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第3章/死の境界 cross-border
3-⑩/虎口竜穴
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木皿儀は、崩れた壁に、背中を預ける。
身体が、言うことを利かない。
霊力は、もう空っぽだ。
視界の端で、京香がこちらに背を向けるのが見えた。
──行くのか。
胸の奥が、ざわつく。
「……殺していけ」
声は、思ったよりも低く出た。
京香の足が、止まる。
「言ったでしょ」
振り返らずに、軽く言う。
「私はもう引退したの。
殺しなんて、真っ平ごめんよ」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
「……今、殺さねぇと」
歯を食いしばる。
「今度は、お前を付け狙うぞ」
自分でも、何を言っているのか分からない。
脅しなのか、縋りなのか。
京香は、肩越しにこちらを見た。
「やだ、ストーカー?」
呆れたように。
「キモいから、やめな」
軽口。
だが、そこに嘲りはなかった。
しばらくの沈黙。
やがて、京香が小さく息を吐く。
「……私もね」
今度は、少しだけ声が低かった。
「過去に、復讐に囚われた身」
木皿儀は、目を見開いた。
「アンタの気持ち……
分からなくもない」
一歩も近づかない。
それでも、言葉だけは、確かに届く距離。
「でもね」
京香の目は、静かだった。
「復讐の“先”なんて、何も無い」
断言。
「ホントに、何も」
その言葉に、反論が浮かばない。
京二を殺したら。
それで、何が残る?
勝利か?
名誉か?
それとも──空っぽの自分か。
「今からでも、遅くないよ」
京香は、はっきりと言った。
「“人として”、生きてみな」
それだけ言って、今度こそ背を向ける。
足音が、遠ざかっていく。
木皿儀は、動けなかった。
追いすがることも。
罵ることも。
胸の奥で、何かが軋んでいる。
──復讐が、正義じゃないなら。
──自分は、今まで何を支えに生きてきた?
「……ちくしょう」
声にならない呟きが、零れた。
京香の背中は、もう見えない。
残されたのは、
憎しみを失った自分と──
それでも、まだ終われない現実だけだった。
しばらくして、
京香の気配が、完全に消えた。
残された静寂の中で、木皿儀は瓦礫に背を預けたまま、天を仰ぐ。
胸の奥が、妙に空っぽだった。
──人として、生きてみな。
耳に残る声。
「……ふざけたこと、言いやがって」
吐き捨てるように呟いた、その瞬間だった。
ぞわり、と。
空気が変わる。
霊力の“質”が違う。
だが、さっきまでのような圧倒的な濃度ではない。
──数だ。
気配が、増えていく。
屋根の上。
路地の奥。
割れたビルの影。
同時に、複数。
「……早ぇな」
木皿儀は、口の端を吊り上げた。
あまりにも早い。
まるで──
最初から、この結果を待っていたかのような到着速度。
「ハッ……」
笑いが漏れる。
「そういうことかよ、ワタリ」
"雪村 葉月の排除"という名目だったが、
本当は──京香と戦わせるために、送り出された。
勝つことも、帰ることも、想定されていなかった。
失敗する前提。
いや──
成功の定義が、最初から違っていた。
京香の戦闘。
霊力の制御。
技の精度。
それを“見せる”ための、囮。
「……つくづく、クソ女だ」
影が、姿を現す。
揃いの装束。
無機質な仮面。
だが。
感じる霊力は、薄い。
「……ん?」
木皿儀は、眉をひそめた。
「ナンバーズじゃねぇな」
鎌を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
身体は、悲鳴を上げている。
それでも、笑った。
「ったく、こんな雑兵、寄越しやがって……」
吐き捨てる。
「舐められたもんだな」
雑兵の一人が、無言で符を構える。
