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第四章 空白時代

第66話 高い塔の上

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 翌朝、レーキは両手にかせをはめられ、鎖に繋がれて部屋を連れ出された。
 長いらせん階段を下らされ、大きな建物を引き回される。
 たどり着いたのは、天井の高い広い部屋。
 何十人もの人が一斉に踊り出したとしても、まだ余裕のあるその部屋には、大きな楕円形の円卓が据え付けられ、その周りに一際大きくて立派な椅子と、二十七脚の椅子が置かれていた。
 ではここが、議会の会場。二十七人の幻魔が集まって、『呪われた島』の意志を決定する中枢。
 たった今、二十七脚の椅子は二十脚だけ埋まっている。大きな椅子には誰もかけていない。
 穏健派と強硬派、それぞれ十人ずつの幻魔たちがこの場所に集まっていた。
 円卓を前にして、レーキはひざまずかされた。
「……貴様が『ソトビト』であったとはな」
『苛烈公』ラルカのましげな声が、静まり返った議会場に響く。
「『ソトビト』、そなたの名は?」
『冷淡公』ナティエの冷たい声が、いっそ優しくレーキに尋ねた。
「……レーキ、ヴァーミリオン、と言います」
 レーキは出来るだけ声を張った。うつむいても、沈黙しても、ここにいる幻魔たちに自分を罰する隙を与えるだけだ。
「……『ソトビト』レーキよ。『慈愛公』の報告書は正確であるか?」
「作成には俺──私も関わりました。何度も推敲して、正確を期してあります」
「ふん。正確な報告書が欲しければ絞り上げて吐かせればいい」
『苛烈公』はニヤニヤと酷薄な笑みを浮かべて、腕を組んだ。
「貴公の『趣味』は最後の手段だ。『苛烈公』。前回の『ソトビト』のこと、忘れたか?」
「うるさい、黙れ、『冷淡公』! 『ソトビト』のことで一時休戦してはいるが、貴様と私は敵同士だ!」
「ああ、そうだ。愚かにもそれを忘れて貰っては困る」
 互いの間に火花を散らすように。『冷淡公』と『苛烈公』は向かい合う。
 二人の間を取り持つよう、あるいはあおるように、両派の幻魔たちが口々に何かを叫ぶ。
 蚊帳の外であるレーキは、固唾を飲んで円卓でのやりとりを見守った。
「……静粛に! ふむ。正確ならば良いのだ。私が『ソトビト』に聞きたい事は今の所、無い」
 先にレーキの存在を思いだしたのは、『冷淡公』のようだった。『冷淡公』は今回の議長役でもあるのだろう。彼女の言葉で、議場はしんと静まり返った。
 険しい顔をしたままの『苛烈公』から顔を背けて、『冷淡公』はレーキを見据えた。
「そなたの身柄は、『使徒議会』がこの魔の王様の城にて預かる事となった。そなたは議会全体の所有物だ。以後は聞かれたことに素直に答えよ。嘘を並べ立てるなら『苛烈公』のお手を煩わせる事となろう」
 皮肉たっぷりに『冷淡公』は命じる。
 レーキはうなだれて、「はい」と答えた。
「……一つ、質問があります。『冷淡公』」
「ほう。なんだ? 質問を許そう」
 真っ直ぐ前を見て、そう告げたレーキに、『冷淡公』は興味をそそられたようで。
 レーキは一息深呼吸して、はっきりと言った。
「『慈愛公』はどうしてこの場所にいらっしゃらないのでしょう?」
「簡単な事だ、『ソトビト』よ。『慈愛公』はこの一年の間貴様を独占しておった。それゆえ彼とその仲間たちは十分に『ソトビト』の知識を吸収した。議会はそう判断したのだ。よって、『慈愛公』はもう二度と貴様に会う事は叶わん」
『冷淡公』に代わって、『苛烈公』が嘲笑うようにレーキに告げる。
 もう、二度と。イリスにもシーモスにも、屋敷の使用人たちにも会う事は出来ない。
 その事実が、レーキを打ちのめす。
 がっくりと肩を落としたレーキに、『冷淡公』は静かに微笑みかけた。
「そなたは殺さぬ。生きて我らの役に立てることを光栄に思え。……それに、喜ぶが良い。そなたの働き次第では魔人の末席に名を連ねてやっても良いぞ」
 殺されなかったとしても。魔人にされれば、長い時をこの『呪われた島』で過ごすことになる。もう二度と大切な人たちには会えない。
 レーキは全てを打ち砕かれた思いで、両手を床についた。

