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第3章/死の境界 cross-border
3-⑤/分かれ道
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地図に示されていた場所は、町外れだった。
舗装もされていない細道を抜け、
川を越え、
さらに人の気配が消えた先。
「……こんな所に」
葉月は、足を止める。
視界の先にあるのは、
古い社だった。
鳥居は半ば崩れ、
社殿も修繕された形跡がない。
だが──荒れている、という印象はない。
むしろ。
“使われていないのに、残っている”。
そんな場所だった。
「ここ、久しぶりね」
背後から、京香の声がする。
振り返ると、
京香は腕を組み、周囲を眺めていた。
「……知ってたんですか」
「まあね」
軽い口調。
だが、目は笑っていない。
「ここはね。
境界が、ちょっと曖昧なの」
葉月は、息を呑む。
確かに。
足を踏み入れた瞬間から、
空気の“密度”が違う。
重いわけじゃない。
だが、薄くもない。
ちょうど、
押せば歪むくらいの感触。
「で」
京香が、ちらりと葉月を見る。
「今日から、あんたを教えるのは私」
「……え?」
思わず声が出た。
「京二さんは?」
「別口」
京香は、社殿の奥を指差す。
「レイは、あっち」
視線の先。
木立の向こうに、別の開けた空間がある。
葉月は、無意識にそちらを見る。
だが、すぐに京香に視線を戻した。
「……理由、聞いても?」
「いいわよ」
京香は、即答した。
「葉月。
あんたは“制御”の人間」
胸の奥を、正確に突かれる。
「力を溜めて、
流して、
逃がす」
指で、空に線を引く。
「流量を調整するタイプ」
そして、社殿の奥を見やる。
「でも、レイは違う」
一拍。
「彼女は、“解放”」
葉月は、眉をひそめた。
「解放……?」
「全部、開けるの」
あっさりと言った。
「止めない。
絞らない。
閉じない」
それは──
葉月が、最もやってはいけないと感じる使い方だった。
「危なくないんですか、それ」
「危ないわよ」
即答。
「普通なら、ね」
京香は、少しだけ口元を歪める。
「でも、あの子は“スイッチ”を持ってる」
その言葉が、葉月の中で引っかかった。
「……スイッチ?」
「オンとオフ」
軽く言う。
「壊す自分と、日常にいる自分を、切り替えるためのもの。
──パチンって、一瞬だけ入れて、また切る」
葉月は、思わず息を詰めた。
──そんなことが、できるのか。
「で、あの子を教えるのは」
京香は、社殿の奥を見つめる。
「京二の役目」
◆◆◆
木立の向こう。
京二と、向かい合う。
特別な陣も、道具もない。
ただ、地面と、風と、沈黙。
「……訓練、ですか」
風景をぐるりと見回しながら、静かに言う。
「いや」
京二は、首を振った。
「まずは確認、だな」
短い言葉。
「お前は、切り替えができる」
言われて、目が、わずかに細くなる。
「戦う自分と、
そうでない自分」
京二は、続ける。
「だがな」
一歩、踏み出す。
「その“戻り方”を、
お前は、ちゃんと理解しているか」
答えない。
否定もしない。
京二は、確信したように言う。
「……破壊衝動だ」
ピクっと、肩が僅かに揺れた。
図星だった。
「内側に溜め込んだ、
壊したいという欲求。
もう一つの“人格”と言ってもいい」
静かな声。
「それを呼び起こして、
攻撃の一瞬に、一気に解放している」
私は、目を伏せる。
「違うか?」
「……」
沈黙は、肯定になってしまった。
京二は、深く息を吐く。
「それを使って」
一拍置く。
「今でも自我を保っていられるのが、
正直、信じられない」
不意に、顔を上げる。
京二の目には、
警戒でも拒絶でもなく。
──感嘆があった。
「相当、地獄を見てきたんだな」
その一言で、
ほんの一瞬だけ、あの日々を思い出す。
だが、すぐに戻る。
「……生きるため」
「だろうな」
京二は、頷く。
「だから俺は、
細かい技術は教えない」
少し、驚いた。
修行じゃ、ないのか?
