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【第三章】大政奉還
徳川幕府の終焉
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すでに孝明天皇という後ろ盾を失った慶喜のもとに、さらなる難題がのしかかろうとしていた。兵庫開港問題である。
この問題に関して、慶喜はもはや兵庫開港はやむをえないことと考えていた。朝廷に対し三月五日に兵庫開港の勅許を申請するも、薩摩の大久保一蔵(後の利通)が裏で朝廷を操り妨害したため、事は思うようにすすまなかった。
しかし兵庫開港の是非について有力な二十五藩に意見を求めたところ、その大半は開港やむなしという見解をしめした。これに勢いをえて慶喜は朝廷に攻勢にでる。しばしの間、これを阻止しようと影で糸を引く薩摩の大久保たちとの間で、宮廷を舞台に暗闘がおこなわれた。
間もなく大久保の呼びかけで島津久光はもちろんのこと、土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、宇和島の伊達宗城たちが相次いで上京する。
五月二十三日、慶喜は京都所司代松平定敬、老中の板倉勝静、稲葉正邦たちと共に参内し、兵庫開港問題と長州処分問題について反対派と激論を展開した。
朝議は延々二十三日の午後から、二十四日の夕刻まで続いた。慶喜は反対派の公卿たちの意見を、
「あなた方の見解は、古事記や日本書紀の時代から何もかわっていない。そのような物の考えようでは当今の時局には対応できかねる!」
と一蹴する。途中から慶喜一人で喋っていたといっていい。語ることも尽きると、ついには慶喜はまるで関係のない自分語りを始めた。それがあまりに長時間に及んだため、兵庫開港反対派の公卿たちは精神的においつめられた。そしてついに摂政鷹司は幕府の要求を受け入れることとし、兵庫開港は事実上決定したわけである。
この成り行きに薩長の主だった者たちは動揺すると同時に、慶喜を恐れた。言論をもってしては慶喜には勝てない。こうして、ついに武力倒幕の覚悟を固めるのであった。
慶応三年も六月になり長州藩の山縣狂介、品川弥次郎等は、他の長州藩士数名を伴い、京都薩摩藩邸に島津久光をたずねた。久光は元々強硬な倒幕論者ではなかったが、相次ぐ徳川慶喜への政治的敗北により危機感を高まらせていた。
「なんと、狂介とはまた奇怪な名をしておるな?」
と上座の久光は、まず不思議な顔をした。
「さればわが師松陰寅次郎は、この乱世に事をなすにあたって、時に狂となり事に当たるも必要と申されました。それ故、狂介と名乗った次第であります」
「うむ、我が薩摩でいうところのぼっけもんのようなものかの? 薩摩では命知らずの剛の者を、ぼっけもんと呼ぶ。ひとたび戦場に赴けば、生死を度外視して事にあたる者が我が薩摩では最も尊ばれる」
ここで久光は一度茶を飲んだ。
「我が薩摩と貴藩は、共に争い血を流した。なれど我が薩摩では、例え敵であっても命知らずの剛の者を称賛する。そして味方であっても、敵を見て恐れる者を最も憎む。おまはんらの幕府との戦まことに見事であった聞く。数万の幕府軍を、四方向でことごとく押し返した戦ぶりあっぱれである。これより我ら共に手を携え、幕府と、そして異国と事にあたりたい。よってここに刀をとらす」
「まこと恐れ多い言葉、この山縣感無量にござる」
と山縣は平伏していった。
「ほんのこつ敵として相対しもうしたが、おはんらの久坂どん、来島どんの戦ぶり、こん西郷も肝を冷やしもうした。特に久坂と申すお人、死ぬには惜しい方でごわんした。なれどこれも武門も定め許してたもんせ」
頭を下げたのは、久光のかたわらに控えていた西郷吉之助だった。もちろんこの時の山縣は、この西郷という男が、自分にとってどういう意味を持つ人物なのかまだしらない。
