の耳に「うまかった」と届いて目をしばたいた。
 違和感……とまでは言わないが、今日の徹はどこか違う。うまく言葉にできないけれど、何かが違うと橙子の勘が訴える。
 証拠に、食後の片付けを積極的にしようとしていた。

「全部持ってこないとだめかぁ」

 洗い物をすすめる橙子はぼやいた。
 台所収納はごっそり空いているため、片づけには困らない。が、水切りラックは盲点だった。

「早いとこ荷物まとめて持ってくるんだな」
「は? 偉そうにする意味がわかんないんだけど」

 シンク前に立つ橙子の後ろに徹が張り付いている。徹にあるまじき行動は、やっぱりどう考えても不自然だった。

「あっちで座ってて。あ、ビールでも飲む?」
「手伝う」
「いや。いらない。邪魔だから」

 思わず本音が漏れる橙子だが、後頭部にかかる徹の息を意識せずにはいられない。なるべく気にしないようにと自分を宥めて作業をする。徹の機嫌がいいのならそれに越したことはないのだ。

「散髪か。匂うと思った」

 散髪て。
 手元が狂って危うく茶碗を落としかける。
 徹が発した帰宅直後の一言は、生姜焼きの香ばしさを嗅ぎ取ったものだとばかり思っていた。

「徹さんが気づくなんてねー」
「刑事の洞察なめんな」

 ほぼゼロ距離でようやく確信を得たくせに、という返しは飲み込んだ。

「なんかあった?」
「わかるように話せ」

 スンスンと擦り寄ってくる徹に感じる違和感は次第にどうでもよくなってくる。

「わかんないから聞いてんだけど」
「わからんことを聞かれてもわかるわけがないだろう」

 ごもっともと納得しかけるも、そんなわけあるかと疑問で打ち消す。しかし橙子には自分の勘を、根拠のない感覚を、徹に正しく伝えられる気がしなかった。
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