別の者は、刃を抜いた。
統率は取れている。
だが──個としての圧は無い。
その瞬間。
脳裏に、声が蘇る。
──今からでも遅くないよ。
──“人として”、生きてみな。
「……チッ」
木皿儀は、顔を歪めた。
「皮肉だな」
復讐に縋っていた自分が。
初めて、それ以外の選択を考えた直後に──
消される側になるとは。
鎌を、構える。
刃は欠け。
霊力も、ほとんど残っていない。
それでも。
「少しばっか……」
目を細める。
「抵抗させてもらうぜ」
踏み込んだ。
雑兵の一人が、反応する前に。
鎌が、地面を抉る。
衝撃で、数名が吹き飛ぶ。
「……っ!?」
驚愕が走る。
──想定より、動く。
そう判断したのだろう。
雑兵たちは、一斉に距離を取り、符を展開する。
結界。
拘束。
封殺。
数で潰すための、徹底した手順。
「は……」
木皿儀は、血を吐きながら笑った。
「やっぱりだ」
ワタリは、何もかも計算済みだ。
京香のデータは取った。
役目は、終わり。
だから。
自分は──
「……それでもよ」
鎌を、地面に突き立てる。
「ここで、何もせず消えるほど……」
霊力を、無理やり引き上げる。
身体が、軋む。
「……素直じゃねぇんだよ、俺は」
結界が、閉じる。
光が、視界を塗り潰した。
その中で、木皿儀は──
京香の背中を、思い出していた。
復讐から、降りた女。
それでも、前に進んでいる人間。
「……人として、か」
かすれた声。
次の瞬間。
爆音が、澪尽町の片隅を包んだ。
そして──
そこに、木皿儀 岳の姿を見た者は、いなくなった。
◆◆◆
目を閉じると、まだ、金属の音が耳に残っていた。
鎌が振るわれる音。
鉄パイプが弾く音。
そして──
京香の刃が、世界を切り替えた、あの一瞬。
葉月は、布団の上で天井を見つめたまま、息を整えていた。
眠れない。
身体は、確かに休息を欲している。
なのに、頭だけが、やけに冴えていた。
──俺は、死にかけた。
それも、はっきりと。
「視えていた」のに、
「分かっていた」のに、
次の一手が、選べなかった。
凩を、ぎゅっと握る。
掌に残る感触は、現実だ。
あの男──木皿儀。
間違いなく、強かった。
それでも。
京香が前に出た瞬間、
戦いの“次元”そのものが、変わった。
……同じ土俵に、立ってなかった。
悔しさよりも先に、理解が来てしまった。
自分は、まだ“戦っている”段階。
京香は、“支配していた”。
霊力の量じゃない。
技の多さでもない。
──使い方だ。
使う場所。
使う瞬間。
そして、使わない判断。
それを、すべて同時にやっていた。
「……まだまだ、か」
小さく呟いた、その時。
ふすまの向こうで、気配が動いた。
足音は、二つ。
聞き覚えのある、重さと、軽さ。
京二と、京香だ。
葉月は、呼吸を殺した。
聞くつもりはなかった。
だが、声は、自然と耳に入ってきた。
「──葉月は、もう“対象”だ」
京二の声。
低く、断定的。
胸の奥が、ひくりと揺れる。
「ええ。偶然じゃない」
京香の声が、続く。
「分断。
完全に、こちらを崩しに来てる」
──やっぱり。
今日の出来事は、偶然じゃなかった。
俺が、商店街に一人で出たこと。
そこに、刺客が来たこと。
全部。
……俺が、原因だ。
歯を食いしばる。
守られた。
助けられた。
それは事実だ。
でも。
同時に、
“巻き込んだ”のも、事実だった。
「隠すのは、もう無理ね」
京香の声が、少しだけ柔らぐ。
「置いていく方が、危険」
京二の言葉が、静かに重なる。
葉月は、目を閉じた。
怖い。
正直に言えば、怖い。
また、あの距離で、
“死の境界”を突きつけられるかもしれない。
だが。
……目を逸らしたら。
きっと、もっと後悔する。
あの戦いで、
目指す場所を、見てしまった。
知らなかった頃には、戻れない。
葉月は、布団の上で、静かに上体を起こした。
凩を取り、膝の上に置く。