「敵はおよそ十倍、こん時薩摩武士のいずれもが死を覚悟した……」
その夜、山縣たち長州人は歓迎の酒宴の席に招かれた。薩摩人は酔うと滔々と元亀・天正の頃の武勇を語り始める。それがあまりに長くなったため、うんざりし始めた頃のことだった。ちょうど山縣と向かいあって座っていた黒田了介が突如として立ち上がった。
「山縣どん、実は我が主より、こいを渡すよういわれておったのを忘れたおりもうした」
懐から取り出したのはピストルだった。山縣が驚く間もなく、ためらわず黒田は引き金を引いた。しかし弾は発射されなかった。
「これは空砲でござるな? 薩摩の方は人が悪い」
山縣は、かすかに声を震わせながらいった。
「なに心配ござりもはん。六連発銃で弾は一発しか入っておりもうはん」
座は瞬時にして凍りついた。もちろん一番驚いたのは銃口を向けられた山縣だった。
「ほんのこつお詫びの言葉もござりもうはん! こん黒田は酔うとすぐに正気を失う。許してたもんせ!」
必死に詫びたのは、先ほどから薩摩人と長州人の会話にも加わらず、一人で酒を飲んでいた大久保一蔵だった。
「黒田さぁ、お願いでごわす。酔いがさめるまで、向こうで休んでいてたもんせ!」
と立ち上がっていったのは、西郷吉之助の従弟で、後に日露戦役で活躍する大山弥助(後の巌)だった。しかし黒田の暴走はなおも止まらなかった。
「なんも心配することはなかど! もし弾が入っていたらあん花瓶は砕け散る!」
おぼつかない足取りで、黒田は今度は壁の花瓶に銃口を向けた。次の瞬間轟音と共に花瓶は粉々になった。山縣が再び顔面蒼白になったことはいうまでもない。
その夜遅く宴会もお開きとなった。屋敷には大久保一蔵だけが残る。他に用事があり宴会に参加しなかった西郷吉之助が大久保を訪ねた。
「そいはまた黒田が長州人を狙撃したでごわすか」
西郷は思わず声をあげて笑った。
「吉之助さあ、笑いごとではごわはんぞ! もし黒田があん山縣とかいう長州人を殺していたら、両藩の同盟どころの騒ぎではなくなるところでごわしたぞ!」
「いや確かに、あん黒田は酔うとたちがわるかど。じゃっどん誤って長州人を狙撃してしまうほど愚かではごわはん。恐らく最初の一発目は空で、二発目で弾が発射されるよう、あらかじめ弾込めしておったんじゃろう」
この西郷の言葉に、大久保もかすかに安堵した。
「薩摩式の挨拶だと思って許してやってたもんせ。だいたい長州の人は小利口ではあるが、どうも神経質でいかん。これから大事をなすは、やはり長州でなくて薩摩でごわんと」
西郷の表情がかすかに変わり、その巨大な両の眼がいよいよ強い光をはなった。
「あの木戸とかいう御仁も、まっこて優れた人なれど、ああも人間が狭くては大事には向かん。他の長州人は、まだまだ大成するには時がかかりもすな。幕府との戦、長州の方々はようきばり申した。じゃっどん後は薩摩がやる。これからの日本を引っ張っていくのは他でもない。おいとおまんをおいて他になかど」
西郷はどこまでも澄んだ目で大久保を見て言った。大久保は盃を置いた。
「吉之助さぁ、思い出しもうすなあ。いつか二人で桜島を見上げながら、こん日の本のさきがけたらんと……」
「互いに貧しか生まれじゃ。ずいぶんみじめな思いもした。幼い時分はようわからんじゃった。なぜおい達は、薩摩はああも貧しいのか? もとを正せば幕府が、つねに薩摩を苦しめるからでごわんと。三百年間常に無体なことを押し付けられ、屈従を強いられてきた薩摩の先人たちのためにも、吉之助さぁ互いに鬼になりもうそ」
西郷はかすかにうなずいた。
「聞いたか一蔵どん。徳川慶喜は幕政改革のため金が足りんもんで、蝦夷地を担保にしてフランスから多額の借金を計画しているとか」
