うちの会社の御曹司が、私の許婚だったみたいです

sakuru

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番外編 御厨夫人になりまして(温泉旅行編)

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 がんばって休みを取った、と言っても、やっぱりなんだかんだと忙しいんだろうな、と樹の体調を心配しながら、化粧直しをしてトイレを出て、部屋に戻ろうとした瞬間、

「御厨夫人、御厨莉乃亜さん、ですよね?」
 突然そう声を掛けられて、名字では咄嗟に反応できなかったものの、フルネームで呼ばれて、はっと莉乃亜はその場に立ち止った。

「は、はい?」
「ああ、やっぱり。私、フリー・ルポライターの岩崎、と申します」

 そう言われて、突然名刺を渡される。このお店にふさわしいとは言えない、ジーンズ姿の男の顔を見上げると、あまり性質の良くないニヤニヤ笑いを浮かべているように見えて、莉乃亜はひそかに眉を顰めた。

「なんでしょうか?」
 思わず硬い声が出た。すると男は莉乃亜の耳元に唇を寄せて、

「御厨さんのお知り合いに、西岡沙也加、という女性はいらっしゃいますか?」
 と突然尋ねてきた。それは、莉乃亜が目立つのが苦手になったきっかけを作った女性で、昔仲の良かった、元友人の名前だ。思わず黙り込んでしまうと、

「その西岡さんから、いろいろ莉乃亜さんの過去のお話をいろいろと、お伺いいたしました。今はこんな風に清楚な印象ですが、昔はかなり男性関係が派手だったんですねえ。うまく騙し通して、無事玉の輿に乗れた莉乃亜さんに、過去の事を含めて、いろいろと、お伺いしたいのですが」

 男はさりげなく自分の体を使って、莉乃亜を部屋に戻れないようにする。どうやらこの男は、沙也加が作り上げた虚言に振り回されているらしい。だが、下手な否定をしても面倒なことになりそうだ。一瞬どう答えるべきか逡巡した。

「おや、困っていらっしゃるということは?」
「あの、根拠もない噂話をされても困ります。夫が部屋で待っておりますので……」

 否定しなくても面倒なことになりそう。慌ててそう言ってその場を離れようとしても、今度はカメラを構えて勝手に写真を撮り始め、人の話を一切聞いてくれない。
「許可もなく写真を撮るとか……本当にやめてください」

(しまったな。携帯電話は……部屋に置いてきちゃったし。お店の人も見当たらない……)
 困り果てて、どうしようかと咄嗟に周りに視線を送った瞬間。

「あれ、莉乃亜ちゃんじゃない。何してんの、こんなところで」
 突然、背中側から声を掛けてきたのは。

「……泉川常務?」
 色っぽい瞳を細めて、にっこり笑いかけられて、莉乃亜は目を丸くする。
 彼は莉乃亜が持っていた岩崎の名刺を覗き込む。

「うーん、フリー・ルポライターの岩崎さんかあ。どこの出版社に出入りしてんのかな。彼女、俺の従兄弟の奥さんになった人なんだよね。あんまり余計な事すると、岩崎さんもお仕事できなくなっちゃうよ?」

 口角を綺麗に上げながら、目の前の男を睨むと言う器用なことをする。ぶつぶつと何人か出版社の編集長らしき人の名前を上げると、男は嫌そうな顔をしつつも、

「今日は邪魔がはいりましたので。……また今度。ゆっくりお話を聞かせてください」
 などと言いながら、その場を離れていく。思わず莉乃亜は大きくため息をついた。


「性質の悪いのが紛れ込んでるっぽいね。この店も質が落ちたのかな。まあ、君はあれだけ世間を騒がせたシンデレラヒロインだからね。ああいう手合いには十分注意した方がいい」

「あ、ありがとうございます」
 さりげなく肩に手を回されて、莉乃亜はなんとなく落ち着かない気持ちになる。それに元々あまり良い印象を持っている人でもないのだ。慌てて頭を下げてその場を立ち去ろうとする。

「ありがとうございました。あの、私。樹さんが待っているので部屋に戻ります」
「今日は樹くんと一緒? じゃあ、彼に連絡入れておいてあげるから、いったん俺の部屋の方に来て、迎えを待っておく方がいいよ」
 そう言うと、彼は莉乃亜の肩を抱いたまま、来た方向に戻っていこうとする。

「あの、大丈夫です」
 なんとかその手から逃れて、距離を取ろうとすると、彼はにっこりと笑って彼女の手を捕まえた。

「ほら、そんなことしてると余計に樹君に迷惑がかかっちゃうよ。さっきの奴は、俺で抑えがきいてよかったけど、本当に面倒な奴だと、女の子相手なら、ほとんど監禁まがいの事をして、無理やりねつ造記事だって作っちゃうんだからさ。樹にはちゃんと連絡取ってあげるから、彼が迎えに来るまでこっちの部屋で待っているべきだ」

 樹に迷惑がかかると言われて、莉乃亜はそこから一人で部屋に戻ることをためらった。

 確かにさっきの男が待ち構えているかもしれないのだ。その一瞬の隙を見て、彼は半ば無理やり莉乃亜を自分の部屋に引き込んだのだった。
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