Meltnear

黒谷

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 さて、ここで詳しい魔界の説明である。
 ぜぇーんぶ、メルからの直接授業。
「だから、そっちがいう地獄だとか冥界だとか黄泉の国なんてのはまた他、ベツモノってわけよ。でもって、魔界は広い。大まかな中心部は帝王がちゃんと統治してるけど、その他に散らばる小さな町は今も昔からの支配者が君臨してるし。中心部は東西南北と中央の五つにわかれてて、俺たちがいたのが南魔界。東と西はそのうち教えてやるけど、北魔界は全員変態だからな。気をつけるこった。で、帝王はまあ魔界を治める王様ってとこよ。ヤツが直轄管理するのが中央の帝都。そこにあるのが帝王城」
「……なんか、ガーッと一気に喋られたのでわからないのですが」
「だったら後でローズにでもきけ」
 けっと吐き捨てるように、メルはそう吐き捨てた。
 口にはいつのもキセルである。
 ぼくとメルはてくてくと雪の道を歩いていた。
 風景はぼくがあの日、メルと出会った日、目にしたそれと全く変わってはいない。
 まあ一つ変わっているとすれば、猛吹雪で氷柱が混ざって吹き荒れているということである。
「つーか何もこんな日に出歩かなくてもよくねえ?」
 分厚いフード付きのコートに身を包みながら、メルがキセルをふかしながら、ぼやく。
 この状況下でキセルをふかせられるとかすごい。
「う、うう、歩きづらい……」
 すでに前を向いて歩くことが困難であるぼくは、メルの声だけを頼りに歩いている状態だ。いつ迷子になってもおかしくはない。ていうか前にメルがいるという確証がない。
 と考え出すと、なんだかメルが遠くにいる気がしてくるから不思議だ。
「あう、メルー、どこですかあ……」
「ここ」
「はうあ!」
 ぼやいた目と鼻の先に、メルの顔があった。
 さすがは慣れているのか、メルの顔に雪はついていない。
ちなみにぼくの左頬なんて、もうすでに雪で固まっている。雪パックってお肌にいいのだろうか。
 いや、いいわけないだろぼく。
 凍傷にしかならないよ。
「お前にはつらいだろ。ちょっと裏道使うから、こい」
「え、うわあ」
 有無を言う前に、ぼくはメルに引っ張られてメルの羽織る大きなコートの中に入っていた。
 おお、あったかい。歩きづらいけど。
 ……と思っていたら、身体がひょいとあがった。
 メルに抱えられたのである。
 本当にメルは、わりと華奢な体躯をしている(ギルドや他のローズたちよりは)のに、どこにそんな力があるものか。 それともぼくが軽すぎるとでもいうのだろうか。
「大人しくしてろよ。騒げば厄介なオオカミに嗅ぎつけられる」
「オ、オオカミ?」
 さすがに呆然とするぼく。
 オルトロスとかケルベロスとかフェンリルとかじゃなくて、普通のオオカミときたからだ。
 そりゃまあ、そういう有名なのはここにはいないときいてはいるんだけれど……。普通のオオカミって、ねえ。
 ちなみにこのへんの名前は、前にゲームでみた。
「よそからくるヤツはかみ殺そうとする、しつけの悪いのがいるんだよ」
 でもそこは吹雪いてない、とメルは続ける。
「……わかりました。ニアはとっても大人しく、空気のようにしています」
 メルの声音から、それが冗談ではないことを感じ取って頷く。
 まあそもそも寒いし。顔なんて出したくない。
「うん、頼んだぞ。毎日いるわけじゃあねえから、ボス勤めてるバカはいないと思うんだが……」
 そんなメルの呟きを聞きながら、ぼくはすっぽりとメルのコートの中に頭を引っ込める。
 なんだかんだいって、最後はこうしてぼくを護ってくれるメルが、ぼくは大好きなのだ。
 まあ、他のみんなだってメルほど文句は言わないし、ぼくを大事にしてくれるひとばっかりなんだけど。
 でもぼくはその中でメルが好きなのだ。
 だから、どんなに意地悪をしても最後には従ってしまう。仕方ない。惚れた弱みだ。
 ………。
 …………。
 ざくざくという、メルの足音が響く。
 ついでに吹雪の音が聞こえる。
 でも、そのほかは実に静かだ。会話がない。
 なんとなく気まずくなって、ぼくは口を開く。
「……帝王さんて、どんなひとですか?」
「あ? あー……」
 ぼくのなにげない、小さな呟きに唸るメル。
「ひとことでいうと、バカ。つーかアホ。マヌケ。悪魔っつうか人間っぽい」
「へ?」
「でもって妻バカで親バカ。それでもって救いようがないくらい重度のお人好し。純日本人」
「えーっと、……ええええ?」
 確か魔界全土を治めているはずなんだけど……。
 どうしてそんなに尊敬とはほど遠い言葉がつらつら出てくるんだろう……。
 日本の江戸時代に将軍の悪口なんていったら殺されそうなんだけど。
「……帝王さんって、魔界を治めているんですよね?  なんか、お頭さんの方が、尊敬されてる気がしますけど」
「気がするんじゃなくて、そうなんだよ。俺たち地方に散らばる悪魔は、大抵そこの城主が気に入ってそっちにつくんだから。稀に配備されることとか、向こうが指名することもあるけど、その場合だって最後は尊敬に結びつくつくさ」
「帝王さんは、尊敬されないんですか?」
「……じゃあお前、俺たち束ねてるヤツが家庭菜園とかにうつつ抜かして、愛情百パーセントで作るジュースとか差し出してくるそんな状況みて、尊敬できるか?」
 う。
 ぼく、沈黙。
 ちょっぴりだけ想像してみる。
 帝王さんは想像がつかないので、とりあえずお頭さんで当てはめるとして……。
 ………。
 …………。
 ああ、これはつらい。
「………よくわかりました」
「ん、素直でよろしい」
 しかしどうしても、腑に落ちない点がある。
「……本当に魔界を治めているんですよね?」
 二度目の確認。
 だって、話しぶりから想像できるのはひとのいいおじさん、もしくはおじいちゃんだ。
「会えばわかるって。会えば。尊敬と信頼は全くのベツモノなんだから」
 メルはぼくをあやすよに、そんなこと言った。
 尊敬と信頼。
 確かに似ているようで、全く違う。
 ぼくはそのどっちもあまり知らないけれど、小学校でみんなができないことをしでかした時、尊敬と同時に恐怖をみんなに植え付けた。
 尊敬があるからって、信頼は生まれない。
 そもそも信頼を生んだことがないので、ぼくにはわからない。
 このぼくが信頼を初めて置いたのだって、実はこのメルやギルドだったりするし。
 一目みて心の底からいいひとだ、と思ったのが悪魔だなんてちょっぴりおかしな気もするけれど。
「ニア、お前は、その、なんだ。……もとの世界に帰りたいとかは思わないのか」
 黙り込むぼくに、今度はメルから会話をふった。
「なんつーか、ここ、危険だろ。仮にも魔界だし。たまにだけどさ、死んだヤツとかが混ざってたりするんだぞ。悪魔ばっかりだし、人間に好意的な連中ばっかりじゃないし」
「そもそもぼくは、好意的じゃない連中を悪魔と呼ぶと思うのですけど」
「そりゃちょーっと話長くなるからローズにしてもらえ。で、どうなんだよ」
 ぼくが、帰りたくない理由なんて。
 もう明白すぎて、怖いくらい。
 口元を緩ませて、ぼくは答える。
 メルにはみえないだろうけど。
 いや――今のぼくの、こんな顔はメルにみせたくない。
「ぼくは帰りたくないですよ? だって、帰った先に家族はいません。お父さんもお母さんも、家族じゃないんです」
「……は?」
 ぼくの返答に、メルは戸惑った声を出した。
「お父さんもお母さんも、ぼくとは他人なんですよ。だからぼくが邪魔でしかたない。森に置き去りにしようとしても帰って来ちゃう悪い子なんですから。だからぼくの方から離れてあげようと思ったのですが、こうして晴れて迷子になりました」
 自虐的に、うふふと笑う。
 笑うことしかできない。
 だって少しも悲しくないのだ。かえってうれしさがこみ上げてくるぼくは、やっぱりどうかしてる。
「お、置き去り」
 メルの声は、ますます戸惑っていく。
 あれあれ。どうして?
 悪魔の世界の方が、こんなこと、ありそうなのに。
「うふふ。でもですね、メル! これが笑っちゃうんですけど、はぐれたぼくを探したこと、二人は一度もないんです。すごくないですか? 仮にも親ですよ?」
 ぼくは嬉しくなる。どんどん嬉しくなる。
 戸惑うメルの相づちが、まるでぼくを『悪魔』だと言っているようで、うれしくなる。
「……や、その、お前……」
「あ、心配ご無用。養子とかじゃありません。ていうか養子だったらもっと優しくされたかなとか思ってました。だから血のバリバリつながった親子ですよ。家族じゃあなかったですけど」
「………」
 メル、ついに沈黙。
 でもやめてあげない。
 もっともっと、ぼくの話をきいてほしい。
「お父さんもお母さんも、突然変異的にぼくの髪が水色だったんで、怖かったみたいですね。ひととは違うって、人間にしたらよっぽど怖いことなのでしょう。ぼくにはよくわかりませんけど」
 思い浮かぶのは、あの人間どもの怯えた顔だ。
 最高級に――まぬけな、阿呆面。
 中でもとりわけ最高だったことを、ぼくは饒舌になりながら思い出す。
「でもですね、メル」
 うふふ。うふふ。
 笑いが止まらない。
「……なんだよ」
「ぼくとメルたちの髪は、よく似ています。それに、みんなができないことができるじゃないですか。だから」
 ぼくは、続ける。
 ただ一つの願いを。望みを。――夢を。
「ここで、本当の家族をみつけるのが、ぼくの夢なんです」
 短冊にも一度描いたことがある。
 早く本当の家族というものに出会えますようにって。
 そうしたら担任の先生が凄まじい形相になってぼくの短冊を破り捨てた。家で描いていたら、それもお父さんに破り捨てられた。
 大人はみんなどうかしているけれど、子供もどうかしている。ひそかに教室で描いていたら、今度は大柄な男の子に無理矢理奪われた。
 まあ、子供心に、本当にイライラしていたから、その子の上着を『砂』に変えてやったけれど。
 その後死ぬほど怒られた。
 お父さんもお母さんも担任の先生も、みーんな砂に変えてやればよかったのかもしれない。
 ぼくに文句を偉そうにべらべら喋る、連中全員、いつだって死んでしまえとぼくは本気で思っていた。
「……お前も、大変なんだな」
 そういうメルの声には、どこか哀れみが含まれていた。
 同情とか、そんなものが。
 人間の中にいた時には、そんなものすら――そうだ。与えられたっておかしくないものすら、与えられなかったというのに。
 本当に、あべこべだ。
 でも、もし人間にそれを向けられていたら、ぼくはもっと冷めていただろう。メルだから、許せる。
 メルだから、聞ける。
 メルだから――こんな、穏やかな気持ちに戻れる。
「いえいえ。おかげでメルに会えました。ローズに会えました。ロゼさんにも会えました。ギルドに会えました。シェリルさんに会えました。フォラスさんに会えました。お頭さんにも会えました。これから帝王さんにも会えます」
 うふふ。
 ぼくは笑った。
「だから本当は気にくわない連中を全員まとめて砂に変えるか爆死させるつもりの計画が崩れました」
「お前やっぱり人間じゃねえよ! 悪魔だろ!」
 メルの声が森中に響いていく。
 うーん、結構なパワーのツッコミだ。
「あ、ヤバイ」
 途端にメルの声音が変わった。
 そういえばニアは空気に徹していなければならなかったんだけっけ。もうここはもしかして、裏道だったのだろうか。
 そういえば寒くなくなった気もする。
「……?」
 遠くからは、遠吠えをする声。
 近くでガサガサと音がする。
 匂いが雪から、草に変わる。
 気配が唐突に増えていく。
「ちっ、今日は帰ってきてるのか」
「ぷはっ。何が帰ってきてるのです?」
「実はこの裏道っつーか、森は、別名……てニア! お前、顔出すんじゃねえよ!」
 いい加減暑苦しくなって飛び出したぼくの頭を、メルは無理矢理押し込もうとする。
 が、ぼくだってもう、つらいわけだし、引っ込めずに頑張ってみる。メル、体温わりと高いんだもの。
 頑張りながら辺りを見渡してみると、やっぱり周囲は普通の森だった。
 ところどころ灰色だけど。
 だけれど全然違う。雪がない。
「つーか全然空気じゃねえし! お前なあ!」
「う、裏道に入るときに、いってくれればよかったじゃないですかあ! ぼくだってメルとお話したいんですよ!」
「しらねえよ! うわー、マジか、俺戦うの苦手……」
 言い合いを繰り広げていると、至近距離から気配。
 ぴりぴりと突き刺すような、敵意。
 肌がひりつく。
「!」
 刹那、メルはぼくを抱えたまま飛び退いた。
 次の瞬間には、ぼくらがいた場所で爆発音。大きなクレーターができあがる。
 脱ぎ捨てたコートの先に、一人。
 ロケットランチャーとよばれるはずの、その小さな体では到底持てないはずの大型重火器を持った少女がこちらを睨み付けながら立っていた。
 紅い髪に、紅い瞳。短髪ではあるし、ちょっと中性的な顔立ちではあるけれど、遠目からみても、ぼくの目には女の子にみえた。
 背中には、メルと同じ黒い羽根。ちょっぴり小さい。
 誰だろう、あの子。一体何をしてるんだろう?
「   」
 少女は何かを小さく呟いて、目で合図した。
 一体何に対して…と思う前に、視界が反転。
 メルの身体が大きく動く。
 同時に「がうっ」という獣の声。
「オ、オオカミ」
 かろうじて開いた目でとらえる。獣、それはオオカミだった。メルのいっていた、オオカミだ。
「ウルフ! そいつ、逃がすなよ!」
 少女の声が今度はハッキリと聞こえる。
 これまた中性的な声だった。
 しかし、なんだかおかしな感じだ。
 ハッキリとぼくだけに向けられた敵意が、ぼやけている。元いた世界で向けられた敵意よりも……弱い?
「ニア! つかまってろ!」
「は、はいっ」
 ぼやっとしていたぼくを叱責して、メルは地面を蹴る。
 背中から再び羽根登場。
 なんどみたってカッコイイ。
 本当に悪魔になれたら、やっぱりぼくの背中にも、コレが生えてくるのだろうか。
「逃がすかよッ!」
 少女も同様に跳躍。
 手には大型の拳銃。
 そんなものを撃ったら反動で吹き飛びそうなんだけど。と思ったが、さっきのロケットランチャーで吹き飛んでいないことを思い出す。
 そっか、悪魔だから平気なんだ。
 ぼく、納得。
「ニア、頭下げろ!」
「へ?」
 メルの声とほぼ同時に、ぼくの太もも付近を銃弾がかすっていく。遅れて聞こえる発砲音。
 慌てて頭を出来る限り引っ込めるも、頬を掠めていく。
 いたた、痛いよう。
 出血の程度を確認する間もなく、銃弾は雨のように、隙間なく放たれる。
「――あ、メル」
 おそるおそる、そっと見上げたメル本人にも、銃弾が当たっていた。
 頬をかすったり、肩に当たってたり、ぼくを抱える腕に当たっていたり。
 ……戦うの、苦手なんだっけ。
「ッ!」
 ついに、メルの羽根に的中。
 一気に失速して、地面へと激突する。
 けれどぼくへの衝撃は少ない。メルがぼくを出来る限り庇っているからだ。
「う、うう、メル……」
「……つ……」
 なんとか身体を起こして、メルの身体を確認。
 よくみれば背中、腰、足といたるところに銃弾がヒットしていた。……痛そうだ。
 土煙のあがる中、ぼくはメルに触れる。
 険しい顔をしたメルの頬に触れて、気づく。
 ぼくはどうして、こんなに冷静なんだ?
「おい、そこのてめえ」
「!」
 ふと、さっきの声がした。
 少女だ。
 いつのまに目の前にいたんだろう。
紅い瞳で、ぼくを見下ろしている。
「一体どんな事情かはしらねーが、悪く思うなよ。死んでもらうぜ」
 銃口が、ぼくの額へと向けられる。
 ぼくはそれをみつめた。
 あの黒い穴から放たれたものが、メルを苦しめている。
 ぼくの大好きなメルを、苦しめている。
 すっと体温が下がっていく気がした。
「―――? っうわ!」
 刹那、みつめていた黒い塊は音もなくサラサラと崩れ落ちた。少女の手をするするとすり抜けていく。
 驚いた少女は慌てて飛び退いた。
 だから、ぼくは代わりに立ち上がる。
「……一体どんな事情かニアだって知りませんけど、悪く思わないでください」
「……!」
 少女の顔が、歪む。
「ぼくは、ぼくの大事なものを壊すひとが、大嫌いです」
 記憶がフラッシュバックする。
 大柄な男の子を砂にした記憶。実は周囲にいた男の子や悲鳴をあげる女の子も面倒で、砂にしちゃってた記憶。
 あの事件で決定的におかしくなったけれど、でもすでに何かが歪だったんだ。だからぼくはおかしかったし、両親の二人もおかしかった。
 いいや違う。
 きっとぼくの周り全てが――おかしかったんだ。
 だけどぼくはそれに感謝する。
 あの辺りできちんと自分の『出来ること』がわかったから、こうしてぼくは――メルを守れる!
「お、まえ……本当に人間かよ……!」
 気がつけば周囲が砂に変化しつつあった。
 草も土も枯れていく。
 大きな木も例外なく、枯れていく。
 風化していく。
「よくいわれますが、人間です。でも、今は」
 目をつぶる。
 もう、ぼくは。
 戻らないって、決めたんだ。
 この力を――恥じないって、決めたんだ。