「……狙われてるなら」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「逃げる理由には、ならない」
障子の向こうで、足音が止まった。
一瞬の、間。
そして。
ふすまが、静かに開く。
京香が、こちらを見ていた。
視線が合う。
少しだけ、困ったように笑う。
「起きてた?」
葉月は、頷いた。
「……聞こえてました」
沈黙。
だが、京香は否定しなかった。
代わりに、肩をすくめる。
「隠す気も、なくなったしね」
その背後で、京二が立っている。
いつもと変わらない表情。
だが、どこか、張り詰めている。
「葉月」
京二が、まっすぐに言った。
「これからは、狙われる」
回りくどい言い方は、しない。
「一人で動くことは、原則禁止だ」
葉月は、凩を握ったまま、顔を上げた。
「……それでも」
声が、少し震える。
「俺、前に出ます」
一瞬、空気が止まる。
だが、京二は、すぐに頷いた。
「分かっている」
否定しない。
「だからこそ、だ」
京香が、葉月の目を、まっすぐ見る。
「次は、“守られる前提”じゃない。
──“並ぶ”前提よ」
葉月の胸が、強く打った。
並ぶ。
その言葉の重さが、はっきりと伝わってくる。
京二は、静かに続けた。
「次に壊される場所は、まだ断定できない。
──だが」
視線が、窓の外へ向く。
「必ず、また来る」
澪尽町の夜は、静かだった。
けれど。
葉月には分かる。
この静けさは、
“嵐の前”だ。
そして。
その中心に、
自分が立ち始めていることも。
◆◆◆
その夜は、結局、ほとんど眠れなかった。
布団に横になっても、意識は浅いまま、何度も浮かんでは沈む。
京香の短剣。
木皿儀の叫び。
そして──
「並ぶ」という言葉。
朝方。
ようやく身体が重くなり始めた頃だった。
──とん。
微かな音。
最初は、気のせいだと思った。
風か、家鳴りか。
だが、もう一度。
──とん、と。
葉月は、ゆっくりと目を開けた。
……今の、外?
身体を起こし、障子を静かに開ける。
廊下に人の気配はない。
凩を手に取り、縁側へ向かう。
外は、まだ薄暗い。
朝と夜の境目。
その縁側の先──庭の端に。
小さな影が、しゃがみ込んでいた。
「……え」
一瞬、息を呑む。
影は、こちらに気づいたのか、
びくりと肩を震わせた。
そして、ゆっくりと振り返る。
丸い目。
短く切った髪。
少し汚れたワンピース。
──フーちゃん。
「あ……」
彼女は、声にならない声を漏らし、
反射的に、後ずさった。
逃げる、と思った。
「待って!」
葉月は、思わず声を出していた。
フーちゃんが、ぴたりと止まる。
怯えた目。
でも、完全には背を向けない。
葉月は、凩を地面に置いた。
両手を見せる。
「大丈夫……。
怖いこと、しないから」
自分でも、不器用な言い方だと思った。
それでも。
フーちゃんは、じっとこちらを見ている。
まるで。
“本当かどうか”を、量るみたいに。
「……また」
かすれた声。
フーちゃんが、小さく呟いた。
「……ここ、いた」
胸が、少しだけ締め付けられる。
「うん」
葉月は、ゆっくり頷いた。
「俺も、ここにいる」
少しずつ、距離を詰める。
フーちゃんは、逃げなかった。
代わりに、ぽつりと。
「……こわいの、きた」
その一言で、全身が強張る。
「……いつ?」
「さっき。
でも……」
フーちゃんは、空を指さした。
「まだ、いる」
ぞわり、と。
背筋を冷たいものが走る。
葉月は、空気の“重さ”に意識を向けた。
確かに。
薄い。
けれど、残っている。
昨日までとは、違う形の、違和感。
──侵食は、終わっていない。
「……フーちゃん」
名前を呼ぶと、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
「名前、覚えてた」
「忘れないよ」
即答だった。
自分でも、不思議なくらい。
葉月は、膝を折り、目線を合わせる。
「ここは、危ない。
だから……」
一瞬、言葉に詰まる。
“離れて”と言うのは、簡単だ。
