Frail/Little Assassin

新田朝弥

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第1章/百鬼夜行 the living dead

1-③/百鬼夜行・序

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 夕刻。

 神谷堂の店内は、昨日よりも静かすぎた。

 風鈴の音すら、どこか遠い。
 私は縁側に腰を下ろし、短剣の刃を布で拭いていた。
 使えば使うほど、馴染んでくる感触。
 ──嫌な感覚だ。

 私は、理由もなく、葉月の方を見る。

 彼は箒を持って、ただそこに立っているだけ。
 だが、その周囲だけ、空気の密度が違う。
 重い。
 見えないものが、そこに"溜まっている"。

 霊は、消えたのではない。
 ここに、留まっている。

 昨夜の悪霊は、終わりではなかった。
 ただの、始まりだ。

 その事実を裏付けるように、
 町の奥から、微かな“ざわめき”が伝わってきた。

「レイ」

 背後から声がする。
 振り返ると、神谷 京二が立っていた。
 手には湯飲み。湯気が、ゆっくりと立ち昇る。

「"百鬼夜行ひゃっきやこう"、って言葉は知っているかい」

「……名前だけ」

 そう答えると、京二は頷いた。

「本来は、祭りの言葉だ。夜に鬼が練り歩く、という寓話」

 だが、と前置きして続ける。

「この町で言う百鬼夜行は、少し違う」

 京二は、通りの方へ視線を向ける。

「霊が一斉に動き出す夜のことだ。強弱はあるが、年に数回、必ず起きる」

「理由は?」

「分からない」

 即答だった。

「分からないからこそ、対処する。
 霊は、溜まれば溢れる。百鬼夜行は、その“溢れ”だ」

 その言葉を聞きながら、胸の奥がざわつく。

 ……溢れたものは、どうする。

「壊す?」

 思わず、口に出た。
 京二は否定しなかった。

「壊すこともある。だが、それは最後の手段だ」

「多くは、鎮める。封じる。流す」

 湯飲みを置き、こちらを見る。

「だから君には、少し待ってもらう」

「……待つ?」

「そう。葉月が“防げる”かどうかを見る」

 名前を出された瞬間、廊下の奥で気配が動いた。

「……聞こえてますからね、それ」

 雪村 葉月が、少しむっとした顔で姿を現す。
 手には、木刀。
 霊力は、まだ抑えられている。

「アイツの身体、だろう?」

 昨晩のことが、脳裏をよぎる。
 倒れかけた私を、軽々と受け止めた感触。
 細身の身体からは、想像できない安定感。

「アイツは“霊力を定着させる”のが得意なんだ」

 京二は淡々と続ける。

「周囲を流れる霊気を、自分の身体に留める。
 常に、霊力を纏った状態を維持している」

 だから、と言葉を切る。

「常人より、ずっと壊れにくい」

 葉月の周囲。
 目に見えるわけじゃない。
 だが、確かに“そこにある”圧が、空気を押している。

 ……なるほど。
 前に立つための身体。

「先陣は、安心して任せられる」

 そう言って、京二は湯飲みを置いた。

 淡々と告げる。

「小規模だが、今夜は出る」

 葉月は息を呑み、握る手に力を込めた。

「……やります」

 その声は、僅かに震えている。
 夜が、落ちる。
 町の灯りがともり、人の影が伸びる。
 その隙間に、別の“影”が混じり始めた。

 ……来る。

 空気が冷える。
 皮膚を撫でる感触が、生き物のようにまとわりつく。
 現れたのは、三体。
 子供ほどの大きさの歪んだ影。
 形は定まらず、笑うような気配だけがある。

 葉月が、一歩前へ出た。

「……こがらし

 名を呼ぶと、木刀が淡く光る。

 最初の一体が跳んだ。
 速い。
 反射的に、私は前に出かけ──止まる。

 ……待て。

 葉月が、真正面から受け止めた。
 木刀に霊力が走り、膜のような衝撃が広がる。
 影が弾かれ、床を滑った。

「っ……!」

 膝が沈むが、倒れない。
 二体目、三体目が連動する。

「──っ!」

 木刀を地面に突き立てる。
 霊力が円を描き、結界のように広がった。
 完璧じゃない。
 動きは鈍く、隙も多い。
 それでも。

 ……防いでる。
 壊さず、通さず。
 “守る”という戦い方。

 一体が、結界を抜けかけた瞬間。
 私は踏み込んだ。
 短剣は抜かない。
 床を蹴り、霊障の動きを断つ。

 影が揺らいだ、その隙を。
 葉月が、逃さない。
 木刀を振り抜くと、影が霧のように散る。

 残りは、京二の札に絡め取られ、静かに霧散した。
 夜が、息を吐く。
 葉月は、その場に膝をついた。

「……はぁ……はぁ……」

 それから、小さく笑う。

「……生きてる」

 私は、その横に立つ。

「初陣にしては、上出来」

 葉月は驚いたようにこちらを見る。

「……褒めてる?」

「事実」

 少し間を置いて、京二が現れた。

「いい連携だった」

 私と葉月を交互に見る。

「これが、百鬼夜行の“序”だ」

 その言葉が、夜に沈む。

 私は短剣の柄に触れ、思う。

 ……壊さなくて、済んだ。

 その感覚が、少しだけ──
 怖かった。

 夜は、まだ長い。

 澪尽町の百鬼夜行は、
 今、静かに歩き出したばかりだ。
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