奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

文字の大きさ
73 / 76
『桶狭間の戦い編』 天文十八年(一五四九年)

第73話 信長が来る!

しおりを挟む
 今川軍の先発隊は堀江城を発ち、神之郷かみのごう城を通り、岡崎城を過ぎた。

 すでに伊勢湾では伊丹水軍によって尾張河内の服部水軍が壊滅的な被害を出しており、北部の制海権は今川軍が握っている。
 さらに、伊賀の国衆が松平家の服部半三によって、近江の甲賀衆は山本勘助によって懐柔が進んでおり、近江の六角軍は静観を余儀なくされている。
 美濃の斎藤道三は同時侵攻してきた武田軍にかかりきり。

 北畠家の勢力は南勢(伊勢南部)であり、北勢(伊勢北部)は四十八家という国衆が乱立し、ばらばらの状態。その為、伊勢路は封鎖に近い状態となってしまっている。
 さらに志摩水軍は、北畠派の小浜民部左衛門と今川派の九鬼宮内少輔で激しく争っており、海路で兵を輸送する事もままならない。

 つまり尾張はほぼ孤立状態となっており、もはや風前の灯火と言って良い状況であった。

 その状況を打開しようと織田軍は今川勢の最前線、鳴海城とそのすぐ南の大高城に兵を集中させており、いくつかの砦を築いて攻城戦に入っている。鳴海城には、丹下砦、善照寺砦、中島砦という三つの砦を、大高城には鷲津砦、丸根砦という二つの砦が築かれている。それぞれ鳴海城方面は織田三郎五郎の軍が、大高城方面には織田勘十郎の軍が布陣。

 今川軍は大きく三つの部隊に別れている。

 一つは今川本陣。お館様、松井五郎八郎、山本勘助、懸川城の朝比奈備中守、井伊谷城の井伊内匠助、東条城の浅井小四郎、三浦左馬助、松井金四郎、それと由比美作守他駿河衆が幾人という面々。

 二つ目は北条軍。大将は北条孫九郎、北条伊賀守、遠山甲斐守、大道寺孫九郎が副将。瀬名陸奥守の子源五郎と共に現在最前線となる丸根砦を攻めている。

 三つ目は松平軍。松平善兵衛が大将、大久保甚四郎、新十郎親子、本多平八郎が副将。それに朝比奈備中守の嫡男左京亮、神之郷城の鵜殿三郎、藤太郎親子が参軍し鷲津砦を攻めている。なお、朝比奈左京亮はこの戦いが初陣である。

 それ以外にも後詰として高天神城の岡部五郎兵衛、朝日山城の岡部美濃守、田原城の朝比奈丹波守といった猛者たちが久野三郎左衛門の刈谷城に詰めている。

 さらには北からの侵攻に対しては岩崎城に葛山城の葛山中務少輔が入城し、匂坂六郎五郎と共に睨みを利かせている。


 丸根砦の攻略も、鷲津砦の攻略も極めて順調。攻撃開始からわずか一時で崩壊。丸根砦を守っていた津々木蔵人、鷲津砦を守っていた飯尾近江守は共に玉砕。

 北条軍は士気の高さに任せて、そのまま北の中島砦に攻め入った。ところが中島砦の抵抗は激しく、おまけに兵数が多い。砦を守っている坂井大膳、川尻与四郎の奮戦もあり容易に攻め落とせそうになかった。
 北条孫九郎はさすがに連戦は無理があったと感じ一旦大高城へと後退。

 この三年間、尾張は常にどこかで戦が起こっており、それに対し、今川軍も北条軍も震災からの復興に費やしてきた。兵の実戦経験が違いすぎ、侮りは厳禁と孫九郎は五郎八郎へ報告書をしたためた。


 今川軍本隊は安祥城を拠点としていたのだが、このまま前線に陣を移してしまおうという事になり、やや小規模ではあるが沓掛くつかけ城へ陣を移している。こうやって徐々に本陣を前に移す事で、攻め込まれているという圧迫感を与えるためである。