「教えるのは、一つだけだ」
視線を逸らさず、言う。
「“切り替えた後に、戻る方法”だ」
◆◆◆
社殿の前で、
京香は葉月に向き直る。
「さて」
指を鳴らす。
「こっちはこっちで、
地味で、面倒で──」
京香の腰に差した短剣が、
鞘の中で、微かに鳴った。
「──失敗すると死ぬ訓練、始めましょ」
葉月は、凩を握り締めた。
同じ場所。
同じ時間。
だが、進む道は、完全に分かれていた。
──制御する者と、
解放する者。
その両方が揃った時、
黒い塔が黙っているはずがない。
それを、
誰よりも分かっているのは──
教える側の二人だった。
「まず、確認ね」
京香は、社殿の前に立ったまま言った。
「葉月。
あんた、自分の霊力が“どこにあるか”、分かる?」
いきなりの問いに、葉月は少し考える。
「……体の中、ですか」
「半分正解」
京香は、指で自分の胸を軽く叩いた。
「でも、それだけじゃない」
一歩、葉月に近づく。
「霊力は、“溜まる”ものじゃない。
本来は、流れるもの」
京香は、葉月の手首を取った。
強くはない。だが、逃げられない。
「今のあんたはね」
手首から、肩、背中へと、
指でなぞる。
「全部、ここに溜めてる」
背骨の中心。
ぞくり、とした。
「だから、身体が先に悲鳴を上げる」
手を離す。
「で、今日教えるのは簡単」
京香は、凩を見る。
「その流れを、
身体じゃなくて──そっちに渡す」
「武器に……?」
「そう。霊力を“流す先”を変えるだけ」
京香は、言いながら、
自分の腰に差した短刀に触れた。
刃は抜かない。
だが、その瞬間。
空気が、微かに鳴った。
「……っ」
葉月は、思わず目を凝らす。
何かが、短刀に集まった。
視認できるほどじゃない。
だが、確かに“重さ”が変わった。
「見える?」
「……分かる、気がします」
「なら、上出来」
京香は、凩を顎で示す。
「やってみな」
葉月は、息を整え、
凩を構えた。
意識する。
いつも通り、霊力を巡らせる。
──いや。
いつも通り、じゃない。
身体に回そうとした瞬間、
京香の声が飛ぶ。
「違う」
鋭い。
「“守る”方向に回さない」
葉月は、はっとする。
無意識だった。
霊力を使う時、
自分は常に“防御”を前提にしている。
「攻撃は、逃げ場がない」
京香は、淡々と言った。
「逃げ場がない分、
覚悟がいる」
一歩、近づく。
「身体から、引き剥がしなさい」
葉月は、歯を食いしばる。
霊力を、集める。
だが、身体に留めない。
凩へ。
木刀へ。
「……っ」
瞬間。
身体が、軽くなった。
いや。
軽い、というより──空っぽだ。
皮膚の感覚が、薄れる。
足裏の接地感が、頼りない。
「それ」
京香の声。
「今、あんたの防御はゼロ」
葉月の喉が、鳴る。
「誰かに殴られたら、
普通に死ぬわよ」
心臓が、跳ねる。
だが。
凩の感触が、違った。
重い。
密度がある。
握った手に、確かな“芯”が伝わる。
「……すごい」
思わず、零れた。
「でしょ」
京香は、口角を上げる。
「その代わり」
一瞬で距離を詰められた。
「判断、遅れたら終わり」
京香の指が、
葉月の喉元すれすれで止まる。
葉月は、息を止めていた。
「今の一瞬で、
戻せなかったら──」
指を引く。
「終わり」
はっきりと。
葉月は、力を戻す。
身体に、霊力が巡る。
どっと、汗が噴き出した。
「……これ、覚えるってことは」
京香は、葉月を見る。
その目は、冗談を許さない。
「完全に、“境界を超える”ってこと」
静かに、告げる。
「確実に、黒い塔から狙われる」
葉月の脳裏に、
観測室の光景がよぎる。
「それでも」
京香は、問いかけた。
「覚える?」
一瞬。
葉月は、迷った。
──京二さんに止められなくなったら、終わりだ。
そんな感覚が、
どこかで確かにあった。
でも。
それでも。
「……はい」
答えた。
京香は、短く頷く。