「悪魔を――始めました」

 爆音が、木霊した。
 周囲に残ったものを爆発させたので、わりと凄まじい爆風が周囲に吹き荒れる。
 事前に地面を砂にしていたおかげで、砂埃が舞い、よくみえなかったが少女は吹き飛ばされたようだ。
 だから吹き飛ばされないように、メルに破片が当たらないように、ぼくはメルに砂を覆い被す。
 どこぞの漫画みたいに砂を操れるぼくは、本当にこの力が大好きだ。
 この力のおかげで、小さい時、砂の山やお城をつくるのがとってもラクだったし。
「うふふ――うふ」
 ぼくは笑う。狂ったように、いや、狂って笑う。
 力を出すという行為は、とっても気分がいい。
 それも久しぶりともなると、相当なものだ。

ばちんっ。

 右腕に、鋭い痛み。
「っ、いたっ」
 何か電流に掠ったような――そんな。
 ハッとして前をみると、少女だ。
 紅い髪の少女が、ぼくに片腕を向けて立っている。
 よくみれば彼女の身体には、電気がまとっていた。
 ――これが、あの子の力、なんだ。
 血が脈を打つ。
 どくん。どくん。どくん。
「――てめぇ、人間じゃねえな」
 ぽつり。
 少女が独白のように、独り言のように、呟く。
「ええ。今は悪魔を始めています」
 にこり、ぼくは笑顔で返答する。
 そうしている間にも、当然周囲を砂へと変えていくことを忘れない。
 うふふ、ぼくが二日前にローズから借りた漫画のコもそうだった。砂使いのコだったけど、砂が無かったら何もできないコだった。
 砂使いには――砂が必要不可欠だ。
「一体全体、どういうことだかわかんねえよ」
 少女は背負っていたロケットランチャーを投げ捨てて、身軽になった。
 ついでにもう片方の手に握っていた大型拳銃を腰のホルスターへとしまう。
「俺はお前が人間だってきいていたんだけどな……、くそ。あのやろう、また嘘つきやがって」
「うふふ――どうだっていいじゃないですか。どうだって」
 ぼくは笑う。
「ああ?」
「だって今、ぼくはとっても楽しいんです。力が使える口実ができて――こうして始めて、ぼくはメルたちの仲間になれるんです」
「――なんだと?」
 少女は、怪訝な顔をする。
 男勝りな口調は、その可憐な顔には似合わない。
「人間相手では殺してしまいそうで怖かったけれど――、今は」
 両側に、砂の竜巻をつくる。
 気分は、どこぞの忍者になった気分。
「いきますよぉっ!」
「――!」
 相手は雷を身にまとい。
 ぼくは砂塵を身にまとう。
 お互いがお互い――『おかしい』わけで、お互いにみんなとは違うわけで――遠慮はいらなかった。
 ぼくの創り上げた二つの砂塵が、彼女を襲う。
「ふん」
 しかし彼女はたいした動作もなく避けてみせ、同時にぼくへ三つの雷を放つ。
「うふ」
 だからぼくも、そんな動作を真似てみせ、同時に彼女へ四つの砂塵を放つ。
「――へえ、なるほど」
「うふ。勉強になります」
 そんなぼくの様子をみて、砂塵を雷でかき消して、笑う。ほほう、これは決着がつきにくい。ぼくも笑う。
 お互い思うところは一緒のようで、彼女はまとっている雷を一つに集め、ぼくはまとっている砂塵を周囲に散らす。
 彼女の雷はすでに大きくふくれあがっていて、ぼくの砂塵はすでに増殖を始めている。
 ここで『爆破』をしないのは、きっとスポーツマンシップにのっとったぼくの感情なのだろう。相手が一つしか使わないのだから――ぼくも、一つ、というような。
 悪魔の、この世界の常識からいえば――もっとも。
 それも甘いといわれることなのかもしれないけれど。
「次で、お前を確実に殺す」
「次で、あなたを確実に倒します」
 お互い見つめ合って、睨み付けて、ぼくらは笑った。
 ぼくにとっては――初めてした、シニカルな表情。
 風圧と威圧感で、髪がふわふわ揺れる。
「――ん……、あ、ニアッ、ぐっ……」
 と、ここでメルが目を覚ました。
 現在メルは顔だけを出している状態で、そのほかは砂でがっちりと固めてある。
 うーん、ちょっぴり邪魔。空気読めって感じ。
「うふ。ごきげんよう、メル。現在悪魔中です」
「悪魔中? 意味わかんな……ってうわなんだこれ! 俺砂に埋まってんだけど!」
「ニアが埋めました。砂風呂ってやつです」
「意味わかんない意味わかんない!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐメル。
 だけどぼくは無視。
 血液がおかしいほど熱い。いや、身体中が驚くほど、熱く熱く煮えたぎっていく。
 だから――無視。
「こりゃどういう――おい、ニア!」
「うふ」
「うふ、じゃねえんだよ!」
 ごめんなさい、メル。
 ぼくは今それどころじゃないんですよ。
 こんなに楽しいのは――初めてです。


