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薔薇から睡蓮へ

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 「ごめんなさい。私……嘘をつきました。本当は監督が父だとは知らかったのです」


「えっ!?」

彼は驚いたように、私を見つめた。


「彼を救いたかったらカマをかけた?」


「そうなのか?」

彼の言葉に頷いた。


「ヴィアドロローサ。キリストが処刑場に向かわされたエルサレムの哀しみの道だったわよね」


「あぁ……」


「あの時、皆それぞれの哀しみの道があるって知ったの。だから貴方の背負わされた十字架を一緒に背負いたいと願ったの。それが一番良い方法だと思ったの」


「もう俺独りで苦しまなくても良いのか?」


「だって貴方優順不断だもの。海翔さんに私と監督のこと打ち明けそうだった。海翔さんが『君が背負う物が余りにも重すぎるから』って言ったら『背負う物って?』って聞いていたわよね。そしたら『それを俺から言わせる気かい?』って言われてたし」


「やっぱり、あの時彼処に居たんだね?」


「そうよ。あの時……どんなことがあっても一緒に居ようって決めたの。その背負う物を一緒に背負って行こうって思ったの。だから今日、私はそのために此処に来たの」


「俺は監督の彼女と付き合っていた。本当は本気で愛していたんだ。それでも許してくれるのか?」


「監督が言っていたはずよ。私と遣った時物凄かったって。初めてだったのでしょう?」


「あぁ、初めて生で遣った。だから堪能してしまったんだ」


「事務所の社長が言っていたわ。『貴女、そのカメラマンを愛しているのね。でも良かったね。貴女の中で果てたのがその人だけで……。貴女はまだ誰にも汚されていない。私はそう思うよ』って。私も貴方以外にはまだ誰にも犯されていないって思うことにしたの。カメラマンの……あの時私の中でイッタ貴方が最初で最後の人だって……」