でも。
この子は。
きっと、もう何度も言われてきた。
だから、葉月は、言い換えた。
「俺の近くに、いよう」
フーちゃんの目が、わずかに見開かれる。
「……いいの?」
「うん」
胸の奥が、静かに熱くなる。
「守るから」
約束でも、宣言でもない。
ただの、事実として。
フーちゃんは、しばらく黙っていた。
それから。
小さく、頷いた。
「……フー、ちゃん」
自分の名前を、確認するように言う。
「葉月、くん」
呼ばれた瞬間。
胸の奥で、何かが、かちりと音を立てた。
その時だった。
風が、止んだ。
空気が、わずかに沈む。
葉月は、凩に手を伸ばす。
──来る。
背後から、足音。
「……やっぱりね」
京香の声。
振り返ると、縁側に立っていた。
視線が、フーちゃんに向く。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、驚いた顔をしてから。
小さく、息を吐いた。
「この子が、“引き金”か」
葉月は、前に出た。
無意識に。
フーちゃんを、背に庇う。
京香は、それを見て、何も言わなかった。
代わりに、静かに言う。
「……もう、始まってるわね」
澪尽町は、まだ静かだ。
けれど。
確実に。
“次”へと、進み始めていた。
京香の一言のあと、場に沈黙が落ちた。
朝の空気は澄んでいるはずなのに、
フーちゃんの周囲だけ、どこか“薄く歪んで”見える。
錯覚──ではない。
葉月は、昨夜から研ぎ澄まされた感覚で、それをはっきりと捉えていた。
「……フーちゃん」
名前を呼ぶと、彼女は小さく顔を上げた。
「なに?」
「さっき言ってたよね。
“まだ、いる”って」
フーちゃんは、少し考えるように視線を泳がせ、
それから、こくりと頷いた。
「うん」
指先で、地面をなぞる。
「ここじゃない。
でも……近い」
胸の奥が、ざわつく。
「それって……」
言いかけた葉月を、京香が手で制した。
代わりに、しゃがみ込んで、フーちゃんと目線を合わせる。
「フーちゃん」
声は、驚くほど柔らかい。
「“見える”?」
フーちゃんは、少し首を傾げた。
「……うん。
でも、みんなと、ちがう」
「どう違う?」
「こわいのは、色がある」
葉月の背筋が、ぞくりとした。
「赤いの。
青いの。
ぐちゃって、してる」
──霊力の“質”を、色として捉えている。
それは、葉月とも、レイとも違う感覚だ。
京香は、ゆっくり息を吐いた。
「……なるほど」
立ち上がり、葉月を見る。
「この子、ただの“巻き込まれ”じゃないわね」
「……やっぱり?」
「ええ」
視線を、フーちゃんに戻す。
「たぶんだけど。
境界の“こちら側”と“向こう側”を、
最初から分けて見てる」
葉月は、言葉を探した。
「それって……危ない、ってことですか」
京香は、即答しなかった。
代わりに、短く言う。
「──怪異には、狙われやすい」
胸が、きゅっと縮む。
葉月は、思わずフーちゃんの前に立った。
京香は、それを見て、何も言わなかった。
否定もしない。
フーちゃんが、不安そうに葉月の服を掴んだ。
その小さな力に、
葉月の中で、迷いが消える。
「……だったら」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「なおさら、離せない」
京香は、一瞬だけ目を細め、
それから、わずかに笑った。
「言うと思った」
フーちゃんが、きょとんとする。
「……はなれるの、や?」
「うん」
葉月は、即答した。
「一緒にいる」
フーちゃんは、しばらく黙っていた。
それから、ぎゅっと力を込めて、服を掴む。
「……じゃあ」
小さな声。
「フー、ちゃんも。
葉月くん、まもる」
その言葉に。
京香が、はっきりと表情を変えた。
「……ふうん」
どこか、警戒を含んだ目。
「守られる覚悟がある子、ね」
空気が、再び、わずかに沈む。
葉月は、感じていた。
フーちゃんは、
“守られる存在”であると同時に──