「なんと! 徳川慶喜そこまで性根が腐っておるとは……。我が国の領土の一部を割譲してまで徳川の延命をはかるつもりでごわすか? 許せん!」
大久保はかすかに表情をこわばらせた。
「徳川慶喜こざかしい男でごわす。いつも口先ばかりで、やること全てに実が伴わない。一蔵どん、ここは一つ薩摩式の喧嘩のしかたちゅうもんを慶喜に思い知らせてくれもんそ!」
といって、西郷は卓を拳で強く叩いた。
まもなく、幕府と薩摩、長州の間に幕末の重要なキーパーソンになる藩が登場する。土佐藩である。
薩長の倒幕派の動きに危機感をつのらせた土佐藩の後藤象次郎は、真偽のほどは定かでないが、同じ土佐藩の坂本龍馬と今後の日本の行く末について議論したという。そして徳川慶喜が自ら政権を天皇に返上する大政奉還論へといきつくこととなる。
六月二十二日、後藤は薩摩の西郷と面会した。ここで薩土盟約が結ばれる一方、徳川慶喜に大政奉還をすすめることで意見が一致した。もっとも西郷は慶喜が大人しく政権を返上するとは、この時は予想していなかった。あくまで武力倒幕論者である西郷にしてみれば、慶喜が大政奉還を蹴った時こそ、これを口実に慶喜と戦をする時と考えていたのである。
九月になると薩長の討幕派に芸州藩も加わり、動きが慌ただしくなる。薩摩の大久保一蔵は、宮廷において隠然たる勢力をもつ有力公卿岩倉具視としばしば何事かを語らい、ついには倒幕の密勅なるものを手にいれることとなる。もちろん慶喜はまだそこまでは知らない。
十月、徳川慶喜は榎本とともにオランダに留学して帰国した西周を二条城へと呼び、フランスの政体などについてたずねた。
「どうした? そのように遠くては話しが聞こえん。もう少し近くへよれ」
慶喜のかたわらに控える小栗上野介が、西周の様子をおかしげにながめながらいった。西周は固まったかのように動こうとしないのである。天下の将軍を前にして、異常な緊張状態にいる様子であった。
「まことに慶喜公の御威光はフランス国のルイ十六世のようで……」
西周は声をうわずらせながら世辞をいう。
「ルイ十六世……?」
慶喜の表情がくもった。
「このたわけ! それを申すならルイ十四世であろうが!」
小栗上野介が叱責すると、西周は自らの不覚を察し顔色を変えた。その時、慶喜がからからと笑いだした。
「そうか余は首をはねられる運命であるのかのう? なれどわからん。何故かのフランス国の王は首をはねられたのじゃ?」
「将軍家自らの質問であるぞ。遠慮なく汝の意見を申せ」
と上野介がうながす。
「されば遠慮なく申します。たしかにルイ十六世の政治はひどいものであったと聞いておりまする。なれどフランス国の者が反乱の末に王の首をはねたは、そもそもフランス国の人民の気質が、争いと流血を好む故でございます。
かってフランス国は、エゲレスと百年もの間戦争を続けたと聞いております。一国が他国と、百年もの間戦争を継続するは尋常一様なことではありません。またキリシタンの教義をめぐる争いから、サンバルテルミの虐殺事件なるものがパリでおこり、数万人の人間が犠牲になったと聞いております」
「うむ、それに比べると我が国の政治をどう考えるのじゃそなたは?」
「されば我が国には、フランス国ほど多くの人種がござりません。同じ言葉を話す、同じ日本人が住むのみであります。人間の気質も、必ずしも争いを好むものではないと存じます。徳川がこの三百年ほどの間、戦らしき戦もなくこの国を支配しえたのも、この国の民が必ずしも争いを好まぬゆえかと存じます。
強力な権力による支配よりも緩やかな統治を好みます。戦いより和平を望みます。また人々が熱烈に神仏を信じ、そのために異なる宗教、宗派の者と争そうといったことも、この国ではキリシタンを追放した以降は絶えておりまする」
慶喜は沈黙したまま興味深く、西の言葉に聞き入った。