「最初で最後の人か……」


「今日のことはきっと海翔さんが見届けてくれる。海翔さんに負担掛けて申し訳ないけど……」

私がそっと海翔さんを見たら、頷いてくれた。


「でも……俺だって人の子だ。誰かに受け明けるかも知れないぞ」


「えっ!?」

彼は驚いて海翔さんを見つめた。


「良いのよそれで……。それが私が歩まされた道だから」


「そんな……それでは貴女があまりにも……」

海翔さんはこんな私のために涙を流してくれた。
私はもう、それだけで充分だった。




 「申し訳ありません海翔さん。貴方をこんなトラブルに巻き込んでしまって……」


「本当にだな。あのハロウィンの悪魔の撮影さえなければ、海翔君夫婦に迷惑を掛けることもなかったんだな」


「いや、あの撮影自体がなかったなら、俺達夫婦は出逢っていなかったんだ。これはきっと橘遥さんと、あの監督のお陰です」


「そうだな。俺がクビになっていなかったなら、又運命は変わっていたかもな」


「全てはあの時の……あの一瞬が招いたことなのですね」


「俺は……みさとを愛していたたことをあの時思い知らされました」


「弟さんから、あの新宿東口のイベント広場で、貴方が拉致された娘さんのお兄さんだと聞かされていたからビッグリしました。だから結婚されたと聞いた時は耳を疑いました」


「弟は本当に何も知らなかったのです。だけど……妹だと聞かされても尚、俺はみさとを愛したんです。だから尚更愛したんです」


「実は弟さんに言わたのです。『デビュー作品が強烈で、何時も抜かさせてもらっています』って」


「実は俺、あの戦慄を弟から借りて見たんだ」


「あっだから『やはり、戦慄ですか? あれは強烈だったからな』って言ったのか?」

彼の質問に海翔さんは頷いた。


「思わず目を背けたよ。そして思ったんだ。もしかしたらみさとも同じ目に会わされていたのかも知れないと」


「もし……彼女が同じ目に会わされていたら、私は本当に生きて行けなかった」

私は又、生き抜くための言い訳を繰り返していた。




 「こんな時に悪いけど、お腹空いちゃた。何か食べに行こうか……」

海翔さんが申し訳なさそうに言った。


……グ、グーグー。

そのタイミングで彼のお腹が鳴った。


「体は正直だね」

海翔さんの発言に彼は恥ずかしそうに俯いた。


「お父さん。行って来ます」
私は拘置所を見ながら言った。


「ねえ、何処へ行く?」


「そうだな? うーん、豚だけは止めておこう」
二人は同時に言った後で顔を見合せて笑っていた。

私は又、海翔さんの発言によって救われた。


あのハロウィンの悪魔以降、マイナス思考になってしまった私。

私に本当の笑顔が戻る時は来るのだろうか?