■□■□


 現在俺の状況を話すならば、ええと。
 なんていうか――首だけにされた気分。いわば死体の気分だ。ううん、首から下がびっちりと砂で固められていて本気で気持ち悪い。
 で、目の前に。
 目の前に――俺の知らない『ニア』が立っていた。
 いつも知る、ニアじゃない。
 俺の知るニアはわりと上品で、どこか気品のあって、大人しくて可愛らしい、可憐な少女だった。
 弱々しくて、儚くて、守ってやらないと。
 そう思わせるような――少女。
「うふふ」
 そのニアが、さっきから不敵に笑っている。
 自分の両側に小さな砂の竜巻を携えて、戦うことを楽しむバーサーカーのように、笑っている。
 圧倒的な存在感を放って――笑っている。
 背中に翼など、おしりに尻尾などなくとも――それは確かに小さな『悪魔』だった。
 なんていったって、その周辺には小さな砂塵がいくつもできあがっているのだから。
「ニア……」
 その目の前に対峙している少女、つうかクソガキは相変わらずの調子で、こちらを睨んでいる。
 相変わらずの黒いロングコート。相変わらず気にくわない紅い髪。生意気な紅い瞳。おさえるつもりのない電気と、殺気と敵意。
 その右手には――大きなエネルギー体。雷の集まり。
「おいこらリュガぁ! お前ッ、一体なんのつもりだよ! 悪魔だとわかったら、もういいだろうが!」
 ニアには話が通じないようなので、俺は話し相手を切り替える。
 こいつとは腐れ縁というやつか、こいつがわりと小さい頃から知り合いだ。悪い意味で。
 クソガキもといリュガは、こちらにちらりと視線を向け、口を開く。
「ああ? 関係ねーんだよ、今回は! 俺はコイツを殺すように、気に食わねえクソ悪魔から依頼されてんだからよ!」
 叫ぶたび、リュガの身体はますます電気を帯びる。
 さすがは雷娘だ。
 にしたって――依頼?
「断ればいいじゃねえかそんなもん! お前、いつからそんなに素直な良い子になったよ!」
「――ッこ、断れない事情ってもんがあんだよ!」
 明らかな動揺で、雷が揺らいだが、その程度だった。
 視線はニアから外れない。
 両者、いつ動き出すかもわからない状況だ。
 ――しかしほんと、わかりやすいやつだ。
 こんなもん、思考しなくたってわかる。
 どっかの悪魔に大事な大事なオオカミあたりを人質にさらわれて、言いなりになるしかないとか、そんなところなんだろう。
 このリュガってやつは、オオカミと共に衣食住を共にしていた時期があるくらい、オオカミと仲が良い。
 それに加えて、大事なもんを奪われると何も出来ない。
 ついでに子供は殺さないという主義を持つ。
 つまり、ええと。
 俺はこれからくるであろう未来を、物語を予想して、吹き出した。
 本当に王道パターンをいくヤツである。
 多分こいつはニアと相打ち、もしくは自分が暗殺に失敗するということで殺さずに済ませようだとか、そういう目論見なのだろう。いつものパターンだ。前もあった。
 どんな事情があるにせよ――こいつに女子供は殺せない。妹とかぶるのか、何かトラウマがあるのかは知らないが。しかし困った。
 このまま行けば、いや、多分ニアは全力でリュガを倒そうとしていることを肌で感じているので、俺の予想が的中することはもうみえている。
 しかし!
 こいつの父親が面倒なので、俺としては、こいつに怪我をしてもらいたくない。うん。
 ええと、こんな場合は――。
「ニア――、俺の話がきけねえのか」
「うふふ、うふ」
「普通仲間の話ってのは、きくもんじゃねえのかな」
「!」
 さあて、言葉遊びのお時間といこう。
 俺の言葉に、ニアは明らかな動揺を示す。
 さっきまでの言動をきく限り――意識が曖昧の中、ぼんやりと聞いてた会話、これまでの言動。
 さっきの俺とした何気ない会話を照らし合わせて――、ニアの言動の『理由』をつく。
「いっとくけどな、ニア。お前の対峙しているそこの、クソガキは俺の『仲間』だぞ。訳あってしかたなーく敵対してんだ」
「……う」
「そんな仲間を、攻撃すんなよ。頼むから」
「……うう」
 狙いがヒットしたのか、案外アッサリと、ニアは砂塵の数を減らし始めた。
 ついでに俺にかけている砂も緩くなっている。
 表情にも変化があって、眉が八の字だ。
 ちなみに本当は仲間ではない。ただ向こうの親御さんが、勝手に俺たちを仲間、家族と称しているだけだ。
 すげー迷惑だと思っていたけれど、こういう時はすごく役に立つ。
 一方、リュガの方はまだ、雷をとめていない。
 怪訝な顔でこちらを見つめている。
 頼むぞ、クソガキ。
 お前が余計なこと言わなきゃ、多分――
「おいメル。いつから俺はてめぇらチンピラの仲間になったんだコラ」
 ……面倒なことをいうやつだった。
「ん? 仲間ではないのですか?」
 それをうけて、ニアの砂、再び活動開始。
「おおおおい! リュガッ、いや、いいじゃん! 仲間でいいじゃねえか! お前の妹は俺たちのこと、仲間だとかトモダチだとか散々いってったぞ!」
「それはマックスだけだろ。俺はしらねーよ」
「お前の親父もそういってやがったぞ!」
「いやいやいや、俺、親父、だいっきらいだし」
「関係ねーだろ!」
「……えー?」
「えー、じゃねえんだよ!」
 そういえば忘れていた。
 このクソガキ、天然でバカなんだった。
 俺は苛立ちを隠さない。
 なんたって、俺は自分の計画が思い通りにいかないことが一番大嫌いだからだ。
「・・・・・・メル」
「えっ?」
 一際低い声で――まるできいたことのない声で、ニアが俺の名前を呼んだ。
 うふうふ狂ったように笑っていた、声じゃない。
 これはそう――怒っている時の声だ。
「メル――これはどういうことなのですか。どうして、どうしてぼくが――メルを守ろうと奮闘している時に、そんなにメルが楽しそうにしてるんですか」
 ぎゅう。
 俺の身体を、砂の大群が締め付ける。
「ぐふっ、ちょ、ちが……!」
「何が違うんですか。さっき、メル、あの子のこと、庇ってたでしょう? どういうご関係ですか」
 じろり。
 ジト目のニアが、そこにいた。
 うーん、これは俺の計算でもはじき出せなかった。
まさかこいつ、ヤンデレ属性だったとは……。
砂塵が徐々に消えて、俺の方へと集まっていく。
ある意味目論見が成功したのだけれど……けれど。俺が苦しい。うんきつい。
「ニアは一生懸命、メルを守ろうとしてたのに、ぐすん。ひどいです、メル」
「や、だから、ぐふ、ちょっ、あの……」
 俺の話、きいてなかったのかなあ……。
 ちらり。
 今度はリュガの方を見てみる。
「………」
 このクソガキはそんな俺たちを不思議そうに見つめていた。そりゃそうだろう。
 雷はすでに引っ込んでいて、エネルギー体は消え失せてしまっていた。うん、こっちもそりゃそうだろうと思う。
 すでにもう茶番劇だ。
「なんだ、お前。メルのこと好きなのか。そんな変態が」
「!」
 ぴくり。
そんなリュガの言葉に、ニア反応。
 ついでに思う。
 俺は変態じゃねえよ! どいつもこいつも北魔界の変態どもと一緒にしやがって!
「――ニアはもちろん、メルが大好きです。あなたはどうなんですか」
 ばーんと爆弾発言を投下。
 ニアはしれっとした顔で、リュガを見つめる。
 一体なんだこのギャルゲーみたいなシチュ!
 俺を取り合うみたいな!
 しかし悲しいのは、クソガキが俺に対してそんな感情を抱いていないことが確信できることである。
 こういうやりとりはさすがのギャルゲーマスター(ニアいわく)の俺でもちょっと予測ができないぞ……。
 くそっ、ヤンデレキャラの攻略を急ぐべきだった!
 ニアは大人しいタイプの王道キャラだと思っていたぜ!
 とは思いつつ、俺は何もできない。
 すでに口の部分まで砂が襲ってきている俺は、ただ唸って見ていることしかできない。
 そんなひやひやしている俺なんかは気にせず、クソガキは怪訝な顔をして、返答。
「は? 俺はそんなバカ好きじゃねえよ。……す、好きなやつなら別にいるし」
 今度はリュガが爆弾発言。
 え、なになにそんなの知らなかったけど。
 ひとまずその場――一瞬、沈黙。
 ニアの丸くて大きな目が、いっそう大きくなる。
 大きく――見開かれる。
 何かやらかしそうな表情。動く両手。
 やばい、なにか――なにか、やる気、なのか……!
「え、あ、そうなんですか?」
 ……あれ?
 しかし、違った。
 ニアはキョトンとしている。
 両手は動いて、大きくあいた口を押さえていた。
 フェイントかよ……。
「ぼくったらてっきり、ライバル出現なのかと思いました。 うわあ、はっずかしいー!」
 んでもって、赤面。
 俺はひっそりとため息をつく……いや、つこうとして砂が口に入る。そしてむせる。
 よかった――いつもの、ニアだ。
 砂塵はもう見る影もない。そのかわり、さらに俺への砂が増している。
「ば、ばかじゃねえのかお前! そんな大馬鹿好きなやつ、お前くらいしかいねえよ!」
 むっ。それは聞き捨てならないが事実だ。
 ……といいたいが、むせるばかりで声にならない。
 いい加減苦しい。ていうか砂から出してくれ。
「きゃっ、恥ずかしいですっ。ぼくしかいないって……、もうそんなのぼくがお嫁さん確定ってやつじゃないですかっ」
 なんか出してくれそうにないのでエア会話発動。
 というか、エア会話でもしていないと、集中していないとすでに意識が続かない。
 頑張れ、俺。
 自分で励まして、俺は必死に会話に集中する。
 あれあれ? そうなの?
 いつそんな話飛躍したの?
 ていうかヤンだ後すぐデレちゃうの?
 ……むろん、返答はない。
「いやいやバカだお前。あのな、こいつ、パソコンの中にいーっぱい嫁さん保存してんだぞ。お前何番目の嫁だと思ってんだ。すげー女たらしだぞ」
 バカ言うな!
 アレは確かに俺の嫁だが、うん、嫁だが!
 アレは二次元の嫁であって、パソコンの中のお嫁さんだ!
 ヒトをどこぞの不愉快な女たらしのように言うんじゃない!
 ……むろん、さらに返答はない。
「―――へえ。そうなんですか、メル」
 と、思っていたら、ぞくり。
 不意に、ニアの声音がまた変わった。
 ああ、今度はわかる。
 ヤンデレモードだ。ヤンモードだ。
 俺の反論などきいていないニアが、俺を見下ろす。
 凍てつくような氷の目。
 ひとまず、「ちがうちがう!」の意を込めて首を出来うる限り横に振る。うまくふれない。
「そういえば……パソコン壊した時にすごく怒ってましたよね、メルったら」
 にこりと、真っ黒な笑みで、ニアは俺に微笑みかける。
 すげー怖い。めっちゃ怖い。
 そのうち包丁で刺されたり、生首にされそう。
 んでもって生首状態で抱きしめられそう。
「ああ、ありがとうございました。わざわざ教えていただいて。貴重な情報でした」
