残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

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【第三章】明治への道

改元

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 榎本艦隊が嵐の海をさまよっている間にも、会津藩は薩長を中心とする官軍の猛攻にさらされ、極めて危険な状況におちいっていた。
 この戦いをさかのぼれば閏四月、会津藩側では越後口、日光口、白河口の三カ所に布陣し西軍の侵攻に備えていた。中でも白川口は、猪苗代湖をへて鶴ケ城へ入る最短ルートにあたる。この最も重要な拠点を防衛するのは、会津藩筆頭家老・西郷頼母率いる部隊だった。
 戦いは白河城を巡って延々二カ月にも及んだ。そしてついに会津藩は、西軍に奪われた白河城を奪い返すことをできず撤退することとなるのである。
 白河城が西軍の手に落ちた後、七月二十五日に守山藩、二十六日三春藩、二十九日には二本松藩と奥州諸藩は相次いで西軍に降伏。西軍はすさまじいばかりの勢いで、会津盆地の東側ことごとくを制圧したのだった。
 会津盆地に入るには七つの峠があった。いずこを攻めるか? 中には会津と同盟している仙台藩を攻めるべきであるという意見もでた。しかし最後にでた結論は最も険しい母成峠だった。道は険しいが、ここは松平容保のいる会津・鶴ケ城への最短ルートなのである。
 八月二十一日、会津の命運を左右する母成峠の戦いは始まった。ここを突破されればもはや会津・鶴ケ城までさえぎるものはない。午前六時、深い濃霧の中戦いは開始された。西軍三千ほど、対する会津藩側は七百人ほどだった。
 
  会津藩の不幸は、会津若松への連絡網が極めて不十分だったということだった。会津藩が母成峠を守ることができず、一日で大敗したという報が鶴ケ城に入ったのは、翌二十二日の虎の刻(午前五時)頃のことだった。この間、戦闘開始から二十時間ほども経過していたのである。
 ここにおいて鶴ケ城内は動揺し、混乱した。西郷頼母、田中土佐、萱野権兵衛、佐川官兵衛等重臣たちがあわただしく登城し、かろうじて、それぞれの割り当て部署が決定された。
 一方、この母成峠の戦いには、土方歳三率いる新選組も参戦していた。敗戦の衝撃に夜になるにつれ雨が降りはじめた。土方とかっての新選組三番隊組長だった斎藤一は、焚き木にあたりながら今後のことを話しあっていた。
「俺は援軍を求めるため、これから米沢藩まで行ってくる。おまえも一緒にくるか?」
 と土方が泥にまみれた顔で一に聞いた。しかし一の答えは土方が予想していたものとは違っていた。
「俺はこの会津に残る」
「なぜだ?」
「副長俺はな、人を斬ることにだけにあけくれて生きてきた。夢の中でまで人を斬っていた。しかし、この会津に来てはじめて人の心の優しさを知った。かなうことならこの会津の人達と、新たな人生を歩んでみたい。見ろこの澄んだ湖を、俺はこの地で会津の人達と生きてみたいのだ」
 二人の眼下には猪苗代湖が広がっていた。この時の憂いに満ちた斎藤の表情は、京洛の地では一度も見たことがないものだった。土方はいよいよ困惑した。
「しかし母成峠はやぶられた。会津が西軍の手に落ちるのは時間の問題だぞ」
「わずかな確率にかけてみる。もしかなわぬなら、会津の土となるも覚悟の上だ」
「さてはそなた、この会津の地に女でもできたか?」
 とこの生真面目な男にしては珍しく冗談をいった。
「馬鹿を申すな。女ごときで俺は心変わりしたりはせん!」
 斎藤はかすかに顔を赤くした。歳三も笑みをうかべたが、しかしすぐに真顔に戻った。
「できることなら、お前まで失いたくはなかった」
 としみじみといった。
 その後、斎藤一はかろうじてこの凄惨極まりない会津戦争を生き残る。会津藩が下北半島に流刑にも等しい転封を受けた際は、斎藤もまた同行した。そしてその地で会津の娘と結婚し、名も藤田五郎と改名する。
 明治七年には東京に移転し、警視庁に採用される。西南戦争に参戦するなどし、最後は警部まで昇進。明治二十五年(一八九二)に退職した。大正四年七十二歳で逝去するも、最後は胃潰瘍ながらも座禅を組んだまま逝去したといわれる。
 近藤、沖田、永倉、原田そして斎藤、新選組結成以来の同士は、これで土方のもとをことごとく去ったこととなる。