物語を動かす側に、片足を踏み入れている。
そして。
遠くで、微かに。
何かが、こちらを“観測した”気配がした。
身体が、言うことを利かない。
霊力は、もう空っぽだ。
視界の端で、京香がこちらに背を向けるのが見えた。
──行くのか。
胸の奥が、ざわつく。
「……殺していけ」
声は、思ったよりも低く出た。
京香の足が、止まる。
「言ったでしょ」
振り返らずに、軽く言う。
「私はもう引退したの。
殺しなんて、真っ平ごめんよ」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
「……今、殺さねぇと」
歯を食いしばる。
「今度は、お前を付け狙うぞ」
自分でも、何を言っているのか分からない。
脅しなのか、縋りなのか。
京香は、肩越しにこちらを見た。
「やだ、ストーカー?」
呆れたように。
「キモいから、やめな」
軽口。
だが、そこに嘲りはなかった。
しばらくの沈黙。
やがて、京香が小さく息を吐く。
「……私もね」
今度は、少しだけ声が低かった。
「過去に、復讐に囚われた身」
木皿儀は、目を見開いた。
「アンタの気持ち……
分からなくもない」
一歩も近づかない。
それでも、言葉だけは、確かに届く距離。
「でもね」
京香の目は、静かだった。
「復讐の“先”なんて、何も無い」
断言。
「ホントに、何も」
その言葉に、反論が浮かばない。
京二を殺したら。
それで、何が残る?
勝利か?
名誉か?
それとも──空っぽの自分か。
「今からでも、遅くないよ」
京香は、はっきりと言った。
「“人として”、生きてみな」
それだけ言って、今度こそ背を向ける。
足音が、遠ざかっていく。
木皿儀は、動けなかった。
追いすがることも。
罵ることも。
胸の奥で、何かが軋んでいる。
──復讐が、正義じゃないなら。
──自分は、今まで何を支えに生きてきた?
「……ちくしょう」
声にならない呟きが、零れた。
京香の背中は、もう見えない。
残されたのは、
憎しみを失った自分と──
それでも、まだ終われない現実だけだった。
しばらくして、
京香の気配が、完全に消えた。
残された静寂の中で、木皿儀は瓦礫に背を預けたまま、天を仰ぐ。
胸の奥が、妙に空っぽだった。
──人として、生きてみな。
耳に残る声。
「……ふざけたこと、言いやがって」
吐き捨てるように呟いた、その瞬間だった。
ぞわり、と。
空気が変わる。
霊力の“質”が違う。
だが、さっきまでのような圧倒的な濃度ではない。
──数だ。
気配が、増えていく。
屋根の上。
路地の奥。
割れたビルの影。
同時に、複数。
「……早ぇな」
木皿儀は、口の端を吊り上げた。
あまりにも早い。
まるで──
最初から、この結果を待っていたかのような到着速度。
「ハッ……」
笑いが漏れる。
「そういうことかよ、ワタリ」
"雪村 葉月の排除"という名目だったが、
本当は──京香と戦わせるために、送り出された。
勝つことも、帰ることも、想定されていなかった。
失敗する前提。
いや──
成功の定義が、最初から違っていた。
京香の戦闘。
霊力の制御。
技の精度。
それを“見せる”ための、囮。
「……つくづく、クソ女だ」
影が、姿を現す。
揃いの装束。
無機質な仮面。
だが。
感じる霊力は、薄い。
「……ん?」
木皿儀は、眉をひそめた。
「ナンバーズじゃねぇな」
鎌を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
身体は、悲鳴を上げている。
それでも、笑った。
「ったく、こんな雑兵、寄越しやがって……」
吐き捨てる。
「舐められたもんだな」
雑兵の一人が、無言で符を構える。
別の者は、刃を抜いた。
統率は取れている。
だが──個としての圧は無い。
その瞬間。
脳裏に、声が蘇る。
──今からでも遅くないよ。
──“人として”、生きてみな。
「……チッ」
木皿儀は、顔を歪めた。
「皮肉だな」