「……お、おう」
 ニアの丁寧なお辞儀に、戸惑った様子でリュガも頭を下げた。
 そりゃ戸惑うだろう。
 こいつは少なくとも、敵意を持って、ニアを殺しにきたのだ。
それなのに人間じゃないし俺はこんなにされるし、大一番で変な痴話喧嘩に巻き込まれるし。
 そんなリュガをみて、はにかむように笑って、ニアは丁寧な口調で自己紹介を始めたのだった。
「ぼく、ニアっていいます。これでも南魔界で、悪魔の見習いやってるんです。――ええと、あなたは……」
「リュガ」
「その……ですね、リュガさんは、一体どういった事情だったんでしょうか」
「…………」
「メルのことは水に流します。ひとまずぼくに、冥土の土産でもいいので、話してもらえませんか?」
 眉間にしわを寄せたまま――リュガは無言。
 様子をうかがっている、というようにもみえる。
 そしてニアはそんなリュガを待つように、見つめている。
 なんだ、やっと目論見成功か。うんうん。
 ――と! そんなことをいいつつも!
 俺を取り囲む砂は終わらない。どんどん固まっていく。
 ていうか、俺を締め付けている。
 やばいやばい。
 そろそろマジでやばい。
 手足の先の感覚とか無くなってきたよ!
「ええと。じゃあぼくの方から話しますか?」
「……」
「ぼくなんて結構波瀾万丈なんですよ!」
「………」
「あう。無言じゃあわかんないですよおー」
 ニアが再び、眉毛を八の字にした。
 ちょいちょい思うが、こいつは困り顔がとても可愛い。
 と思っている間にも、やっぱり砂は強くなっていく。
 そして俺放置!
 いわゆる放置プレイ!
 やっぱり現実の女は怖い。だから苦手なんだよちくしょうめ。トラウマがまた一つ増えていくじゃあねえか。
「……お前、どういうつもりだ」
 ややあってから、リュガが口を開いた。
 おうい、なんでもいい。さっさと終えてくれ。
 そろそろ足先の感覚が無くなってきたぞ。
「どういうつもりって」
「何か、その、企んでるのか。――さっきまで、あんなに」
 リュガは不審そうな顔で、ニアの足元にある砂を見つめた。や、そこまできたなら、あと少し視線をずらして、俺の方までみてほしい。
 きっと顔が紫になっていることだろう。
「あう、いや、その」
 しかしそんな俺の願いは届くことなく、やっぱりみられることもなく、指と指をあわせてもじもじするニアを、リュガはみつめる。
「ほらほら、ニアって、まだ、女の子のオトモダチいないんです。だからオトモダチになりたいんですよっ。リュガさん強そうだし、雷使うし、おもしろそうだし!」
「……」
「だから、力になりたいんです!」
「!」
 ここで、リュガが目を見開いた。
 あからさまな反応だった。
 好機とみたのか、ニアは続ける。
「ぼく、頼れる姉御はいるんですけど」
 シェリルか、シェリルのことか!
「人間の世界でも、オトモダチっていなくて。だから、ぼくと似たこの世界なら――作れるかもって、思って」
 なんだそれは。
 ていうかこの世界でも友達の少なかった俺の立場を考えろ、ニア!
「だから、オトモダチ一号に、なってくれませんか? メルのこともずいぶん知ってそうですし、敵って感じがしないんです。だから、お願いします」
 しかし俺の叫びはやっぱり届かなかった。
 ぺこり。
 ニアはもう一度、頭を下げる。
 もうどうでもいい。誰でもいい。俺を出してくれ。
 悪魔じゃなかったら死んでるぞ。
「……変なヤツだな、お前」
「ええ、よく言われます」
 少し呆れたような表情をして――リュガは、笑った。
 口角を少しゆるめて、笑った。
 そんな顔をみるのは久しぶりで、俺も思わず息が止まる。……否、さっきから止まっている。
「俺の妹、そっくりだ。バカみてえ」
「はい、バカです」
 いや、確かにニアはバカだけれども……お前もバカだぞ、お前も!
 ニアと、リュガが笑い合う。
 なんだか親だかな雰囲気で、沈黙。
 全然気まずくない。なんだこの微笑ましい光景!
 魔界には似合わないだろ! ていうかここ魔界なんだけどいいのかコレ!
 そしていいから早く俺を出せこら! ガキども!
「……実は」
「はい」
 しかし俺の叫びはやっぱり届くことなく、ややあってから、リュガがその重い口を開いた。
 俺のエア会話内のツッコミ台詞などまるで聞こえていないとそういうことらしい。うん。そうだろう。
 でもリュガは確か読心術くらい使えたはずなんだけどなあ。聞こえていて無視か、そうか。
 俺にだって考えがあるんだからな。
 しかし、もし声が出るならば言いたい。
 お前、死亡フラグ踏んだぞ今!
 とか、まあ、思っていると、俺の予想通り――計算通りに、その直後。
 ずしゃりとかいう、肉を裂く音がした。
「ぐふッ――」
 続けて吐血。
 ああ、ニアの前ではあんまり見せたくなかったたぐいの映像が、不可抗力で流れている。
 久しぶりに――胸くそ悪い。
「あ、リュガ、さん――」
 胸に、剣――。
 言い終わる前に、ニアはおおよそ人間では跳躍不可能な距離を跳んだ。
 ひゅん。
 ニアの身体があった位置を、槍が舞う。
「おや。やっこさん、意外に身体能力高めですねェ」
「そうですか? 褒め言葉ですね、うふふ、ありがとうございます、ですッ!」
  そのまま落ちてきたニアは、いつ作ったのか、砂を固めたらしいハンマーを、槍の主に振り下ろす。
 むろん、そのまま直撃、とはならなかった。
 何せ、相手は。
「おやおや、こりゃあっしらが最初から引き受けた方がァよかったじゃァありゃぁせんか」
「―――っ! う、わあ!」
 砂のハンマーなどはあえなく槍で粉砕。
 そのまま柄の部分で、ニアは投げ飛ばされた。
「ニア!」
 弱まった砂を押しのけて、俺はやっとの思いで立ち上がる。しばらく使っていなかったその喉で、叫ぶ。
 微かな土埃の中、地面すれすれの横画面からみえた光景ではなく、きちんとしてみえた光景は――地獄ともいえる光景だった。
 ある意味で。俺にとっては、なのかもしれないが。
「……うわ」
 俺の少し先には、紅い髪したクソガキが胸を押さえてうずくまっていて、その少し隣にはニアが腕を押さえてへばっている。
 さらに向かい合うようにして、二人の悪魔が堂々と立っているのだった。
 たいして仲が良いわけでも、悪いわけでもない。
 他人同然の――同階級の、悪魔。
「――バティン、ゾルター……」
 さらにいえば、南とはまるで縁のない、というかトップ同士が相容れないために立場的には仲が壊滅的に悪い、東魔界の魔神。
 あげく運が悪いのか、バリバリ戦闘タイプが二人。
 どーいうことなの、これ。
 しかし、そんな俺の気持ちなどこれっぽっちも意に介さないで、
「お久しぶりです、メル=イプシロン。いやあ、本当にお久しぶり。少々砂まみれで汚らしいお姿、いやあ実にお似合いですね!」
「余計なお世話だッ!」
 貴族のような姿に仮面をつけて、バティンは愛想良さそうに振る舞う。
 こいつは、そもそも俺たちと『同じ』じゃない。
 かしらと同じで――名のある悪魔。
 それも、キリスト悪魔。
 ソロモン七十二柱が一人、フォラスさんと同じ出身歴を持つ――悪魔、である。
 いや、悪魔というよりは、堕天使、か。
「いやいや、バティンの旦那。メル坊は砂場遊びが昔から大好きじゃあないですか。汚らしいというなら、あんたの剣の方がよっぽどでさァ」
 ちなみにこっちのゾルターも、いやこっちもこっちでというべきか。ちょっと違う。
 バティンのようにソロモンでもキリスト悪魔でもない。
 ただ――ただの。
 ただ、悪魔が悪魔のために作った、悪魔の兵器だ。
「ちょっと。そんなこといったらこの子に失礼ですよ」
 仮面をつけたままで、バティンはリュガへと視線を向けた。もちろんリュガはうずくまったままだ。
 足元には真っ赤な血液が溢れだしている。
 しかし可哀想なことに、こいつには『死』がない。
 つまり、死なない。
 だから、痛いだけ。
 痛くて――苦しいだけ、だ。
 ふむ。ゾルターが唸る。
「失礼っていうんなら旦那の剣の錆じゃないですかぃ? 仮にもこの子切裂いてるってェのに、破傷風にでもなったらどうするんですかい。腹でも切るんですかい、武士らしく」
「僕は武士じゃなくて、騎士ですよゾルター。ていうか騎士じゃなくて、悪魔です」
「いやいや、腹切るべきでさァ。斬ればフランケンの旦那が偉く喜ぶと思いやすよ」
「執拗にそこだけ迫らないでください♪」
 俺たちなどまるで蚊帳の外のように――二人は言い合いを続ける。
 なるほど。嘘つきなクソ悪魔というから、かの有名な鳩かと思ったが、今回は違うらしい。
 今回は―――東魔王の、差し金だ。
「ッ、ぐ……」
 と、ここでニアよりも早くリュガが顔を上げた。
 眼前の二人を睨み付ける。
「てめぇら、よくも……!」
 言っている間にも血は流れ出ていく。
 出血は、止まらない。
「いや、そっちが悪いんですよ。制限時間は過ぎるわ、ゆっくりお話ししてるわ、あげく殺さず、事情を喋ろうとするわで……いやあ監視しているこちらもびっくりでした」
 バティンは剣をふるって、血を落とす。
 リュガに、向ける。
 おそらくいつもリュガへ向けているものとは違う空気で、それを向ける。顔を向ける。
 それだけで、リュガは悲壮な顔をしていた。
 そりゃそうだろう。
 いつもはただの遊び相手――こうして、『敵』として対峙したことなんて、あるわけもない。
 父親の代――いや、そのもっと前の代で、そんなことはとっくに終わっている。
「ふふふ――ふふ。僕たちも、一応東魔界、魔神の端くれですから、勤務している以上は魔王様の命令に逆らうわけにはいきません」
「……ッ!」
「だから申し訳ないのですけれど、貴方には気絶でもなんでもしてもらいましょう。人質にとったオオカミのお子さんは、まあ、オオカミ鍋にでもして。ああそうだ。貴方が得意の『復讐』に乗り出さないよう、ええ、記憶を改ざんして差し上げます」
 ニコニコと、仮面のままで。
 バティンは笑う。
 俺は動かない。動けない。
 ――動いたところで、俺には。
 彼らに勝てる力なんて、これっぽっちもないんだ。
 ……頭では、わかっているから、だから俺は自分の左手で右腕を強く掴む。押さえる。
 思わず、出て行かないように。
「ま、待っ――」
 それは、自分の命乞いじゃない。自分の、救えなかったへのオオカミの命乞い。
 悲痛だ。力なきモノは、力在るモノに逆らえない。
 それが、魔界のルールなのだ。
 どんなに平和ボケを始めても――。
 帝王が変わって、何かが変わり始めてきても。
 昔から何も変わらない、ただ一つのルール――。
 それをまた、このクソガキは体験する――それも、またもや――俺の、非力な俺の、目の前で。