「小栗よ徳川の世とは一体何であったのかな?」
西が去り、慶喜は珍しく何事かを憂えるような目で小栗に語りかけた。
「わしは水戸徳川の出自じゃ。己でいうのもなんだが幼少の頃より神童といわれ、長子相続が絶対の徳川において、例外中の例外として今将軍職としてここにある。
諸藩のこの幕府を倒さんとする者の中には、家柄や身分ではなしに、人が能力によって身分や地位を得ることができる世の中を目指している者もいると聞く。
なれど例えそれがいかなる者であろうと長子相続を徹底し、幕府だけでなく諸藩にも長子相続を当然のこととさせたは、神君家康公の優れたところである。もし仮に将軍が変わるたびに宗家はもとより、水戸からも尾張からも優れた者がでて、我こそは次の将軍にふさわしいと争そっていたら徳川はどうなっていたと思う? また諸藩でも代かわりのたびに同様なことが行われていたら日本はいかなることになっていたか?」
「徳川はおろか日本国が内乱となり滅亡していたやもしれませぬ」
小栗はしばし考えた後いった。
「そうじゃ、徳川の後継をめぐる争いに外様の大名どもや、はては外国までもが介入してきて、徳川などはもしやしたら百年は早くに滅亡していたやもしれぬ。徳川どころかこの国の弱体化をまねき、ついには欧米の植民地になっていたかもしれぬ」
「しかしお言葉ではござりまするが、戦というものは人が多く死ぬ一方、必ずや社会を進歩させるものと存じます。もしやしたら元亀・天正の頃のような乱世の末、まこと優れた者がでて日本国を導き、日本国は欧米列強同様、他国を支配し肩を並べるほどの国になっていたやもしれませぬぞ」
と、このすでに世界を周って多くの国、民を見てきた合理主義者は慶喜の考えにかすかに反論した。
「確かに戦争というものは、多くの者が死ぬかわりに社会を発展させる。内乱の末まことに優れた者が現れ、この国を統一して軍艦を大量に製造して、どこぞの異国を我が領土としていたかもしれぬ。
なれどこの国の民は、あの西とかいう者が申していたように誠にすぐれた者による支配を望まぬのかもしれぬ。今の余がまさにそれじゃ。わしの支配を望まぬ者は幕閣にも多くいる。わしが将軍職に就任することを大奥の女どもさえ望まなかった。そればかりか水戸の者どもでさえ反対した」
小栗は沈黙し、しばし言葉を失った。なにしろ小栗自身がそのうちの一人だったのである。
「神君家康公とて、太閤秀吉などと比べると凡人であったと聞く。この国の民は争いを好まぬし、緩やかな統治こそ望むところ。急激な進歩も好むところではない。
小栗よ余は決めたのじゃ。余は大政を朝廷に返上するぞ」
さすがに小栗は驚き、慶喜の顔をまじまじと見た。
「この三百年ほどの間、この国の民は戦らしき戦もせず惰眠をむさぼってきた。後々の者どもは必ず申すであろう。社会は停滞し、欧米の国々に著しく遅れをとったとな。なれど三百年続いた徳川幕府が倒れ、新たな支配体制が樹立されるとなると、欧米の国々であれば十年いや下手をすれば百年ほど戦せねばならぬかもしれぬ。その間国土は荒廃し多くの者が死ぬ。なれど余はこれを戦することなく終わらせようと思う」
「恐れながら、まことそのようにお考えでござるか?」
「本気じゃ。なれど見ておれ、あの臆病公家などに本当に国政がつとまると思うか? 今、大政奉還などされて本当に困るのは誰であろうか? この国は変わらねばならぬ。そして徳川もまた変わらなくてはならぬのだ。そして薩長の連中め、余と戦がしたくて仕方がないのであろう。戦う口実がなくなりさぞや困るであろう」
と慶喜は不敵な笑みをうかべた。
時に慶応三年十月十四日、京、二条城二の丸大広間にて徳川慶喜は、在京四十藩のおよそ五十名の主だった者を相手に、政権を朝廷に返上することを正式に表明した。徳川は世は十五代二六五年をもって事実上終焉をむかえたのである。しかしこれによって大義名分を失ったとはいえ、薩摩、長州は決して武力による徳川の討伐をあきらめてはいなかったのである。
