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死んだ恋人のために、悪魔と契約したとある少女の旅立ち
しおりを挟む恋人が死んだ。
彼は騎士で、主君を庇っての名誉の死だった。
同じ孤児院出身で、最近想いを通わせたばかりの彼は、傷一つない綺麗な体で私のもとに帰ってきた。
「ねえ、冗談はやめて……」
それなのに、彼は目を開かない。
言葉を発さない。
いつも私を抱きしめる腕が、動くことはもうない。
触れた頬は、氷のように冷たかった。
彼の死を受け入れられない私は、弔いのために彼を連れていこうとする人たちを追い出し、彼の家に閉じこもった。
骸となった彼を抱きしめて、身も世もなく狂い泣く。
日が沈み、昇り、また沈みを繰り返し、どれだけの時が経ったのか分からなくなっていた。
気が付くと、目の前に悪魔がいた。
二本の角を持つ漆黒の禍々しい存在。
悪魔は舌なめずりして、私に問いかける。
――恋人が生き返れるとしたら、どうする?
もし本当に、彼が戻って来られるならば……。
幼い頃からの、彼との思い出の日々が、頭の中を駆け巡った。
「何だってします‼」
悪魔の膝元に縋りついて嘆願する私に、悪魔はさも愉しそうに嗤った。
――この世で一番好きな言葉さ。
**
そして私は自宅にある鏡の前で、呆然と立っていた。
鏡の中の老婆を見つめながら。
あなたを取り戻したかったから、私は悪魔に魂を売り渡した。
あなたの魂を呼び戻すのと引き換えに、悪魔が要求したのは若さと美しさだった。
果たして願いは叶い。
あなたは息を吹き返し、私は老婆になった。
そして、彼が意識を取り戻す前に、私は自分の家に逃げ帰った――。
鏡の前で、わなわなと頬に両手をあてる。
しみといぼだらけのしわくちゃの皮膚。
頬は落ちくぼんで、釣り上がった目がぎょろりと動く。
ぼさぼさの髪は真っ白で、所々がはげている。
曲がった背中、やつれた体の見るからにみすぼらしい老婆。
これが私……⁉
こんな姿では彼にはもう会えない。
彼が生き返って嬉しい。
これからどう生きていこう。
彼は本当に無事かしら。
この体は動きにくいわ。
彼は私がいなくなってどうするかしら。
心が散り散りに乱れて、定まらない。
一昼夜考え抜いて、私は旅に出ることを決めた。
身の回りの物を整理して、最低限の物だけをバッグに詰める。
彼に手紙を残そうか悩んだけれど、結局残さずに行くことにした。
伝えたいことがありすぎて、とてもではないが書ききれなかったからだ。
準備に手間取っているうちに、家の扉をコンコンと鳴らす音が聞こえた。
私は黒いローブを羽織って、さも素知らぬふりで扉を開ける。
彼だった。
前と変わらない元気そうな姿に、涙がこぼれそうになるけれど、つとめて冷静さを装う。
彼は恋人に会いに来たという。
私は首を振った。
彼女はしばらく家を空けるから、知り合いが来たら事情を話して欲しいと言われて、当座の留守番を頼まれたのだと言うと、彼は伝言を残して去っていった。
彼の後ろ姿が遠ざかるまで、扉のところで見送りながら、漏れ出る嗚咽を抑える。
涙は出なかった。
老婆になると、どんなに悲しくても涙が出なくなってしまうのね。
不思議な所でおかしくなり、少し気分が浮上した私は、家を後にした。
よろける体で、ゆっくりと道を進む。
朝焼けの空が目に眩しい。
自分で決めたことだもの。
決して辛くはないわ。
でも、あなたはどうか私に気付かないで。
あなたのために老いさらばえた事実を知られたくないの。
それに、あなたにだけは、この姿が私なのだと知られたくない。
もう二度とあなたには会えないだろうから、私が綺麗だった頃の姿だけを覚えていてほしいから。
さようなら。
幸せにと言いたいけれど、言えない弱い私を許してね。
もし再びめぐり逢いがあるとしたら、その時は二人でどこまでも……。
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