Frail/Little Assassin

新田朝弥

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第3章/死の境界 cross-border

3-⑨/死の境界

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 淡い光に満ちた上層。

 円形の部屋で、ワタリは記録を眺めていた。

「……反応、良好」

 男が、低く報告する。

「澪尽町商店街の侵食、順調です」

「そう」

 ワタリは、興味なさげに頷く。

「皆が固まっている時ほど、
 一点を突けば、綺麗に割れる」

「一個体、離れました」

「雪村 葉月、かしら」

 ワタリは、記録を切り替えた。

 表示された名。

 ──木皿儀 岳きさらぎ がく

「だったら、ちょうど良いわ。
 彼を向かわせましょう」

 淡々と。

「"鬼"と呼ばれた男」

 ワタリは、微笑った。

「仕留める時は、一匹ずつ確実に……ね」

 ◆◆◆

 葉月は、一人で商店街の外れを歩いていた。

 理由は、はっきりしている。
 嫌な予感が、消えなかったからだ。

 昼間から続く、微妙な違和感。
 人通りはある。
 店も開いている。
 それなのに──どこか、空気が軽すぎる。

「……静か、すぎる」

 百鬼夜行が起きた場所。
 本来なら、もっと霊力が“ざらつく”はずだ。

 凩を背負ったまま、足を止める。

 その瞬間。

 背中が、ひくりと震えた。

 ──視線。

 見られている。
 しかも、“上”からではない。

 同じ高さ。
 同じ地面。
 すぐ近く。

 葉月は、ゆっくりと息を吐く。

「……誰ですか」

 返事はない。

 だが、空気が一段、沈んだ。

 影が、濃くなる。

 そこに──
 最初から“いた”かのように、
 一つの気配が、輪郭を持った。

 正面。

 影よりも濃い存在が、立っている。

 長身。
 歪んだ霊力。
 手には──巨大な鎌。
 日常とはかけ離れた、異質な存在。

「……カミヤ」

 低い声。

 名を呼んだだけ。
 それだけなのに、空気が歪んだ。

 ──京二さんのことか?
 そう思った瞬間だった。

 ──首元に、冷たい感覚。
 目の前に、鎌が迫る。

 葉月は咄嗟に、後ろへ飛び退く。

 空気を切り裂く音が、響き渡る。
 空振りした鎌を構え直し、男が呟く。

「いい動きだ」

 ほんの少し、掠った。
 首から少量の血が、流れる。
 高鳴る鼓動を、抑える。

 考えなくても、分かる。
 ──黒い塔からの、刺客。

 ふと、鎌の根元に刻まれた、
『5』の数字が、目に入った。

 レイから聞いた情報を、思い返す。
 ──黒い塔の暗殺者には、
 実力上位の五名に数字が与えられる。

 葉月が対峙した鞘師 走馬は、"No.1"。
 神谷堂の前で会った睦月 理久は、"No.4"。
 そして、目の前の男は。

「"No.5"……」

 次の瞬間。

 鎌が、先程よりも大きな唸りを上げて、振るわれた。

「──っ!」

 葉月は、地面を蹴る。

 紙一重。
 風圧が、頬を裂く。

 重い。
 圧倒的な質量。

 だが。

「……視える」

 口から、言葉が零れた。

 訓練で叩き込まれた“間”と、攻撃を見切る"感覚"。
 攻撃の前──霊力が集まる瞬間。
 身体が、自然に動いた。

 凩に、霊力を流す。
 京香に教わった通り。

「……ほう」

 男が、目を細めた。

「なるほど。
 カミヤの弟子、か」

 鎌が、再び唸りを上げる。

「なら──殺す価値は、ある」

 連撃。