「じゃあ、地獄よ」
不意に、少しだけ優しい声で。
「落ちないように、
ちゃんと見ててあげる」
その言葉が、
何よりも重かった。
舗装もされていない細道を抜け、
川を越え、
さらに人の気配が消えた先。
「……こんな所に」
葉月は、足を止める。
視界の先にあるのは、
古い社だった。
鳥居は半ば崩れ、
社殿も修繕された形跡がない。
だが──荒れている、という印象はない。
むしろ。
“使われていないのに、残っている”。
そんな場所だった。
「ここ、久しぶりね」
背後から、京香の声がする。
振り返ると、
京香は腕を組み、周囲を眺めていた。
「……知ってたんですか」
「まあね」
軽い口調。
だが、目は笑っていない。
「ここはね。
境界が、ちょっと曖昧なの」
葉月は、息を呑む。
確かに。
足を踏み入れた瞬間から、
空気の“密度”が違う。
重いわけじゃない。
だが、薄くもない。
ちょうど、
押せば歪むくらいの感触。
「で」
京香が、ちらりと葉月を見る。
「今日から、あんたを教えるのは私」
「……え?」
思わず声が出た。
「京二さんは?」
「別口」
京香は、社殿の奥を指差す。
「レイは、あっち」
視線の先。
木立の向こうに、別の開けた空間がある。
葉月は、無意識にそちらを見る。
だが、すぐに京香に視線を戻した。
「……理由、聞いても?」
「いいわよ」
京香は、即答した。
「葉月。
あんたは“制御”の人間」
胸の奥を、正確に突かれる。
「力を溜めて、
流して、
逃がす」
指で、空に線を引く。
「流量を調整するタイプ」
そして、社殿の奥を見やる。
「でも、レイは違う」
一拍。
「彼女は、“解放”」
葉月は、眉をひそめた。
「解放……?」
「全部、開けるの」
あっさりと言った。
「止めない。
絞らない。
閉じない」
それは──
葉月が、最もやってはいけないと感じる使い方だった。
「危なくないんですか、それ」
「危ないわよ」
即答。
「普通なら、ね」
京香は、少しだけ口元を歪める。
「でも、あの子は“スイッチ”を持ってる」
その言葉が、葉月の中で引っかかった。
「……スイッチ?」
「オンとオフ」
軽く言う。
「壊す自分と、日常にいる自分を、切り替えるためのもの。
──パチンって、一瞬だけ入れて、また切る」
葉月は、思わず息を詰めた。
──そんなことが、できるのか。
「で、あの子を教えるのは」
京香は、社殿の奥を見つめる。
「京二の役目」
◆◆◆
木立の向こう。
京二と、向かい合う。
特別な陣も、道具もない。
ただ、地面と、風と、沈黙。
「……訓練、ですか」
風景をぐるりと見回しながら、静かに言う。
「いや」
京二は、首を振った。
「まずは確認、だな」
短い言葉。
「お前は、切り替えができる」
言われて、目が、わずかに細くなる。
「戦う自分と、
そうでない自分」
京二は、続ける。
「だがな」
一歩、踏み出す。
「その“戻り方”を、
お前は、ちゃんと理解しているか」
答えない。
否定もしない。
京二は、確信したように言う。
「……破壊衝動だ」
ピクっと、肩が僅かに揺れた。
図星だった。
「内側に溜め込んだ、
壊したいという欲求。
もう一つの“人格”と言ってもいい」
静かな声。
「それを呼び起こして、
攻撃の一瞬に、一気に解放している」
私は、目を伏せる。
「違うか?」
「……」
沈黙は、肯定になってしまった。
京二は、深く息を吐く。
「それを使って」
一拍置く。
「今でも自我を保っていられるのが、
正直、信じられない」
不意に、顔を上げる。
京二の目には、
警戒でも拒絶でもなく。
──感嘆があった。
「相当、地獄を見てきたんだな」
その一言で、
ほんの一瞬だけ、あの日々を思い出す。
だが、すぐに戻る。
「……生きるため」
「だろうな」
京二は、頷く。
「だから俺は、
細かい技術は教えない」
少し、驚いた。
修行じゃ、ないのか?