この問題に関して、慶喜はもはや兵庫開港はやむをえないことと考えていた。朝廷に対し三月五日に兵庫開港の勅許を申請するも、薩摩の大久保一蔵(後の利通)が裏で朝廷を操り妨害したため、事は思うようにすすまなかった。
しかし兵庫開港の是非について有力な二十五藩に意見を求めたところ、その大半は開港やむなしという見解をしめした。これに勢いをえて慶喜は朝廷に攻勢にでる。しばしの間、これを阻止しようと影で糸を引く薩摩の大久保たちとの間で、宮廷を舞台に暗闘がおこなわれた。
間もなく大久保の呼びかけで島津久光はもちろんのこと、土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、宇和島の伊達宗城たちが相次いで上京する。
五月二十三日、慶喜は京都所司代松平定敬、老中の板倉勝静、稲葉正邦たちと共に参内し、兵庫開港問題と長州処分問題について反対派と激論を展開した。
朝議は延々二十三日の午後から、二十四日の夕刻まで続いた。慶喜は反対派の公卿たちの意見を、
「あなた方の見解は、古事記や日本書紀の時代から何もかわっていない。そのような物の考えようでは当今の時局には対応できかねる!」
と一蹴する。途中から慶喜一人で喋っていたといっていい。語ることも尽きると、ついには慶喜はまるで関係のない自分語りを始めた。それがあまりに長時間に及んだため、兵庫開港反対派の公卿たちは精神的においつめられた。そしてついに摂政鷹司は幕府の要求を受け入れることとし、兵庫開港は事実上決定したわけである。
この成り行きに薩長の主だった者たちは動揺すると同時に、慶喜を恐れた。言論をもってしては慶喜には勝てない。こうして、ついに武力倒幕の覚悟を固めるのであった。
慶応三年も六月になり長州藩の山縣狂介、品川弥次郎等は、他の長州藩士数名を伴い、京都薩摩藩邸に島津久光をたずねた。久光は元々強硬な倒幕論者ではなかったが、相次ぐ徳川慶喜への政治的敗北により危機感を高まらせていた。
「なんと、狂介とはまた奇怪な名をしておるな?」
と上座の久光は、まず不思議な顔をした。
「さればわが師松陰寅次郎は、この乱世に事をなすにあたって、時に狂となり事に当たるも必要と申されました。それ故、狂介と名乗った次第であります」
「うむ、我が薩摩でいうところのぼっけもんのようなものかの? 薩摩では命知らずの剛の者を、ぼっけもんと呼ぶ。ひとたび戦場に赴けば、生死を度外視して事にあたる者が我が薩摩では最も尊ばれる」
ここで久光は一度茶を飲んだ。
「我が薩摩と貴藩は、共に争い血を流した。なれど我が薩摩では、例え敵であっても命知らずの剛の者を称賛する。そして味方であっても、敵を見て恐れる者を最も憎む。おまはんらの幕府との戦まことに見事であった聞く。数万の幕府軍を、四方向でことごとく押し返した戦ぶりあっぱれである。これより我ら共に手を携え、幕府と、そして異国と事にあたりたい。よってここに刀をとらす」
「まこと恐れ多い言葉、この山縣感無量にござる」
と山縣は平伏していった。
「ほんのこつ敵として相対しもうしたが、おはんらの久坂どん、来島どんの戦ぶり、こん西郷も肝を冷やしもうした。特に久坂と申すお人、死ぬには惜しい方でごわんした。なれどこれも武門も定め許してたもんせ」
頭を下げたのは、久光のかたわらに控えていた西郷吉之助だった。もちろんこの時の山縣は、この西郷という男が、自分にとってどういう意味を持つ人物なのかまだしらない。
「敵はおよそ十倍、こん時薩摩武士のいずれもが死を覚悟した……」