 葉月は、必死に捌く。

 連日の訓練。
 疲労は、確実に溜まっている。

 腕が、重い。
 呼吸が、乱れる。

 それでも。
 ──渡り合えている。

 だが。
 反撃が、出来ない。
 止めどなく浴びせられる攻撃を、弾くのが精一杯だった。

 どう攻めればいいのか、分からない。
 視えているのに、次の選択が、選べない。

 葉月は、歯を食いしばる。
 このままでは、結果は見えている。

 鋭く、重い一撃。
 凩で受け切るも、衝撃で後方へ飛ばされる。

 男は、不気味に笑う。

「ワタリから聞いた以上だな。
 境界を超えた一般人。実に興味深い」

 そして、ゆっくりと、鎌を振り上げる。

「だがな、小僧。
 お前が超えた"ソレ"は」

 目にも留まらぬ、一閃。

「──"死の境界"だ」

 その時。

「──まだまだ」

 横合いから、軽い声。

 ──金属音。
 鎌が、弾かれた。

 そこに立っていたのは、京香だった。
 手に持っているのは、
 その辺に落ちていたと思われる、鉄パイプ。

「霊力の操作は及第点。
 だけど、実戦で使うには、まだまだね」

 視線が、男に向く。

「久しぶりね。"鬼"の木皿儀きさらぎ

 鎌の男──木皿儀 岳の表情が、歪んだ。

「……京香ァ……!」

 憎悪が、噴き出す。

「まだ、生きていたか」

「しぶといのが、取り柄なのよ」

 京香は、鉄パイプを肩に担ぐ。
 それを見て、木皿儀は鼻で笑う。

「そんなで戦えるとは、思えねぇが?」

「殺し屋はもう、
 引退したんで」

 一歩、踏み出す。

「今は──」

 目が、冷たく光る。

「身内を守る側」

 次の瞬間。
 激突する、鈍い金属音。
 鉄パイプが、鎌を弾いた瞬間。
 空気が、はっきりと変わった。

 ──違う。

 葉月は、直感的に理解する。
 さっきまでの自分と木皿儀のやり取りとは、質が違う。

 力を振るっているのに、無駄がない。

 京香は、踏み込まない。
 かといって、引いてもいない。

 間合いの外でもなく、内でもない。
 “ちょうど壊せる距離”に、立っている。

「……へえ」

 京香の視線が、鎌に刻まれた数字を捉える。

「“5”なんだね」

 肩をすくめる。

「元No.1も、落ちぶれちゃって」

 空気が、軋んだ。

「……黙れ」

 木皿儀の声が、低く沈む。

「カミヤは、どこにいる」

 鎌が、ゆっくりと持ち上がる。

「お前を殺せば、出てくるのか?」

「残念」

 京香は、即答した。

「あの人はね。
 アンタ相手にしてるほど、暇じゃないのよ」

 次の瞬間。

牛鬼ぎゅうき──」

 木皿儀が、踏み込んだ。

「──"かぶと"」

 振るわれる、鎌。
 左右、牛の角のような、二連の斬撃。
 ──速く、鋭い。

 京香は、最短で鉄パイプを差し込む。
 柄を弾き、間合いをずらす。

 次の瞬間。

 木皿儀は、身体を軸に回った。
 鎌が円を描き、空間を薙ぐ。

「葉月、跳んで!」

「え──」

「早く!」

 反射的に跳躍。

 直後、地面が裂ける。

「……冥鬼めいき・" 孟婆もうば"」

 広範囲が、削り取られる。
 周囲を巻き込む型。

「……っ」

 葉月は着地しながら、息を呑む。
 京香が、間に入る。

「アンタ、相変わらず周りが見えない」

 木皿儀は、笑った。

「必要ない。いずれにせよ、殲滅する」

 鎌が、高く振り上げられる。
 木皿儀の霊力が、歪む。
 無理やり引き上げている。

 連撃。

 あれほど大きな武器なのに、
 振りが、途切れない。
 否。
 途切れさせていない。
 無理を承知で、身体を使い潰している。

