荒魂遊戯抄 -本から現れた自称・魔族と、短命の宿命を覆す-

スイケイ

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鬼鎮め

わりきり

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「槐の飼い犬か…!!」
 男は苦悶に顔を歪めながらも、その視線には鋭い殺意が宿る。何が起きたのかを瞬時に察し、目に見えぬ干渉の主へ向けて忌々しげに毒づいた。及己は彼らの殺意など意に留めることもなく、地面に落ちた刀の刃先を静かに見つめている。
「……的外れな難癖、聞くに堪えない」
 刃先から乙夜家当主へと視線を移しながら放つ声は、ひどく硬質で冷たかった。
「……だめだ、及己」
 制止の声に、及己の金の瞳が、ちらりと杳を見る。
 その一瞬、言葉にならない意思が二人の間を駆け巡った。

 ――傷つけはしない。ただ、言わせてほしい。

 「……やりすぎるなよ」
 杳は、及己が暴走したわけではないことを察し、小さく呟いた。

 改めて一歩前に出た及己は、侵入者たちを一瞥する。
「手前勝手に相手を貶める――それが、おまえたち人間のやり口か」
 及己の声が庭の空気を凍らせる。
「私たち人外のやり方と大して変わらないようだが……。ならば、こちらのやり方で応じてもいいか?」
 その言葉が落ちた瞬間、周囲の熱気が一気に引いた。及己から放たれた昏い殺気が鋭い冷気となって場を支配していく。
 真冬の空気に晒されたような威圧感に男たちは息を呑み、肌は戦慄で粟立った。

「及己、もういい」
 感情を抑えた杳の声が、その絶対的な威圧を断ち切った。
 彼は分家の者たちへと向き直る。
「話はわかった」
 その声は驚くほどに静かだった。
「確かにおれは未熟だ。それは認める。その上、血が絶える寸前だというのも間違いない。そういう時のための分家だというのも理解している」
「あんたたちが、本当に土地のタタリのためを思って家代わりを考えているのなら、うなずきもする」
 分家の者たちは、ただ黙って杳の言葉を聞いている。
「――でもな」
 杳の声がわずかに変わった。低く落ち着いてはいるが、逃げ場を塞ぐような迫力がある。当主としての威厳を帯びたその響きが場の空気を静かに支配した。
「もし、土地のタタリのためでなく、ただ佐伯家が土地の人々から受けている恩恵だけが目当てというならやめた方がいい」
 一呼吸おいて、続ける。
「鬼鎮めは誰でもできる。でも、二五〇年、佐伯しかやらなかったことに思うところはないのか」
「一つの代が十五年から十八年しか続けられないこと。代の交代には必ず『死』があること……」
「――現当主のおれ以外は、全員亡くなっていること」
 感情を伴わせず、淡々と事実だけを紡いでいく。
「この務めにそんなに旨味があるとは思えない。正直、代わってくれるならいいんじゃないかと半分くらいは思ってる」

 その言葉に、分家の者たちの顔から熱気がゆっくりと引いていくのが分かった。
「……もう日も暮れる。この地の夜はタタリが騒いで危ない。今日のところは帰って、後日話し合いの場を作ろう」
 それはもはや提案ではなかった。土地の斎主としての静かな命令だった。
 男たちは毒気を抜かれたように、誰一人言葉を発することなく、すごすごと佐伯家の庭から去っていった。

 その夜、居間で三人は静かにお茶を啜っていた。
 亘の手当てを終え、荒らされた仏間を一通り片付けた後だった。
「それにしても助かったよ、及己。あのまま手を切られていたら仕事ができなくなるところだった」
 湯呑みを置きながら亘が苦笑する。
「あのまま指の一本でも折ってやればよかった、と今でも思ってる」
 及己は相変わらず不機嫌そうに言い放った。
「堪えてくれてよかったよ。やってたら、きっとまだ帰ってないしこっちの立場が悪くなってただろうな」
 及己の様子に安堵するような吐息を漏らしながら杳が言った。
「……人間にはしない。脅すまでにしておけと、槐さんに言われたからね」
 そう言って、及己はふん、と鼻を鳴らしながら視線を逸らす。
 お茶を一口飲んだ亘が、今度は杳に気遣うような視線を向けた。
「『橋』と鈴が持っていかれてしまったけど大丈夫か? 明日の務めはどうする?」
「ないならないで、いいよ」
 心配する亘に、杳はまるで大したことではないように答えた。
「あれらは、気を引き締めるための合図みたいなもんだ。道具や、宣言としての言霊――そういうものは、使う側の意思があって初めて機能する」
 一拍置いて、続ける。
「要は気持ちだよ。手ぶらじゃ意識が定まらないっていうなら……これを『橋』だと思って使ってもいい」
 そう言いながら、茶葉掬いの匙を手に取り指先で軽く弄ぶ。
 及己は、その匙と、遊ぶように動く杳の指先をじっと見つめていた。
「杳」
「なんだ?」
「あれは、本気か?」
 ああ、斎主を分家に譲る、という話か。
「半分、本気だよ」
「二五〇年守り続けてきたのに?」
「鬼鎮めを別の家系がやることになってもおれなりの土地の守り方があるさ」
 杳は湯呑みの中の茶面を見つめながら、静かに言った。
「その分長生きできるんだ、別の形で働くよ」
 しばし、居間に沈黙が落ちる。その沈黙を破るように杳は及己に問うた。
「及己は、鬼鎮めをするおれと佐伯家が好きなのか?」
「違う」
 即答だった。
「じゃあ、成り行きに任せようぜ」
 杳はそう言って、ほんの少しだけ肩の力を抜くように笑った。

 それから数日も経たないうちに、分家に身を置く数人が発狂した、という報せが佐伯の家に出入りする住人からもたらされた。
 まるで私刑を受けているかのように、何もない空間に向かって謝罪と苦痛の悲鳴を上げ暴れ回っているという。

 杳と及己が鬼鎮めを行う祠の周囲を探ってみると、分家に奪われた『橋』と鈴が、焦げ付いたように黒く汚れ、無残に打ち捨てられているのが見つかった。
 『橋』と地面に触れ、土地に残された思念を辿る。
 ――『臍にこれを立てて、座禅を組む?』
 ――『毎朝土地をぶらぶらと散歩して、祠で半日座禅を組む。それだけで民の尊敬と初穂米が手に入るのだから楽な商売だ』
 ――『精神修養と何が違う? そんなもんで土地が豊かになるなど馬鹿馬鹿しい。豊穣の貢献を横取りする卑しい本家め』
 ――『鬼などと、何を大袈裟に』

 彼らにとって『鬼鎮め』とはその程度のものだった。
 魂を削る痛みも、背負う無念の重さも彼らの想像の遥か外側にあった。

 そして、軽い気持ちで鬼鎮めを真似、――タタリに呑まれたのだ。

「……こうなると思った」
 杳は辟易したように呟いた。

 ――鬼鎮めが彼らの言うようなものなら。
 ――なぜ、両親も、祖父も、この世にいないんだ。

「言ったろ? だから、おれは独りなんだよ」
 その横顔に浮かぶのは、諦めと、深い孤独の色だった。

 鬼鎮めの祠と、その奥に広がる土地を複雑な表情で見遣る。
 そんな杳の背中に静かな声がかけられた。

「話し相手くらいには、なるよ」
 振り返ると、及己が変わらない金の瞳でこちらをじっと見ていた。
「……そうだな」
 杳は小さく呟く。

「おれは、今は……独りじゃないな」

 囁くようなその言葉は足元の草の間に静かに溶け落ちていった。
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