「教えるのは、一つだけだ」
視線を逸らさず、言う。
「“切り替えた後に、戻る方法”だ」
◆◆◆
社殿の前で、
京香は葉月に向き直る。
「さて」
指を鳴らす。
「こっちはこっちで、
地味で、面倒で──」
京香の腰に差した短剣が、
鞘の中で、微かに鳴った。
「──失敗すると死ぬ訓練、始めましょ」
葉月は、凩を握り締めた。
同じ場所。
同じ時間。
だが、進む道は、完全に分かれていた。
──制御する者と、
解放する者。
その両方が揃った時、
黒い塔が黙っているはずがない。
それを、
誰よりも分かっているのは──
教える側の二人だった。
「まず、確認ね」
京香は、社殿の前に立ったまま言った。
「葉月。
あんた、自分の霊力が“どこにあるか”、分かる?」
いきなりの問いに、葉月は少し考える。
「……体の中、ですか」
「半分正解」
京香は、指で自分の胸を軽く叩いた。
「でも、それだけじゃない」
一歩、葉月に近づく。
「霊力は、“溜まる”ものじゃない。
本来は、流れるもの」
京香は、葉月の手首を取った。
強くはない。だが、逃げられない。
「今のあんたはね」
手首から、肩、背中へと、
指でなぞる。
「全部、ここに溜めてる」
背骨の中心。
ぞくり、とした。
「だから、身体が先に悲鳴を上げる」
手を離す。
「で、今日教えるのは簡単」
京香は、凩を見る。
「その流れを、
身体じゃなくて──そっちに渡す」
「武器に……?」
「そう。霊力を“流す先”を変えるだけ」
京香は、言いながら、
自分の腰に差した短刀に触れた。
刃は抜かない。
だが、その瞬間。
空気が、微かに鳴った。
「……っ」
葉月は、思わず目を凝らす。
何かが、短刀に集まった。
視認できるほどじゃない。
だが、確かに“重さ”が変わった。
「見える?」
「……分かる、気がします」
「なら、上出来」
京香は、凩を顎で示す。
「やってみな」
葉月は、息を整え、
凩を構えた。
意識する。
いつも通り、霊力を巡らせる。
──いや。
いつも通り、じゃない。
身体に回そうとした瞬間、
京香の声が飛ぶ。
「違う」
鋭い。
「“守る”方向に回さない」
葉月は、はっとする。
無意識だった。
霊力を使う時、
自分は常に“防御”を前提にしている。
「攻撃は、逃げ場がない」
京香は、淡々と言った。
「逃げ場がない分、
覚悟がいる」
一歩、近づく。
「身体から、引き剥がしなさい」
葉月は、歯を食いしばる。
霊力を、集める。
だが、身体に留めない。
凩へ。
木刀へ。
「……っ」
瞬間。
身体が、軽くなった。
いや。
軽い、というより──空っぽだ。
皮膚の感覚が、薄れる。
足裏の接地感が、頼りない。
「それ」
京香の声。
「今、あんたの防御はゼロ」
葉月の喉が、鳴る。
「誰かに殴られたら、
普通に死ぬわよ」
心臓が、跳ねる。
だが。
凩の感触が、違った。
重い。
密度がある。
握った手に、確かな“芯”が伝わる。
「……すごい」
思わず、零れた。
「でしょ」
京香は、口角を上げる。
「その代わり」
一瞬で距離を詰められた。
「判断、遅れたら終わり」
京香の指が、
葉月の喉元すれすれで止まる。
葉月は、息を止めていた。
「今の一瞬で、
戻せなかったら──」
指を引く。
「終わり」
はっきりと。
葉月は、力を戻す。
身体に、霊力が巡る。
どっと、汗が噴き出した。
「……これ、覚えるってことは」
京香は、葉月を見る。
その目は、冗談を許さない。
「完全に、“境界を超える”ってこと」
静かに、告げる。
「確実に、黒い塔から狙われる」
葉月の脳裏に、
観測室の光景がよぎる。
「それでも」
京香は、問いかけた。
「覚える?」
一瞬。
葉月は、迷った。
──京二さんに止められなくなったら、終わりだ。
そんな感覚が、
どこかで確かにあった。
でも。
それでも。
「……はい」
答えた。
京香は、短く頷く。
「じゃあ、地獄よ」
不意に、少しだけ優しい声で。
「落ちないように、
ちゃんと見ててあげる」
その言葉が、
何よりも重かった。
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