「―――ちょっと、待ってください」

 声と同時に、ニアが。
 ニアが、立っていた。
 腕を押さえていたはずなのに、その腕は真っ赤に腫れ上がっているというのに。
 痛くて――怖くて、仕方ないはずなのに。
 こんなもん、俺だって怖い。東魔界の連中と、一人でやり合うなんてどんなに計算しても、勝てる見込みがない。逃げ出してしまいたい。
 今すぐ帰って、ギルドでも呼んで――。
「あなた――一体どなたですか」
 だけれど、そんな俺を差し置いて、ニアは怒っていた。
 ついさっき、つい七日前まで人間として暮らしていたニアが、恐怖など微塵も感じさせずに、怒っていた。
 同じく腕を押さえているのに。
「……本当は貴女のような者に名乗る名はないのですけれど、あえて名乗りま」
「じゃあいいです。名無しさんと呼びます」
「――!」
 バティンの声を遮って、ニアは言う。
 伏せていた顔が、起き上がる。
 前を向いた瞳は――青い、瞳は。
 真っ直ぐに、バティンとゾルターへ向けられていた。
「名無しさん。アナタ達は卑怯です。卑屈です。嫌なヤツです。最低です。卑下です。御下品です」
「………」
「ヒトの大事なものにふれて、壊すと脅して、誰かにものを強制するなど――滑稽な悪人です。そのへんに落ちているゴミと、なんら変わりません」
 俺は、動揺で心臓が止まりそうだった。
 ニアは今、ルールを破った。
 魔界のルールを――破った。
 いとも簡単に、それこそ――まるで、帝王のように。
 いつかの――死神のように。
 ニアは口上を続ける。
「ぼくは人間を辞めて、悪魔になろうと思いました。でも名無しさんのようにはなりたくない。だってぼくがなろうと思った、憧れたのは――」
 ニアの口元が、不敵につり上がる。
 どこかの誰か、俺のよく知っている誰かに、それはよく似た笑みだった。

「強くて優しい、バカどもですッ!」

 瞬間、ニアの両側から恐ろしい量の砂が飛び出した。
 リュガを避けるようにして、砂は一直線にバティンとゾルターへ襲いかかる。
 いつのまに操作を再開していたのかは知らないが、それは凄まじい光景だった。
 まるで、竜のようだ。
「――く! これは、予想以上!」
 バティンが剣をふるって、飛び上がる。
 同じくゾルターもたいした予備動作なく、飛び上がった。が、ニアの竜は終わらない。
 ぎゅんぎゅんと速度をあげて、二人の悪魔を別々に追いかける。
「――あ」
 その最中、俺は見た。
 ニアの青い瞳が――黄金色に、光っている。
「逃がしません。絶対に、逃がしません」
 うふふ。
 ニアは笑う。
「そのオオカミのお子さんをオオカミ鍋にするなんて、そんな真似はカミサマが許しても、ぼくは絶対許しません」
 ぶつぶつと何かを呟く。
「ぼくは動物好きなんです。うふふ。だから、絶対にさせません。するというなら、アナタたちをお鍋にしましょう」
 ニアの目には、何が映っているのかわからないが、その瞳は狂っていた。悪魔の俺からみても、狂っていた。おかしかった。異常だった。
 もしかしたら――半分、無意識なのかもしれない。
 そう思うほど――それは、ニアの目じゃない。
 表情も、ニアのものではない。
「ふむ、ふむ、ふむ――」
 逃げ続けていたバティンが、いつの間にかゾルターと合流して呟く。
 すでに竜に服の裾を食べられたのか、わずかにボロボロになっていた。
「いやはや、ちょっと、旦那。こりゃやばーって感じですぜ」
 ゾルターもまた、眉を八の字にしてバティンの真横に並んでいる。
「そうですね、息切れしてきました。ハードですもん」
「いったん帰って晩酌にしやせんか? オオカミ――はやめて、ええ、乾き物で」
「いえ、乾き物などいりません。チーズにしましょう。なんだかワインが飲みたくなりました」
「うわあ、貴族ですねェ。無駄に」
「……放っておいてください」
「へえ。わかりやした。では放っておくことにしやしょう。おもしろいと思ったんですがねィ」
「ではいったん帰って報告に致しましょう。もしかしたら、魔王様もフランケンも、気が変わるかも知れません」
 二人はまだ、しゃべれるだけ余裕のようで、二頭の竜をひょいひょいと避けていく。
 しかしそのことなど全く意に介せず、ニアはおそらく、本能のままに砂を操って――二匹の竜を交錯させる。

