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【第三章】新選組壊滅
永倉新八の離反
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永倉新八は、土方や沖田同様に試衛館以来の近藤勇の同士である。その剣の腕に関しては多くの隊士が、新選組でも最強とまで噂するほどであった。元は松前藩脱藩浪士であり、池田屋の変での活躍以来その名は京洛の地に響いていた。
しかしその後は近藤、土方ラインの隊の運営と幾度も衝突することとなる。次第に傲慢なふるまいが多くなってきた近藤に対し、一度は永倉の不満が爆発。近藤の非行五か条なるものを列挙し、新選組を預かる会津藩主・松平容保に直に訴えるという事件までおきている。この時共に署名した新選組隊士の名前には斎藤一、原田左之助、島田魁などそうそうたる面子が並んでいた。
この事件は容保の仲裁でかろうじて妥協が成立するも、その後も永倉は幾度も近藤、土方等と対立することとなる。そして甲州勝沼の戦いの後、ついに永倉と近藤の対立は決定的なものとなるのである。
甲州で敗れ江戸へ敗走した後。近藤は間もなく土方と再会、さらに神田和泉橋の医学所で永倉、原田たちと再会する。永倉は後に、この日が自らの誕生日であると回想している。生まれた場所は江戸松前藩上屋敷というから、この時の永倉の胸中は郷里に対する思いもあり複雑だったことだろう。
神田和泉橋の医学所というから、だいたい場所の察しはつく。この辺りは現在では有名な秋葉原の電気街の目と鼻の先である。筆者もつい数日前新しく携帯を購入するため自転車でこの辺りをうろついたが、それはともかくとして、この時代医学の分野は日進月歩で進歩していた。
かの適塾を開いて大村益次郎、福沢諭吉、この物語では大鳥圭介等を育てた緒方洪庵が亡くなったのもこのあたりである。この周辺は幕末維新の志士といわれる人たちと実に関連が深い。蘭学関連では勝海舟が学んだ佐久間象山の私塾もかなり近い。
ここから少し歩くと、今日三井記念病院なる巨大な病院が立っている。番地をたどっていくと榎本武揚の屋敷があったのは、だいたいこのあたりということになる。余談ついでにいえば、歴史小説家として名高い池波正太郎先生がお亡くなりになったのはこの病院である。
氏は新選組関連の著作も多く残しており、中でも永倉新八が贔屓だったということであるが、この病院から清洲橋通りを真っすぐ直進して数分足らずで江戸松前藩上屋敷に至る。問題の永倉新八が生を受けたのはまさにこの場所だった。
新選組も残るところ後三十人足らずとなってしまった。永倉はすでに他の残存隊士とも相談の上で近藤に会い、最後の官軍に対する抵抗拠点として会津行きを進めた。この頃、近藤は将来に対する不安から、唯一残された盟友である土方にも、ささいなことで怒りをぶつけるなど平静さを失っていた。そして同時に謙虚さも失われていた。永倉の申し出にもしばし憮然とした。
「各々方が、それがしの家来になると申すなら共に会津に参ろう」
と傲然としていった。この一言に永倉は憤激した。
「拙者は貴殿の家臣ではない!」
永倉は二度同じことを言い、強く否定した。すると近藤はしばし言葉をなくした。そして冷静に現実を直視した。もはや永倉や原田等とも袂を分かつしかないことを、改めて察したのである。そして、せめて最後くらいは局長らしくふるまおうとした。近藤は語りだした。
「前々から思っていたが、どうやら俺たちとお前さんは所詮同じ道を最後まで歩むことは不可能なようだ。それでは同士として言おう。俺と歳三は、この先も刀折れ矢つきるまで薩長の連中と戦う。だがはっきりいって、この先薩長と戦えば十度のうち九度は敗れる。ここから先は死出の旅路となる。お前さんはこれ以上俺たちに付き合う必要はない」
「局長、俺は死を恐れていっているのではない!」