(警視庁時代の斎藤一)

 一方、榎本艦隊はかろうじて嵐の海をのりこえ、仙台藩領・松島湾に到達した。しかし榎本艦隊は、美加保の他に咸臨丸までも嵐で失ってしまった。しかも開陽丸もまたマストもぼろぼろ、心棒もねじ切れて、修理を要するありさまだった。
 八月二十六日、風光明媚な松島湾を眼下にして、通訳官アラミスは久方ぶりに甲板に立った。
「アラミス」
 と背後で彼女を呼ぶ声がした。振り返るとあのブリュネが、仲間のフランス人士官数名と共に立っていた。
「アラミス、この前は本当に申し訳ないことしました。私、酒飲んでた。それに死ぬと思い心高ぶったね。どうかこの前のことは許してください。本当に申し訳ありませんでした」
 とブリュネは頭をたれて謝罪した。
「こいつは、フランスにいる頃からどうしょうもない女好き。酒に酔ってはきれいな女の人口説きまくる。悪い奴だが、どうか許してやってください」
 と間をとりもったのは、同じフランス軍士官でカズヌーブ伍長だった。
「そんな……そこまで気になさらないでください」
 とアラミスはかろうじて笑顔をつくっていった。その後、
「Avez-vous une femme en France ? 」(貴方はフランスに奥さんはいらっしゃらないのですか?)
 とたずねてみた。
「ヴィ(はい)。私、彼女のこと今でも愛しています。でも、もしかしたらもう会えない。私覚悟しています。そしてこれだけはわかってください。私、日本愛している。第二の故郷と思っている。そして日本のため私戦います」
 と闘志を秘めた目でいった。

 その頃、会津藩はまさに絶体絶命の状況におちいっていた。俗に八月二十三日が会津藩にとって「最も長い一日」だったといわれる。この日、母成峠をこえた官軍は会津・鶴ケ城へ向けて進軍を開始。家老田中土佐、神保内蔵助は自害。
 筆頭家老・西郷頼母の屋敷の女たちは、頼母の母や妻、幼い子供たち、さらには屋敷の下働きまでも計二十一名が自害。頼母自身は榎本艦隊に身を投ずることとなる。
 また全員少年兵から構成された白虎隊もまた、鶴ケ城周辺の武家屋敷の火災を城の落城と勘違いし、そのことごとくが自害してはてた(一人は奇跡的に生存)。
 仙台藩もまた家中は新政府派と旧幕府派とでわかれていた。しかしこのような状況下、次第、次第に新政府側が優勢になっていく。榎本は幾度も仙台藩の居城・青葉城を訪れ徹底攻勢を説くも、なかなか要領をえなかった。
 ある日のことである。榎本が青葉城下からの帰路、城の門を出たところで声をかける者があった。
「榎本先生お久しぶりです」 
 見るとそこに髷も結っておらず、西洋式の軍服を着た、いかにも凛々しい顔立ちをした男が立っていた。しかしどこで会ったのか榎本は思い出せなかった。
「さて、君は? いずこかでお会いしたかな?」
「富士山丸の上でお会いしたはずです。あの時あなたは、行き場のなくなった幕臣は、海の底で生活すればいいと私にいったはず」
「もしや君は新選組の土方君か? これはまたずいぶんとイメージチェンジしたものだな」
「イメージチェンジ……?」
 外国語などまるでわからない土方は、一時榎本を西洋かぶれの嫌な奴だと思った。
 土方は米沢まで赴くも、米沢藩はすでに新政府側への恭順を決めており、領内に入ることさえできなった。やむをえず土方は、残りの新選組隊士と共に仙台までやってきたわけである。
 なにしろ同じ幕臣でも経歴・出自がまるで違う両者である。最初は互いに警戒心もあったが、やがて次第、次第に親しくなった。
 しかし仙台藩はついに九月十三日、新政府側への恭順で藩論が決してしまう。それを知った榎本は土方と共に急ぎ青葉城を訪ね、仙台藩を説得することとなった。
 