「うふふ――逃がさないと、言ったでしょう!」

 刹那、ニアの操っていた砂の先端部分が爆発。
 どんなことをしたのかわからないが――凄まじい爆音と爆風が周囲に散らされる。
 森全体が――魔界が、揺れる。
 砂埃が舞い上がる。
「……うふ。さあ、生きてます?」
 ゆっくりと、歩み寄って、ニアはまた笑った。
 楽しくて楽しくて仕方ないと――そういうように。
 爆発を起こしたその部分――おそらくニアの予想では、バティンとゾルターがいるその場所を、ニアは覗く。
「――あれ?」
 しかし、ニアはマヌケな声を出した。
 土煙が晴れていく。
 そこに――二人はいなかった。
 仕方ないので、何もできなかった情けない俺は、怪我をしているリュガに近づく。
「……おい、大丈夫か」
「……大丈夫じゃねえよ、ばか」
 小さな返答。
 すすり声のオプションつき。
 顔は地面へと向いたまま。
 あげくその真っ赤になった地面には、黒い水玉模様までできあがっている。
「……ひ、くっ」
 刺された胸が痛いのか。
 抵抗できなかった自分が悔しいのか。
 はたまた――オオカミ鍋にされる子が、哀れなのか。
 リュガは、小さく、泣いている。
「……悪かったな」
 そんな自分よりも遙かに年下の、子供が泣いているというのに俺は。
 ただそれだけの言葉をかけた。
 いつか、ずっと前も、こんなことを言ったなと思いながら。
 だけれど、ニアは。
 いないことを確認した後、すごい勢いで戻ってきて、リュガの両肩を掴む。
 おいおい、そいつけが人。
「なに、泣いてるんですか。まだ、お子さん、殺されてないですよ、きっと」
「……」
「泣いていたら救えません。戦わないと、救えません。ぼくはそんな世界なんだと、ロゼさんから教わりました」
 俺は呆然としながら、そんなニアを見つめた。
 そんなことを教えていたとは――知らなかった。
 たった七日のうちに、あいつ、一体何を、どこまでニアに教え込んだんだ。
「ぼくは行きます。帝王さんのところにいく前に、服を買いに行く前に――そのついでいに、さっきのひとたち追いかけて、お子さん、救って見せます」
「……」
「だから、リュガさんも、いきましょう」
「……うん」
 コクリ。
 頷く、リュガ。
 お前もどんだけだよ。なんで小娘に慰められてんの。
 ていうかもう傷はいいのか。剣突き刺さってたよね?
 俺はしかし口を開かない。なんとなく空気が重い。
「お前……、メルが好きだから、どんだけ変なヤツかと思ったけど……いいヤツだな」
 ごしごしと両目をこすって、リュガは自分の頬を叩いた。
 真っ赤になるほど力一杯叩いたらしい。
 また若干涙目になって、しかし今度は、強く前を睨む。
 怪我の出血なんて何故かすでに止まっていて、流れていた血もすでに乾こうとしていた。
 なんつー回復力だ。
 さて、そんなふうにずーっと様子を黙ってみているダメ悪魔が一人。
 うん、俺のことだ。
 だって俺は戦闘苦手だし、頭脳戦なら得意だけど、あれって前準備があるから勝てるわけだし。
 うん。後ろから殺されないように見張る役目とか、そんな感じのポジションに立とう。
 そんな決意のもと、俺はだからあたかも選手を見守る監督、生徒を見守る先生のように、温かいまなざしを向けて、頷く。
 こんな感じだろ。
 が、刹那。
「うふ。こんなに強い三人がいれば、誰がこようと負けませんよ。なんていったって、三本の矢は折れませんから!」
 なんていうどこかご機嫌な、ニアの声が聞こえた。
 続けて両手を、自分より年下で強い小娘どもに掴まれる。おまけに振りほどけない。
「……え、え?」
 さらにオマケに強制的にリーダーポジション。
 真ん中を歩かされる。
 うーん、どういうこと?
 俺も選手になってるんですけど。
 こういうの、事務所的にっ、エヌジーなんですけどっ!
「進路方向変更―っ! 目的地、帝王城から東魔界! 魔王城! うふふっ、お宮参り――致します!」
「おーッ!」
「……おー」
 すでにノリノリのクソガキも、拳を突き上げてシャウト。でもって俺もこの場の空気に負けて拳を突き上げた。
 ギルドにでもメールしとこう。
 多分、寝てて気づかないんだろうけど。