復讐に縋っていた自分が。
初めて、それ以外の選択を考えた直後に──
消される側になるとは。
鎌を、構える。
刃は欠け。
霊力も、ほとんど残っていない。
それでも。
「少しばっか……」
目を細める。
「抵抗させてもらうぜ」
踏み込んだ。
雑兵の一人が、反応する前に。
鎌が、地面を抉る。
衝撃で、数名が吹き飛ぶ。
「……っ!?」
驚愕が走る。
──想定より、動く。
そう判断したのだろう。
雑兵たちは、一斉に距離を取り、符を展開する。
結界。
拘束。
封殺。
数で潰すための、徹底した手順。
「は……」
木皿儀は、血を吐きながら笑った。
「やっぱりだ」
ワタリは、何もかも計算済みだ。
京香のデータは取った。
役目は、終わり。
だから。
自分は──
「……それでもよ」
鎌を、地面に突き立てる。
「ここで、何もせず消えるほど……」
霊力を、無理やり引き上げる。
身体が、軋む。
「……素直じゃねぇんだよ、俺は」
結界が、閉じる。
光が、視界を塗り潰した。
その中で、木皿儀は──
京香の背中を、思い出していた。
復讐から、降りた女。
それでも、前に進んでいる人間。
「……人として、か」
かすれた声。
次の瞬間。
爆音が、澪尽町の片隅を包んだ。
そして──
そこに、木皿儀 岳の姿を見た者は、いなくなった。
◆◆◆
目を閉じると、まだ、金属の音が耳に残っていた。
鎌が振るわれる音。
鉄パイプが弾く音。
そして──
京香の刃が、世界を切り替えた、あの一瞬。
葉月は、布団の上で天井を見つめたまま、息を整えていた。
眠れない。
身体は、確かに休息を欲している。
なのに、頭だけが、やけに冴えていた。
──俺は、死にかけた。
それも、はっきりと。
「視えていた」のに、
「分かっていた」のに、
次の一手が、選べなかった。
凩を、ぎゅっと握る。
掌に残る感触は、現実だ。
あの男──木皿儀。
間違いなく、強かった。
それでも。
京香が前に出た瞬間、
戦いの“次元”そのものが、変わった。
……同じ土俵に、立ってなかった。
悔しさよりも先に、理解が来てしまった。
自分は、まだ“戦っている”段階。
京香は、“支配していた”。
霊力の量じゃない。
技の多さでもない。
──使い方だ。
使う場所。
使う瞬間。
そして、使わない判断。
それを、すべて同時にやっていた。
「……まだまだ、か」
小さく呟いた、その時。
ふすまの向こうで、気配が動いた。
足音は、二つ。
聞き覚えのある、重さと、軽さ。
京二と、京香だ。
葉月は、呼吸を殺した。
聞くつもりはなかった。
だが、声は、自然と耳に入ってきた。
「──葉月は、もう“対象”だ」
京二の声。
低く、断定的。
胸の奥が、ひくりと揺れる。
「ええ。偶然じゃない」
京香の声が、続く。
「分断。
完全に、こちらを崩しに来てる」
──やっぱり。
今日の出来事は、偶然じゃなかった。
俺が、商店街に一人で出たこと。
そこに、刺客が来たこと。
全部。
……俺が、原因だ。
歯を食いしばる。
守られた。
助けられた。
それは事実だ。
でも。
同時に、
“巻き込んだ”のも、事実だった。
「隠すのは、もう無理ね」
京香の声が、少しだけ柔らぐ。
「置いていく方が、危険」
京二の言葉が、静かに重なる。
葉月は、目を閉じた。
怖い。
正直に言えば、怖い。
また、あの距離で、
“死の境界”を突きつけられるかもしれない。
だが。
……目を逸らしたら。
きっと、もっと後悔する。
あの戦いで、
目指す場所を、見てしまった。
知らなかった頃には、戻れない。
葉月は、布団の上で、静かに上体を起こした。
凩を取り、膝の上に置く。
「……狙われてるなら」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「逃げる理由には、ならない」
障子の向こうで、足音が止まった。
一瞬の、間。
そして。
ふすまが、静かに開く。
京香が、こちらを見ていた。
視線が合う。