と永倉は再び強く否定した。
「聞け永倉よ! 確かに我等は同じ道場で共に汗を流した仲だ。しかし最後まで共に歩むことはできないんだ。山南は切腹した。源さんは戦死、藤堂もあんな死に方をさせてしまった。他にも多くの隊士を死なせた。それらはことごとく局長たるこの近藤の不覚だと思っている。もしできることならお前さんまで死なせたくない。そして、これは局長として最後の命令だ。今すぐ去れ!」
と近藤ができうる限り感情をおさえていったので、永倉はかすかに拳をふるわせた。
「お前さんも、もう十分わかっているだろう。しょせん俺たちは同床異夢だ。お前さんの里はここから歩いて目と鼻の先だったはずだ。今すぐ戻って、無事な姿を見せてやって、家族を喜ばしてやってくれ」
永倉は長い沈黙の後、ようやくふんぎりがついたのか、
「局長! これにてお別れにござる!」
と万感の思いを胸に近藤に背を向けた。その時この光景を見守っていた土方が不意に永倉を呼び止めた。
「永倉さん。これだけははっきりいえる。新選組で一番の使い手は、やはり永倉新八をおいて他にいないということだ。この先、何も恐れることはない。例え全てを失ったとしてもあんたには剣がある」
「土方!」
永倉はかすかに目を潤ませた。そしてここでついに新選組と訣別となった。
その後、永倉はこの時共に新選組を離反した同士たち等と共に、新たに靖兵隊を結成し各地を転戦。明治後は松前藩への帰参が認められ蝦夷地・松前に渡る。さらに小樽へとうつり刑務所や大学で剣術師範をつとめるなどした。晩年は映画を好み、孫をつれてよく映画館へ足を運んだという。
「近藤や土方は早くに死んだが、自分は長く生きたのでこのような文明の不思議を見ることができた」
と感慨を人に語ったといわれる。
しかし終生新選組を忘れることはなく、その顕彰につとめ、明治九年には東京北区滝野川に近藤、土方の墓を建立している。新選組として最もながく大正四年没、享年七十七歳だった。
その後、近藤と土方は新たに募った隊士と共に下総・流山へと赴く。そしてここでついに、この両者にも別れが待っていたのである。
(晩年の永倉新八)
しかしその後は近藤、土方ラインの隊の運営と幾度も衝突することとなる。次第に傲慢なふるまいが多くなってきた近藤に対し、一度は永倉の不満が爆発。近藤の非行五か条なるものを列挙し、新選組を預かる会津藩主・松平容保に直に訴えるという事件までおきている。この時共に署名した新選組隊士の名前には斎藤一、原田左之助、島田魁などそうそうたる面子が並んでいた。
この事件は容保の仲裁でかろうじて妥協が成立するも、その後も永倉は幾度も近藤、土方等と対立することとなる。そして甲州勝沼の戦いの後、ついに永倉と近藤の対立は決定的なものとなるのである。
甲州で敗れ江戸へ敗走した後。近藤は間もなく土方と再会、さらに神田和泉橋の医学所で永倉、原田たちと再会する。永倉は後に、この日が自らの誕生日であると回想している。生まれた場所は江戸松前藩上屋敷というから、この時の永倉の胸中は郷里に対する思いもあり複雑だったことだろう。
神田和泉橋の医学所というから、だいたい場所の察しはつく。この辺りは現在では有名な秋葉原の電気街の目と鼻の先である。筆者もつい数日前新しく携帯を購入するため自転車でこの辺りをうろついたが、それはともかくとして、この時代医学の分野は日進月歩で進歩していた。
かの適塾を開いて大村益次郎、福沢諭吉、この物語では大鳥圭介等を育てた緒方洪庵が亡くなったのもこのあたりである。この周辺は幕末維新の志士といわれる人たちと実に関連が深い。蘭学関連では勝海舟が学んだ佐久間象山の私塾もかなり近い。
ここから少し歩くと、今日三井記念病院なる巨大な病院が立っている。番地をたどっていくと榎本武揚の屋敷があったのは、だいたいこのあたりということになる。余談ついでにいえば、歴史小説家として名高い池波正太郎先生がお亡くなりになったのはこの病院である。