■□■□


 さて俺たちは現在、東魔界にいるであろう、俺と同じ階級の悪魔の話と、戦闘タイプとそうでないタイプの悪魔がいるという説明をニアにしている。
 場所は東魔界郊外。
 魔王城からかなり離れた森の中。
 なんで離れているのかというと、東魔界の半分以上が海になっているからである。
 運良く今は潮の満ち引きの関係で陸続きのようになっているが、そうじゃなければ、今頃海を渡るか帝都へいったん行くかの二択になっているところだ。
 しかしそれにしたって、何もない海底が見えているだけなので、向こうからみれば丸見え。作戦会議場所には使えない。
 という理由のもと、その一歩手前の森の中で俺たちは、否、俺は事の重大性を説明している。主にニアに。
「だからな、魔界の中でいっちばん堅物なのが、東魔界なんだよ。わかったか?」
「はい。問題ありません」
 いや問題しかないんだよ。
「俺は戦闘タイプじゃないの。頭脳は天才的だけど、正直戦うのなんて大嫌いなの。わかる?」
「ええ。でもメルは強いです」
「……わかってないだろ」
 ニアはさっきからこの調子である。
 本当によくわからない。
 俺はため息をつく。
 ちらりとリュガをみてみれば、やつもこの俺とニアのやりとりを物珍しげに見つめていた。
「ホントにここのこと、知らないんだな」
「そうですよ? つい七日前にきたばかりですから」
「ふうん。お前が人間として暮らしてたなんて、俺からしたら妄言にしかきこえない」
 先程、ここへくるまでの間で自身について、ニアはリュガへ説明をした。
人間だということ。悪魔を始めたということ。それから俺たちとのなれそめ、かしらたちのことも。
ついでにニアの家庭環境についてまで事細かに喋ったら、なぜだかリュガはさっきよりも好意的になった。
 うん、不思議だ。
 しかし逆境具合は、こいつもニアもひどいものだし。
 コイツも女なのに『俺』だし。
 ニアも『ぼく』だし。
 いい友達になれるのかもしれない。
「まあ、俺は人間が大嫌いだけど――お前くらいなら、お前一人くらいなら許容範囲内かな。うん。どうせもう人間辞めたやつだし」
「そうですよお。だから仲良くしましょう!」
 さっきから俺はこうしてしばしば放置されている。
 見た目同い年なリュガとの会話が楽しいらしい。
 まあ、ニアもリュガも精神年齢的には同い年だろうし、そんなもんなんだろう。
 確かリュガも、シェリルになついてたし。
「つーか! お前らよお、ここまでノリできたけど、作戦とかあるのか、作戦」
 まあそんな女子トークに付き合っているわけにもいかないので、俺は木に背中を合わせながら、呟く。
 現在時刻はわからない。
 ここ、東魔界の空はいつもこうしてどす黒い紫色なので、どうしても時刻が狂ってしまうのだ。
 だがおそらく――いつもの調子でいけば、昼頃だろう。
 少なくとも夕食までに城に帰らなければ、今度はシェリルとフォラスさんに怒られてしまう。
俺が。
 というか今から東魔王城に殴り込みをしにいくという時点で、もう俺への説教は確定している。
 うん、行きたくない。生きたいもん。
「何度もいうけどよ。東魔界の魔神たちは、挌が違うんだぞ、挌が! 例えばさっきのバティンだって、ゾルターだっていちいちレベルがおかしいんだ。そのほかにイカレたマッドサイエンティストのフランケンに、怪力女神ヘカテー。でもってその執事のエンプーサ。最悪に最悪なのが、ハインリッヒの次男坊、ジルだ」
 うん? と、ニアはここで首を傾げた。
 おお、気づいたか。
「ハインリッヒって、どこかで聞きませんでした?」
「きいただろうよ。シェリルの家がそうだからな。ジルはシェリルの弟だ」
「うわわー」
 あれ。シェリルの弟だときいても、まだ勝つつもりでいるらしい。にやけ顔は止まっていない。
 こいつどんだけ自信過剰なんだ。
「しかも東魔王はサタンっつー、面倒で面倒、かつ堅物で融通のきかない石頭だ。諦めて帝都に向かおうぜ」
 そんなわけで、俺は一番言いたかったことを呟いた。
 うんうん。諦めるのが一番。何事も肝心なんだよ。
 ちょっと情けないけれど、勝てない戦はしない主義だ。
「ダメです。ぼくはオオカミのお子さんを助けて、もふもふするっていう夢があるんです」
「お前! そっち! そっちが目的だったろ!」
 とうとう自らの野望をニアが暴露したので、俺もついついフルパワーのツッコミをいれた。
 次の瞬間、ざわめく森。
 カラスがばたばたと飛び立っていく。
「……」
 三人して気まずい顔。
 デジャヴだ。
「ま、まあとりあえず。ちゃっちゃと正面突破を決めちゃいませんか?」
 そんな気まずい空気を打ち破るように、ニアが呟いた。
「え。正面突破? そんな王道でいくの?」
 ていうかやっぱりいくの?
 俺は思わず眉毛を八の字にする。
「当たり前ですよ。王道が一番でしょう」
「いや、ぜってー無理だから! 俺たちだけでいって、マトモに勝てる相手じゃねえんだって!」
「いいえ勝てます」
「何で!」
 思わず腹を立てて、今朝のように怒鳴り散らした。
 言ってしまってから思わず口を紡ぐ。
 しまった、つい、強めに言ってしまった……。
 ニアはキョトンとした顔から、俺を睨み付けるように、眉を八の字の逆バージョンにした。
 怖い。
「メルこそ、何でやる前から勝てないと決めつけるのです! そんなに東の悪魔が怖いのですか! ぼくは怖くありません。だって!」
 だって、とニアは続ける。
 なんだ? なんだ?
 まさか俺がいるから、とかそういう理由か?
 淡い期待に、俺は胸を高鳴らせる。
 まあそういうことを言われたら、俺としてはそれなりにモチベーションも高まるわけで、行くしかなくなってしまうのだけれど、期待が高まる。
 わずかな沈黙のあと、ニアは。
 俺の顔をみて、言った。
「ぼくらの姉御が今、到着しましたから」
 刹那背後に感じる凄まじい殺気。
「ハインリッヒの女鬼、愚弟ジルをぶっ飛ばすためにただいま参上。――いいかいあんたら。今から愚弟もクソ魔神どもも雑魚魔王さんもまとめてぶっ飛ばすよ?」
 背後を振り向く前に、ぐわしっと肩を掴まれる。
 腕が回される。
 ブロンドの長い髪が、俺にもかかる。
 わずかに香る、良いにおい。
 しかし――しかし!
 肩の骨を砕くように、その手には力がずっしりとかかっている。もう怖くて振り向けません。
「……よおメル」
「……ローズ」
 そしてさらに俺の肩を、今度はぽんと叩く影。
 紅い髪にバンダナ巻いて、何でかいつもと違った服装で、俺の仲間、ローズがそこに立っていた。
 その手にはいまだ寝たままのギルド。
 ロゼ……がいないところをみると、朝早々にリア充をしにいったらしい。ちくしょう!
「さあ武器を持ちなやろうども! 南魔界の意地ってもんをみせてやんよ!」
「おーッ!」
「おーッ!」
「……おー」
 どうやらリーダー交代らしい。
 そりゃそうだ。女鬼、シェリル降臨だもの。
 ちらりとだけみてみると、その姿は、現役時代そのままの特攻服を身にまとっていた。
いつもの清楚な服はどこへいったのやら。
髪も上品にまとめてあるのではなく、ポニーテールにして乱暴に結びあげられていた。
「さ、あんたらもこれに着替えなさい」
「はいっ!」
「おうよ!」
 何でか異常にノリノリの二人は、シェリルから渡された特攻服に木の陰でお着替え。
 ドキドキシーン最中だというのに、これほど萌えないお着替えのシーンがあるだろうか。着ようとしている服が、特攻服だなんて。
 あげくなんでか俺もお着替えをさせられた。
 しかもニアに覗かれた。
 なんだかとてつもなく悲しくなった。
 そしてよくみたらローズの服装は、シェリルのものとほぼ同じ、つまるところ特攻服だった。
 こうして俺たち南魔界の面々とクソガキは特攻服に身を包み、いかにもチンピラ、不良らしく、ならず者らしく、お礼参りに向かったというわけである。
 戦局が大きく変わったとはいえ――まだ、不安だ。
 あげくシェリルの背中には、大きく、
 『卑怯上等、喧嘩上等、殺し合い上等』とかかれていた。
 いえいえ、全然上等ではありません。


■□■□


 さてこれにてメルの情けないターンは終了です。
 ここからはぼくのターンです!
 という前振りはともかくとして。
 ぼくらは現在、東魔王城裏口に来ている。
 とっても親切な案内人、ジルさんを連れて。
「いやあ、お前が門番してるなんてなー。あたしが初っぱなからきて正解正解。最高の正解だよ」
 ジルさんは現在、シェリルさんによって首輪をつけられている。
 メルからきいていた話の、強そうな感じはどこにもない。
「う、うぐっ。ふ、普通姉貴が最初から出張ってくること、ないだろう! 王道コースでいくってきいてたのに……」
「うるさい黙れ喋るな愚弟」
「ごふッ!」
 さっきからこの調子。
 ずっとこの調子。
 ちょっぴりだけジルさんが可哀想になる。
「だ、だって! 姉貴チートじゃん! 普通チートは最初から仲間にはならないんだぞ!」
「こういうこともあるんだよ」
「ねえよ!」
「ねえよ? あんた、誰に向かって口利いてんの」
 めぎっ。
 首輪でつながれたジルさんに、シェリルさんの底の分厚いブーツで蹴りが入る。
 このひと、容赦ないな。
「はん。どこのバカが王道コースで普通にくるよ? 俺たちをなめんな」
「き、君に言われたくはない!」
「うっせー黙れ喋るな」
 ごきっ。
 再び蹴り。
 リュガちゃんに対しての暴言も、どうやら許さないらしかった。
 さて、どうしてこうなっているのか。
 説明すると、とっても簡単である。
 簡単すぎて笑えることである。
 シェリルさんに連れられて門の前まできたぼくたちは、まあ流れ通り門番をしめようと全員、拳をゴキゴキ鳴らしていた。
 が!
 門にいた門番はこのジルさんと、その他は全員下級な魔物だけだったというわけである。
 一人ばーさす、六人。
 結果は見え見えで可哀想だったので、一騎打ちという彼の望みをこたえてあげて――シェリルさんと一騎打ち。
 あえなくジルさんは敗北。
 あえなく首輪をつけられて、犬扱い。
「大体あんた、どういうつもりだい? このコ脅して、そんな汚い仕事押しつけて……」
 ギロリ。
 シェリルさんの目が光る。
「ハインリッヒは代々、帝王家に従うが定め! この家の名に泥塗るってんなら、本気で処罰だ!」
 今まできいたことがないくらい、シェリルさんは激怒していた。メルに怒る時とはまるで違う。
 本当の――激怒。
 空気がぴりぴりとして、居づらいほどだ。
「……はう」
 思わず、萎縮してしまう。
「ニア、今はほっといてやれ。ああいうのは、家庭の事情ってヤツだから」
「メル……」
 そんなぼくを見計らってか、メルがそう声をかけてきた。よくみればリュガちゃんも明後日の方向を向いている。
 ――これが、家族。
 でもやっぱり、お父さんの怒鳴り声とは違った。
 何が具体的に違うのかはわからないけれど。
 しかし、ふと思ったけれど……『帝王家に従うが定め』ということは、リュガちゃんは帝王家なのだろうか?
 ききたいがきけない。
 聞ける空気じゃあない。
 メルもローズもリュガちゃんもみんな明後日の方向に顔を向けている。いわゆる、みないふりだろう。
 というか見れたもんじゃない。
 シェリルさんの顔が怖い。
 本気で怖い。
 ぼくもリュガちゃんたちを見習って、明後日の方向に顔を向けた。
 うーん。あとできいてみよう。本人にでも。

「あ、姉貴にはわからないだろ! あんな魔王の元で、右腕として働く俺の気持ち!」
「ああわからないね! 卑怯者の気持ちは!」
「俺は姉貴みたいに強くないんだ! 家督だって姉貴の旦那に譲ったし、帝王城勤務からも外れた! 一族の名を守るためなんだぞ、これだって!」
「うちの一族にそんな卑怯者はいないんだよ! 強くないなら、強くなりな!」
「う、ううう」
「とりあえず、オオカミの子供、いる場所、教えな。もし教えないんだったら、あたしはあんたを殺してでも、聞き出す」