その夜、山縣たち長州人は歓迎の酒宴の席に招かれた。薩摩人は酔うと滔々と元亀・天正の頃の武勇を語り始める。それがあまりに長くなったため、うんざりし始めた頃のことだった。ちょうど山縣と向かいあって座っていた黒田了介が突如として立ち上がった。
「山縣どん、実は我が主より、こいを渡すよういわれておったのを忘れたおりもうした」
懐から取り出したのはピストルだった。山縣が驚く間もなく、ためらわず黒田は引き金を引いた。しかし弾は発射されなかった。
「これは空砲でござるな? 薩摩の方は人が悪い」
山縣は、かすかに声を震わせながらいった。
「なに心配ござりもはん。六連発銃で弾は一発しか入っておりもうはん」
座は瞬時にして凍りついた。もちろん一番驚いたのは銃口を向けられた山縣だった。
「ほんのこつお詫びの言葉もござりもうはん! こん黒田は酔うとすぐに正気を失う。許してたもんせ!」
必死に詫びたのは、先ほどから薩摩人と長州人の会話にも加わらず、一人で酒を飲んでいた大久保一蔵だった。
「黒田さぁ、お願いでごわす。酔いがさめるまで、向こうで休んでいてたもんせ!」
と立ち上がっていったのは、西郷吉之助の従弟で、後に日露戦役で活躍する大山弥助(後の巌)だった。しかし黒田の暴走はなおも止まらなかった。
「なんも心配することはなかど! もし弾が入っていたらあん花瓶は砕け散る!」
おぼつかない足取りで、黒田は今度は壁の花瓶に銃口を向けた。次の瞬間轟音と共に花瓶は粉々になった。山縣が再び顔面蒼白になったことはいうまでもない。
その夜遅く宴会もお開きとなった。屋敷には大久保一蔵だけが残る。他に用事があり宴会に参加しなかった西郷吉之助が大久保を訪ねた。
「そいはまた黒田が長州人を狙撃したでごわすか」
西郷は思わず声をあげて笑った。
「吉之助さあ、笑いごとではごわはんぞ! もし黒田があん山縣とかいう長州人を殺していたら、両藩の同盟どころの騒ぎではなくなるところでごわしたぞ!」
「いや確かに、あん黒田は酔うとたちがわるかど。じゃっどん誤って長州人を狙撃してしまうほど愚かではごわはん。恐らく最初の一発目は空で、二発目で弾が発射されるよう、あらかじめ弾込めしておったんじゃろう」
この西郷の言葉に、大久保もかすかに安堵した。
「薩摩式の挨拶だと思って許してやってたもんせ。だいたい長州の人は小利口ではあるが、どうも神経質でいかん。これから大事をなすは、やはり長州でなくて薩摩でごわんと」
西郷の表情がかすかに変わり、その巨大な両の眼がいよいよ強い光をはなった。
「あの木戸とかいう御仁も、まっこて優れた人なれど、ああも人間が狭くては大事には向かん。他の長州人は、まだまだ大成するには時がかかりもすな。幕府との戦、長州の方々はようきばり申した。じゃっどん後は薩摩がやる。これからの日本を引っ張っていくのは他でもない。おいとおまんをおいて他になかど」
西郷はどこまでも澄んだ目で大久保を見て言った。大久保は盃を置いた。
「吉之助さぁ、思い出しもうすなあ。いつか二人で桜島を見上げながら、こん日の本のさきがけたらんと……」
「互いに貧しか生まれじゃ。ずいぶんみじめな思いもした。幼い時分はようわからんじゃった。なぜおい達は、薩摩はああも貧しいのか? もとを正せば幕府が、つねに薩摩を苦しめるからでごわんと。三百年間常に無体なことを押し付けられ、屈従を強いられてきた薩摩の先人たちのためにも、吉之助さぁ互いに鬼になりもうそ」
西郷はかすかにうなずいた。
「聞いたか一蔵どん。徳川慶喜は幕政改革のため金が足りんもんで、蝦夷地を担保にしてフランスから多額の借金を計画しているとか」
「なんと! 徳川慶喜そこまで性根が腐っておるとは……。我が国の領土の一部を割譲してまで徳川の延命をはかるつもりでごわすか? 許せん!」
大久保はかすかに表情をこわばらせた。
