Frail/Little Assassin

新田朝弥

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第3章/死の境界 cross-border

3-⑧/訓練・急/不穏

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 三日目以降、訓練は毎日ではなかった。

 京香は、最初にはっきりと言った。

「毎日やったら、死ぬわよ」

 冗談ではない声音だった。

 霊力は、使えば回復する。
 だが、境界に触れる使い方は──
 回復の前に、摩耗する。

 だから、一日置き。
 時には二日、間を空ける。

 その間、葉月は町に戻り、
 神谷堂の手伝いをし、
 何もなかった顔で、日常を過ごした。

 ◆◆◆

【訓練四日目】

 霊力を凩へ流す練習は、
 まだ「感覚」に頼る段階だった。

 成功すれば、
 身体が空洞になるような感覚。

 失敗すれば、
 いつもより重い反動が返ってくる。

 京香は、ほとんど口を出さない。

 ただ、失敗した時だけ言う。

「今の、死んでた」

 それだけ。

 そして、本当に取り返しがつかなくなりそうな時は、受け止めてくれる。

 葉月は、何度も喉を鳴らした。

 ◆◆◆

【訓練六日目】

 ほんの一瞬だけ、
 切り替えが“滑らか”になる。

 霊力が身体を離れ、
 凩へと移る、その刹那。

 恐怖よりも先に、
 妙な静けさが来た。

「……今」

 思わず声が漏れる。

 京香は、目を細めた。

「それ」

 短く。

「今のが、入口」

 褒め言葉ではない。
 合格でもない。

 ただの、事実確認。

 ◆◆◆

 その間、
 レイとは、あまり話さなかった。

 お互い、疲労の質が違う。
 言葉を交わさなくても、
 相手が“削れている”のは分かった。

 それでも、すれ違いざま、
 レイがぽつりと言った。

「……無理、しないで」

 それだけ。

 葉月は、曖昧に笑った。

 ◆◆◆

 【訓練八日目】

 京二が、初めて葉月の訓練場所に顔を出した。

 遠巻きに見て、
 一言も口を挟まない。

 だが。

 葉月が失敗しかけた瞬間、
 ほんの僅か、眉が動いた。

 それを見た時。

 ──この人に止められなくなったら、終わりだ。

 はっきりと、そう思った。

 理由は分からない。
 ただ、身体が理解していた。

 ──でも。
 だからこそ。
 自分で完璧に制御出来るようになることは、絶対条件。
 もし自分が"終わってしまう"のであれば、
 この人達を、巻き込まない。

 そう、心に決める。


 ◆◆◆

【訓練十日目】

 葉月は、まだ「掴めた」とは言えなかった。

 成功率は、三割程度。
 成功すれば威力は絶大。
 だが、再現性は、ない。

 それでも。

 京香は、訓練を切り上げる時、
 こう言った。

「まあ……悪くない」

 それだけで、
 胸の奥が、少しだけ軽くなった。

 ◆◆◆

 その十日間。
 澪尽町は、平穏だった。

 ──表向きは。

 最初に気づいたのは、
 葉月ではなかった。

 神谷堂に来た、常連の老女。

「最近ね」

 茶を啜りながら、首を傾げる。

「夜、夢を見ないのよ」

 不思議そうに、笑う。

「昔は、変な夢ばかり見てたのに」

 次に来たのは、商店街の店主。

「最近、客の足が止まる時間があってさ」

「止まる?」

「そう。夕方くらい。
 急に、誰もいなくなる」

 すぐ戻る。
 だが、その“空白”が、
 毎日、少しずつ長くなっている。

 そして──

 葉月自身も、気づいた。

 影だ。

 夕暮れ時。
 街灯が点く前。

 建物の影が、
 ほんの少しだけ、長い。

 日照の角度の問題──
 そう言えば、そう見える。

 だが。

 昨日より、今日。
 今日より、明日。

 確実に、伸びている。

 まるで、
 町そのものが、薄くなっているみたいに。

「……」

 神谷堂の前で、
 葉月は、足を止めた。

 訓練のせいかもしれない。
 境界に触れたせいかもしれない。

 それでも。

 この十日間、
 敵が何もしてこなかった理由が──

 少しずつ、
 形になり始めていた。

 派手な異変は、ない。
 死者も、負傷者も、出ていない。

 だが。

 町の“内側”が、
 静かに、削られている。

 呼吸のように。
 気づかれない速度で。

 ──準備されている。

 その感覚だけが、
 葉月の背中に、冷たく張り付いていた。

 ◆◆◆

 異変が、形を持ったのは──
 夕方の、商店街だった。

 時間帯としては、いつもと同じ。
 学校帰りの子ども。
 買い物袋を下げた主婦。
 シャッターを半分下ろし始める店もある。

 騒がしくて、
 雑多で、
 少しだけ疲れた日常。

 だからこそ。

 最初は、誰も気づかなかった。

 葉月は、商店街の端で足を止めた。

「……?」

 理由は、はっきりしない。
 ただ、胸の奥が、僅かにざらついた。

 霊力が溜まる場所特有の、
 あの“重さ”とは、違う。

 もっと、薄い。
 だが、確実に“欠けている”。

 視線を巡らせる。

 八百屋。
 惣菜屋。
 古い玩具店。