 沓掛城に入城した本陣の面々は、早々に大高城前の砦が崩壊したという報を受ける事になった。そのせいで、本陣の者たちは前線で同僚たちが大暴れしているという状況にうずうずしている。評定が開かれると、我らにも功を立てさせて欲しいと騒ぎ立てたのだった。

 五郎八郎は断固反対であった。まずは清州城の確保が最優先。諸将らの兵はその為に極めて重要な戦力であり、かようなところで数を減らされたら困ると説得。

 だが、聞こえてくる限りで織田軍はほぼ全軍を鳴海城と大高城に集結させているという。つまり鳴海での戦いは織田家との決戦となる可能性が高い。本陣がこのまま後方で安穏としている間に、もしその決戦が前線の部隊だけで行われてしまったら、それで勝たれてしまったら、本陣の士気が落ちてしまいかねないと反論されてしまったのだった。

 すると、山本勘助も高い士気を維持する為には一戦させるのも悪くないかもしれないと考えを変えてしまった。そのせいで、鳴海城に進軍し、丹下砦と善照寺砦を本陣の部隊で攻め潰して来る決戦に臨もうというものに、評定の空気が変わってしまったのだった。

****

 翌朝、浅井隊を筆頭にいくつかの小部隊が鳴海城を目指して進軍を開始。最後まで反対していた松井五郎八郎の隊と井伊内匠助の隊が本陣を守るように行軍する事になった。

 ところが沓掛城を出立してすぐに、激しい雨が降ってきた。季節は梅雨に突入している。この程度で予定を延期していたら、いつ鳴海城に到達できるかわからないと浅井隊たちは進軍を強行。ただし進路は当初の予定から変更してしまった。
 当初は善照寺砦方面に向かう鎌倉街道を通って進軍する予定であった。だがこの行軍路では途中で山越えがある。そこで、少し南に進路を取って鳴海城の南の道を通る東海道方面から向かう事にしたのだった。

 暫くすると雨は一層激しくなり、前方が視認しづらいような雨足になる事もあった。その都度進軍は停止。陣を張って休憩を余儀なくされた。


 三度目の休憩に入った時であった。本陣にいる五郎八郎の下に長坂九郎が血相を変えてやってきた。

 あまりにも勢い良く駆け込んで来たものだから、本陣の諸将だけでなくお館様まで何事かと九郎に視線を集めてしまった。焦った九郎は五郎八郎の袖を取って陣幕の外へと逃げ出した。背後からお館様の笑い声が聞こえる。

「宗太、まずいぞ! 信長が来る!」

 陣幕の外に出た五郎八郎こと宗太に九郎こと信也は短くそう言った。
 雨はざあざあと激しく降り注いでおり、恐らく陣幕の中へはこの会話は届いていないであろう。その為、信也は五郎八郎を宗太と呼んだ。

 信也は何となくこれが桶狭間に向かう道だという事に気付き出していた。そこで斥候を出して元々通る予定であった鎌倉街道を探らせていたらしい。その斥候の情報から、織田軍の少なくない軍勢が善照寺砦に集結している事が判明。

 表向きは松平軍に備える為と取れなくもない。もしかしたら本陣が動いたという報を得て慌てて援軍に駆けつけて来たのかもしれない。
 善照寺砦にはこちらが東海道を進んでいるという情報が確実に入っているであろう。

 恐らく織田信長は善照寺砦にいる。そして全軍をあげて今川軍本陣を奇襲しようと目論んでいるはず。

「斥候の話だと恐らく兵数は二俣城の兵の三倍程度という事だ。俺はこのまま本陣だけを後ろに下げちまって織田軍の奇襲を挟撃しちまったらどうかと思うんだが、宗太はどう思う?」

 信也の言いたい事はなんとなくわかる。現在井伊隊、松井隊、本陣はお互い少し距離が離れている。そこでその三部隊を後方の少し広い地に布陣し直し、そこで迎撃してしまおうというのだろう。それなら乱戦にならず、松井隊、井伊隊だけでの迎撃も可能だろうと。

