奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『花倉の乱(勃発)編』 天文四年(一五三五年)

第29話 両者から文が届いた

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 次の早馬はそれから数日後の事であった。内容は前回に比べるとかなり詳細なもの。

 ――お館様と彦五郎で土方城を誰に与えようという話をしていたらしい。
 その話が何をどうしたらそういう事になったかはわからないが、遠江の全所領替えという案になっていったらしい。いささか酒も入っていたそうではあるのだが。

 問題はその内容の方で、朝比奈家のような有力家臣に分割統治させてしまおうというものであったらしい。
 三浦、岡部、興津、庵原、富士、安倍の名が挙がっていたのだそうだ。
 一方の駿河は一門を中心に所領の整理をしていこうと言い合っていたのだとか。
 ただし名前などについては漏れ聞こえる話であり、かなり情報は錯綜さくそうしている。

 それを斎藤四郎衛門という者が耳にしてしまった。四郎衛門は今川館に詰めている近習の一人で、斎藤家は駿河有渡うど丸子まるこ城を所領としている一族。
 再編の話で斎藤の名が挙がらなかった事に四郎衛門は不安を抱いた。もしかしたら駿河衆の中にも、なし崩しで潰される家が出るかもしれない。

 四郎衛門はそれを近習仲間に話した。
 篠原刑部少輔、井出左兵衛、安西三郎兵衛、福島弥四郎、朝比奈又二郎。兵庫介が聞いた名前はその五人。篠原、井出、安西は駿河に小領を持つ国人、福島は先日父が所領を没収され、朝比奈も父が隠居になっている。

 六人はこのままでは自分たちの家は潰されてしまうと言い合った。
 家中に混乱をもたらすだけのあんな計画は止めさせなけばいけない。そう考えた六人は真っ先に寿桂尼に相談に行った。

 寿桂尼は話を聞くと思いつめたような顔をし、「いくらお館様でも何でも好き勝手にして良いわけではない」と言ったのだそうだ。何かしら対処を考えねばならんと。
 親政から四年、お館様は家臣の忠義心に対しあまりにも鈍感で、寿桂尼ももう我慢の限界だったのだろう。

 だがどうやら、恵探和尚を担ぎ上げれば自分たちは側近として取り立てて貰えるという事に六人の中の誰かが気付いてしまったらしい。寿桂尼様の命に従いお館様を対処せねばならんと言い合い恵探和尚の元へ向かった。
 恵探和尚の同意を取り付け、六人はお館様、次いで彦五郎の命を奪ってしまったのだった。

 承芳和尚も討とうとしたようだが、部屋はもぬけの殻だったらしい。
 富士郡瀬古せこ善得ぜんとく寺の方にも行ったようだが、そちらも不在。雪斎和尚の姿も無くどこかに逃れてしまったらしい。

 手紙の最後には、それがしも寿桂尼様に従い恵探和尚に従おうと思うがそなたはどう思うかと記載されている――


「いまいち事情がよく飲み込めぬのですが、ようはお館様と彦五郎様が斎藤某たちに討たれて、恵探和尚が後を継ぐ事になったという事なのでしょうか?」

 手紙を読んだ弥次郎が首を傾げながらたずねた。
 手紙を読む限りでは確かにそう読めなくもない。

 恐らくお館様たちは寄騎、寄親の整理の話をしていたのだと推測される。
 現状では寄親の領土が寄騎と遠く離れているという場合がままある。
 仮名目録が制定されてから国内での戦は無いのだが、もしそうした事態が起きた場合、今の状態だと指揮系統に混乱を生じる恐れがある。そこで関係を家同士の繋がりでは無く所領の近い同士で組み直そうと考えていたのだろう。
 その為には寄親の領土を確保する必要があり、一部の国衆には所領替えをしてもらうという事だったのだろうが……

 それを斎藤某は駿河の自分の家が潰されると早合点してしまった。

 寿桂尼が彼らに言った言葉は、単に混乱を招いてまで強行してはならんと諫める必要があるという意味だったと思われる。
 ところが、彼らはそれを自分たちの都合の良いように曲解した。結果的にはその寿桂尼の言葉が六人の凶行を後押しした事になる。そして表面上ではあるが寿桂尼は恵探和尚を後見した事になってしまっている。

 もしそうであるならば、弥次郎の言うように今川の当主は恵探和尚が継いだという事になり、宗太の知識からは歴史が変わったという事になってしまう。

「承芳和尚たちの消息が掴めないと手紙にはあるから、もう一幕あるのかもよ? 今の段階で動くのは時期尚早じゃないかな? 二俣はほら、山奥だから。何か言われたら情報が遅かったって言い訳すれば良いさ」

