うちの会社の御曹司が、私の許婚だったみたいです

sakuru

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番外編 御厨夫人になりまして(温泉旅行編)

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「本当に、本当に、大丈夫なんですか?」
 莉乃亜の言葉に、樹は小さく苦笑を浮かべた。

「俺だってお前と行きたかったから、なんとか時間を空けたんだ」
 くしゃりと髪を撫でられて、じっと見上げた先には、眼鏡で目立ちにくいものの、目の下にはクマがあり、しんどそうな顔をした夫がいる。莉乃亜は小さくため息をついて、そっと彼の手を取った。

「出かける準備は全部してあります。じゃあ……本当に大丈夫なんですね?」
 そう尋ねると、彼はすました顔をして微笑んで見せる。
「ああ、今日から二泊三日は、のんびり楽しむつもりだったからな……」
 耳元で「新妻の浴衣姿と混浴、って聞いて楽しみにしない男は居ないだろ?」と囁かれ、莉乃亜は咄嗟にじろりと彼を睨んだ。

「そんな顔をしたって……お前だって、この旅行、楽しみにしてたんだろう?」
 そのセリフに否定できずに眉尻を下げてしまった。

結婚式の後はグループ運営に関しては、状況がしばらく落ち着くまで、樹は父親の孝臣や、叔父や伯母たちに任せることにしたものの、やぱり樹自身にも大きく負担は掛かっているようで、多忙を極めていたのだ。

忙しすぎる樹を見かねて、莉乃亜が強請った温泉旅行だ。それに一緒にいられることが純粋に嬉しい。

「はい。楽しみにしてました! だから今回は温泉でのんびりしましょうね。少し休まないと樹さんの体が心配です」
 そう答えると莉乃亜の気遣いが嬉しかったのか、樹は嬉しそうに笑う。手を繋いだまま家を出立した。

 今の樹にとっては、お金より時間の方が大事だという考えで、ヘリに乗って関東近郊の温泉宿に着いたのは、比較的早い昼前だった。

「本当にヘリだとあっという間ですね」
 電車で二時間以上かかる観光地に、一時間と少しで辿りついてしまった。
「まあ、直線で飛ぶからな。しかしさすがに俺も、緊急時の仕事以外にヘリを使ったのは初めてだ」
 普段はまだ莉乃亜が理解できる範囲内での散財しかしていない樹だが、相続を終えて、総資産はものすごい事になっているらしい。というわけで、莉乃亜は少しでも彼の負担が減らせるように、ヘリ移動をおねだりしてみたのだ。

(まあ、一度乗って見たかった、っていうのはあったけど……)
 それ以上に少しでも早く宿について、貴重な休日に彼をノンビリさせてあげたかったのだ。

「でも、早かったでしょう?」
 莉乃亜がにっこりと笑うと、彼は「うちの奥さんは意外と大胆だな……」と言って笑った。

「まあ確かに早かった。早くついた分、莉乃亜とゆっくりと時間が過ごせるなら、充分な費用対効果は得られるな」
「よかった。そう思ってもらえて」
 堅苦しい言い方をして納得する樹と再び手を繋ぐと、ハイヤーを利用して、予約を入れてもらっていた会席のお店に連れて行ってもらう。

 店の前で車を降りて、改めて外の景色を二人並んで見た。

 今日の天気は、まさに絵に描いたような晴天で、山の端にかかる雲は真っ白で気持ちよさそうだ。東京では山が近くには見えない。莉乃亜の故郷と同じ県内だからかもしれないけれど、空気まで緑の風をはらんで美味しく感じる。実家にいたころは当然のように飲んでいた水は、東京の水よりはずっと美味しい。きっとここで飲む水も浄水器を通さなくてもおいしいに違いない。ということは食事も……。

「よし、しっかり食べるぞ」
 気合入れてガッツポーズを取ると、樹が珍しく噴き出す。
「わかった。ここまで来たんだ、しっかり食べてくれ」
 ぽんぽんと甘やかす様に頭を撫でられて、肩を抱かれる。入り口を抜けると既に連絡が入っていたらしく、店の女将が出迎えてくれた。

「樹様、お久しぶりです。そしてご結婚おめでとうございます」
 小さな頃から、樹が祖父の宗一郎に連れて来てもらっていたという湯葉をメインにした懐石を出す店は、落ち着いた中にも趣のある店構えだった。樹と生活するようになって大分慣れたとはいえ、庶民の莉乃亜はこういう高級なお店は少し緊張する。美人な女将に笑顔を向けると、彼女は小さく笑みを返した。

 案内されるまま個室に移動すると、窓から見える日本庭園が二人の目を楽しませてくれた。
「落ち着いていていい部屋ですね……連れてきてもらってありがとうございます」
 莉乃亜がお礼を言うと、彼は柔らかく瞳を細める。
「飯も美味いぞ」
「はい、すごく楽しみです!」

 品の良い仲居の給仕で、久しぶりにゆっくりとした時間を樹と共に過ごせて、莉乃亜は美味しい料理と穏やかな会話に幸せな気持ちで時間を過ごした。

「はあ、美味しかったですね。引き上げ湯葉とか久しぶりに食べました」
 莉乃亜はにこにこと笑いながら、彼に話しかける。既にコースは一通り済んで、水菓子を頂いてお茶をもらっている状態だ。

「そうか、満足してもらえたのならよかった。このところ忙しくてゆっくり一緒に食事に出ることも出来なかったからな」
「私は一緒におうちで食事が取れれば十分しあわせですけどね。あ、引き上げ湯葉って家でもできますよね。美味しい豆乳を手に入れたら一度やってみますか?」
「家で出来るのか?」
 眼鏡の奥の瞳を丸くしている彼に思わず笑ってしまう。

「まあもちろん、このお店で食べるのとは味も全然違うとは思いますけど」
 と答えた途端、彼の携帯電話が鳴りはじめる。

「あ、私、化粧室に行ってきます」
 咄嗟に彼が電話を取りやすいように、莉乃亜は席を立った。

 まさか、その先に待ち構えているトラブルなんて、まるで予想もせずに……。
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