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23 踏み出す

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 もうすっかり冷めてしまった湯船に、
 このままじゃ風邪を引くと分かっていながら動くことすら億劫で、
 居心地が良いわけでもないのに、
 ダラダラと ただダラダラと浸かり続ける。
  心までふやかして。

 ずっとこのまま流されていても構わない、と思うようにもなっていた。

  懐かない猫を無理矢理閉じ込めて、ひっかかれながら撫でる日々。

 もう何もかもが面倒だ。

 譲歩しすぎて、もう一歩も引けない壁際まで追い込まれてしまった。

 俺に許されているのは金を払って彼女に触れることだけ。


 諦めていた時、腕の中で喘ぐサフィニアが、ニールと呼ぶのを確かに聞いた。

 馬鹿な俺はそんな些細な気まぐれにすら歓喜する。

 
 

「自分の気持ちがわからない」

 サフィニアは戸惑っていた。

「酷いことをして悪かった。
 愛してくれ、なんて言わない。
 せめて償わせてくれないか」

 心の支えにすらなれないのなら、せめて経済と社会的な後ろ楯にならせてくれ、と。

「ウィーキヌス王家の血を引くディーノを平民として育てるわけにはいかないだろう」

 ニールは必死にもう何度目になるかわからない説得をした。

 だから形だけでも結婚しよう、と。

 難しい顔しながらサフィニアは、それでも少し心を動かされているように見えた。


「そもそもあの時、ジュスト殿下と出会わなかったらどうするつもりだったんだ?」

「どうするって・・・私に選択権なんて無かったわ」

「嫌いな俺と結婚してただろう?」
  
 ニールは、そうなるはずだった未来に戻るだけだよ、と皮肉っぽく笑った。

「別居で構わないし、顔を見たけりゃ金払えって言うんなら従うよ」

 それは破格の厚待遇だけれども、と皮肉を返しながらサフィニアはピシャリと言った。

「貴方が一番最初に考えなければいけないのは息子さんのことでしょ?」

 ニールは叱られた子供みたいに俯いて、そうだよな、と呟いた。

「ちゃんと向き合って」

 いつも周囲の雰囲気に合わせて迎合してきたツケ。

 愛想笑いのストレスを一番大切な人にぶつけた甘えの結果がコレ。

 「・・・わかった」

「息子さんのお名前、なんと仰るの?」

「カール」

「そう。たくさん名前を読んで差し上げてね」

 ニールは、わかった、と頷いた。

「息子さんが反対するなら結婚はできない。
 あと貴方のお母様も」

 「母のことは何とかする。
 もう口出しはさせない。君にも会わせない。言ったって無駄だ。あの性格は変わらないから」

 相当母親に悩まされてきたのか、ニールはその後もブツブツ言っていた。
 

 




 「セリーヌの親がカールを引き取りたいと言ってきたから、養子に出そうと思う」

 しばらく経ってニールがサフィニアに言った。

 最近では息子と乗馬したりポロの試合観戦に行ったりと、交流をはかっていたし、少しずつ良好な関係を築いていると思っていたのに。

「まさか、再婚するのに邪魔だから引き取ってくれ、なんて言ったの?」

 サフィニアの非難のこもった目に、
 
「違うよ!」

 と慌ててニールが遮る。

「あっちの家に跡継ぎができなくて。
 セリーヌの兄は結婚して10年経つけど子供ができない。
 セリーヌは相変わらず遊び回ってて、今更 彼女にまともな縁談は来ない。
 
俺はまだ若いから再婚すれば子供ができるだろうって。 
  そうなったらカールの立場も微妙になるから今のうちに引き取った方が双方の為じゃないかって」

「それで手放すの?それでいいの?」

「・・・これからも交流を持たせてもらうことを条件にしようと思ってる。
 先方も俺の血を引くカールを養子にすることでフィカス家との繋がりを保ちたいという目論見があるから、断られないと思う」

 「・・・そうなの」

 「母親も遠くの領地に押し込めることにした」

「・・・・」

「気にすること無いよ。
 あの人、自分じゃバレてないと思ってるんだろうけど、ずっと馬丁とデキてたんだ。
 二人で幸せに暮らせるようにしてやるから、これであの人のヒステリーも少しは収まるんじゃない?」

 着々と外堀を埋めていくニールは最近ディーノも手懐けつつある。

 
「私、やっぱりジュスト殿下のことが忘れられないわ」

 サフィニアが申し訳なさそうに眉を下げる。

「わかってる。それでもいいんだ」

 「貴方の誠意は伝わっているわ。
 むしろ頑なな自分に嫌気がさすくらい」

「いいんだ気にしなくて」

「貴方に返したい気持ちもあるけど、ジュスト殿下を裏切ったことを悔いる気持ちもあるの。
 お金をもらって抱かれていた頃は、これはディーノを育てる為に仕方の無いことなんだと自分に言い訳ができたんだけど」

「いいんだ。全部、全部、俺が悪い」

ニールはサフィニアを後ろから抱きしめた。

 以前は感じた嫌悪が今は無かった。
 
 むしろあの頃の幸せだった日々の温かさを想起させた。


 「・・・ジュスト殿下は許してくれるかしら」

 「さあな、俺なら化けて出るけど」
 
「・・・・・」

「いいじゃん。 
 だってお前、会いたいんだろう?」




(終わり)




 ★おまけ

その後ニールはディーノの為に新しい子守りを雇い入れた。

 「入ってくれ」

 扉の向こうから現れたのはマルグリットだった。

 絨毯の上で馬の玩具で遊んでいるディーノを見つけた途端、彼女は歓喜の声を上げてディーノに駆け寄った。

 「坊っちゃま!」

 涙を流して近づいてくる知らないオバサンに、

 「マ、・・・ママ!」

 逃げようと立ち上がったディーノをマルグリットがしっかと抱きしめた。

 そんな二人を見つめるサフィニアも涙を流していた。

 

 

 
 


 
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