氏は新選組関連の著作も多く残しており、中でも永倉新八が贔屓だったということであるが、この病院から清洲橋通りを真っすぐ直進して数分足らずで江戸松前藩上屋敷に至る。問題の永倉新八が生を受けたのはまさにこの場所だった。
新選組も残るところ後三十人足らずとなってしまった。永倉はすでに他の残存隊士とも相談の上で近藤に会い、最後の官軍に対する抵抗拠点として会津行きを進めた。この頃、近藤は将来に対する不安から、唯一残された盟友である土方にも、ささいなことで怒りをぶつけるなど平静さを失っていた。そして同時に謙虚さも失われていた。永倉の申し出にもしばし憮然とした。
「各々方が、それがしの家来になると申すなら共に会津に参ろう」
と傲然としていった。この一言に永倉は憤激した。
「拙者は貴殿の家臣ではない!」
永倉は二度同じことを言い、強く否定した。すると近藤はしばし言葉をなくした。そして冷静に現実を直視した。もはや永倉や原田等とも袂を分かつしかないことを、改めて察したのである。そして、せめて最後くらいは局長らしくふるまおうとした。近藤は語りだした。
「前々から思っていたが、どうやら俺たちとお前さんは所詮同じ道を最後まで歩むことは不可能なようだ。それでは同士として言おう。俺と歳三は、この先も刀折れ矢つきるまで薩長の連中と戦う。だがはっきりいって、この先薩長と戦えば十度のうち九度は敗れる。ここから先は死出の旅路となる。お前さんはこれ以上俺たちに付き合う必要はない」
「局長、俺は死を恐れていっているのではない!」
と永倉は再び強く否定した。
「聞け永倉よ! 確かに我等は同じ道場で共に汗を流した仲だ。しかし最後まで共に歩むことはできないんだ。山南は切腹した。源さんは戦死、藤堂もあんな死に方をさせてしまった。他にも多くの隊士を死なせた。それらはことごとく局長たるこの近藤の不覚だと思っている。もしできることならお前さんまで死なせたくない。そして、これは局長として最後の命令だ。今すぐ去れ!」
と近藤ができうる限り感情をおさえていったので、永倉はかすかに拳をふるわせた。
「お前さんも、もう十分わかっているだろう。しょせん俺たちは同床異夢だ。お前さんの里はここから歩いて目と鼻の先だったはずだ。今すぐ戻って、無事な姿を見せてやって、家族を喜ばしてやってくれ」
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と万感の思いを胸に近藤に背を向けた。その時この光景を見守っていた土方が不意に永倉を呼び止めた。
「永倉さん。これだけははっきりいえる。新選組で一番の使い手は、やはり永倉新八をおいて他にいないということだ。この先、何も恐れることはない。例え全てを失ったとしてもあんたには剣がある」
「土方!」
永倉はかすかに目を潤ませた。そしてここでついに新選組と訣別となった。
その後、永倉はこの時共に新選組を離反した同士たち等と共に、新たに靖兵隊を結成し各地を転戦。明治後は松前藩への帰参が認められ蝦夷地・松前に渡る。さらに小樽へとうつり刑務所や大学で剣術師範をつとめるなどした。晩年は映画を好み、孫をつれてよく映画館へ足を運んだという。
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しかし終生新選組を忘れることはなく、その顕彰につとめ、明治九年には東京北区滝野川に近藤、土方の墓を建立している。新選組として最もながく大正四年没、享年七十七歳だった。
その後、近藤と土方は新たに募った隊士と共に下総・流山へと赴く。そしてここでついに、この両者にも別れが待っていたのである。
(晩年の永倉新八)
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