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本編
6.
しおりを挟む「だ、大丈夫ですか……顔、赤くないですか?」
「……うん」
人に挟まれながら無の境地になって二駅すぎると、乗り換えで一瞬空く。その隙に息のできる場所を確保するのだが、ドアの横、座席の壁があるところで、瑠璃は琥珀の腕に守られる位置になる。
この時間が一番だめだ。普段なら決して近づかない距離でくっつかざるを得ない。どうしても思い出したことが頭をよぎってしまう。
あ、いい匂いする……
緊張と恥ずかしさはあるものの、それだけで、満員電車のなか瑠璃だけオアシスにいるような感覚がしてくるのだから不思議だ。
そもそも見送りだけのためにこんな苦痛を伴う通勤についてくる琥珀、ドMすぎないか? おかげで瑠璃は人に潰されることなく、座っている人の次くらいには快適な通勤タイムを過ごせるのだけれど。
顔が赤いのは車内が暑いから。琥珀は瑠璃に触れないように踏ん張ってくれているが、逆に腕や胸が触れるか触れないかのところで静電気的なものが生まれている気がする。スーツの下の肌がざわついた。
いつもなら間近にある顔を見上げて会話するのに、今日は世間話さえも捗らない。ちゃんと顔を見れさえしないのに、その息や体温を必要以上に意識してしまう。
(どうしちゃったんだ、おれ……!)
「やっぱり体調悪いですよね? あと一駅ですから、頑張ってください」
まだ琥珀の方が冷静なのが悔しい。ちらっとほんの一瞬見上げると、眼鏡越しに心配そうに瑠璃を見下ろす目と目が合った。
が、すぐにマスクの息でレンズが曇り、変質者みたいになる。
「ふふっ。眼鏡曇りすぎ」
不意打ちで笑ってしまう。琥珀が気持ち悪い方が落ち着くかもしれない。
「ごごっ、ごめんなさい」
「謝ることなくない? てか電車では眼鏡外すとかすれば?」
「ええっと……これは外界から僕を守ってくれるフィルターで、今は特に、可愛すぎる瑠璃さんを直視すると眩しすぎて死んでしまうので……」
「は?」
ちょっと何を言っているのかわからなかった。でもやっと会話ができてホッとする。一緒にいるのに無言じゃやっぱり寂しいと思ってしまうのは、我ながらわがまますぎるけど。
電車を降り、少し歩いた先にあるコンビニへ寄る。そこでコーヒーを買って一杯分飲むあいだだけゆっくりするのが毎朝の定番だ。
足早に歩く人たちの通勤や通学風景を見ながら、ようやく身体の熱も落ち着いてきたのを感じる。さすがに今日はアイスコーヒーにした。
「本当に体調大丈夫です……?」
「大丈夫だって言ってんだろ。さっきまで暑かっただけだし」
「でもそのっ、急にあの日みたいになる可能性も」
「しつこいなぁ。まだ周期じゃないし、余裕だって」
照れ隠しもあって、つい強く言い返してしまう。琥珀の心配も過剰でわずらわしく感じる。
前回の発情期からまだ一ヶ月も経っていない。抑制剤だって飲み続けているし、心配する必要は本当にないのだ。
「あのっ、仕事何時に終わりますか? 僕、迎えに来ます!」
「は?」
「今日の瑠璃さん、いつも以上に目が離せない魅力にあふれているといいますか……心配です! もしできるなら、今日は仕事も休んでこのまま僕の家に……あっ、タクシーで家に帰ってほしいです……」
「はぁっ? そんなことできるわけないだろ。こっちは遊んでりゃいい大学生と違って、簡単に休めない社会人なんだよ」
琥珀の言葉にカチンと来た。こいつ、色ボケしてんの? というか好きと言われたわけでもないし、一度ヤッたから自分の物だって勘違いしてんのか?
アルファによるオメガの監禁事件はよくニュースになる。結局こいつも、オメガを持ち物としか思わないアルファだったのかと、心底がっかりした。
(おれはこいつのアルファらしくないところに……くそっ。惹かれてたのに)
「また発情期に立ち会えば、ヤれると思ってんの? それならおれなんかに付きまとってないで他のオメガを探しに行けよ。おれはお前のオメガじゃないし、おれだってどうせならもっと垢抜けたイケメンに相手されたいんだよ」
「ちがっ……」
ただ琥珀を傷つけるためだけに、思ってもいない言葉が口からポロポロとこぼれていく。目元が隠れて琥珀の表情は伺いしれないが、薄く反射する眼鏡には顔を歪めて苦しそうな表情の瑠璃が映り込んでいた。
(おれがこんな顔する資格なんてないのに……)
罪悪感が胸いっぱいに広がって、苦しくて吐きそうだ。これ以上ここにいることが、琥珀の前にいることが耐えられない。琥珀に背を向けた。
「もう会いに来るな」
それだけ言い残して会社へ向かう。瑠璃の名前を呼ぶ声が聞こえても、振り向かない。手に持ったプラスチックカップに浮かぶ結露が手のひらを濡らして、ひどく不愉快だった。
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