 どこも、普通だ。
 いつも通り。
 ──いや。
 普通だからこそ、残る違和感。

 人の流れが、
 妙に滑らかだった。

 ぶつからない。
 立ち止まらない。
 視線が、合わない。

 まるで、
 決められた動線を、
 無意識に避けているみたいに。

「……おかしい」

 そう呟いた瞬間。

 ──影が、揺れた。

 街灯の下。
 人の足元に落ちるはずの影が、
 一瞬だけ、別の方向へ伸びる。

 葉月は、息を呑む。

 凩に手を伸ばす。
 だが、抜かない。

 この程度で、
 境界を踏むわけにはいかない。
 少し、警戒する程度。

 その時。

「……あれ?」

 小さな声が、聞こえた。

 ◆◆◆

 通りの中央。
 人波から、半歩だけ外れた場所。

 少女が、一人で立っていた。

 見覚えがある。

 ──この前、道に迷っていた子。

 ランドセルを胸に抱え、
 きょろきょろと周囲を見回している。

 だが。

 人は、いる。
 なのに。

 誰も、その子を避けない。
 気づいていない。

 少女の足元。
 影が──ない。

「……っ」

 葉月は、反射的に駆け出していた。

「ちょっと!」

 声をかける。

 少女が、びくりと肩を震わせた。

「あ……」

 振り返った瞬間。

 地面が、沈んだ。

 正確には、
 “影だけ”が、落ちた。

 商店街の石畳の下。
 そこに、底の見えない黒が、
 一瞬、口を開ける。

 ──引きずり込まれる。

 判断は、一瞬だった。

 葉月は、少女の腕を掴み、
 思いきり引き寄せる。

「危ない!」

 次の瞬間。

 影が、閉じた。

 何事もなかったように。
 石畳は、元通り。
 通行人は、誰も振り返らない。

 ◆◆◆

 少女は、
 葉月に抱え込まれる形で、
 地面に座り込んでいた。

 しばらく、声が出ない。

 やがて。

「……びっくり、した」

 小さく、そう言った。

 葉月は、膝をつき、
 目線を合わせる。

「大丈夫?」

 少女は、こくりと頷く。

「……ありがとう」

 それから、少し間を置いて。

「ねえ」

 おずおずと、続ける。

「お兄ちゃん、名前は?」

「葉月」

 答えると、
 少女は、ほっとしたように笑った。

「わたし、フーちゃん」

 愛称のような言い方だった。

「フーちゃん、か」

「うん」

 それだけで、
 深い意味はなさそうだった。

 葉月は、立ち上がり、
 周囲を警戒する。

 影は、戻っている。
 だが、感覚が消えない。

 ──ここは、もう安全じゃない。

「フーちゃん。おうち、どこ?」

「こっち」

 指差す方向は、
 商店街の反対側。

 影が沈んだ場所を、
 避けるルートだった。

 偶然か。
 それとも──。

 葉月は、何も言わず、
 彼女の手を取った。

「送るよ」

「いいの?」

「うん」

 歩き出す。

 その間、
 少女は何も聞かなかった。
 さっきのことも、
 影のことも。

 ただ、しっかりと、
 葉月の手を握っていた。

 ◆◆◆

 家の前で、別れる時。

「また、会える?」

 少女──フーちゃんが、聞いた。

 葉月は、一瞬だけ迷い、
 それから、頷いた。

「たぶん」

 それで、十分だった。

 フーちゃんは、
 満足そうに笑って、家に入る。

 葉月は、
 しばらく、その場を動けなかった。

 商店街の方角を見る。

 何も起きていない。
 人も、店も、日常のまま。

 だが。
 ──壊された。

 派手な破壊じゃない。
 死者もいない。

 けれど。

 “落ちる穴”が、
 確かに、開いた。

 これが、仮に人為的なものだとすると。
 確実に、迫っている。
 敵が。
 黒い塔が。

 葉月は、凩を強く握った。

 フーちゃんの、
 小さな手の感触が、
 まだ、残っていた。

 ◆◆◆

 神谷堂の空気が、わずかに張り詰めていた。

 京二は、帳簿を閉じたまま動かない。
 京香は、縁側に腰掛け、煙草も吸わずに空を見ている。

「……商店街、だな」

 京二が、静かに言った。

「ええ」

 京香は、即答する。

「偶然じゃない。
 霊力が多く、日常に溶け込みやすい。
 最初に壊すには、ちょうどいい」

 葉月が連絡を入れてから、二人の判断は早かった。

「黒い塔、だな」

 京二は、断定した。

「しかも──直接、殺しに来てない」」

 京香が言葉を継ぐ。

「·········分断、かしらね」

 京香は、ぽつりと呟いた。

「あの女の常套手段よ」

 あの女──ワタリ。
 黒い塔の現No.2。

「一人ずつ、確実に排除する。
 常に警戒を怠らない、用意周到な殺し。
 塔内では"蛇"って呼ばれてたわ。
 本人にそれ言ったら怒るけど」

 京香は、立ち上がる。

「葉月が、動いたわね」

 京二の目が、僅かに細くなる。

「単独か」

「ええ」

 一瞬の間。

「……行くわ」

 京香が、短く言った。

「大丈夫なのか?」

 京二は、京香を見る。

「先に動いたのは、向こうの方」

 京香は、口角を上げた。

「なら──
 踏み込まれた分、殴り返すだけ」


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