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なかあたま

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幸せな魔女

1

「坊や。ここが何処か、分かっているのかい?」

 深い森の奥にひっそりと建っている、古い一軒家。
 そこへ忍び込んだ俺は首根っこを掴まれ、背筋を凍らせた。
 視線を、声の主へ向ける。
 フードを被ったその男の顔は、確認できなかった。
 彼は手を離し、ポイと俺を投げる。勢いで前のめりに転び、床に手を突く。
 今日の洋服はおろしたてなのだ。これ以上汚したら、きっと母上に怒られてしまう。
 そんなことを考えながらよろよろと立ち上がり、彼を睨みあげた。
 薄暗がりの中、瞳だけがぼんやりと浮かんでいる。
 左は澄んだ空のような水色で、右は母上がいつも身につけている指輪に施されたシトリンという宝石に似た黄色をしている。
 初めて見たオッドアイに、息を漏らす。

「全く。子供がなんでこんな所に。君は小綺麗な格好をしている。見る限り、良い所の坊やだろう。泥棒ではなさそうだし、許してあげるよ。さぁ、早く帰りなさい」

 彼はそう言い、踵を返した。
 そのまま、部屋の中心に置かれたテーブルへ向かい、上に置いてあったマッチ棒を擦り合わせ、火を点けた。
 蝋燭を灯すと、あたりがほんのり明るくなる。
 灯りに照らされた男を見つめる。フードの隙間から覗く顔は、推定二十代前半のように見えた。
 しかし、身近にいる同世代の男たちとは比べ物にならないほど落ち着き払っており、老人のようにも見える。
 ボロボロのローブと、深々と被ったフードから見える白髪も相まって、一層、年寄りに見えた。
 ピクリとも動かない俺を見て、彼が顔を顰める。こちらへ歩み寄り、体を屈めた。

「どうしたんだ。こんな気鬱な場所にいたら、呑み込まれてしまうぞ。ほら、立ちなさい」

 そう言われても。今にも爆発してしまいそうな感情を抑えるため、顔を俯けた。
 気を緩ませたら、泣いてしまいそうだ。眉を歪め、唇を噛み締める。
 彼は何かを察したのか、フードを外し、俺の目を見据えた。
 彼の顔は────とても美しかった。
 こんな寂静な森に佇む草臥れた一軒家には似つかわしくないその風貌に、瞬きを繰り返す。
 まるで、泉に住まう女神のようだった。

「君、怪我しているのか。見せてご覧なさい」

 俺の足首へ視線を投げた彼が、声を上げた。
 何故、血も出ていないのに怪我をしていると分かったのだろうと、不思議でたまらなかった。
 足首に触れ「仕方がないな」と息を漏らす。
 彼がそこを撫でた瞬間、徐々に痛みが引いていく。
 目を見開いていると、彼はまるで意地悪っ子のように口角を上げた。

「これは、誰にも言ってはいけないよ。君と私だけの約束だ。良いね?」

 俺はこの時、確信した。彼は────魔女だ。
 けれど、魔女は父上が幼少期の頃、全員火炙りにされたと言っていたはず。なのに、どうして生き残っているのだろう。
 それに、彼は魔「女」ではない。男だ。声も、骨格も、何もかも男だ。
 この場合、なんと言えば良いのだろう。
 そんなどうでも良いことが、ぐるぐると頭を駆け巡った。

「貴方は、男だけど魔女?」

 思わず飛び出た言葉に、口を噤む。
 余計なことを言ったら、魔法で八つ裂きにされるかもしれない。
 額に汗を滲ませていると、彼が噴き出すように笑い出した。

「フフ。そうだよ。私は魔女だ。男だけどね。そうだね。もう長らく此処に一人きりだから、そんな細かいことを気にしてなかったよ。あぁ。気に食わなかったら魔法使い、でも構わないよ。どちらにせよ、私は魔法が使える男、だ」

 オッドアイが、弧を描く。
 何故だか、その婉美な光景を独り占めしたいという願望に襲われた。
 ふと我に返り、かぶりを振る。

「……君がどんな理由でこの森へ来たのか、私には分からない。けれど、もう二度と近づいてはならないよ。此処は、怖い場所なんだ。君を丸呑みにしてしまう獣もいれば……私のような魔女もいる。小綺麗な格好をした坊やが来ては、いけない」

 諭すように、そう言った。優しい声色に、喉の奥が震える。
 堰き止めていた感情が流れ出し、ボロボロと涙を零した。

「ごめんなさい。俺、父上と喧嘩して。それで、家出しようと、この森へ────」
「父上?」
「うん。クロネラ王……知らない?」
「知っているさ……つまり、君はロクセヌ国の王子なのか?」

 彼の孕む雰囲気が変わった。その変わりようにびっくりし、身を強張らせる。
 彼のオッドアイに、情けない顔の俺が映った。
 ────そうだ。彼にとって、俺は仇の子孫なのだ。
 その事実に気づいた途端、血の気が引く。
 今すぐ逃げねば、と立ちあがろうとするが、体が動かない。

「……なるほど、君は王家の人間か。まぁいい。とりあえず、この森から出なさい。いいね? 私の魔法で森の入り口まで、君を送ってあげよう」
「どうして、俺を殺さないの? 仇、でしょう?」

 溢れ落ちた言葉が、静寂に響いた。
 彼は黙り込んだ後、俺の頭に手を置く。そのまま、緩やかに撫でた。

「……王家の人間というだけで、無関係だからね。君に罪があるわけではない。さぁ、無駄話はもういいだろう?」

 そう言い、俺を抱き上げた。
 「痛みは引いているけど、すぐ歩くのは危険だ。私にしっかり掴まりなさい」と耳元で囁く。
 家の外へ出ると、森のひんやりとした風が頬を掠める。
 まだ昼間だというのに、木々で覆われた頭上からは光が差し込まず、どんよりとした印象を与えた。
 不意に、彼が指をパチンと鳴らした。目の前を、閃光が走る。
 閉じていた瞼を開けると、其処には栗毛の馬がいた。
 悲鳴をあげる間も無く、彼が俺を馬へ乗せる。

「この馬に乗っていれば、森の入り口まで運んでくれる。なぁに心配することはない。この馬は私の魔力で動いているから、道に迷うこともない」

 栗毛の馬を撫でながら、人差し指を立て、俺を見つめた。

「もう、この森へ入ってはいけないよ。いいね?」
「は、はい。あの……」

 「なんだい?」と首を傾げる彼は、とても美しかった。思わず、唾液を嚥下する。

「な、名前。教えてください」

 その言葉に、彼は酷く穏やかに微笑んだ。

「ヨエル、だ。久しいな、自分の名前を口にするのは」

 「君の名前は?」と問われ、俺は吃りながら「バーレント」と答える。
 「へぇ。バーレントか」と鸚鵡返しした彼は、肩を揺らし笑った。

「きっと、もう二度と会うことはないだろう。けど、覚えておくよ。バーレント。じゃあ、達者でな」

 彼が馬の臀部を叩く。颯爽と走り出した馬の手綱を握りながら、振り返った。
 「ありがとう」と叫んだ声が森にこだまする。彼は緩やかに手を振っていた。
 これが、俺の初恋である。
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