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第二話
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「……」
壁の節穴から差し込む朝陽の眩しさに、男は眼を射られて起き上がる。晴れている。それならば、洗濯をせねばならない。それが洗濯夫の仕事だ。
男はのろのろと、昨夜の疲れが抜けきらない身体をどうにか小屋の戸口へ運ぶ。
男は今年で39歳。まだまだ老け込む歳では無いが、夜を徹しての交わりは身体にも心にも負担は大きい。男に与えられた小屋は狭く、壁はとても薄い。男は洗濯桶と板、それから洗剤代わりの乾燥させた洗濯豆の殻を手に小屋を出た。
朝飯の前に、朝の仕事を済ませておきたい。朝と昼の二度洗濯をする事が出来れば、その分実入りがあるからだ。
男は洗濯が嫌いでは無い。汚れていた布が綺麗になるのは達成感があるし、干し終わった洗濯物が気持ちよさそうに風に翻る様をみるのも愉快だった。腐り爛れた夜の仕事よりも、ずっと好ましい。
今日も朝の客がやって来る。朝方は商家の女たちが主な客だ。男は控え目に微笑んで、洗濯物を受け取った。
最後の洗濯物を依頼主に渡して、男は小さく息をつく。有り難い事に、今日は洗濯の客が多かった。天気も快晴で、洗濯物は良く乾いた。手にした報酬もこの何日かで最高の額だった。
すでに陽は暮れ始めている。今日は少し奮発して、売れ残りで安くなったパンと少しばかりの肉の欠片が浮かぶスープを買った。夜の仕事に備えて、慌てて夕食を掻き込む。
──家族はどうしているのだろうか。
ふと、そんな考えが脳裏を過ぎる。
大国の一部となった王国で、家族は無事に暮らしているのだろうか。それを確かめる術は、無い。男には無事でいてくれと願うことしか出来ない。
「おい。空いてるか?」
小屋の外から声がする。ああ、今日も夜の客がやって来てしまった。
男は口元を拭って、「はい」と答えた。
「服を脱げ」
小屋に入って開口一番に客は言った。男は表情を消して、言われるままに身に着けている質素な衣類を脱ぎ落とした。
「これを着ろ」
客は男が身に着けていた物よりもよほど上等な衣服を差し出して、言った。困惑顔の男に、客は苛立ちを隠さずに衣服を押しつける。
「お前をご所望のお方は、貧民丸出しの格好でお目通り出来るお方ではない。それに着替えるんだ」
男は黙って、清潔な衣服に袖を通した。これまでにも、夜の仕事で貴人とおぼしき客の相手をしたことが有る。そんな時はこの粗末な小屋から連れ出され、上等な宿や娼館に連れて行かれる。だが、こうして着替えを要求されたことは始めてだ。
「着替えたな? では行くぞ」
客は、いや、この男は客の使いか。よく見れば、彼も質の良い衣服を身にまとっている。普段男が相手にしている、街の男達とは大違いだ。
小屋の前には、場違いな馬車が駐まっていた。男は少しばかり尻込みして、客の使いにたずねた。
「……どこに向かわれるのでしょうか?」
「お前は知らなくて良い。ただ己の役目を果たせ」
客の使いは、男を馬車に乗せた。馬車は静かに夜の街を駆けていった。
壁の節穴から差し込む朝陽の眩しさに、男は眼を射られて起き上がる。晴れている。それならば、洗濯をせねばならない。それが洗濯夫の仕事だ。
男はのろのろと、昨夜の疲れが抜けきらない身体をどうにか小屋の戸口へ運ぶ。
男は今年で39歳。まだまだ老け込む歳では無いが、夜を徹しての交わりは身体にも心にも負担は大きい。男に与えられた小屋は狭く、壁はとても薄い。男は洗濯桶と板、それから洗剤代わりの乾燥させた洗濯豆の殻を手に小屋を出た。
朝飯の前に、朝の仕事を済ませておきたい。朝と昼の二度洗濯をする事が出来れば、その分実入りがあるからだ。
男は洗濯が嫌いでは無い。汚れていた布が綺麗になるのは達成感があるし、干し終わった洗濯物が気持ちよさそうに風に翻る様をみるのも愉快だった。腐り爛れた夜の仕事よりも、ずっと好ましい。
今日も朝の客がやって来る。朝方は商家の女たちが主な客だ。男は控え目に微笑んで、洗濯物を受け取った。
最後の洗濯物を依頼主に渡して、男は小さく息をつく。有り難い事に、今日は洗濯の客が多かった。天気も快晴で、洗濯物は良く乾いた。手にした報酬もこの何日かで最高の額だった。
すでに陽は暮れ始めている。今日は少し奮発して、売れ残りで安くなったパンと少しばかりの肉の欠片が浮かぶスープを買った。夜の仕事に備えて、慌てて夕食を掻き込む。
──家族はどうしているのだろうか。
ふと、そんな考えが脳裏を過ぎる。
大国の一部となった王国で、家族は無事に暮らしているのだろうか。それを確かめる術は、無い。男には無事でいてくれと願うことしか出来ない。
「おい。空いてるか?」
小屋の外から声がする。ああ、今日も夜の客がやって来てしまった。
男は口元を拭って、「はい」と答えた。
「服を脱げ」
小屋に入って開口一番に客は言った。男は表情を消して、言われるままに身に着けている質素な衣類を脱ぎ落とした。
「これを着ろ」
客は男が身に着けていた物よりもよほど上等な衣服を差し出して、言った。困惑顔の男に、客は苛立ちを隠さずに衣服を押しつける。
「お前をご所望のお方は、貧民丸出しの格好でお目通り出来るお方ではない。それに着替えるんだ」
男は黙って、清潔な衣服に袖を通した。これまでにも、夜の仕事で貴人とおぼしき客の相手をしたことが有る。そんな時はこの粗末な小屋から連れ出され、上等な宿や娼館に連れて行かれる。だが、こうして着替えを要求されたことは始めてだ。
「着替えたな? では行くぞ」
客は、いや、この男は客の使いか。よく見れば、彼も質の良い衣服を身にまとっている。普段男が相手にしている、街の男達とは大違いだ。
小屋の前には、場違いな馬車が駐まっていた。男は少しばかり尻込みして、客の使いにたずねた。
「……どこに向かわれるのでしょうか?」
「お前は知らなくて良い。ただ己の役目を果たせ」
客の使いは、男を馬車に乗せた。馬車は静かに夜の街を駆けていった。
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