少しだけ、困ったように笑う。
「起きてた?」
葉月は、頷いた。
「……聞こえてました」
沈黙。
だが、京香は否定しなかった。
代わりに、肩をすくめる。
「隠す気も、なくなったしね」
その背後で、京二が立っている。
いつもと変わらない表情。
だが、どこか、張り詰めている。
「葉月」
京二が、まっすぐに言った。
「これからは、狙われる」
回りくどい言い方は、しない。
「一人で動くことは、原則禁止だ」
葉月は、凩を握ったまま、顔を上げた。
「……それでも」
声が、少し震える。
「俺、前に出ます」
一瞬、空気が止まる。
だが、京二は、すぐに頷いた。
「分かっている」
否定しない。
「だからこそ、だ」
京香が、葉月の目を、まっすぐ見る。
「次は、“守られる前提”じゃない。
──“並ぶ”前提よ」
葉月の胸が、強く打った。
並ぶ。
その言葉の重さが、はっきりと伝わってくる。
京二は、静かに続けた。
「次に壊される場所は、まだ断定できない。
──だが」
視線が、窓の外へ向く。
「必ず、また来る」
澪尽町の夜は、静かだった。
けれど。
葉月には分かる。
この静けさは、
“嵐の前”だ。
そして。
その中心に、
自分が立ち始めていることも。
◆◆◆
その夜は、結局、ほとんど眠れなかった。
布団に横になっても、意識は浅いまま、何度も浮かんでは沈む。
京香の短剣。
木皿儀の叫び。
そして──
「並ぶ」という言葉。
朝方。
ようやく身体が重くなり始めた頃だった。
──とん。
微かな音。
最初は、気のせいだと思った。
風か、家鳴りか。
だが、もう一度。
──とん、と。
葉月は、ゆっくりと目を開けた。
……今の、外?
身体を起こし、障子を静かに開ける。
廊下に人の気配はない。
凩を手に取り、縁側へ向かう。
外は、まだ薄暗い。
朝と夜の境目。
その縁側の先──庭の端に。
小さな影が、しゃがみ込んでいた。
「……え」
一瞬、息を呑む。
影は、こちらに気づいたのか、
びくりと肩を震わせた。
そして、ゆっくりと振り返る。
丸い目。
短く切った髪。
少し汚れたワンピース。
──フーちゃん。
「あ……」
彼女は、声にならない声を漏らし、
反射的に、後ずさった。
逃げる、と思った。
「待って!」
葉月は、思わず声を出していた。
フーちゃんが、ぴたりと止まる。
怯えた目。
でも、完全には背を向けない。
葉月は、凩を地面に置いた。
両手を見せる。
「大丈夫……。
怖いこと、しないから」
自分でも、不器用な言い方だと思った。
それでも。
フーちゃんは、じっとこちらを見ている。
まるで。
“本当かどうか”を、量るみたいに。
「……また」
かすれた声。
フーちゃんが、小さく呟いた。
「……ここ、いた」
胸が、少しだけ締め付けられる。
「うん」
葉月は、ゆっくり頷いた。
「俺も、ここにいる」
少しずつ、距離を詰める。
フーちゃんは、逃げなかった。
代わりに、ぽつりと。
「……こわいの、きた」
その一言で、全身が強張る。
「……いつ?」
「さっき。
でも……」
フーちゃんは、空を指さした。
「まだ、いる」
ぞわり、と。
背筋を冷たいものが走る。
葉月は、空気の“重さ”に意識を向けた。
確かに。
薄い。
けれど、残っている。
昨日までとは、違う形の、違和感。
──侵食は、終わっていない。
「……フーちゃん」
名前を呼ぶと、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
「名前、覚えてた」
「忘れないよ」
即答だった。
自分でも、不思議なくらい。
葉月は、膝を折り、目線を合わせる。
「ここは、危ない。
だから……」
一瞬、言葉に詰まる。
“離れて”と言うのは、簡単だ。
でも。
この子は。
きっと、もう何度も言われてきた。
だから、葉月は、言い換えた。
「俺の近くに、いよう」
フーちゃんの目が、わずかに見開かれる。
「……いいの?」
「うん」
胸の奥が、静かに熱くなる。
