奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏

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『桶狭間の戦い編』 天文十八年(一五四九年)

第75話 三郎の首を取れ!

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「我こそは尾張にその人有りと言われた中川金右衛門なり! 我が名に恐れを抱かぬならかかって参れ!」

 長坂九郎はその声の主に全力で駆け寄って行った。
 相手の槍を十文字槍に絡ませ弾き飛ばすと、槍を突き入れ、相手の面当て手前でピタリと止める。槍の穂先を喉元でくるりと回し鎧の涎掛けをずらし、そのまま槍を突き入れた。

「黙れ! 雑魚が! すっこんでろ!」

 まさに一瞬。これまで織田軍にあって何人もの兵を突き殺していた武者を、あっという間に突き殺してしまった。
 その光景を見た九郎の隊の兵たちが歓声を上げる。九郎に続けとばかりに織田軍の兵を討ち取っていく。

「者ども! 松井隊に後れを取るな! 一気に殲滅して逆に敵本隊に攻めかかるぞ!」

 一宮出羽守の掛け声に兵たちが雄叫びをあげる。
 朝比奈備中守も、あからさまに士気の低下した敵兵を一人また一人と水たまりに沈めていく。

「何をしている! 間に入った部隊は極めて少数ではないか! さっさと挟撃してしまえ!」

 敵の本隊からそんな号令が聴こえてきた。
 やれるものならやってみろとばかりに、九郎は襲い来る兵を次々に槍の錆に変えていく。だが九郎の隊はわずか二十人たらず。その全てが精鋭とはいえ、さすがに多勢に無勢感は否めない。
 徐々に九郎隊はその周囲を織田軍に取り囲まれていった。

「小兵に構うな! 礼部の首は目の前ぞ! 今一度本陣へ突入せよ!」

 織田軍にそう叫んだ武者がいた。
 九郎の隊と同様に二十人足らずの兵を率いて本陣に突入しようとしている。兜に見える『四つ目結』の家紋、陣笠の旗指物。間違いない、あれは安祥城で本多吉左衛門に止めを刺した武者!

 雑兵を突き刺し突き刺しして、九郎がその武者に近づこうとする。それに合わせ精鋭たちも九郎に続きその隊に近づこうとする。
 ついに九郎隊はその隊と肉薄する事になった。

「我は佐々内蔵助! そこの武者よ、我が槍の錆びとなりたくなければ道を開けよ!」

 内蔵助がその槍を九郎に向ける。
 九郎も十文字槍を内蔵助に向ける。

「お前の兄の仇はここにいるぞ! 兄二人同様にお前も俺の功となれ!」

 内蔵助の槍の穂先が怒りで震える。「ぐわぁぁ!!」という獣のような雄叫びがその口から発せられる。

 いつものように槍を巻いて弾こうとするも、内蔵助はそれに合わせて槍を動かす。十文字槍に槍がからんで動きを止める。
 ここからは力比べ。だが力比べでは内蔵助に分があるように見える。

 九郎は不敵に笑うと一歩足を前に出し、内蔵助の槍に自分の十文字槍を滑らせていった。

 しまった!そう思った時にはもう遅かった。内蔵助は咄嗟に槍を引いたのだが、すでに九郎の槍は目の前。
 内蔵助が顔を横に背ける。その背けた首の横を十文字槍の横刃が引き裂いた。

 鮮血がほとばしる。

 内蔵助は体勢を崩しながらも一旦引いた槍を九郎目がけて伸ばした。だが腰が入っておらず、九郎はその槍を小手で簡単に横に払い除けてしまった。
 内蔵助が前のめりになる。九郎は内蔵助の腹を思い切り蹴り飛ばし、尻もちをついた内蔵助の胸部を踏みつけ、その首に槍を突き立てた。