 どうやって部屋に戻されたのか、覚えていない。
 気がつけば塔の上の狭い部屋に戻されて、手枷を外されていた。
 机の上には、カチカチに乾いたパンとどろりと濁って冷えたスープが、夕食として申し訳程度に置かれていた。
 それを食べる気分にはなれず、レーキは寝台に横になった。
 寝台は長い間使われていなかったのか、カビ臭く横になっただけで埃が舞い上がる。
「ごほっ……ごほっ!」
 軽く咳き込んだレーキは、隻眼せきがんに涙がにじむのを感じた。

 翌日、レーキが部屋から連れ出される事はなかった。日がな一日、出来ることもなく、レーキは寝台に横たわって静かに過ごした。
 食事は日に一度。それを運んでくるのは、無口な奴隷の男だった。
 レーキが話しかけても、何の返事もない。こちらを見ようともしない。
 食事は粗末だが量の多いモノで、イリスの屋敷で食べていたモノとは比べものにならなかった。
 体力を保つために一口、二口食べてみて、あまりの味気なさに愕然とする。
 そんな食事でも無いよりはましだ。幼い頃は食べられるモノなら、どんなモノでも喜んで食べた。
 自分はいつから、美味いと思うことを当たり前に思っていたんだろう。
 自分はいつから、友と呼べる人たちと一緒にいることが当たり前だと思っていたんだろう。
 一度暖かな世界を知ってしまったら、もう昔には戻れない。
 レーキは呆然と、窓の外の切り取られた空を見上げた。

 二日目。やはり音沙汰はない。
 レーキは捕らえられた獣のようにぐるぐると狭い部屋の中を歩き回る。
 何もない。出来ることもない。
 いっそ、この部屋を燃やしてしまおうか。レーキは考える。
 火事が起きて人々が騒いでいる間に、この部屋を抜け出して、逃げ出して……その後は、どうする?
 どこまで逃げられるか解らない。それに、この島からはどうしたって逃げられないのだ。
 それに、俺が逃げたらイリスたちはどうなる?
 もう、彼らには迷惑はかけられない。そう思うと。レーキは身動きが取れないでいた。

 三日目。
『冷淡公』の前に引き出されて、幾つか質問を受けた。
 それはどれも、報告書に書いた出来事を補完するような質問で。
 レーキは淀みなく答えた。
『冷淡公』は満足して帰って行って、レーキはまた塔の上の部屋に放り込まれる。
 その繰り返しが二、三日続いた。


 レーキが魔の王の城に捕らわれてから、三週間。呆気ないほど簡単に時は過ぎた。
 近頃、レーキは寝台に横たわっている事が多くなった。身を清めていないせいで、顔にはまばらにヒゲが生え、着ている物からはすえたような臭いがする。
 この部屋には鏡がない。だからどんなにひどい顔をしていても、構わない。
 一週間も食事係の奴隷にしか会わないから、どんな格好をしていても、構わない。
 レーキはひどく疲れていた。
 この牢獄での静かすぎる暮らしは、まるで拷問のようで。
 この際、『冷淡公』や『苛烈公』でもいい。誰かと話したかった。笑い合いたかった。
 ──ああ、今頃イリスは、シーモスは何をしているのだろう。
 もう、俺を諦めたのだろうか。忘れてしまったのだろうか。
 訳もなく涙が出る。ああ、もう。いっそのこと……
 いや。そんな事は出来ない。
 たとえ苦しくても、自分は生きなければならない。まだ、死ぬわけには行かない。
 俺はまだ大丈夫。愛しい人々の顔を思い出せる間はまだ。
 こつりこつり。誰かが階段を上がってくる音がする。今日も食事係が食事を運んでくるのだろう。
 レーキは寝台から起き上がる。今日も食事を摂らなければ。生き延びなければ。
「……こちらで、ございます」
 珍しい。食事係が声を発している。鍵を開ける音がして、誰かがこの牢獄に入って来る。
「ご苦労。お前は下がって良い」
 そこに立っているのは。美しく長い黒髪の少女。『冷淡公』だった。

