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しおりを挟むイデアルの態度からしてすぐにまた会いに来るかと思われたが、ネージュの発情期が完全に明けても、一週間経とうが一ヶ月経とうが彼は姿を現さなかった。
よく考えれば恋に落ちたわけでもなく、お互いのことさえ全く知らないのだから会いに来なくて当然だろう。なのになんだか少しがっかりしてしまったのは、番というものの影響だと思う。
似た体格や金に近い髪色を見つけると心臓が小さく跳ねる。本能レベルで番を求めるように体が変わってしまったのか、仕方のないことだと思っても落ち着かなくて煩わしかった。
夜の街は毎日目まぐるしい。忙しさにむしろ助けられながら変わりのない日々を過ごして三ヶ月ほど経った頃、また発情期の兆候が出た。
「くそぉ、やっぱ来るんだ……」
「あの騎士様お呼びしないんですか?」
できるはずない。どこに住んでいるのかも知らないし、イデアルはもうここへ来るつもりもないのだろう。
一応筆下ろし自体は済んだのだから、もしかしたらもう結婚相手を見つけているかもしれない。彼は公爵家の跡継ぎ候補となる子をもうけなければならないのだ。ネージュとは別世界の人間。
体が番を求めているのを感じながらネージュは自室に籠もった。発情期が来るのなら仕事にならないのは確実だったため、あれから花車の仕事は一番しっかりした男娼のエマに仕込んである。
誰かに任せても店は問題ないと安心するたび、自分の存在意義が薄れていくのを感じる。それはひどく切なく、恐怖すらもネージュに与えた。
自分がいなくたって店は回るし、誰も困らない。あのお坊ちゃんアルファだってネージュとは違い発情期に苦しめられることもなく、別の番を作ることすらできるのだ。
「ふっ、ぅ……くそ……ッ」
自分を慰め、気持ちいいはずなのに涙が出る。
これまでの発情期だって泣いたりしなかったはずだ。けれど前回から、正しくは番ができた瞬間から、ネージュの涙腺は崩壊してしまっているらしい。
寂しい。あの男の香りが傍にないのが寂しい。ネージュの空白を満たしてくれる人がいなくて寂しい。
当然というべきか、一人での発情期はなかなか終わらなかった。自慰をして、身を清めて、疲れて眠っての繰り返し。
ちょうどネージュが身を清めて新しい衣を身に纏ったとき、部屋の外をパタパタと走る音が聞こえた。やけに慌ただしく、誰かを呼びに来たようだ。まだ昼間なのだけれど、何かあったのだろうか?
気になって部屋の扉から顔を出すと、ネージュの顔を見て「あっ」と男娼のひとりが声を上げた。顔色が悪い。
「どうしたの」
「あの、お貴族様が……ぼく、エマさんを呼んで来ようと思って……」
『おい、早くしろ! ネージュとかいうやつを出せ!』
遠くから怒った男性の声が聞こえて、ネージュは自分が呼ばれているらしいと気づいた。金をぼったくられたから返せとか、男娼に溺れて息子が借金を作ったとか、言いがかりをつけてくる人はたまにいる。
発情期なので別の人で対応しようとしたのだろう。だがエマにはまだ荷が重い。今なら少し動けそうだと思い、ネージュは自分が出ることにした。
昼間は自宅で休んでいるだろう用心棒を念のため呼んでくるようにお願いして、ネージュはきゅっと顔を引き締める。この店を、花たちを守るのは自分の仕事だ。
階段を下りていくと、豪奢な服を身に着けた年嵩の男性が唾を飛ばして喚いている。五十歳前後だろうか、神経質そうな皺の寄り方をした顔ではあるが、濃い色の金髪に整った顔立ちは誰かを想起させた。
「私をお呼びでしょうか?」
「お前か! 私の息子を誑かしたのは」
「……失礼ですがお名前を伺っても?」
まさか自分が当事者だと思っていなかったネージュは、長い睫毛を何度かぱちぱちさせた。……そういうことか。
「レウスィット公爵閣下でございます」と背後に立っていた執事が答え、予想は確信に変わる。イデアルの生意気そうな顔が可愛らしく思えるくらい公爵は意地悪そうな顔立ちをしているが、確かに似ていた。
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