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スープ
しおりを挟むご近所に住むFさんが亡くなっていたらしいという話を隣家のМさんに聞いたのは、Fさんが亡くなったとされる日から既に3週間が過ぎた頃のことだった。
「ねえ、ちょっとKさん聞いた?
Fさん亡くなったってよ?」
「Fさんて?」
「ほら、あすなろクリーニングの前のお宅の」
「え?この前お会いしたときはお元気そうでしたよ?」
そう言いながら私は最後にFさんと挨拶したのは一ヶ月以上は前のことだったことを思い出す。
「・・・自殺だってよ」
急に声を潜めたМさんは、そのため自治会に知らされずに葬儀は既に家族だけで済まされていたことを教えてくれた。
「それでね、自治会からは会則に従って5000円の御香典を出すことになってるんだけど、Sさんがさ、今年班長でしょ?
代表で持ってくの嫌だなぁ、なんて言ってる」
「・・・そりゃあ、まあ、気まずいよね」
私はМさんと別れて自宅に戻った。
カフェオレをたっぷり注いだマグカップを両手で包むように持って、ぼんやりと落葉で寂しくなった庭を眺めた。
Fさんとは特に親しかったわけではない。
年齢もどちらかというと私の母に近くて同世代なわけでもなかった。
それでも道端で出会うと挨拶を交わす間柄だったし、たまには長目の世間話をすることもあった。
Fさんはさんざん自分を嫁いびりしたお姑さんの介護を甲斐甲斐しくしていた、という噂だった。
「私だったら絶対にできないわ!
さっさと施設に預ければいいのに!」
近所の奥さん達は大体みんな同意見だった。
以前立ち話した時に、ダンナさんの弟妹が介護の仕方に文句をつけてくるとFさんはこぼしていた。
「そんなに言うならちょっとくらい手伝ってくれてもいいのにね」
弱々しく微笑んだFさんの顔が思い出された。
そんなお姑さんも亡くなって、たしか今年の夏には初盆を済ませたはず。
肩の荷も降りてホッとされていらっしゃるかと思っていたのに。
数日後、あすなろクリーニングにスーツを預けた後、振り返ると若い娘さんが門を開けてFさんの家に入ろうとしているのを見つけた。
「あの、スミマセン」
咄嗟に声を掛けると20代前半に見える女性が首を傾げるようなお辞儀のような格好をした。
「あの、・・・私、自治会が同じのKと申します。
Fさんとは時々お話させて頂いていたんです。
あの、お線香を上げさせて頂けませんか?」
お嬢さんは2,3秒考えるような素振りをしてから、
「どうぞ」
と一度締めかけていた門扉を開いてくれた。
どうやらFさんの娘さんで間違いないようだ。
娘さんは私を部屋に案内すると居なくなってしまった。
通された和室には小さな祭壇が設えてあり、白い布のカバーが掛かったお骨の入った箱が置いてあった。
花とお供えもあったが、四十九日も終わっていないのになんだかひどく簡素な感じがした。
私は鞄から香典袋を出してそっと台の上に置く。
いつ何があってもいいように鞄の中にはいつも御香典とお祝いの袋にお金を入れて用意して持ち歩いている。
娘さんの姿が見えないので、勝手にライターで蝋燭に火をつけさせてもらう。
線香を立てて手を合わせる。
どうか安らかにと祈って目を開けると遺影のFさんが、ちょっと困ったように笑っていた。
奥の娘さんに声をかけて帰ろうとすると、
「お茶を飲んでいってください」
トレーを持った娘さんが戻って来た。
「母とは、親しくして頂いていたのでしょうか」
「いえ、・・・親しいというほどの間柄ではありませんでした。
時々道端なんかでお会いした時に挨拶を交わして立ち話をするくらいのものでした」
私は娘さんが、私が興味本位で詮索しに来たと思ってるのではないかと気になった。
「私、Fさんが亡くなったって聞いて何故かわからないんですけど、なんだか胸に穴が空いたような気分がしたんです。
・・・そんなに頻繁にお会いしたわけでもないし、そんなに深いお付き合いがあったわけでもないんですが。
たまにお会いした時に、いつも誠実で一生懸命でいらしたFさんに随分気持ちの面で助けられていた自分に気づいた、というか。
・・・うまく言葉では言えないんですけど」
娘さんは洋風の焼き菓子の載った皿を私の前に置きながら呟くように言った。
「母はご近所の方たちとどんな話をしていたんでしょうかね」
「大した話では無かったんですけど、『ピーマンって種ごと食べられるって知ってた?
今まで何十年も半分に切って中の種出してたの何だったのかしら?』とか」
軽く笑った娘さんの目に薄っすらと涙が滲む。
「いつもお庭も綺麗にされていてね、病気のおばあちゃんもいらして大変でしたでしょうに、
いつも明るくて、立派な方でした」
「・・・自殺なのはご存知なのでしょう?」
「・・・ええ、まあ・・・」
目の前のカップからユラリユラリと湯気が立ち上っている。
「・・・父は仕事が忙しいと言えばそれが免罪符になると思っていて、面倒事を全部母に押し付けて知らんぷり。
祖母は業の塊みたいな人でした。
私はいつもヘラヘラと笑って受け流す母にも苛立ちを感じでいました。
『こんな家捨てて二人でアパートを借りて暮らそう』
って私は何度も母に言ったけど、
『それは楽しいだろうね』
って言うだけで」
娘さんは短いため息をついた。
「私は家を出て一人暮らしを始めました。
こんな家で私まで犠牲にされるのは御免でしたから」
私は紅茶を一口飲んだ。
「母が大変な時に手助けもしないで薄情な娘だって罪悪感もありました。
一方で逃げようと思えば逃げられるのに、一切誰からも感謝されていないのに、その場に留まろうとする母への苛立ちもありました」
私が静かに相槌を打つと娘さんは話し続けた。
「それから祖母が亡くなって、漸く一息ついて、そうそう祖母の葬儀やそれに付随した諸々も父は全部母に丸投げでしてね。
母は煩い親戚連中の矢面に立って、その時も大変でしたが父は一切母を庇うことも無かったです」
娘さんは口の端で軽く笑った。
「まあ、父のことは責められないですよね。
私も似たようなものでしたから。
それで私も今更母に会わせる顔が無いって言うんですか?この家にも来づらくて。
ところが私が偶に帰ると、すごく嬉しそうにあれこれと料理をしてくれたりしましてね。
あの日も、連休でこの家に戻って来ていたんですよ」
娘さんはちょっと窓の外に視線を遣って息を吐いた。
「私の為に最高のテールスープを作るって言いましてね。
ラーメン屋さんにあるみたいな寸胴鍋に肉屋さんから特別に手に入れたテールを入れて、他にも玉ねぎやらハーブやら、私には良くわからないけど色んな物を入れて煮込んでいたんです」
「美味しそうですね」
「ええ、前日から煮込んでいて、いい匂いがしていて、
『ほら、もうすぐ食べられるわよ』
って母が笑って。
そしたら、その瞬間、窓からブーンって虫が飛んできて、そのまま寸胴鍋に吸い込まれるように落ちていったんです」
「・・・虫っ・・・て?」
娘さんは深く頷いた。
「そうです。あの、茶色いやつです」
「・・・・・」
「瞬間、母の顔から全ての表情が消え去りました。
それから時間が止まってしまったかのように暫く母は動きませんでした。
それから母は寸胴鍋の中身を流しにぶちまけました。
そして、
『ゴメンネ、後で片付けるから』
そう言って、しばらく休むと二階に行ってしまったんです」
「・・・・」
「それが私が見た母の最期の姿でした」
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