「『冷淡、公』?」
 どうして、こんな所に?
 訳も分からず、レーキはただ呆然とするばかりで。
『冷淡公』は後ろ手に重い扉を閉めた。
「……レーキ!」
『冷淡公』の遊色の唇がレーキの名を呼ぶ。彼女はいきなりレーキに飛びついてきた。
 その顔もその声も『冷淡公』その物なのに。
 レーキを見つめる赤いひとみはとても優しくて、懐かしくて。
「……あ……あ、あ……君は、イリス?」
 そう、呟いたレーキの目の前で、『冷淡公』の姿がぼやける。
 次の瞬間には。子供の姿のイリスが、涙目でレーキに抱きついていた。
「そうだよ! ……ああ、良かった! 無事だったんだね! レーキ!」
 イリスは声を潜め、それでも喜びを爆発させてレーキを抱きしめる。
「ああ。身体はなんともないよ……でも、どうして、ここに?」
「君を助けに来たんだ! 遅くなってホントにごめんね……もっと早く来たかったのに! シーモスが三週間お待ちくださいって言うから……」
 助けに来てくれた。イリスたちは俺を忘れた訳ではなかった。そのことがとても嬉しい。眩暈めまいがするほどに!
「……時間もないから手短に言うね! レーキはその扉を押さえてて。誰も入ってこれないように。あ、そうだ。これ!」
 そう言ってイリスが差し出したのは、レーキがいつも持ち歩いていた、腰のポーチだった。
「君の持ち物はみんな入ってる。それから、これ」
 イリスはレーキの王珠おうじゆを首にかけてくれる。
「はい。レーキの大事なもの。これも、必要でしょ?」
「ああ、ありがとう! これがあるし、ただ扉を押さえるより効果的な方法がある」
 レーキは分厚い扉に近づいて、手をかざした。
「『封錠セルーロ』」
 扉に、容易くは開けられない天法の錠前をかける。これで、外から扉を開こうとするモノをしばらくは拒めるはずだ。
「それで、これから何をする?」
「うん。まずはこの、邪魔な鉄格子を……」
 イリスは窓に嵌まった鉄格子を、易々とこじ開けて引き抜いた。窓はぽっかりと虚空に口を開ける。それは、レーキや子供の姿のイリスなら、通り抜け出来る大きさだ。
「ここから外に出るのか? でも、ここは高い塔の上だぞ?」
「うん。大丈夫。僕の後についてきて」
 イリスは躊躇ためらいもなく、窓の外に身を躍らせた。
 その姿が一瞬ぼやけて、次の瞬間には変化している。
 真っ白な鱗に覆われた、巨大な体躯たいく。レーキが一抱えしても、まだ足りないほど太い四肢。しなやかな尻尾はやはり大きく、広い広い背中には空を飛ぶためには十分なほど大きい竜の羽根が生えていた。
 穏やかな、茶色の眸と遊色の角だけはそのままに。イリスは竜の姿となって、中空に浮かんでいた。
『さあ! レーキ! 来て!』
 脳内に直接声がする。竜のイリスが腕を伸ばす。誘われるがまま、レーキは窓辺を蹴って、その腕に飛び込んだ。
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