 食事が済んでから弁護士事務所へ寄った。

今日のお礼と報告をするためだった。


その足で以前所属していた事務所へ向かった。
私がバースデイプレゼンショーと題したAV撮影会の様子をぶちまけた事務所だ。


私はその前にモデル事務所を新設した親友に社長に会うように助言されていた。

その再会があったからこそ今此処に居られるのだ。


私は奇跡と軌跡に感謝しながら、懐かしいドアをノックしていた。




 「さっき面会して来たのですが、監督は借金が完済されていたことを知りませんでした」

一通り挨拶を済ませた後で重要なことだけ伝えた。


私があの日、監督と交わった事実を社長は知っている。
それが背徳行為だったと気付かず、私自ら暴露してしまったから……


「何時の話?」


「私がCMのオーディションを受けた時です。監督はあの席でプロダクションの社長から私のAV出演を打診されたようで、借用書を渡されたのはその後だったようです」


「あ、あの時はまだかなり残っていたわね。でもCMの契約金で完済寸前になるはずだったのだけど……その金額より多く支払われた記憶があるわ」


「えっ!? それってもしかしたら、監督と一緒にいたって言う……」


「え、そうよ」


「えっ!? それじゃもしかしたら、私はそのプロダクションに買われたの?」


「いくら何でもそれは無いと思うわ。だって僅かな金額よ」

社長はそう言いながらも、そのCMの契約書の入った封筒を出してきた。


「ん、こんな書類あったかな? あれっ、これって!? 嘘でしょう? これによると、貴女はこの事務所の専属のモデルってこと?」


「えっ!?」

私は慌てて、その書類を見直した。
社長が示した書類は勝手に借金を完済させた書類だった。
でもそれは私の移籍完了の告知書でもあったのだ。




 「あっ、そうか。そうだった。抗議しようとしていたら、貴女があんなことに……だから、私は貴女が自らあのプロダクションへ行ったと思い込んだのよ」


「結局、そのお金で彼女は買われたって訳ですか?」


「でも、本当に微々たる金額よ。幾ら何でもあんな少しで……」

社長は声を詰まらせた後で泣き崩れた。


「貴方は本物のモデルだったのに……これから幾らでも花を咲かせられる存在だったのに……」

それは私に対する懺悔の言葉だった。




 あのグラビア撮影は、そのプロダクションの仕事初めだったのだ。

現役の女子大生と生で遣らせる。
そう言ってAV俳優達を喜ばせ、前技無しでいきなりバックから捩じ込ませる。


私の苦痛に喘ぐ姿を想像し、絶対に金になると踏んだのだ。

だから別の書類に紛れ込ませ、後で抗議されないようにしたのだ。


だからタイトルが、橘遥処女を売る。だったのだ。


それは私が自らその道に入ったように見せ掛けるためだったのだ。
だから書類を紛れ込ませたのだ。
後から言い逃れが出来るように画策したのだと思った。




 「もし此処に記載されているモデル事務所だったとしたら最悪だ」

彼は頭を抱えた。


「此処だよ、モデルの講義中にヤジ入れたタレントが所属していたのは……」


「でも、確か貴方が私の相手を調べてくれていたのよね?」


「ああ、でもプロダクションの名が違うんだ。だから気付かなかった」


「確か……社長は幾つか事務所構えていて、これは……モデル専門、だったかな?」

社長はまだ泣いていた。
それだけ私のことを大切に思って発言してくれたのだ。
不義理なのは自分だったと改めて感じていた。


「それじゃ最初はモデルをやらせるつもりだったのかな?」


「何で気付かなかったんだろう?」
私が言った途端に苦しそうに呟いた。


「巧妙なのよ。きっと隠れ蓑なのね」


「隠れ蓑? 売れない娘はお色気路線に回すとかですか?」


「それでも売れなきゃ、最後はAV?」


「でも、私は監督の事務所で働かされていたけど?」


「君の場合、時効成立を待っていたのかな?」


「強姦罪の時効は七年だからな。きっとハロウィンの悪魔の時はそのプロダクションに変わっていたのかも知れないな」


「えっ!? だとしたらみさとさんは……」

私の脳裏に泣きじゃくっていたみさとさんの姿が浮かんでいた。


「もしかしたら、みさとさんもアイツ等の餌食になっていたかも知れない。海翔さんありがとう。貴方はやはり命の恩人だわ」


「すまない。俺、何も知らなかった」


「貴方が謝ることではないわ。きっと水面下で、表には出て来ないプロダクションだったのよ!!」

私怒りを露にした。




 「でも俺が知る限り、このモデル事務所の名前は出てこなかった」


「きっと最初はモデルとして雇う気だっのよ」

社長はそう言ってくれたけれど、私にはそれがあの事務所カモフラージュに思えてならなかった。


だって父は、CMのオーディションの時に私のAV撮影の打診を受けていたのだから……


正式な書類に別の事務所の契約書を紛れ込ませた経緯はそんなとこだと思った。


(初めから私や、事務所を騙す気だったに違いない。私があの時、ヴァージンだなんて言ってしまったから……)

私は自分の愚かな行為が、騒動の発端ではないかと思い始めていた。




 「貴方の発言が悪い訳ではないわ」
社長が私をフォローしてくれた。


「そうだよ。ヴァージンだと知っても、普通の人はそれを商売に結び付けたりしない」
彼も言ってくれた。

「きっと良からぬことばかり考えていたんだな」
三者三様の庇いだてを聞きながら、私は胸を熱くしていた。




 『だから、頼みがある。告訴は取り消さないでくれ。俺はあのプロダクションの事態を裁判で明らかにするつもりだ。俺達父娘を地獄に突き落としたアイツ等にも責任の一端はあるんだから』

父はああ言っていた。
だけど……だけど……


「この裁判、負けるかも知れないね」

私は言ってはならないことを言っていた。
実は私はこの時、告訴を取り下げることを決断していたのだった。


「もう……迷惑はかけられない。だから……やはり、告訴を取り消した方が……」
私は遂に発言した。


「何を言い出すんだ。もう今更後戻りは出来ないんだよ」
彼が私の体を揺さぶる。
それだけで良かった。


「だって……」
私の脳裏に再びみさとさんの苦しむ姿が浮かんだ。
モデル事務所でパニック障害を発症させてしまった私の愚かな行為を思い出していたからだった。


(又みさとさんを苦しめることになる)
私はそのことが耐えられなかったのだ。


「もしかしたらこの事務所のこと考えている?」

それでも社長の言葉に頷いた。
又無意識に自分を庇っていたのだ。


「心配しないで」

社長は私のオデコに自分のオデコを付けてから抱き締めてくれた。


「あの時貴女を守れなかった。今度は絶対に守り抜く。貴女は薔薇の花だった。それを泥沼で咲く蓮に変えてしまったのは私だから……」

社長の優しさが私の心を満たしてくれた。


私はその場に踞って号泣した。




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