 ──壊れている。

 それでも。
 それでも、強い。

 だが。
 京香は、一歩も下がらない。
 鎌の軌道を、読むのではない。
 霊力の流れを見ている。

 振るわれる前。
 力が集まる、その“前段階”。
 鉄パイプが、攻撃を弾き、
 柄を打つ。
 関節を打つ。
 霊力が集中する“点”だけを叩く。

「……っ!」

 木皿儀の動きが、わずかに鈍る。

 その瞬間。
 京香は、踏み込まない。

 ──葉月は、そこで気づいた。

 追撃しない。
 自分なら、いっていた。
 京香は、いかない。

 なぜ?
 答えは、すぐに来た。

 木皿儀が、さらに霊力を引き上げる。

鬼哭きこく──"閻魔えんま"」

 一直線。
 一点集中。

 京香は、受けない。
 受けないまま、逸らす。

 衝撃が地面を抉る。

 歪む。
 暴れる。
 鎌が、異様な唸りを上げる。

「……チッ」

 京香は、初めて舌打ちした。

「相変わらずだね。
 壊れた身体で、無茶しすぎ」

「壊したのは……!」

 木皿儀が、吼える。

 鎌が、叩きつけられる。
 地面が、割れた。
 霊力の衝撃が、周囲を薙ぐ。

 葉月は、とっさに身構える。

 ──来る。

 だが。
 京香は、その“爆発”の中心に立ったままだった。

 鉄パイプに、霊力が集まる。
 いや。
 流している。

 身体には、ほとんど残していない。

 ──武器だけが、重い。

 京香は、葉月が教わった通りのことを、
 完成形でやっていた。

 防御を、捨てている。

 それでも。

 当たらない。

 霊力の爆風を、
 “流れ”として受け流し、
 致命点だけを外している。

「……見てなさい」

 京香の声が、低く届く。

「制御ってのは」

 力を抑えることじゃない。
 訓練でも度々、言われ続けた台詞。

「使う場所を、間違えないこと」

 瞬間、踏み込んだ。

 鉄パイプが、鎌の柄を叩き落とす。

 続けて。

 肘。
 肩。
 鳩尾。

 人体を知り尽くした打撃。

 木皿儀の身体が、宙を舞う。

 地面に叩きつけられ、
 それでも、男は笑った。

「……は」

 血を吐きながら。

「やっぱりだ……」

 視線が、京香を射抜く。

「京香……
 お前も、兄貴も……」

 歯を食いしばる。

「……怪物だ」

 京香は、鉄パイプを下ろした。

「光栄ね」

 淡々と。

「でも」

 一歩、距離を取る。

「アンタはもう、
 昔の場所には戻れない」

 それが。

 何よりも残酷な、宣告だった。

 葉月は、凩を握り締めていた。

 胸の奥が、熱い。

 怖い。
 でも。

 ──理解してしまった。

 目指す場所が、はっきり見えてしまった。

 それが。

 この戦いで得た、
 最大の“学び”だった。

 ◆◆◆

 ──思い出す。

 あの日の光景を。

 血の匂い。
 崩れた床。
 折れた鎌。

 そして。

 ──立っていた男。

 神谷 京二。

 こちらを見下ろすでもない。
 勝ち誇るでもない。

 ただ、静かに言った。

『……ここまでだ』

 それだけだった。

 木皿儀は、歯を食いしばった。

 身体が、動かなかった。
 霊力は、出し切った。
 限界を、超えた。

 それでも。

 届かなかった。

『なぜ……』

 声にならない声。

『なぜ、貴様は……
 そこに、立っていられる……!』

 京二は、答えなかった。

 ただ。

 ──一度だけ、視線を向けた。

 哀れみでも、軽蔑でもない。

 「評価」すら、していない目。

 その瞬間。
 木皿儀の中で、何かが壊れた。
 No.1としての、全てが──