「徳川慶喜こざかしい男でごわす。いつも口先ばかりで、やること全てに実が伴わない。一蔵どん、ここは一つ薩摩式の喧嘩のしかたちゅうもんを慶喜に思い知らせてくれもんそ!」
といって、西郷は卓を拳で強く叩いた。
まもなく、幕府と薩摩、長州の間に幕末の重要なキーパーソンになる藩が登場する。土佐藩である。
薩長の倒幕派の動きに危機感をつのらせた土佐藩の後藤象次郎は、真偽のほどは定かでないが、同じ土佐藩の坂本龍馬と今後の日本の行く末について議論したという。そして徳川慶喜が自ら政権を天皇に返上する大政奉還論へといきつくこととなる。
六月二十二日、後藤は薩摩の西郷と面会した。ここで薩土盟約が結ばれる一方、徳川慶喜に大政奉還をすすめることで意見が一致した。もっとも西郷は慶喜が大人しく政権を返上するとは、この時は予想していなかった。あくまで武力倒幕論者である西郷にしてみれば、慶喜が大政奉還を蹴った時こそ、これを口実に慶喜と戦をする時と考えていたのである。
九月になると薩長の討幕派に芸州藩も加わり、動きが慌ただしくなる。薩摩の大久保一蔵は、宮廷において隠然たる勢力をもつ有力公卿岩倉具視としばしば何事かを語らい、ついには倒幕の密勅なるものを手にいれることとなる。もちろん慶喜はまだそこまでは知らない。
十月、徳川慶喜は榎本とともにオランダに留学して帰国した西周を二条城へと呼び、フランスの政体などについてたずねた。
「どうした? そのように遠くては話しが聞こえん。もう少し近くへよれ」
慶喜のかたわらに控える小栗上野介が、西周の様子をおかしげにながめながらいった。西周は固まったかのように動こうとしないのである。天下の将軍を前にして、異常な緊張状態にいる様子であった。
「まことに慶喜公の御威光はフランス国のルイ十六世のようで……」
西周は声をうわずらせながら世辞をいう。
「ルイ十六世……?」
慶喜の表情がくもった。
「このたわけ! それを申すならルイ十四世であろうが!」
小栗上野介が叱責すると、西周は自らの不覚を察し顔色を変えた。その時、慶喜がからからと笑いだした。
「そうか余は首をはねられる運命であるのかのう? なれどわからん。何故かのフランス国の王は首をはねられたのじゃ?」
「将軍家自らの質問であるぞ。遠慮なく汝の意見を申せ」
と上野介がうながす。
「されば遠慮なく申します。たしかにルイ十六世の政治はひどいものであったと聞いておりまする。なれどフランス国の者が反乱の末に王の首をはねたは、そもそもフランス国の人民の気質が、争いと流血を好む故でございます。
かってフランス国は、エゲレスと百年もの間戦争を続けたと聞いております。一国が他国と、百年もの間戦争を継続するは尋常一様なことではありません。またキリシタンの教義をめぐる争いから、サンバルテルミの虐殺事件なるものがパリでおこり、数万人の人間が犠牲になったと聞いております」
「うむ、それに比べると我が国の政治をどう考えるのじゃそなたは?」
「されば我が国には、フランス国ほど多くの人種がござりません。同じ言葉を話す、同じ日本人が住むのみであります。人間の気質も、必ずしも争いを好むものではないと存じます。徳川がこの三百年ほどの間、戦らしき戦もなくこの国を支配しえたのも、この国の民が必ずしも争いを好まぬゆえかと存じます。
強力な権力による支配よりも緩やかな統治を好みます。戦いより和平を望みます。また人々が熱烈に神仏を信じ、そのために異なる宗教、宗派の者と争そうといったことも、この国ではキリシタンを追放した以降は絶えておりまする」
慶喜は沈黙したまま興味深く、西の言葉に聞き入った。
「小栗よ徳川の世とは一体何であったのかな?」
西が去り、慶喜は珍しく何事かを憂えるような目で小栗に語りかけた。
「わしは水戸徳川の出自じゃ。己でいうのもなんだが幼少の頃より神童といわれ、長子相続が絶対の徳川において、例外中の例外として今将軍職としてここにある。