 これまで宗太もこの辺りの地形を調べさせ、何度もこの事態を想定してきた。ただ、この桶狭間の戦いの詳細な布陣図がどうにもわからず対策が練れなかった。
 今なら現状の布陣図はわかっているし、敵が善照寺砦に籠っているというのならば狙いもわかる。今いる谷の北の山々、そこを織田軍は大雨の中足音を雨音に紛れさせて攻めてくるつもりであろう。

 顎に手を当て考え込んでいた宗太は、くわっと目を見開き信也をじっと見つめた。

「なあ信也。来るってわかってる相手に対して、奇襲って効くと思うか? 僕はこの世界に来て、ずっとそれを考えていたんだよ。僕が松井宗信になった時点で、織田軍の奇襲ってもう防げているんじゃないかって」

 宗太は信也に顔を近付け、小声で作戦方針を話した。少し不安げな顔でどうだろうかと信也にたずねた。

 その発想は無かった。信也は最初宗太の案にきょとんとした顔をして思考を停止させた。その後、宗太の肩を掴んで豪快に笑い出した。

「ならば話は簡単だ! 小豆坂の時のように、もう一度あいつらを包囲して殲滅してやろうぜ! 俺は一隊を率いて後方に下がる。やつらの横腹を突いてやる。後の指示は頼んだぜ、軍師殿」

 信也は宗太の肩をぱんぱんと叩くと、また後で会おうと言って自陣に戻ろうとした。だが途中で足を止め、振り返った。

「宗太。ミスって死ぬんじゃねえぞ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ダンジョンをある日見つけた結果→世界最強になってしまった

仮実谷 望
ファンタジー
いつも遊び場にしていた山である日ダンジョンを見つけた。とりあえず入ってみるがそこは未知の場所で……モンスターや宝箱などお宝やワクワクが溢れている場所だった。 そんなところで過ごしているといつの間にかステータスが伸びて伸びていつの間にか世界最強になっていた!?

アブサードカード ~ある日世界がダンジョン化した件について~

仮実谷 望
ファンタジー
ある日、主人公の目の前にアブサードカードと呼ばれる謎のカードが出現した。それを拾うと世界が一変した。謎の異形、怪物と出会ってしまったため戦いの日々に巻き込まれる。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

催眠術師は眠りたい ~洗脳されなかった俺は、クラスメイトを見捨ててまったりします~

山田 武
ファンタジー
テンプレのように異世界にクラスごと召喚された主人公──イム。 与えられた力は面倒臭がりな彼に合った能力──睡眠に関するもの……そして催眠魔法。 そんな力を使いこなし、のらりくらりと異世界を生きていく。 「──誰か、養ってくれない?」 この物語は催眠の力をR18指定……ではなく自身の自堕落ライフのために使う、一人の少年の引き籠もり譚。

異世界帰還者の気苦労無双録~チートスキルまで手に入れたのに幼馴染のお世話でダンジョン攻略が捗らない~

虎柄トラ
ファンタジー
 下校帰りに不慮の事故に遭い命を落とした桜川凪は、女神から開口一番に異世界転生しないかと勧誘を受ける。  意味が分からず凪が聞き返すと、女神は涙ながらに異世界の現状について語り出す。  女神が管理する世界ではいま魔族と人類とで戦争をしているが、このままだと人類が負けて世界は滅亡してしまう。  敗色濃厚なその理由は、魔族側には魔王がいるのに対して、人類側には勇者がいないからだという。  剣と魔法が存在するファンタジー世界は大好物だが、そんな物騒な世界で勇者になんてなりたくない凪は断るが、女神は聞き入れようとしない。  一歩も引かない女神に対して凪は、「魔王を倒せたら、俺を元の身体で元いた世界に帰還転生させろ」と交換条件を提示する。  快諾した女神と契約を交わし転生した凪は、見事に魔王を打ち倒して元の世界に帰還するが――。