「守るから」
約束でも、宣言でもない。
ただの、事実として。
フーちゃんは、しばらく黙っていた。
それから。
小さく、頷いた。
「……フー、ちゃん」
自分の名前を、確認するように言う。
「葉月、くん」
呼ばれた瞬間。
胸の奥で、何かが、かちりと音を立てた。
その時だった。
風が、止んだ。
空気が、わずかに沈む。
葉月は、凩に手を伸ばす。
──来る。
背後から、足音。
「……やっぱりね」
京香の声。
振り返ると、縁側に立っていた。
視線が、フーちゃんに向く。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、驚いた顔をしてから。
小さく、息を吐いた。
「この子が、“引き金”か」
葉月は、前に出た。
無意識に。
フーちゃんを、背に庇う。
京香は、それを見て、何も言わなかった。
代わりに、静かに言う。
「……もう、始まってるわね」
澪尽町は、まだ静かだ。
けれど。
確実に。
“次”へと、進み始めていた。
京香の一言のあと、場に沈黙が落ちた。
朝の空気は澄んでいるはずなのに、
フーちゃんの周囲だけ、どこか“薄く歪んで”見える。
錯覚──ではない。
葉月は、昨夜から研ぎ澄まされた感覚で、それをはっきりと捉えていた。
「……フーちゃん」
名前を呼ぶと、彼女は小さく顔を上げた。
「なに?」
「さっき言ってたよね。
“まだ、いる”って」
フーちゃんは、少し考えるように視線を泳がせ、
それから、こくりと頷いた。
「うん」
指先で、地面をなぞる。
「ここじゃない。
でも……近い」
胸の奥が、ざわつく。
「それって……」
言いかけた葉月を、京香が手で制した。
代わりに、しゃがみ込んで、フーちゃんと目線を合わせる。
「フーちゃん」
声は、驚くほど柔らかい。
「“見える”?」
フーちゃんは、少し首を傾げた。
「……うん。
でも、みんなと、ちがう」
「どう違う?」
「こわいのは、色がある」
葉月の背筋が、ぞくりとした。
「赤いの。
青いの。
ぐちゃって、してる」
──霊力の“質”を、色として捉えている。
それは、葉月とも、レイとも違う感覚だ。
京香は、ゆっくり息を吐いた。
「……なるほど」
立ち上がり、葉月を見る。
「この子、ただの“巻き込まれ”じゃないわね」
「……やっぱり?」
「ええ」
視線を、フーちゃんに戻す。
「たぶんだけど。
境界の“こちら側”と“向こう側”を、
最初から分けて見てる」
葉月は、言葉を探した。
「それって……危ない、ってことですか」
京香は、即答しなかった。
代わりに、短く言う。
「──怪異には、狙われやすい」
胸が、きゅっと縮む。
葉月は、思わずフーちゃんの前に立った。
京香は、それを見て、何も言わなかった。
否定もしない。
フーちゃんが、不安そうに葉月の服を掴んだ。
その小さな力に、
葉月の中で、迷いが消える。
「……だったら」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「なおさら、離せない」
京香は、一瞬だけ目を細め、
それから、わずかに笑った。
「言うと思った」
フーちゃんが、きょとんとする。
「……はなれるの、や?」
「うん」
葉月は、即答した。
「一緒にいる」
フーちゃんは、しばらく黙っていた。
それから、ぎゅっと力を込めて、服を掴む。
「……じゃあ」
小さな声。
「フー、ちゃんも。
葉月くん、まもる」
その言葉に。
京香が、はっきりと表情を変えた。
「……ふうん」
どこか、警戒を含んだ目。
「守られる覚悟がある子、ね」
空気が、再び、わずかに沈む。
葉月は、感じていた。
フーちゃんは、
“守られる存在”であると同時に──
物語を動かす側に、片足を踏み入れている。
そして。
遠くで、微かに。
何かが、こちらを“観測した”気配がした。
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