 この時の榎本の言葉は世界の大勢から語りはじめ、実に堂々としたものだった。しかし土方は必ずしも弁がたたない。その口から出る言葉も理路整然としていなかった。そのため、この場をしきっている仙台藩執政・遠藤文七郎は土方を侮った。
「よいか土方殿、この仙台藩六十万石は新選組のような、にわか武士の集まりではない。その方達はどうじゃ、天子様のために戦っていたはずが、いつのまにやら逆臣。慶喜公にも会津候にも逃げられた。そなた達の掲げるこの世の誠とは所詮そうしたものよ。汝は美男ゆえ、新選組などやめて役者になり、舞台の上で狂言でも舞えば板につくのではあるまいかのう」
 この時、土方は刀を逆さにして床を強く叩いた。唇を震わせ、眼光も真剣で人を斬る際のものと化した。座の空気は瞬時にして豹変し、さしもの遠藤も、壬生の狼とまでいわれた男を相手に言いすぎたと思った。
「かって仙台藩の始祖伊達政宗公におかれては、死装束を着て小田原に赴き、いつ何時でも斬られる覚悟で関白秀吉のもとに出頭したと聞く。貴殿等の中に、死装束をもって薩長の連中の前に出頭する覚悟がある者が、一人たりともおるというか? 生半可な覚悟で連中の前に頭を下げても、連中の侮りを受け、例え仙台藩が残ったとしても、やれ腰抜けの卑怯のと世のあざけりを受けるは必定。それこそ薩長の連中の手のひら上で踊る猿のごときものと、それがしは心得るがいかに!」
 と土方は痛烈に言い返した。
「とにかく話しならん帰るぞ!」
 結局、土方は席を蹴ってしまったのである。

  九月二十二日、会津・鶴ケ城は落城した。仙台には各地で官軍に敗れた旧幕府の諸隊が、最後の拠点を求めて仙台に集結しつつあった。大鳥圭介に率いらてた幕府伝習隊、伊庭八郎なき後も人見勝太郎等に率いられ、奥州方面に転戦した遊撃隊などである。また仙台藩士・星恂太郎を頭とする仙台額兵隊は、仙台藩の官軍への姿勢に納得がゆかず、事実上脱藩して榎本艦隊に身を投じた。
 そうした中、やはり旧幕臣・古谷佐久左衛門に率いられた衝鋒隊の姿もあった。古谷佐久左衛門はこの年三十五歳。砲術や剣術の他に英語・オランダ語・ロシア語も習得し、漢学・蘭学・ロシア学・算術に秀でた傑物であった。
 この古谷佐久左衛門は榎本に会ってしばし後々のことを語りあった後、榎本たちが仮の宿舎としている国分町の外人屋を訪ねた。ここで佐久左衛門は、実弟・高松凌雲と何年かぶりの再会を果たした。
「兄者、生きておったか!」
「おまえこそ! フランスに行ったと聞いていたが、その後かわりなかったか?」
 不思議な兄弟である。兄は最初医師を志した。しかし自らが医師に適していないことを察し、武士の道に生きる決心をして剣術を徹底的に学んだ。弟は若年にして武士の家に養子に入ったが、結局武士の世界になじめず脱藩して、逆に医師の道を志した。
「それでどうであった欧米は?」
 佐久左衛門はやはり蘭学を志した人物である。何より外国のことが知りたかった。
「それはもう西欧は驚くことの連続でしたぞ。オランダは海の底に国があると思えば、スイスという国は、国土の大半が富士山より高い山の中にありもうした。イタリアのローマには、コロッセウムという数万人を収容できる巨大な見世物小屋が今でもその姿をとどめていて、あれほどの規模のものは、恐らく我が国にはありませぬ。しかもそれが建造されたのは、しかとしたことはわかりませぬが、恐らく我が国でいえば人が住み始める以前のようでありました」
 凌雲の話しを聞きながら、かすかに佐久左衛門の表情に暗い影がさした。凌雲は敏感にそれを察した。
「すまぬ兄者、わしが西欧にいる頃、兄者は戦っておったのだな」
 佐久左衛門は戊辰戦争が始まった頃は幕府陸軍で歩兵差図役頭取の要職にあった。勝海舟による江戸無血開城直後、佐久左衛門は勝の命により脱走兵取締のために江戸を出発し、塩谷郡佐久山宿(現在の栃木県大田原市佐久山)にて脱走兵を説得し帰順させる。
 この功により歩兵頭並となった佐久左衛門は、さらに九百人の兵を連れて信濃鎮撫に赴く。下野国梁田郡梁田宿に入るが三月九日未明、大垣藩兵を主力とする官軍の奇襲攻撃を受け、六十二名の死者を出して敗走した。
 その後は越後・北越を中心として官軍側と交戦を繰り返したが、幕府側から官軍側に鞍替えする藩が続出。度重なる裏切りの末、多くの死傷者をだし仙台までやってきたわけである。
「いや、何も気をつかう必要はないぞ。お前はそれでいいんじゃ。実はな、幕府海軍の筆頭である榎本という人と会って話しをしてきた。あの方は申した。遠く蝦夷地に、幕臣のための新たな国をつくるのだそうだ。
 だがな、わしにはどうも果たして、そのようにうまくいくか不安なのじゃ。嫌な予感がする。万一の時は、わしは武士じゃ。いざという時、何時でも腹斬る覚悟くらいはできておる。しかしお前は医者じゃ。もし我等が事敗れて、多くの者が死罪や切腹するはめになったとしても、医師であるそなたに罪はない。ゆえになんとしても生きよ。お前ほどの医師としての腕があるなら、必ず生きる道はあるはずじゃ」
 果たして佐久左衛門は予感は的中する。両者には後に悲しい別れが待っているのであった。

