〇〇なし芳一

鈴田在可

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8 剃髪

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『芳一ぃっ! 助けて芳一! 芳一ぃぃーーー!』

 夢の中で、上半身を裸に剥かれた小坊主が顔の見えない誰かに鞭打たれていた。

 小坊主は苦悶の表情を浮かべながら血の涙を流してこちらに手を伸ばしている。

『小坊主くん!』

 芳一は走った。夢の中の自分は目が見えていて、杖もなく一心不乱に小坊主の元まで走った。

 けれど、どれだけ走っても小坊主の元までは辿り着けなくて、それどころかどんどん遠ざかっていく。

『見捨てるのか! 僕を見捨てるのか芳一ぃぃっ!』

『違う! 違うそうじゃない!』

『許さない! 僕はお前たちを絶対に許さないからな!』

 小坊主が恨みがましい目で芳一に向かって叫んだ直後、彼は後ろの男に刀で胸を貫かれて絶命した。










「はっ…… はっ……」

 小坊主が殺された所で芳一は悪夢から目覚めた。全身に嫌な汗を掻いている。


(夢で良かった……

 夢、なのかな…………)


「ん…… どうしました? 芳一」

 和尚の腕に抱かれながら眠っていたので、芳一の異変に和尚も目を覚ましたようだった。

「夢、を……」

「嫌な夢を見たのですね」

 和尚は汗を掻いた芳一の額を指で拭ってくれる。

「大丈夫です。私がいます」

 和尚はぎゅうっと抱きしめてくれた。

「まだ朝は遠いです。おやすみなさい。私の芳一……」

 少しすると和尚の規則的な寝息が聞こえてきた。

 和尚からの愛情は感じる。自分が和尚へ向ける恋愛感情とは違う、親愛とか家族の情とでもいうのか、兄弟愛とか親子愛に近いものだと思うが、和尚は芳一のことを特別に思ってくれている。

 実は芳一が今も太腿あたりに当たっている和尚の大きなモノを扱いてレロレロしたいと考えているなんて知ったら、きっとびっくりさせてしまうだろう。

 聖職者であり性行為を禁じられている和尚をそんな道には引きずり込めないし、この思いはずっと胸に秘めておくつもりだ。

 しかし事件以降、和尚は接触過多だし少し過保護になってしまった。お尻の傷は治ったし、目の見えない生活にも慣れてきたから、もうお世話は終わりでいいのではないかと芳一は思っていた。

 小坊主に適度に放置されたこともあって、生活の身の回りのことなら誰かの手を借りなくても一人で何とかできる。だから和尚は従来通りの住職としての生活に戻った方がいい。

 けれど彼は芳一を手放さない。和尚はまた芳一が誰かに襲われるのではないかと懸念している。信頼していた小坊主に裏切られたことで、彼は少し人間不信に陥っているように思えた。

 たぶん、このままの状態で和尚のそばに居続けてはいけないのだと、芳一は思っていた。










「ほ、芳一……」

 決意を込めた姿を和尚に披露すると、彼は思った以上に衝撃を受けて絶句しているようだった。

 芳一は他の僧侶に手伝ってもらって、髪の毛を全部剃り落としていた。

 普通、お坊さんといえば剃髪頭が主流だが、和尚の流派では髪型は自由だった。中には剃っている僧侶もいるが、髪型がそのままの者も多い。

 それに芳一は正式には僧侶ではなかったから、やはり剃髪の義務はない。芳一が寺にいるのはあくまでも盲目で身寄りのない者を保護しているという体だ。

 何度か正式に僧侶見習いになった方がいいのではと和尚に持ちかけたこともあったが、逆に僧侶にはならないでほしいと説得されてしまった。

 和尚は芳一に、誰かと結婚して幸せな家庭を持ってほしいと常々言っていた。亡くなった芳一の家族のためにも命を繋いでほしいのだと言う。

 男が好きだと気付いてしまった今となってはそれは難しいと思うのだが、しかし事情を説明してしまうと芳一が和尚をそういう意味で好きであると打ち明けなければいけない気がして、言えないままだった。

 とにかく、髪の毛を剃る必要のない芳一が坊主頭になったのには理由がある。

 小坊主があんなことをしてしまったのは、気が迷うほどに芳一が美しいからなのだと、寺の僧侶たちは噂していた。

 元はといえば小坊主を描きにやって来たはずの絵師が、芳一を被写体として見初めなければあんな流れにはならなかったわけで。

 目が見えない芳一は今となっては自分の容姿にあまり頓着はないが、髪の毛を剃って自分の魅力を大きく落とせば、芳一が襲われるかもと和尚が懸念することも減るのではないかと思った。

 これを機に、お世話はもう大丈夫なので部屋を別々にしてくださいと、和尚にはそう言うつもりだった。

「そ、そそその頭は、自分でやったのですか?」

 しばしの沈黙の後に、和尚がどもりながら尋ねてきた。

「いえ、一人では難しいので手伝ってもらって……」

 そこでなぜかガシッと、和尚が芳一の両肩を掴んできた。

「次に剃る時は、是非、是非私に手伝わせてくださいっ!」

「えっ、あ…… はい……」

 和尚の勢いに驚きつつも返事をする芳一は、目が見えないために気が付かなかった。

 和尚がほんのりと頬を上気させながら、どこかうっとりとした視線で毛が無くなった芳一の頭を見ていることに。
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