 と、こうして、まあ。
 裏口付近で立ち止まること数十分。
 メルとぼくとリュガちゃんによるにらめっこ大会が開催され、ぼくの連勝がストップ。
 心身ともに滅多打ちにされたジルさんが、ほぼ泣きながら場所を教えてくれた。
 とてつもなく哀れ。可哀想。
「はん。情けない」
 ぼくが感想を述べたら、そんなふうにシェリルさんは吐き捨てた。本当に、身内には容赦がない。このひとは。
 どっかの身内に超甘いひととは、大違いだ。
「さて」
 メルが仕切り直しといわんばかりに、咳払い。
 しかし特攻服にメガネはどう考えても似合わない。
「これから俺たちのすべきこと。最重要な目的は、オオカミのガキを奪還することだ。そうだろ?」
 コクリ。
 リュガが頷く。
「っつーことは、ここから二手にわかれるのが効率的と俺は考えるね。一組は救出専門。もう一組は、揺動部隊」
「よ、よーどうぶたい?」
「よー、どうだい? ぶたい? みたいな、ですか?」
 ぼくとリュガちゃんが同じ表情でメルをみつめた。
 その瞬間、メルの顔が呆れていく。
「……」
 ついでに目線がぼくらを哀れんでいる。
「……面倒だから、詳しくは教えないけどよ。つまり、片方が騒ぎ立ててるうちに、もう片方はラクーに目的を済ませちまうって、そういう作戦なわけよ」
「はい」
「おう」
「……。だから、揺動部隊ってのは、その騒ぎ立てる方」
「ああ、なるほど! わかりました! 囮ですね!」
「なんだ、囮か。なら最初から囮っていえよ」
「……なんていうかすげー不安になってきたわ」
 というやりとりは置いておくとして。
 ひとまず、二手にわかれた方がいいらしい。
「問題はどう分かれるか、だな」
 ローズがぼくたちの顔を見渡して、呟く。
「まあ俺やメルはともかくとして、ギルドとシェリルは派手に暴れるんだから揺動部隊決定だろ」
「なッ! そりゃあたしが騒がしいみたいじゃないか!」
「そういってんだよ」
「表、出ろ」
「すんませんでした勘弁してください姉御」
 ローズがシェリルさんによって数センチ浮かされている間に、ぼくは思考する。
 少なくとも――メルよりは、ぼくが戦える。
 実戦経験こそ少ないけれど、でも、ぼくの能力は戦いに特化した能力だ。
「あの、ぼくも、」
「ニアとリュガは救出部隊だ」
 ぼくの言葉を遮って――メルが呟く。
 いつになく低い、落ち着いた声で。
「あう」
「どういうことだコラ」
 へこむぼくなんかは放っておいて、リュガちゃんはすかさずメルを睨み付けた。
 いつでも電気をまき散らしそうだけれど――それでいて、そういえばさっきから大人しい。
「俺の計算でいけば、二人をペアにした場合、戦闘能力も隠密動作も問題ないんだよ。それにリュガ、お前は暗殺者としてのスキルは高いし、ニアの能力も一撃必殺に加えて防音性が高い。――二人をペアにして、やらせた方がいい」
「………」
「………なるほど」
 リュガちゃんは、シニカルに笑う。
 ぼくは、笑えなかった。
 なんだか、それじゃあ――。
「おいメル、まさかこの二人だけをペアにするつもりか? そんなもん、不可能だろ。万が一あの変態貴族が単独行動していたり、フランケンが――」
「問題ねえよ」
 ローズの反論にも、メルは動じない。
 いつものメルじゃないみたいに、冷静に、言葉を紡ぐ。
 わずかに陰った表情が――カッコイイ。
 思わず、みとれる。
「あの変態貴族は――すでにフラグを踏んだ後だ」
 にやりと、メルも、シニカルに笑った。
 ローズはますますわけのわからなさそうな顔をして、納得いかないような表情を浮かべていたが――しばらくして、変わった。
 呆れたように、ため息をつく。
「やーめた。反論なんて、無意味だったな」
「そのとおり。これでいく」
 やっぱり、ぼくにはなんのことだかわからない。
 と、そんなやりとりをみていたら、突如ぼくの頭に手がふってきた。
 くしゃり。
 シェリルさんが、ぼくの頭を撫でる。
「そんな顔、するんじゃないよ。ここは戦場。気持ちに迷いや揺らぎが出来れば、それが命取りになる場所だよ」
「――う」
「確かにあたしらは少し、あんたと距離をとることになっちまうけど――でもさ。見捨てるってわけじゃない。あんたを信頼して――あんたに、大事なことを任せるんだ」
「――!」
 ぼくは、ハッとしてシェリルさんを見上げた。
 自分のもやもやした気持ち、納得のいかない気持ちの理由が、ぼく自身にわからなかったというのに――。
 どうして、わかったんだろう――このひとは。
 そうか、ぼくは。
 まるで一緒にいると、足手まといだといわれているように、思ったんだ。
「しっかりやんなよ。いっとくけど、助けて終わりってんじゃないよ。助けたら、必ず合流すること。いいね?」
 ぐしゃっと、今度は少し乱暴に髪をなで回して、それから背中をばんっと叩かれて、ぼくは背筋を伸ばした。
 同じくされて、リュガちゃんも背筋を伸ばす。
 二人して顔を見合わせる。
 ――なんだか、不思議な気分。
「「はい」」
 だから、二人同時に返答。
 そんな様子をみて、メルは再びぼくらに告げる。
「合流地点は魔王の間だ。リュガがわかるから、ニアはこいつについていけ。――いいか? 魔王とは戦うな。遭遇したら、ひとまず逃げろ」
「はい」
「……おう」
 ぼくは静かに。
 リュガちゃんは渋々といった表情で、頷く。
「……ニア、無理はすんなよ」
 ローズがぼくの肩をぽんと叩いた。
「はい。ローズこそ」
 つぎに、彼はリュガちゃんの肩も叩く。
 どこか照れくさそうな表情だ。
「お前、頼んだぞ。ニアは南魔界の新エースなんだからよ」
「けっ、なんか違和感あるけど……お前も結局、なんだかんだでウチの兄貴や姉貴とかわらねえよな……。いいぜ、頼まれてやんよ」
 紅い髪同士だからか――兄妹にみえる。
 なんだかちょっぴりうらやましい。
「ニアー♪ 危なくなったら、俺の名、呼べよなっ。すぐ跳んでく! 一分かからないから! メルよりも先に呼んどけ!」
「ええ、わかりました」
 今度はギルド。
 ぼくの首に腕を回して、背中からぎゅーっと抱きしめてくる。
うん、少し苦しい。
 そのままリュガちゃんを指さして、笑う。
「リュガもな、無茶すんなよなんだぜ! お前危なっかしいじゃん昔から!」
「う、うっせえ! 余計なお世話だ! お前こそ自滅すんなよ! ばーかばーか!」
 こっちも――兄妹みたい。
 ぼくはなんとなく、目を細める。
 ここがぼくだけの居場所じゃないんだと――知って。
 このひとたちとこうしていられるのは、ぼくだけの特権じゃあないと、知っていたはずなのに。
 感傷に浸っていたら、ふいに、ぐいっと身体が傾いた。
 リュガちゃんだ。
「いいか、お前! 俺とペア組むんだから、さ、さっきまでのこと、その、俺のしたことも……ぜーんぶ忘れろよ! お、俺だって全部忘れて組むんだからな! ……あ、それと、俺のいうこととかちゃんときいて、―――俺のこと、見失うんじゃねえよ」
 ぼくの手を強引に引っ張って、リュガちゃんは呟く。
 まるで、お姉さんみたいな口調。
 まるで、友達みたいな口調。
 まるで、家族みたいな口調。
 さっきまでの敵意も殺意もそこにはなくて、でもはにかんだようにつり上げた眉が可愛くて、ぼくは笑う。
 うふ、ではなく。
 くすくす、笑う。
「わかりました」
 ぼくの、年子の姉とでもしておこう。
「見失いそうになったら、声かけろ。手ぇくらいは繋いでやる。でも感電すんなよ。間違って」
 ぶっきらぼうだけれど優しいところは、どうやらぼくの周辺で共通しているようだ。ローズもロゼさんもお頭さんもメルもだから……もしかしたら、魔界全体に共通してある特徴なのかもしれない。
 と、不意に、リュガちゃんがぼくに一指し指を突きつけて、ぶっきらぼうに呟く。
「あとリュガ『ちゃん』もやめろ。――リュガでいい」
「えー」
 どしてー。の意味をこめて、長く発音。
 え―――ぇぇぇ―――ぇぇ。
 みたいな。
「えー、じゃねえんだよ! なんか、その」
「?」
「……他人みてーで、やだ」
 ほほう。ぼくはもう、他人ではないと。
 ぼくにとってではなく。
 そっちにとって、ぼくはもう他人ではない、と。
 そういうこと――らしい。
「俺もお前を『お前』じゃなくてニアで呼ぶ。だから」
 真っ直ぐな紅い瞳は、きらきらで綺麗だった。
 一点のくもりもない――純粋な瞳。
 ぼくはだから、「わかりました」と笑う。
 うん。うん。うん。
 こんなのも――悪くない。
「……くっだらねー打ち合わせ、終わったか」
「ええ、今」
「……けっ」
 そんなぼくらのやりとりを待っていた心優しいメルは、若干顔を引きつらせながら、そう吐き捨てる。
 メルの足元には、キセルから出たもう役に立たないであろう灰が積もっている。
キセルをふかしながら――いつの間にか天井にぶら下がったシャングリラに乗っているシェリルさんに、ちらりと目で合図して、メルはもたれかかっていた壁から身を起こした。
 合図を受けたシェリルさんは、どこから取り出したのか、両手に火炎瓶。
「え、あの、ちょっ……」
 あまりみたことがないというか、映画やドラマでしかお目にかかったことのないそれを、シェリルさんはニヤニヤと怪しく笑いながら、掲げている。
 うーん。ぼくの予想では、火事になると思うんだけど。
「揺動には花火っしょ! でも花火忘れたから、これでいくぜぇやろうどもー!」
 それは変わりにはなりません、というツッコミもなしに、ギルドだけは「いえー!」とノリよく両手をあげる。
 ついでにノリよくシェリルさんコール。
 げんなりしながら、ローズが加わる。
 無理矢理といった感じに、首輪に繋がれたジルさんが、やたら死んだ瞳でシェリルさんコール。

「よし。作戦名『W・R』――開始!」

 そんなシェリルさんのかけ声と共に、ぼくの不安を焼き払うように、火炎瓶は投下された。
 そもそもなに、その作戦名? とは思ったが、まるで尋ねる時間もない。
 直後、ぼくはリュガちゃ――いや、リュガに腕をひかれて、走り出す。
 ちらりと背後をみてみれば、シャングリラに火が灯り、ついでに首輪につながれたジルさんにも火が灯っていた。
 灯っていたというよりは――ジルさんが火だるまだった。
 人間だったらきっと死んでる。
「ニア、よそ見すんなよ!」
「は、はい!」
 そんなぼくを叱責して、リュガは走る。
 なんだか、姉妹みたいだと思ったのは、きっとぼくだけだ。
 
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