「佐々内蔵助、討ち取った!」

****

 九郎の武勇を前に敵は明らかに及び腰になった。わずか二十人足らずに防戦一方。
 完全に足の止まった織田軍は、その後方に絶望的な光景を目にする事になった。

「一兵たりともここから逃すな! 先ほどの借りを存分に返してやれ!」

 織田軍の後方から松井隊の本隊が現れ、和田八郎二郎の掛け声と共に襲い掛かった。先ほどあっという間に蹴散らされた弱兵の松井隊が軍容を整えて現れたのだった。

 後方に現れた敵は明らかに先ほどの隊とは違っている。
 新手か?
 いや違う!
 あの旗『竹輪に九枚笹』は紛れもない先ほど蹴散らしたはずの隊である。

 先ほどの潰走は偽装だったのだ。謀られた!
 織田三郎は馬上で歯噛みした。

 このままでは全滅。そう感じた三郎は馬首を返し単騎で後方で戦っている敵の横をすり抜けて逃走しようとした。

 それに気付いた蒜田孫二郎は脇差を抜き、馬の尻に向かって思い切り投げつける。脇差は馬の尻に突き刺さり、馬は前脚を上げて立ち上がり、三郎は振り落とされてしまった。

 尻もちをついた三郎を守ろうと二人の武者が駆け寄って来る。
 一人は揚羽蝶の家紋の入った兜をかぶった武者。
 もう一人は梅鉢の家紋の入った腹巻を身に着けている武者。
 二人の武者は槍を手に、襲い掛かる松井隊を一人また一人と打ち倒していく。

 だが大将が単身離脱しようとしたのは最悪であった。兵たちはそれによって敗戦を覚悟し、流れが一気に今川軍に傾いてしまった。
 それに比例するように今川軍は士気が最高潮に達している。
 どうやら今川本陣に突入した部隊は全滅したか四散したようで、本陣の兵の一部が織田軍に襲い掛かっている。

 兵の数も士気も大きく今川軍が優勢となっている。こうなると、もはや一方的な虐殺であった。山に近い所にいた織田軍の兵たちは我先にと山に逃げ込み、家人や郎党たちは、次々に降りしきる雨と共に己の血で水たまりを赤く染めていく。


 千人以上いたはずの兵はすでにその多くが失われた。もはや三郎とそれを囲むように立っている家人たち、その周りで必死に戦う郎党たちだけという状況になってしまった。『五割木瓜』の旗も数えられるほどしかはためいていない。
 だが、残った精鋭たちは尋常じゃなく強かった。さらには三郎も一人の兵として恐ろしい強さであった。

 三郎たちは、何とか元来た山に向かって一歩、また一歩と移動しようとする。だが、彼らを取り囲む敵は雲霞のごとくに群がっている。それでも三郎たちは、その兵力差をものともせず、今川軍の兵をばたばたと突き殺していく。

 本陣前に派手な鎧を身にまとった義元と思しき将が護衛に囲まれてこちらを見ている。三郎が恨めしそうな目でその将を睨んだ。

 時間と共に徐々に徐々に包囲網が狭まって来る。

 三郎が敵兵の槍を奪い味方の隙間から山側の兵に槍を伸ばす。実に正確に敵兵の体を突いていく。三郎が槍を繰り出すたびに山の方に隊が動く。

 だがその槍も折れた。
 別の敵兵の槍を奪うと、またその槍で山側の敵兵を突いていく。また山の方に隊が動く。

 気が付くと先ほどまで隣にいた揚羽蝶の家紋の将がいなかった。先ほどとは異なる槍を持った梅鉢の家紋の将が単身死に物狂いで敵兵を槍で突いている。どうやらこの将も自分の槍が折れ、兵の槍を奪って応戦しているとみえる。

 あと少しで山に逃げ込める。そうなれば個人の武勇で逃げ切りも可能であろう。だが、ついには梅鉢の家紋の将も、槍が折れた所を左右から槍を突き立てられた。

「是非に及ばず……」

 三郎はぽつりとそう呟いた。

 その時であった、山側の敵兵がさっと左右に割れ逃走路が開いた。
 好機到来とばかりにその方向に向かった精鋭二人が瞬く間に地面に伏した。倒れた兵の先に、十文字槍を構えた一人の武者が立ちはだかっている。

 いつの間に回り込まれていたのか。その光景に三郎は完全に心が挫けてしまっている。槍は構えており、己が身を守らんと左右の雑兵を討ち取ってはいるものの、その足は止めてしまっている。

「織田三郎! 覚悟!」

 長坂九郎の十文字槍が三郎の腿に食い込む。
 三郎が片膝を付く。
 三郎から槍を引き抜いた九郎は、三郎を蹴り飛ばして、その身にもう一度十文字槍を突き立てた。

「敵大将織田三郎、長坂九郎が討ち取ったり!」

 降りしきる雨の中、孫二郎の声が大きく大きく響き渡った。


 ついに運命を乗り越えたのだ!
 僕たちは勝ったんだ!

 五郎八郎は九郎に向かって親指を立てた。
 九郎は無言で兵たちを指差した。
 皆、死闘を乗り越え、実に良い顔をしている。

 五郎八郎が大きく息を吸い込む。

「皆の者! 勝鬨をあげろ!」

「えい、えい!」

「「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」」」」

 兵たちの歓喜の雄叫びが雨で煙る桶狭間に轟いた。
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