世にも甘い自白調書

端本 やこ

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福岡編

片想い(上)

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 帰庁した徹の行く手を、制服を着た女性が立ち塞いだ。
 邪魔、の一言を繰り出す代わりに、徹は冷ややかに見下げる。徹は執務室に戻りたいだけだ。やることは山とある。

「なんだ」

 焦れた。
 徹から発してみても、制服の警官はもじもじするだけだった。意味が分からない。

「用がないならどいてくれ」

 決して広くない通路である。立往生では他の迷惑でしかない。

「あのっ。お時間があったら、その」
「あ?」
「お食事でも」
「ない」

 即答した。時間も、見知らぬやつと食事をする趣味もない。色々含めの「ない」だった。

「まぁまぁ。直接先輩に声をかけるなんて勇気出してくれたんだから、一回ぐらい付き合ってあげれば? ね」

 徹の横から、俊樹が要らぬフォローを入れた。半歩後ろで見守る日野と同じ顔をしている。

「尾野が行くとさ」

 じゃ、と突き放してさっさと執務室に向かった。
 課内の飲み会ならまだしも、他部署の若い連中に混ざるなんざ苦行だ。

「尖るねぇ。橙子ちゃんいないだけで、あっという間に昔に逆戻りだな」

 なんだかなぁといった風に眉を動かして、日野が椅子を引いて事務仕事に取り掛かる。俊樹が続かないのは、適当にあしらっているからだろう。

「おっ。なんだ久我島。川原さんにふられたんか!」
「そりゃそうだ。そもそも付き合えたのがおかしかったんだから」
「保ったほうだろ。気にするな」

 同僚が集まってきた。同情をかけるようで、一様に嬉しそうなのが、徹は気に食わない。相手にするのも鬱陶しい。こんな時は無視を決め込むに限る。

***

──で、なにがどうしてこうなった?

 本庁近くの居酒屋には珍しく広い座敷で、徹は煮え湯を飲まされている。
 同僚に誘われ、俊樹と遅れて着いたら他部署の女性が多いこの状況。回れ右をしかけたが、俊樹に固められ、飲み放題と空腹がひとまず腰を落ち着かせた。
 飲み放題のドリンクはどれも薄い。湯水のごときでうまさの欠片もない。メニューの上から順に注文をして当りを探る。
 浮かれる刑事部の同僚たちを冷ややかに眺め、ダシにされたとようやく気がついた。

「今フリーって本当ですか?」

 出し抜けの質問に、徹は思わず隣に座る女を見た。
 女はびくついて、取り繕うように姿勢を正す。
 誰だか知らないが、廊下で声をかけてきた女だった気がする。制服姿は誰しも同じに見え、私服になるともはや同業者かどうかもわからない。ただひとつ、はっきりしない態度から連想した。徹に声をかけてくる女性が零に近いことも幸いした。

「俺に聞いてんのか?」

 念のための確認に、あか抜けない女はこくんと頷いた。捜査一課員に聞いたと続けられて、徹は溜息もでてこなかった。

「私にチャンスありますか」
「何を言っている。酔ったのか」
「酔ってません! 久我島さんのこと、ずっと前から素敵だなって思ってて、それで」

 なんだそれというのが本音だ。職場の女に好意的に見られていた事実には軽い衝撃がある。怖がる以外の反応をする人間がいるのかと、女に観察の目を向けた。

「失恋直後につけ込むつもりはないのですが、元カノさんを忘れるために利用されてもいいんです。歳の差も気にしませんし、私も警察官のはしくれとしてお役目について理解しているつもりです。だから、だめですか?」

 傍に置いてくれと公開告白をする勇ましさは評価する。
 しかし、徹が気になるのは別のことだった。
 橙子にふられ、完全に別れたことになっている。課員の揶揄いに否定しなかった自分も悪いが、他部署にまで知れ渡るスピード感にくたびれる。