 五郎八郎の見解に藤四郎と弥次郎は肝が座っていると感心した。
 八郎二郎と権八は、言い訳を考えさせたらうちの殿は天才的だと笑い合っている。
 ……八郎二郎と権八、後で覚えてろよ。


 それから数日して二俣に二通の手紙が届いた。

 一通には『今川駿河守良真』という署名がされている。
 そこから擦るに、どうやら恵探和尚は還俗したらしい。

”今川の家督を継ぎ、寿桂尼様の支援を受けて駿河遠江を治めて行こうと思う。朝比奈、福島を中心に広く遠江衆の力を借り、かかる難局に対処していこうと思っている。貴殿の英断に期待する”

 要約するとそんな内容であった。

 もう一通は『栴岳承芳』と署名がされている。

”私利私欲による下刻上は許すまじ。恵探に今川を継ぐ資格無し。今川の家督を強奪しようとしている恵探を討つために力を貸して欲しい”

 こちらも要約するとそんな内容である。

 二通の手紙を読み比べ、五郎八郎はどうやらまだ歴史は完全に変わったわけではないらしいと感じた。

 だがこの手紙で果たして承芳和尚に付く者がどの程度いるというのだろうか?
 少なくとも駿河守が名を挙げた朝比奈と福島の両家はこれまでかなり武功を重ねてきた家である。いちゃもんを付けて遠江衆を潰そうとした先々代のお館様や、遠江衆など不要という態度だった先代に比べれば、かなりマシな事を言っているように感じる。

 一方の承芳和尚の手紙は、お館様を殺害して許せないという事が書いてあるだけ。そんなの実行犯を処罰されてしまったら名目が立たなくなってしまうではないか。
 雪斎禅師が付いているであろうに、この箸にも棒にもかからない手紙は何なのだろう?

 その日一日、家人たちはああでも無いこうでも無いと喧々諤々の議論をしていた。
 ただ少ない情報の中での議論である。彼らの議論の多くは憶測に基づいており、いまいち決定的な意見というものが無かった。


 どうやらそれは二俣だけの話では無かったらしい。翌日、天野安芸守と天野小四郎が二通の書状を持って二俣を訪れた。

「五郎八郎殿はどちらに付くべきと考えておられるのですか?」

 相変わらず安芸守は単刀直入である。
 小四郎も家中の意見が真っ二つに割れてほとほと参っていると困り顔をしている。

「どちらにというのであれば、利を考えれば駿河守でしょうね。ですが義を考えたらあり得ないです」

 うちの家人たちと同じ事を言うと安芸守は苦笑いしている。

「ですがこの書面を見て、承芳和尚に付こうという者がどこまでいるか。我らとて家人たちを食わしていかねばならぬ。そう考えると単に義を説かれてもなあ」

 小四郎の一言で、五郎八郎は何か引っかかるものを感じた。
 念の為二人宛てに来た手紙を自分宛てに来た手紙と読み比べてみる。若干文章の差こそあれ、内容はほぼ同じもの。

「もしかして、我らと駿河衆に出している手紙とで大きく内容が異なっているのでは? 駿河守も駿河衆には駿河衆に媚びを売るような手紙を、承芳和尚も駿河衆には何かしら具体的な内容を書いた手紙を出しているのかも」

 五郎八郎の推測に安芸守と小四郎ははっとした顔をして見合った。十分に考えられる話だと二人は言い合った。

「それがしは松井家に……いえ五郎八郎殿に追従する事に決めております。何卒良しなに」

 安芸守が平伏すると小四郎も同様の事を言って平伏した。


 その日の夜、菘と寝所を共にしたのだが、どうにもこの先の事を考えると寝付けなかった。

「中々、どちらに付くかお決まりにならないのですか?」

 少し高い鈴虫の羽音にも似た声で菘は五郎八郎に囁くようにたずねた。

「どちらに付くかは最初から決めているんだけどね。それによって周囲がどういう影響を被るかとか色々考えるとね。なかなか決断できなくって」

 五郎八郎は両手を頭の後ろで組み、天井をじっと見つめている。
そんな五郎八郎の腕を枕に菘は体を寄せて来た。

「もう心が決まっているのでしたら、その心に従うのが健康的だと思いますけれど? 心に逆らって行動したら、後で後悔する事になりはしませんか?」

 なるほど、確かにそれももっともな話である。

 この際、思い切って承芳和尚に会いに行ってみよう。
 会ってどのような人物か見極めよう。
 もし思った以上に暗愚や尊大な人物であるならば、恐らく史実は変わったのだろうから改めて駿河守に付けばよい。

 五郎八郎はそう決意し、菘を抱き寄せその背を優しく撫でた。
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