 音を立てて、崩れ落ちた。

 ◆◆◆

「……ッ!」

 現実に引き戻され、木皿儀は地面を蹴った。

 霊力が、暴発する。
 歪んだ力が、無理やり身体を駆動させる。

 骨が軋む。
 筋肉が裂ける。

 それでも。

「まだだ……!」

 鎌が、叩きつけられる。
 京香は、鉄パイプで受けた。

 ──受けた、が。

「……っ」

 初めて、弾き飛ばされる。
 鉄パイプが、歪む。

 地面を滑り、京香は体勢を立て直した。

 葉月の喉が、鳴る。

 通じていない。
 さっきまでとは、明らかに違う。
 霊力の“質”が変わっている。
 限界を、踏み越えている。

「……カミヤァァッ!」

 木皿儀が、叫ぶ。

「見てるか……!
 俺は、まだ……!」

 鎌が、振るわれる。
 空間が、歪む。

神鬼しんき
 ──"風雲羅刹ふううんらせつ"」

 風が、刃になる。
 まさに、鎌鼬かまいたち
 空間ごと切り裂く、強烈な一撃。
 鉄パイプが、完全に押し負けた。

 京香は、距離を取る。
 ボロボロの鉄パイプを捨て、
 小さく息を吐いた。

「……流石に」

 苦笑する。

「抜かなきゃ、無理か」

 葉月の視線が、京香の腰元に集まる。

 次の瞬間。
 光が、走った。

 短剣。
 だが。
 ただの短剣じゃない。
 西洋の宝剣のような、澄んだ輝き。
 見る者の視線を、奪うほどの存在感。

 刃に、霊力が自然と集まっていく。

 美しい。

 ──恐ろしいほどに。

「……それは……」

 木皿儀の声が、震えた。

 京香は、構える。
 一切の無駄が、消えた。

「勘違いしないで」

 静かに。

「アンタのために、抜いたわけじゃない」

 脚に霊力を集中させ、高く跳躍する。

「身内を、守るため」

 宙を舞う。
 そして、建物の壁を足場に、一気に飛び出す。
 その瞬間──世界が、切り替わった。

 速い。

 いや。

 速さという概念が、置き去りにされる。

 京香は短剣を、逆手に持ち替える。
 短剣に纏う霊力が、輝きを放つ。

壱式いっしき──"薔薇ロゼ"」

 ノーモーション。
 そう見えるほどの、静かで、疾い、一撃。
 木皿儀の鎌が、弾かれる。
 否。
 切り裂かれた。

 霊力ごと、断たれる。

「……ッ!?」

 木皿儀は体勢を立て直す。
 が、気付けば京香は、目の前にいる。

 常に、最短距離。

肆式よしき

 刃が、閃く。
 一瞬の、"殺意"。

 瞬きの、間。

「──"天竺牡丹ダリア"」

 一振り、の筈だった。
 放たれた一閃の中に、何発もの、衝撃。

 木皿儀は鎌で受けるが、
 勢いのまま、後方の廃ビルまで吹き飛ばされる。

 窓ガラスが、飛散する。

 殺さない。
 だが。
 完全な制圧。

「アンタはもう、
 型に喰われている」

 淡々と言い放ち、京香は背を向ける。

 木皿儀は、すぐ立ち上がるも、膝をついた。
 息が、荒い。

 視線を上げ、笑う。

「……何が、引退だ……」

 血混じりの笑み。

「……あの頃よりも、むしろ……」

 京香は、柔らかい表情で振り向く。

「そう?」

 飄々と、笑ってみせる。

「なら、良かった」

 背を向ける。

「アンタも、引退してみたら?」

 それだけ言い残し、
 葉月の方へ、歩いてくる。

 葉月は、息を呑んだまま、立ち尽くしていた。
 胸が、震えている。

 怖い。
 でも。

 ──目を、逸らせなかった。

 これが、“境界の向こう側”の戦い。

 そう、理解してしまったから。
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