天城の夢幻ダンジョン攻略と無限の神空間で超絶レベリング ~ガチャスキルに目覚めた俺は無職だけどダンジョンを攻略してトップの探索士を目指す~

仮実谷 望
ファンタジー
無職になってしまった摩廻天重郎はある日ガチャを引くスキルを得る。ガチャで得た鍛錬の神鍵で無限の神空間にたどり着く。そこで色々な異世界の住人との出会いもある。神空間で色んなユニットを配置できるようになり自分自身だけレベリングが可能になりどんどんレベルが上がっていく。可愛いヒロイン多数登場予定です。ガチャから出てくるユニットも可愛くて強いキャラが出てくる中、300年の時を生きる謎の少女が暗躍していた。ダンジョンが一般に知られるようになり動き出す政府の動向を観察しつつ我先へとダンジョンに入りたいと願う一般人たちを跳ね除けて天重郎はトップの探索士を目指して生きていく。次々と美少女の探索士が天重郎のところに集まってくる。天重郎は最強の探索士を目指していく。他の雑草のような奴らを跳ね除けて天重郎は最強への道を歩み続ける。

オッサン齢50過ぎにしてダンジョンデビューする【なろう100万PV、カクヨム20万PV突破】

山親爺大将
ファンタジー
剣崎鉄也、4年前にダンジョンが現れた現代日本で暮らす53歳のおっさんだ。 失われた20年世代で職を転々とし今は介護職に就いている。 そんな彼が交通事故にあった。 ファンタジーの世界ならここで転生出来るのだろうが、現実はそんなに甘く無い。 「どうしたものかな」 入院先の個室のベッドの上で、俺は途方に暮れていた。 今回の事故で腕に怪我をしてしまい、元の仕事には戻れなかった。 たまたま保険で個室代も出るというので個室にしてもらったけど、たいして蓄えもなく、退院したらすぐにでも働かないとならない。 そんな俺は交通事故で死を覚悟した時にひとつ強烈に後悔をした事があった。 『こんな事ならダンジョンに潜っておけばよかった』 である。 50過ぎのオッサンが何を言ってると思うかもしれないが、その年代はちょうど中学生くらいにファンタジーが流行り、高校生くらいにRPGやライトノベルが流行った世代である。 ファンタジー系ヲタクの先駆者のような年代だ。 俺もそちら側の人間だった。 年齢で完全に諦めていたが、今回のことで自分がどれくらい未練があったか理解した。 「冒険者、いや、探索者っていうんだっけ、やってみるか」 これは体力も衰え、知力も怪しくなってきて、ついでに運にも見放されたオッサンが無い知恵絞ってなんとか探索者としてやっていく物語である。 注意事項 50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。 あらかじめご了承の上読み進めてください。 注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。 注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。

現代社会とダンジョンの共生~華の無いダンジョン生活

シン
ファンタジー
 世界中に色々な歪みを引き起こした第二次世界大戦。  大日本帝国は敗戦国となり、国際的な制約を受けながらも復興に勤しんだ。  GHQの占領統治が終了した直後、高度経済成長に呼応するかのように全国にダンジョンが誕生した。  ダンジョンにはモンスターと呼ばれる魔物が生息しており危険な場所だが、貴重な鉱物やモンスター由来の素材や食材が入手出来る、夢の様な場所でもあった。  そのダンジョンからモンスターと戦い、資源を持ち帰る者を探索者と呼ばれ、当時は一攫千金を目論む卑しい職業と呼ばれていたが、現代では国と国民のお腹とサイフを支える立派な職業に昇華した。  探索者は極稀にダンジョン内で発見されるスキルオーブから特殊な能力を得る者が居たが、基本的には身一つの状態でダンジョン探索をするのが普通だ。  そんなダンジョンの探索や、たまにご飯、たまに揉め事などの、華の無いダンジョン探索者のお話しです。  たまに有り得ない方向に話が飛びます。    一話短めです。

処理中です...