「刑事部なら引く手あまただ。他を当たれ」

 薄い青汁ハイの粉っぽさが舌に残る。チェイサーで舌を洗うと、隣の女が鼻を啜っていることに気がついた。
 飲みの席で馬鹿か、この女。
 別の女がおしぼりをぐずる女に渡して背中を擦る。
 めんどくさいことこの上なしだ。

「女子が頑張って告白したんですよ? もう少し言い方ってもんが──」

 徹が慰め係を睨みつけると、一瞬でひるんだ。徹にとっては全てが茶番だ。「いいの。私が悪いの」と鼻声で自らフォロー入れるやり取りに、徹の背中に虫酸が走る。
 薄い酒がよけい不味く感じる。運ばれてきたばかりの一杯を飲み切ったら帰ると決めた。

「好きなタイプを教えてください。私、頑張るので!」

 名前も知らぬ女のガッツには面食らう。
 警察官は諦めが悪いほどいい。仕事の面ならばという但し書きありきの話だ。

「頑張るってなんだ」

 疑問というより文句に近い。
 いよいよ本気で帰りたくなる。徹は堂々と大広間を見渡した。広いはずの座敷もこう眺めてみると狭苦しい。がたいのいい集団の中から幹事を探そうと試みるが、それらしい人物は見当たらなかった。

「見た目だとか、性格でも何でも言ってください!」

 こうなったら俊樹に支払いを押し付けるのが最善だ。清算は後でする。俊樹の姿を求めなければならない自分が無性に腹立たしい上に、見つけた俊樹はやたら遠くで大笑いときた。

「無駄だ」
「お、教えてください。お願いします」

 泣き止んだ女がずぃっと距離を詰めてきて、徹は思わず俊樹から視線を移してしまった。
 ブス。
 近寄せられた丸顔に、徹は笑ってしまった。
 造形の話ではない。泣いた後に紅潮させた顔はお世辞にも綺麗とはいえず、鼻息荒く興奮すらみえる。
 残念ながら、根性だけでは徹の気は動かない。

「お前なぁ、、、そのままをを見てくれる男を探せ」

 どう思われても痛くも痒くもないと、徹は失礼千万に振る舞う。
 失笑した徹を、女と、その奥の慰め係も目を見開いた。みるみる赤面したふたりの顔が埴輪に見えて、笑いを含んだままグラスの残りを一気に煽る。
 そして、流れるように腰を浮かせた徹の腕に──ずしりと重みがかかった。

「待って」

 見事な反射神経をしていると、それだけは賞賛にあたいする。徹が座を辞すると瞬間的に察せらたに違いない。ただ、その後にどうすべきかは考えていなかったらしい。

「放せ」
「答えてもらってません」

 女は徹の目を見ない。声の低さをも重しにしようとしているようだった。
 今、強引に引き剥がしたところで勤務地は同じである。今後どういうルートを辿って徹に行きつくかわかったものではない。

「好みねぇ」

 とりあえず掴まれた腕は振り払った。
 徹は生まれてこのかた、自分の好みを意識したことがない。気に入るか気に入らないかの違いだけだ。その境に定義があったとして、説明立てられるものではない。
 言えるとしたら、橙子は徹の定義を凌駕する存在だということだけだ。
 橙子の顔、体、声、仕草と、全てがありありと目に浮かぶ。
 徹はにやつきそうになるのをなんとか堪える。好みのタイプというより、ただ橙子を好きなだけだ。正直に答えたら、間違いなくただの惚気だ。どう考えても気持ちが悪い。
 三十も後半の男の実情を晒すわけにはいかないが、期待を持たせたくもない。

「彼女」
「えっ。別れたのじゃ……」
「見た目も中身もドストライク。あんなイイ女、みすみす逃すかよ」

 結局、徹は素直に告白した。うまくその場を切り抜ける技量がないのだから、他にしようがない。
 これ以上絡まれるぐらいならと、気持ち悪がられることを選んだ。
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