スカーレット・マーケット

新田朝弥

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②/白い昼と、赤い値札

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 昼間の街は、地下とは別世界だった。

 カフェの窓際で、白鷺 緋菜は笑っていた。

 エプロン姿。
 長い髪をゆるくまとめている。

「ヒナちゃん、ちょっと休んでいいよ」

 店長が声をかける。

「大丈夫です」

 そう言いながら、椅子に手をつく。

 ほんの一瞬、力が抜けるが、すぐに立て直す。

 窓の外では、大学生らしきグループがはしゃいでいる。
 今流行りの動画投稿だろうか。
 彼女はそれを眺め、微笑む。
 ポケットの中で、薬のシートが鳴る。

 休憩室。
 緋菜は小さなノートを開く。
 そこには数字が書かれている。

裕翔ゆうと 治療費 残り二百三十万』

 その下に、小さく。

『あと三回』

 その文字が、やけに濃く見えた。
 指が、わずかに震えている。

 ──深呼吸。

「大丈夫、大丈夫……」

 自分に言い聞かせるように呟く。
 だがその声は、少しかすれていた。

 ◆◆◆

 閉店後。

 ──店を出た瞬間、視界が真っ白になった。

 足元が、揺れる。
 壁に手をつく。
 呼吸が荒くなる。
 世界が遠のく。

 周りには、誰もいない。

 立ち上がろうとして、膝が笑った。
 それを見て、笑えなかった。
 その瞬間、分かる。
 もう、普通の身体ではない。

 ほんの一瞬、死がよぎった。

 ──三年三か月。

 その数字が頭に浮かぶ。

「……あと少し」

 そう言い聞かせるが、
 胸の奥のざらつきが、消えない。

 死にたくない。
 その言葉が、喉の奥まで上がってきて、
 そこで止まった。

 口を開いてみても、何も出なかった。

 ◆◆◆

 市場の奥にある個室。

 黒いスーツの男が座っている。
 年齢は五十代。
 指には高価な指輪。

「若い女の三年分。まとめて欲しい」

 声は穏やかだが、目が笑っていない。

「希望はありますか?」

 俺は平静を装う。

 男は資料を滑らせる。
 そこにあったのは。

 ──白鷺 緋菜。

「三番。この子がいい」

 喉が、わずかに詰まる。

「理由を伺っても?」

「顔がいい。若い。寿命の質がいい」

 まるでワインでも選ぶみたいに、そいつは言う。

 質。

 命に質なんてない。
 だがこの市場では、それが評価基準だ。

「三年全部だ」

 三年全部。

 それは彼女の残りのほとんど。

「……確認します」

 声が低くなる。

 男は笑う。

「金は払う。問題ないだろう?」

 問題は、ある。
 だが、それを問題だと思っているのは、俺だけだろう。

 ◆◆◆

 帰宅後、古い引き出しを開ける。

 一枚の写真。
 病院のベッドで笑う少女。

 妹。

 寿命が足りなかった。
 金も、時間も。

 だから俺は市場に入った。

 命は、金で延ばせる。
 そう思っていた。

 だが。
 白鷺 緋菜の数字を見ていると、
 あの頃と同じ無力感に、胸を締めつけられる。

 三年、全部売れば、
 彼女は確実に死ぬ。

 俺が仲介すれば。
 俺の仕事で……。

 写真を伏せる。

「……関係ない」

 呟く。
 だが、声に力がない。

 ◆◆◆

 三日後。

 今日は、緋菜が市場に来る予定はない。
 なのに、入口の前で、彼女を見つける。

 私服姿。
 少し顔色が悪いが、彼女は笑顔で駆け寄ってきた。

「鷹宮さん」

「今日は取引はない」

「知ってます」

 俺のぶっきらぼうな返しにも、彼女は小さく笑う。

「ちょっと、相談」

 胸がざわつく。

「……何だ」

「……もし。もしもの話なんですけど。
 寿命を三年全部売ったら、どうなりますか……?」

 空気が凍る。
 そんなの、子供だって分かる。
 3-3。
 すごく簡単な、算数。

「──やめろ」

 思ったより、強い声が出た。
 即答。
 彼女は驚いたように目を見開く。

「仕事でしょう?」

「今は客じゃないだろ」

 沈黙。
 彼女が視線を落とす。

「……怖くなったんです」

 かすれるような声。
 初めて聞く声だった。
 震えているのが分かる。

「この前、倒れそうになって……そのとき、思ったんです。死ぬかもって」

 指が、かすかに震えている。
 強いと思っていた彼女が、
 初めて弱さを見せる。

「……死なない」

 俺は言う。
 根拠はない。
 だが、言わなければならなかった。

「……全部は、やめろ」

 自分でも情けない声だったと思う。

「俺の仕事がなくなるとか、そういう話じゃない」

 うまく言えない。
 ただ、嫌だった。

 その言葉は、ブローカーとしては失格だ。
 だが男としては、初めての本音だった。

 彼女は小さく笑う。

「優しいんですね」

 違う。
 これは優しさじゃない。
 恐怖だ。
 失うことへの。

 再び、沈黙が流れる。
 緋菜が、何か言いたそうにしているのが分かった。

「……何だ」

 緋菜は少し躊躇した後、意を決したように口を開く。

「もし私が倒れたら、連絡していいですか?」

「誰に」

「……鷹宮さんに」

「馬鹿。家族にしろ」

 そういうものだろ、と言いかけてやめた。

「家族には……言えないので」

 何度目かの、沈黙。
 市場の赤い灯りが、二人を照らす。

 スカーレット。
 それは値札の色だと思っていた。

 だが今は、違う。
 その色が、誰のものなのかを、俺は知ってしまっている。
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