諸藩のこの幕府を倒さんとする者の中には、家柄や身分ではなしに、人が能力によって身分や地位を得ることができる世の中を目指している者もいると聞く。
なれど例えそれがいかなる者であろうと長子相続を徹底し、幕府だけでなく諸藩にも長子相続を当然のこととさせたは、神君家康公の優れたところである。もし仮に将軍が変わるたびに宗家はもとより、水戸からも尾張からも優れた者がでて、我こそは次の将軍にふさわしいと争そっていたら徳川はどうなっていたと思う? また諸藩でも代かわりのたびに同様なことが行われていたら日本はいかなることになっていたか?」
「徳川はおろか日本国が内乱となり滅亡していたやもしれませぬ」
小栗はしばし考えた後いった。
「そうじゃ、徳川の後継をめぐる争いに外様の大名どもや、はては外国までもが介入してきて、徳川などはもしやしたら百年は早くに滅亡していたやもしれぬ。徳川どころかこの国の弱体化をまねき、ついには欧米の植民地になっていたかもしれぬ」
「しかしお言葉ではござりまするが、戦というものは人が多く死ぬ一方、必ずや社会を進歩させるものと存じます。もしやしたら元亀・天正の頃のような乱世の末、まこと優れた者がでて日本国を導き、日本国は欧米列強同様、他国を支配し肩を並べるほどの国になっていたやもしれませぬぞ」
と、このすでに世界を周って多くの国、民を見てきた合理主義者は慶喜の考えにかすかに反論した。
「確かに戦争というものは、多くの者が死ぬかわりに社会を発展させる。内乱の末まことに優れた者が現れ、この国を統一して軍艦を大量に製造して、どこぞの異国を我が領土としていたかもしれぬ。
なれどこの国の民は、あの西とかいう者が申していたように誠にすぐれた者による支配を望まぬのかもしれぬ。今の余がまさにそれじゃ。わしの支配を望まぬ者は幕閣にも多くいる。わしが将軍職に就任することを大奥の女どもさえ望まなかった。そればかりか水戸の者どもでさえ反対した」
小栗は沈黙し、しばし言葉を失った。なにしろ小栗自身がそのうちの一人だったのである。
「神君家康公とて、太閤秀吉などと比べると凡人であったと聞く。この国の民は争いを好まぬし、緩やかな統治こそ望むところ。急激な進歩も好むところではない。
小栗よ余は決めたのじゃ。余は大政を朝廷に返上するぞ」
さすがに小栗は驚き、慶喜の顔をまじまじと見た。
「この三百年ほどの間、この国の民は戦らしき戦もせず惰眠をむさぼってきた。後々の者どもは必ず申すであろう。社会は停滞し、欧米の国々に著しく遅れをとったとな。なれど三百年続いた徳川幕府が倒れ、新たな支配体制が樹立されるとなると、欧米の国々であれば十年いや下手をすれば百年ほど戦せねばならぬかもしれぬ。その間国土は荒廃し多くの者が死ぬ。なれど余はこれを戦することなく終わらせようと思う」
「恐れながら、まことそのようにお考えでござるか?」
「本気じゃ。なれど見ておれ、あの臆病公家などに本当に国政がつとまると思うか? 今、大政奉還などされて本当に困るのは誰であろうか? この国は変わらねばならぬ。そして徳川もまた変わらなくてはならぬのだ。そして薩長の連中め、余と戦がしたくて仕方がないのであろう。戦う口実がなくなりさぞや困るであろう」
と慶喜は不敵な笑みをうかべた。
時に慶応三年十月十四日、京、二条城二の丸大広間にて徳川慶喜は、在京四十藩のおよそ五十名の主だった者を相手に、政権を朝廷に返上することを正式に表明した。徳川は世は十五代二六五年をもって事実上終焉をむかえたのである。しかしこれによって大義名分を失ったとはいえ、薩摩、長州は決して武力による徳川の討伐をあきらめてはいなかったのである。
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