 榎本はついに仙台藩の藩論をひっくり返すことはできなかった。仙台藩は官軍に降伏。榎本艦隊はそのまま仙台に居座り続けることができなくなった。十月九日、艦隊の修理も遅滞なく終わり、いよいよ旧幕臣たちの最後の居場所をもとめて蝦夷を目指すこととなる。
 仙台にたどりついた六隻のうち千代田形は庄内藩に貸し与えることとなった。そして新たに大江、鳳凰、回春を加え合計八隻、総勢二千七百名で奥州に別れをつげる。
 今度の航海は順調だった。宮古湾を経て、艦隊が蝦夷近海まで達したのは十月十八日のことである。榎本にしてみれば、およそ十五年ぶりの蝦夷だった。しかし陸地は見えない。すでに蝦夷は冬である。雪を含んだ風が視界を阻んだ。榎本も甲板から、その絶海の孤島をあおぎみる。コートを何枚はおってもなお寒かった。
 「一寸先の視界も定かならずか、まさに俺たちの行く末を象徴しているかのようだな」
 榎本が振り返ると、そこに土方が立っていた。
「何案ずることはないぞ。俺は世界の海をまわったが、幾度も過酷な自然条件に遭遇してきた。このくらいのことはなんでもない」
「でも榎本さんよ、正直にうかがいたい。蝦夷というのは開墾されていない、大部分が不毛の大地と聞いた。本当にそんなところに行って、生活していけるあてはあるのかい?」
 さすがの土方も不安そうである。
「開拓がだめなら交易という手もあるな。素晴らしいことだと思わないかね? 俺たちはこの船があるかぎり、この世の果てまででも行くことができる。もっとも必ずしも平和的な手段で事が運ぶとはかぎらないな。戦いになるやもしれん」
「結局、薩長と戦か?」
「敵は薩長ばかりとかぎらんぞ。特にロシアは、虎視眈々と蝦夷の北から日本の領土をうかがっている。その時は戦上手の土方君と新選組の出番だな。戦いは好むところではないが、生きるため俺たちは戦わなくてはならない」
 榎本は土方の肩を叩いていった。
「生きるために戦うか……。だが俺たち新選組は違うぞ。生きるために戦うのではない。戦うために、生きているんだ。そう思わないと……。俺たちは戦があれば例えロシアだろうと西欧だろうと、そこへ赴く覚悟だ」
 土方は思わず、世をはかなむような目で風雪に閉ざされた天を仰ぎ見た。
 
 この時に先立つこと九月八日、すでに改元され慶応は明治と改まっていた。しかし榎本艦隊の乗組員の多くは、激しく移り変わる明治という世を、ほとんど知らぬ間に蝦夷に散る運命であったのである。

(第三部完)
 





 

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