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しおりを挟む「あーあ。ルシアーノの初めての遠乗りでこんな災難に見舞われるなんて……」
「ははっ、おかげで忘れられない経験になったよ。それに遠乗りなんて一生縁がないと思ってたから……なんだかんだ言って楽しさが勝つかな。ありがとう」
「えへへ。また違う場所も行こうね! ……けど僕さ、友人と狩猟に出かけたときもイノシシに追いかけられたり、観劇してたら主役の俳優さんがプロポーズされてそのまま駆け落ちしちゃって最後まで見れなかったり……ちょっとしたトラブルが多いんだよ~。……あれ? てことはやっぱり僕のせいか……ごめん」
「いい。それにしても……多趣味だな」
楽しいと言ってもらえてふわりと心が浮ついた。ミルファが後ろを振り向いて自分の運の無さを懺悔しても、ルシアーノは感心して目を丸くするだけだ。
多趣味、なのだろうか? ミルファのやっていることは、都市貴族としてはありふれた娯楽だと思う。
「ルシアーノは、ないの? 読書以外の趣味とか……あっ」
「特になかったが……クレアは可愛いな。動物がここまで心癒されるものだとは知らなかった」
「でしょう!? 馬って頭もいいし、最高の相棒だよ」
聞いてしまってから、礼儀を欠いた発言だったかと後悔した。しかしルシアーノは殊の外クレアを気に入っているようだ。
馬を買おうと提案してみてよかった。ミルファも動物が大好きなのでつい気分が高揚してしまう。
「本当だな……。今まではヤーヌスが動物の近くに寄るとくしゃみが出るって言って、寄せ付けなかったんだ」
「それは……セリオ侯爵?」
「ああ。そういえばちゃんと話していなかったな……」
ルシアーノが懐かしむように目を細めセリオ侯爵の名前を口にしたとき、心臓が軋んだ音を立てた。彼の過去を知りたいのに、聞きたくない。自分勝手な感情に蓋をするように、ミルファは奥歯を噛み締めた。
「俺が平民だったことは察しているだろう?」
「うん……最初はわかんなかったけど、教会で名前を見て」
「そう、だったな……。あの人は偶然俺がアルファだと気づいて、拾ってくれた。もちろん理由はあった。不治の病であることを分かっていて……最後まで看取ってほしいと持ちかけられた。契約だったんだ。最初は」
「契約、だったんだ……」
ミルファは素直に驚いた。
ということは、結婚する前からセリオ侯爵は自分の死期を悟っていたことになる。セリオ侯爵は病気の看護のためにルシアーノを選んだのだ。
結婚という選択でなくても良かったように思うが……侯爵にまでなると様々な家の事情があるだろうし、病気のカモフラージュという意味もあったのかもしれない。
それなら平民のルシアーノを選んだ理由もわかる。出自が貴族でなければ、謎多き侯爵夫人を謎のままにしておきやすい。
きっとセリオ侯爵もアルファらしい体格だっただろうし、看護してもらうならルシアーノのような頼もしい男性の方が安心だ。あえて二次性にアルファを求めたのは、目的は看護とはいえ、より高い能力を求めていたのか。
『最初は』と付け加えられた言葉に、途中からは契約を超えた関係になっていたことがわかる。やっぱり愛し合っていたんだ……
自分はこんなにも惹かれているのに、ルシアーノはミルファに何も感じていない。彼の向いている方向はこちらじゃないのだ。
胸がずきずきと痛み、奥歯が震えた。だめだ。もう一度ぎゅぎゅっと自分勝手な感情を押し込む。
「ヤーヌスは物知りだった。五年間のあいだに、いろいろ教えてくれたよ。ミルファのことも聞いていた」
「うぇっ。僕のことも?」
会ったことがないのに、どうして知っていたんだろう? しかしセリオ侯爵ともなれば、家にいても貴族界の情報を入手できる手段を持っていたに違いない。
ミルファはルシアーノが家に来た日、「聞いていたとおりだ」と言われたことを思い出した。
「優しくて、損をするタイプだと言っていたな」
「あ、あはは……」
「俺と気が合いそうだ、とも。……だから婚姻の申し込みがあって嬉しかったよ。二次性を隠して、騙すように受けて悪かった。契約だったからそれなりに金もある。ミルファに欲しいものがあれば、なんでも」
「ううん、いいんだ。契約だったとしても……大変だったでしょう? つらかったよね。大事な人を見届けて、すぐに忘れられるはずないもの」
「……ああ」
ミルファは強い気持ちで人を愛したことがない。けれど最も身近にいる人が弱っていって亡くなるまでを見届けてしまったら、簡単に忘れられないことくらい分かる。
契約でしかない関係だと思っていないと、やっていられなかったかもしれない。ルシアーノの気持ちを想像するだけで、苦しくなるほどつらかった。
ミルファはルシアーノの右手を取り、左胸の肌の上に直接置いた。彼の手の上から自分の両手を重ねる。
とくとく、鼓動と熱を感じるように。
「ほら、僕はまだまだ長生きできそうだ。風邪だって滅多に引かないし、病気で仕事を休んだこともない。こんな状態じゃ説得力ないけど……放っておいても治るくらい回復力には自信があるんだ。ルシアーノの手を煩わせることはないよ。安心してそばにいて欲しい。――君の気が済むまでは」
「…………」
背中から両腕が回ってくる。ぎゅうと抱きしめられて、ルシアーノの顔は見えなくなった。やっぱりくっついてると温かい。
ミルファの体調不良に、過剰なくらい後悔して心配したルシアーノ。もっと気楽に考えてほしい。自分たちは強く生きているのだと、自分を責める必要はないのだと、彼にわかってほしい。
身体がまた芯からぽかぽかとしてきて、眠くなってくる。回復のために睡眠を欲しているのだ。
次に起きたらもう動けるくらいにはなっているだろう。そんな確信を持って、ミルファは意識を手放した。
だからそのすぐあと、ルシアーノが口にした呟きは、耳に届かなかった。
「ミルファを選んでよかった……」
小屋の外では雨が止み、荒天だったのが嘘みたいな星空が天に広がっている。
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